プロローグ 『無名の怪物』
天に渡る星の光。
眼前で拝むには眩しい空を見上げ、私は呻く。
火に囲まれた世界の上に浮かぶ星天。
産まれたその日から振り返れば、この景色はあまりお目にかかれないもの。
私が住む洞穴の近くは、竜が空を飛び、獣が地を駆け、屍肉は腐って火に焼かれる。
私一人ではそれらを一掃するなど造作も無く、しかし敵を作るだけだから、やろうとは思わなかった。
この陰鬱とした煉獄の空に浮かぶ星々。
云うならば、私にとっては奇跡であり、希望だった。
命のやり取りをしなくていい、それが私の望み。
争いは痛い思いをするだけで、哀しい気持ちになるだけ。
この夜空のように、星々が手を取り合って地上を照らすような共生だけを、私は望んでいた。
地獄に生まれ堕ちた日。
孤独に包まれた私にとって、周りには敵しかいなかった。
最も古い記憶は、私の横で小虫に集られる竜が、さも私を護るかのように翼を被せていたことか。
それが私の母だったことに気付くのはそう遅くはなく、生まれながらに持った頭の良さは勝手にそう結論付けた。
口には何も喰らっておらず、腹は空いていて。
初めて喰らったものは、母の血肉だった。
肉は腐り、血は生臭い。
だが、それらが母の生きた証だと実感した時、私は生まれたときから孤独でなければならないと云う運命を背負った。
血の通った生き物を喰らうのはきっと禁忌だろう。
その禁忌を犯した私に、誰かを護る義務も、愛する義務も、そして共にいる義務も存在しない。
全ては孤独であり、虚空。
孤独こそが私を形作り、虚空こそが私の心象であった。
故に、私の姿は全てを拒絶した。
腕から生えた刃は私を襲う者を切り裂き、腰に生えた翼は空を飛ぶ者を千切り、この手に生えた爪は地を駆ける者を引き裂いた。
そうでなければならない、そうしなければお前に生きる義務はないと、本能が訴えかけてるように感じたから。
そして誰にも知られる必要はないと、孤独は私の顔をのっぺりとした鎧で覆っていた。
故に、私の心象に色はなかった。
鎧に覆われた視界は白と黒で構成され、私にとっての色はその二つで成り立っていた。
血の色も肉の色も分からないし、空の色も星の色も、ただ白と黒のよく分からないし造形でしかない。
禁忌を犯したお前に知るものはそれだけでいいと、私にとっての空は虚空そのものでしかなかった。
ただ、本能と運命に従って生きてきた。
気付けば私はこの地の主になり、この地の王になった。
いや、王と表現するには相応しくない。
私の血筋は元々王の血筋ではなく、私が王になれたのは今住んでいる洞穴の主を殺したからだ。
思えば、あの主を殺してから、私は主として君臨していた気がする。
きっと別の言葉に例えるなら、帝とも言えるのだろうか。
……否、そんな細かいことを気にする必要はない。
無気力に生きればいい。
無気力に屠ればいい。
無気力に喰らえばいい。
そう、全ては孤独であり虚空なのだから。
やがて私の身も砕け、孤独になり、虚空に散る。
そんな運命を辿るならば、無気力にいればいい。
ずっと、無気力でいればいいと。
とある人間に出逢うまで、そう思っていた。
ブックマーク、評価のほど頂けると励みになります。