『心を知る』
私の大切な人が亡くなったあの日。
あの日から、私の心は言葉に表せないものを感じていた。
これをなんと呼べば良いのか、妙に清々しく感じるのに、何処か引っかかるものがある。
ある物事に対して確認を繰り返し、もう大丈夫だと決定付けたのに不安を感じてしまう。
近いもので表現するなら、この感覚はそれと似ていた。
こんな時、ドラセナはなんて答えるのだろう。
私は変に堅く考え込んでしまうから、彼女のように柔らかい考え方はできない。
度重なる自己分析を経ても私は答えを得れないのに、何故彼女は簡単に答えを出せるのだろうか?
私と彼女の決定的な違いはきっとそこだ、根本が同じだとしてもここだけは違う。
前とは随分と小さくなった体を触り、もう一度考える。
ドラセナのような体で、ドラセナのしない顔で、らしくもなく考え込む。
言語化できないこの感覚を、彼女はきっと……こう、答えるのかもしれない。
「なんとなく、かな」
なんとなく、それが彼女の声で描かれた言葉。
私が愛した人の声で描いた言葉。
ただ、納得の行く出来ではなかった。
この言葉は無責任とも取れる、楽観とも取れる。
私が発したからこそ、そう取れてしまう。
彼女の声ならこうはならない。
それどころか、彼女は諦観を持ち合わせながら達観していたと思えてしまう、そんな声色で描いただろう。
故に、彼女の言葉に無責任は無かった。
私が疑問を問えば、彼女は確固たる責任を持ち、明細な意志を込めて私に答えをくれた。
私が簡単に理解するという楽観も無く、骨の髄まで分かるように分かるまで教えてくれた。
思い返せば、何故そんな諦観を持ちながら私のために答えを説いてくれたのだろう?
そんなに達観していれば人間に尊敬されるだろうに、何故彼女は人間を憎んだのだろう?
人間の心理を知ってしまったからか、それ故に私の純朴な心に惹かれてしまったのか。
いいや、この推測は少し自惚れが過ぎるだろう。
ともあれ、それは私が至るには遠過ぎる境地。
生きることを諦めていながら、善も悪も全てを観たであろう彼女にしかできない見方。
それができなければ、私はこの答えを見つけれない。
生憎生きる行為を諦めるなんてことは、彼女の願いを砕くことになってしまうから不可能だけれど。
できないことを強請っても仕方がない。
今はこの答えを明確にするために、やれることをやるしかない。
しかし、どうやって?
これは手の付けようが無い抽象的な問題だ。
ただ一端の感情に関する問題に答えを求めるなど、それは明確な線路が存在しない、淡い獣道を歩くようなものだ。
このような問題に対しては、理知的で理論的な思考で紐解くのは難しい。
では、どうすれば良いか。
答えはその真逆を突くこと、つまり衝動的で感情的な思考で紐解けば良いのだ。
感情には衝動を、衝動には感情を。
冷たい感情を揺るがすのは熱い衝動であり、怒り狂う衝動を抑えるのは冷たく優しい感情だ。
全てには相互関係があり、互いに支え合うもの。
つまり感情的な問題ならば、そこに衝動を与えれば良い。
衝動とは一種の閃きであり、直感。
それらを得るための方法は……。
目で、舌で、手で。
この有り余る五感で、全てを感じ取ることだ。
目ならば私の見たことがない景色を。
私の周りにあるありふれた景色以外にも、もっと幻想的な景色が存在する筈だ。
この舌だって、まだ肉の味しか感じ取れていない。
他に感じ取れるものは沢山あるだろう、野草なんて食べたことがないんだ。
この手で感じ取れるものは、私が知る感触よりももっと存在する。
世界はこんなにも広いんだ、私の触ったことがないものだって絶対にある。
あぁ、そうだ、私はまだ何もしていない。
まだ感じてないものが沢山あるじゃないか。
「……井の中の蛙、って言うんだっけ、こういうの」
ドラセナに教えてもらったことわざを早速使ってみるが、しっくりとは来ない。
だけどきっと、この言葉を使ってしっくり来る感覚も訪れるはずだ。
ドラセナのように、私も人間らしくなる。
それが彼女の意志を継いだ、私らしく生きるための道導だから。
まずは私の棲む世界についてちゃんと知ること。
そしてその次は、ドラセナが棲んでいた世界で歩くこと。
人としての心を知るならば、そして人らしくなるならば、彼女が棲んでいた世界に出向かう方が早いだろう。
きっとこの洞穴は数日以上は空けるだろう。
その間はドラセナが独りぼっちになってしまう、だから彼女のために少しだけお別れの儀式をしなくちゃいけない。
墓の前に跪き、手を合わせ、瞼を下ろす。
彼女の魂のために祈り、願う。
「行ってくるね、ドラセナ」
墓の中の君が、微笑んでくれているようで。
もう聞くことができない『いってらっしゃい』が、私の頭の中で反響した。