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上位存在の私、人間の尊さを知る  作者: くちばし
Vol.0 『この地獄のような世界で』
4/8

『名前を知る』

 日が何度も跨いだある日のこと。

 冷たい洞窟で互いに体を預けてる一時。

 孤独だった私にとって、生き物の暖かさとは感じることのできないものだった。

 体の節々から感じる冷気に、確かに人間の暖かさがそこにある。

 私とは違う柔らかい肌が、私と人間では種族が違うのだと証明してくるが……決して、私は孤独ではないのだと第二の証明もしてくれているように、そう感じていたのだ。


 そうだ、人間が来てから、私は確かに楽しさを憶えていた。

 本来感じることが無かったこの胸が暖まる感覚をくれたのは、紛れもなく人間のお陰だった。

 私の世界に入り込み、私の世界に色をくれた人。

 私に色を教えてくれ、私の形を受け入れてくれた人。

 そんな唯一無二とも言える人に、私は一種の黒い感情を抱いてしまっていた。


 あなたのことを知りたい。

 私を救ってくれたあなたの全てを知りたい。

 名前すら知らないから、最初は段階を踏んで。

 どうか、あなたのことを教えて欲しいと、心の中でそう想った。


 静かに寄り添い、互いに黙る空間。

 その静寂を割ったのは、私の声だった。


「人間、あなたの名前はなんて言う?」

「私の名前? そんなことも知りたがるようになったんだ」

「おかしい話ではないと思う。ただ、私は人間のことを『あなた』と呼び続けることに、少しもどかしさを感じただけだ」

「あはは、素直に全部言うんだね。そうだなぁ、じゃあキミの名前から教えてよ」

「私の、名前」


 私の名前を問われたとき、ついだんまりとしてしまった。

 名前なんてものを与えられたことはない。

 名前を与える筈の母は既に死んでいたし、私は生まれた時から孤独だったから。


 名前なんてものは、私には無い。


「……ごめんなさい、分からない。名前なんて、名付けられたことがないから」

「そうなんだ、悪いことを聞いちゃったね。うーん、そうだな……うん、その時になったら私の名を教えてあげる」

「その時……? その時とは、なんだ?」

「時期に分かることだよ、それまでは一緒に楽しもう?」


 私はその答えに、分かったと答えるしかなかった。


 その日からだった。

 人間の口数が減り、眠る時間も長くなったのは。

 いや、元々兆候はあったように感じる。

 会った当初は元気だったが、日が経ってからは少しずつ声色が弱い日もあった。

 それに顔色が悪い日も、足元がおぼついていなかった日も。


 私の洞穴に住み着いてからは、あまり自分の脚で動かなくなったようにも見えていた。

 食事も摂らず、時には酷いぐらい痩せ細って……。

 死なれては困るから、私が狩って得た肉を食わせていた。

 しかし、体調は一向に良くなることはなく。

 寧ろ、酷くなる一方だった。



 胸にざわつく、微かな不安。



 この私が不安を感じている。

 人間一人を心配して、夜が眠れなくなるような日まで過ごしている。

 そんなこと今までなかったのに。

 人間が来なければ、こんな想いをせずに済んだのに。

 あなたのせいで、私は。


「……どうしたの? なんか不安そうだけど」


 私に身を預けた人間は、顔色が悪かった。

 けれど、それを表情には出していない。

 私に悟られまいとでもしているのか。

 そのような訳の分からない気遣いに、私は一種の苛立ちを覚えていた。


「あなたは、私の側からいなくならない、よね?」


 震える喉を抑え、問う。

 予想外とでも思ったのか、やっぱりとでも思ったのか。

 目を見開いた人間は少し目線を逸らした後に、私にこう告げた。


「私ね、もう少ししたら死んじゃうの」

「……え」


 告げられた事実に、私の脳は理解を拒む。

 なんで、どうして、そのような言葉が吐き出しそうになるのを、何度も飲み込む。

 理解ができない。

 だってあなたは、こんなにも喋れていて、なんで。


「キミが棲む世界と私の棲む世界じゃ色々と仕組みが違っててさ。原因は分からないけど、往復して出入りを繰り返す毎に、人によっては『ダンジョン病』っていう病を患うんだ」

「……は、あ?」

「突発性の致死の病でさ、酷い激痛に見舞われたり、四肢の感覚が無くなったり、崩壊したり……幸いにも、私は感覚が無いだけで済んだんだ。でも、もう死ぬのも時間の問題なんだよ」


 淡々と語られる場違いの説明に、何故か笑顔でいるあなた。

 理不尽に感じた、自分勝手に感じた。

 醜いほどの怒りが、私の身を支配する。


「貴族って分かる? いわゆるお偉いさんの生まれなの、私。まぁ色々あって追い出されてさ、パーティーの人間にも良いように使われててね〜」

「……」

「ダンジョン病も満足に治療できずにこんなになっちゃって。えへへ、本当に人間って怖い生き物だよね〜、キミたちモンスターの方が優し」

「うるさい、黙れ」


 気づいた時、私はあなたの体を押し倒していた。

 鋭い爪があなたの腕に食い込み、私の万力のような力で抵抗できぬように押さえつけていて。

 それすらも意味もないのに、痛みに反応しないあなたを見て、本当にもう感覚が無いのだと、痛いほどに実感できた。


「……なんで、言わなかった」

「知ったら、キミは何処かに逃げちゃうでしょ?」

「逃げない、逃げる訳ない。だって、私は、私は……ッ!!」


 湧き上がる怒りと哀しみ。

 それらが私の胸に突き刺さり、もう何もかもが分からなくなる。

 そんなこと、言ってくれれば覚悟を決めれていたのに。


「……ぷは、冗談。キミがそういう人だってのは、私が一番分かっている」

「じゃあ、なんで……」

「傷になって欲しかったんだ。私を救ってくれて、私を受け入れてくれたキミの傷になりたかったの」

「そんな……酷いことを、しなくても」


 あなたが死ぬだけで、私にとっては大きな傷になってしまうのに。

 なんでわざわざ、そんな酷いことをするの? 

 もう孤独は嫌なのに、寒いのも嫌なのに。

 私は、私は……どうすれば、こんなに辛い想いをせずに済んだの? 


「……キミたちモンスターは、私たち人間にとって上位の存在に位置する。最初こそ、私の理解には及ばない怪物だとすら思っていた」

「でもね、本当の怪物は私たち人間だったの。平気で人を利用して、人を殺して、人を嗤う怪物たち」

「そんな絶望に明け暮れる日々に、キミは私を救ってくれた。そして、人間よりも優しい生き物だって知って、凄く嬉しかった」

「一緒に狩りをして、一緒に言葉を覚えて。足が動かなくなった私のためにご飯だって取ってきてくれたんだもの」


 切れかけた声で語る人間の目は、徐々に焦点が合わなくなっていた。

 数々の死を見てきた私なら分かる。

 これは、死に至る者の目だと。


 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 お願いだから死なないで。

 私を一人にしないで。

 私を置いていかないでよ。


 訴えは、心に留まるだけだった。


「キミと過ごしたあの日々は、ほんっとうに幸せだったの……ねぇ、キミにとっては幸せだった?」

「……言わなくても、あなたなら分かる」

「分からないよ、顔が見えないんだから」


 私の顔を覆う鎧。

 その鎧こそが、私の世界を作ってくれていたものだった。

 体の一部となったそれは、私にとって生きる証だった。

 でも、あなたが私の世界に入ってきたから。

 もう、この鎧も必要ないのだろう。


 あなたの血がこべりついた爪で、鎧を剥ぐ。

 白黒だった視界は、初めて見たことのない色を映してくれた。

 あなたの髪は白く、瞳は血の色と同じで。


 一重に、美しいと想う。


「……うん、幸せだったんだね」

「あなたは、意地悪だ。意地悪で、傲慢で、自分勝手で……」

「私もそう思う。だからもう少し、意地悪をさせてよ」


 瞳孔が開きかけているあなたを見るのは、胸が張り裂けそうで。

 けれどここで目を逸らせば一生後悔するだろうと、私に芽生えた感情がそう警鐘を鳴らしていた。


 あなたの声を待つ。

 あなたの、一声を。


「私ね、キミのことが大好き。大好きだから、キミにだけ名前を教える」

「私の名前はドラセナ。ドラセナ・フラグナンス。綺麗な名前でしょ?」


 あなたは……ドラセナは、私にそう言った。

 もう分からない、分からないよ。

 お願いだから死なないでよ。

 なんで私を置いて逝くんだ、なんで。


「……お願い、一人にしないで……」


 力いっぱい、ドラセナを抱き締める。

 決して忘れないように、力いっぱい。

 このまま溢れ落ちないでと願いながら、叶う筈のない願いを抱きながら。


「……キミの名前は、ドラセナ。私の生きた証で、私がつけた傷で、私の罰。そして……私の、一端の愛の形」

「私は、ドラセナ……でも、私はあなたじゃない」

「いいや、キミは私だよ。似た者同士だからこうして惹かれ合った。私も孤独だったからさ」


 私はあなたを抱いているのに、あなたは私を抱いてくれない。

 それはもう、あなたにそんな力が残されていないことの証明で、同時にあなたの死を意味していて。

 認めたくないのに、認めてしまった自分を愚かしく、憎たらしく感じた。


「……分かった。私はあなたのために、生きる。あなたの生きた証明になれるように……あなたらしく、強く生きるよ」

「そんなに私に尽くしてくれるんだ? そうだな、じゃあ……私を、介錯して欲しい。もう苦しくて、辛いから」


 事切れそうな声で、ドラセナは訴えた。

 このまま長く生かしただけでも、あなたにとってはただ苦しいだけ。

 ならば、この幸せな一時のまま、あなたを終わらせる。

 私の手で、私の、手……で……。


「あ、ぐ……っ、う″ああ″ぁ″ぁ″ぁ″ッ!!!」


 滲む視界に喉から爆ぜた声。

 私は、あなたの背骨を抱き、折った。

 殺してしまった、私が殺した。

 その罪悪感が一気にのしかかり、心が壊れそうになる。

 もうこのまま壊れてしまえば、楽になれる。

 楽になりたい、私も死にたい。


「……私を殺した、なんて。思わないでね、ドラセナ」


 だけど、あなたはとても意地悪だから。

 私の命の手綱を、繋いでくれた。


 その言葉を最期に、あなたは喋らなくなった。


 辛い、寂しい、怖い、寒い。

 ぐちゃぐちゃに混ざったそれらは、私の心を凍てつかせ、砕かんばかりに脆くなる。

 だけど、あなたのために。

 ドラセナのために、私は生きなければならない。

 あなたの生きた証になるために。


 もう骸となったあなたを土に埋めた。

 触れた肌は冷たくて、脆くて。

 心が壊れそうになりながら墓標を建て、あなたが生きた証を作った。


 私は自分の顔を爪で裂いた。

 自分の鱗を裂き、自分の体を千切った。

 生まれついた時から持っていた、私だけの力。


 あなたのような柔らかい肌に。

 あなたのような長い白髪を。

 あなたのような美しく赤い瞳を。

 ひたすらに、真似た。


 水面に映った私は、顔の無い私ではなく。

 確かに、私はドラセナとして生きていた。

 この肌の質感も、まだ完璧に真似れてはいない。

 この髪も、あなたのように柔らかくはない。

 瞳の瞳孔は鋭いせいで、あなたの優しい目つきになれない。

 頭にだって赤い角が生えているし、服だって変に不細工だ。

 でも、あなたの生きた証になれるように、あなたになれるように。


「おはよう、ドラセナ」


 水面に向かい、あなたの声で、私は言った。

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