「股ユル令嬢」の幸せな白い結婚
※家紋武範様主催の「夕焼け企画」参加作品です。
ぼんやりと暮れていく空を見ていた。
夕暮れの空の色が好きなのだ。
秋に実る果物を、優しく照らすから。
そして、私の髪色と、少し似ているから。
それだけじゃない。
黄昏時は此の世とあの世が一瞬重なる。
重なった隙間に、この世ならざるモノが現れる。
そのモノ達は、わたくしが手招きすると、ゆらりとやって来る。
いつもより、簡単な作業だ。
私は塔の窓から飛び降りて、そのモノの手を取る。
管弦楽の代わりに、カラスの鳴き声を聞きながら、私は踊る。
そのモノと踊る。
モノは元の姿に戻りながら、黒い色を薄くする。
アリガトウ――――
そんな声が風に流れ、消えて行く。
ヒトの姿に戻ったモノは、手を振りながら残照に溶けていく。
見送る私は優雅に淑女の礼を執る。
日暮れを告げる鐘の音が響いた。
護衛騎士が呼びに来た。
父との面会が、許されたそうだ。
「息災か?」
「それなりに」
ここ半年ほど、私は王宮内のはずれに幽閉されていた。
よく分からない罪を背負わされたまま。
「お前の結婚相手が決まった」
表情を崩さない訓練は、私も長らく受けていたが、父の言葉に片眉だけはピクリと動いた。
「私を、娶ってくださる方が、いらっしゃるのですね」
「そうだ。僥倖であろう。傷モノ令嬢としては」
父は唇を歪める。
「して、お相手は?」
「カルブス・フェローチェ伯だ」
私は息を止めた。
声が出そうになったからだ。
その名は伯の美貌と共に、有名である。
しかし……。
「で、でも、フェローチェ伯爵は……」
カルブス・フェローチェ伯は「エウノークス」だ。
エウノークスとは。
生殖機能を持たない男性官僚を指す。
主に後宮の管理を任され、国王陛下の側近の一人である。
遠い東の国では「宦官」とも呼ばれている。
「彼には、その、ないですよね、チンチ……「令嬢が口にするな!」
「おチンチ……「丁寧に言っても同じだ!」
父は呆れたように言う。
「お前のそんな言動が、公爵令嬢にあるまじき、二つ名を与えられているのだ、フェミニム」
「まあ、私は存じませんことよ、お父様。何という名でしょう?」
私は目を輝かせて訊く。父は横を向き、小声で答えた。
「『股ユル令嬢』だ」
「あら、私、股関節は柔らかいですわ。バレエも習っていたし。皆様、よくご存じで」
なんて、知ってましたけどね、股ユルって。
呆れた目をした父は、大きく息を吸って私に告げた。
「この婚姻は、王命である」
王命。
断れば公爵家ごと消えますわね。私は構わないけど、父は困るでしょう。
私は、謹んで受け入れる。
「ちなみに、婚姻は、何時になりますの?」
「三日後だ」
***
半年前まで、私の婚約者は、この国の第一王子であった。
第一王子は幼少のみぎりより、大変病弱であったのだ。
それだけでなく、彼は夜になると首や手足を縛る、黒いモノたちに苛まれていた。
だから私が選ばれた。
「呪解」もしくは「祓戸」という、特異能力を持っていたから。
貴族が通う学園を卒業したら、立太子する殿下の元へ、嫁ぐ予定でもあったのだ。
だが。
卒業式後の祝宴で、それは起こった。
「フェミニム・インテラ! 貴様との婚約を破棄する!」
壇上から第一王子アージノスの低い声が響いた。
彼の斜め後ろには、見知った顔の女生徒が、薄く笑いを浮かべていた。
それはセルーフェ様……。男爵令嬢だったかしら。
確か、聖女の刻印を持っているという……。
ざわめいている会場が静かになる。
私は公爵令嬢の矜持を保ち、一歩前へ進む。
「次代の太陽となるべき殿下に申し上げます。それは如何なる理由でございましょう」
「ふん。白々しいが、まあ良い。……オイ」
アージノス殿下が顎を動かすと、殿下の側近が三人並ぶ。
財務大臣の子息、ペクニア。
近衛騎士団団長の子息、エコーズ。
王都商工会会頭子息、メルケス。
三人は用意していた文書を読み上げる。
「王子妃候補としての予算を不正使用している。証拠はこれだ」
ペクニアが紙をヒラヒラさせながら言う。
次いでエコーズが怒鳴る。
「フェミニム嬢は深夜に男と一緒にいる。しかも三日に上げずに、だ。毎回別々の男だと、複数の騎士から証言を得ている。そんな貞操観念の緩い女が、国母になることは認められん!」
「股ユル令嬢。公爵家のフェミニム様の二つ名として、王都では有名ですね」
メルケスは嬉しそうに言う。
証拠?
妃候補予算、あったのね。知らなかったわ。
さっさと使っておけば良かった。
深夜、男と一緒にいた……。
否定はしないけれど、その男って、この国の戸籍を持っている人間なのかしらね。
「ふふふ。己の悪行三昧、しかと身に沁みたようだな。お前のような悪女とは婚約破棄し、俺はこの聖女であるセルーフェ男爵令嬢と、『真実の愛』による新たな婚約をここに宣言する! なお、インテラ家の国家への寄与を鑑みて、フェミニム・インテラはしばらくの間、蟄居を命ずる!」
「蟄居はいいとして、殿下。あなたの夜を守ることが出来ませんが」
「俺の側にはいつでも聖女がいる。よって貴様の怪しげな術は、もう必要ない! この件に関しては、陛下と王妃殿下からもご許可をいただいているのだ!」
お役御免ですか、そうですか。
聖女様にも出来ないことがあるって、知らないのですね。
例えば肌に出来る吹き出物を、聖女の力で失くすことは出来る。
でも、吹き出物が出るような肌の奥の膿を、聖女が引き摺り出すことは出来ない。
私からは、もう何も言わない。
そのまま私は護衛騎士に、会場から連れ出され、王宮はずれの塔に閉じ込められた。
***
「半年の蟄居も終了したのだ、フェミニム。王命による婚姻、速やかに行うぞ」
「……かしこまりました」
三日後、王宮から馬車が来た。
嫌がらせの様な早朝。きっと嫌がらせね。
有り合わせの白いドレスとヴェールを纏い、私は教会へ向かった。
王太子となるべきアージノスを支えるために、十年もの間拘束されていたような生活だった。
アージノスはジェリーメンタル。体も心も弱っちい少年だった。
だから狙われる。
権力を我が物としたい者たちから。
そして、此の世ならざるモノたちからも。
これから夫となる男性のことはよく知らないけれど、ナニがないってことくらいしか、知らないけれど。きっと王子の婚約者という、枷よりはマシね。
馬車を降りようとして、差し出された手に気付く。
迷うことなくその手を取った。
朝もやの中、私の手を取った男性は、澄み切った笑顔をしていた。
これ以上ないというくらい、整った顔立ちだ。
後ろで縛った黒髪が、真っ白な式服に流れている。
夕陽を思わせるような瞳は、真っすぐに私を見つめていた。
「初めまして、花嫁さん。わたしがあなたの夫となる、カルブス・フェローチェです」
心臓が大きく跳ねる。
噂以上の彼の美貌と、心地良い声に血流が早くなる。
「我が夫となるカルブス・フェローチェ伯爵に、ご挨拶申し上げます。どうか、太陽と星が輝く限り、夫婦の縁を結ばせていただきたいと存じます」
一瞬、カルブス様は目を開き、直ぐに優しい眼差しになる。
朝一番の教会の鐘が厳かに鳴った。
***
至って静謐な結婚式を終えて、私はフェローチェ伯邸へと足を踏み入れた。
なんと!
清々しいお邸……。
そりゃあ、王宮内と比べたら、だいたいの場所が清々しいけれど。
「改めて、よろしくお願いいたします。フェミニム様」
「フェミィと、お呼びくださいな」
「では、俺のことはカルと」
カル様は頬を赤くしながら言う。
トクン……。
私の胸が早くなる。
そして私の頬も、朱に染まっているだろう。
夕陽のように。
「フェミィ。せっかくの縁で夫婦になった以上、僕は君の願いを叶えたい。ああ、子ども以外となるけど」
「嬉しいですわ! 今まで誰も、言ってくださらなかったから」
くすりとカル様が笑う。
「まず、何を叶えようか」
「あ、あの、あのね。一つお願いがありますの」
「言ってごらん」
「手を……。ぎゅうっと手を握って、一緒に寝て欲しいの」
カル様の瞳が大きくなった。
***カル視点
「手を……。ぎゅうっと手を握って、一緒に寝て欲しいの」
彼女の言葉に、俺の心臓に血液が集まる。
しかもフェミィの頬は赤く染まり、少女のような目をしている。
『股ユル令嬢』
王宮にて第一王子に傅いているはずの令嬢が、夜な夜な男と闇に消えて行く。
ついた仇名は高位令嬢にそぐわないもの。
「お前さあ、アイツと結婚しろよ」
フェミィの婚約者であったアージノス殿下が、近所で雑貨を買うかのような、雑な命令を出した。
「御意……」
もとより逆らう術も気もない。
だが、彼女は俺で良いのか?
毎夜男に抱かれている女が、「エウノークス」である俺と夫婦でいられるのか?
「ははは。気にするな。俺なりの嫌がらせだ、カル。結婚しながら、夫に抱かれることのない妻が、いつまで貞淑な日々を送れるのだろうか」
なるほどね。
自分を裏切り続けた婚約者への、意趣返しというわけか。
歪んでいるな、殿下。
少年時代はもう少し、可愛らしかったが。
いずれにせよ、公爵家には王命が届く。
支度金もべらぼうに出るらしいので、せいぜい善き夫役を演じさせてもらおう。
そんな程度の気持ちで、フェミニム・インテラ公爵令嬢と、俺は結婚したのだ。
美姫と聞いてはいたが、花嫁姿のフェミィを一目見て、俺は息するのを忘れた。
朝露に咲く、一輪の白い薔薇。
長い睫毛が微かに震えている。
ヴェールを脱いだ素顔のフェミィは、あどけなさを残している。
夕陽の色に染まった頬が、なんとも愛らしい。
股ユル?
毎夜男を侍らしていた?
エウノークスとして王宮に出仕する前、汚水を浴びるような生活をしていた俺の目に映るフェミィは、ひたすらに純粋な令嬢だ。
初めて二人で過ごす夜、俺はフェミィの手をずっと握っていた。
安心しきって眠る彼女を見つめ、俺は初めて己の身体を呪った。
だからせめて。
彼女の願いは必ず叶えてあげよう。
こんな妻を娶らせてくれたアージノス殿下に、心底御礼を言いたいと思った。
そんな機会は、なかったが。
***こんなざまぁ。アージノス第一王子視点
ようやく、鬱陶しい婚約の解消が出来た。
公爵令嬢フェミニム・インテラは、確かに完璧な女であった。
男好きという一点を除けば。
俺は間もなく王太子になる。
後継ぎは、正しい王家の血を引く者でなければならない。
股ユルなんて、話にもならん。
しかし、俺にはどうしてもフェミニムを手放せない理由があった。
「アージ様ぁ。結界張りましたよ。これで安心して眠れますね」
セルーフェが目をキラキラさせながら、俺のベッドの上に上がる。
「そうだな、ありがとう。セルフェ」
この国も建国して早三百年。
王族同士の諍いや、王家と貴族らとの戦の歴史を抱えている。
俺の三代前から、ようやく国内が平定されたのだが、流された血が完全に、浄化されたわけではない。
特に嫡子の寿命は短く、俺も子どもの頃は病弱であった。
そんな時、インテラ家に、「呪いを祓う」能力を持つ、娘が生まれた。
それがフェミニムだ。
父上はすぐに彼女を俺の婚約者とした。
その頃の俺は、夜もよく眠れず、何度も悪夢で目を覚ます。
ハッと目を開ければ、異形の影があちこちに見える。
ガクガクしながら布団を頭から被った。
フェミニムが王宮に来てからだ。
俺が寝付くまで、フェミニムは俺の手を握っていた。
すると不思議なことに、悪夢を見ることなく、俺は朝までぐっすりと眠れるようになった。
だから、どんなに問題があっても、フェミニムを手放すことが出来なかった。
ところが。
俺が学園に通うようになった頃、男爵家で密かに育てられていたセルーフェに、聖女の能力が芽生えたのだ!
出自は低くても、セルーフェは清らかで愛らしい。
フェミニムのように賢しらなことは言わない。
当然、夜な夜な、男と連れ立って、出かけるようなことはない。
何よりも、聖女の力は、服わぬ異形の影を、一瞬で消す。
俺はフェミニムに、些か過剰な罪を与え、代わりにセルーフェと婚約することにした。
国王も王妃も、聖女ならばと許してくれた。
傷モノ令嬢となったフェミニムには、俺の下僕であるカルブス・フェローチェを与えることにした。
毎夜男に抱かれていたフェミニムが、カルブス一人で満足できるのだろうか。
男欲しさにすり寄って来たら、一回くらいは相手をしてやっても良いな。
パキン……。
結界で守られている俺の室内に、何かの音が響く。
パキンパキン……。
「な、なんの音だ?」
「え、音? わたしには、何も聞こえないです」
俺は寒気を感じた。
幼い頃の深夜と同じように、どんどん部屋の温度が下がっている。
女の泣き声のような音を立て、風が吹く。
「きゃあ!」
「何だ! どうした! セルフェ」
「足が、足に何かが貼り付いてる!」
気が付けば、室内には黒い無数の影が生まれている。
コイツらは! まさか!
「け、結界張ったって、言ったよな」
「うん……でも、知らない! こんなの知らない!」
影どもは浸食する。
俺もセルフェも、体を動かすことが出来ない。
誰か! 誰か来てくれ!
声すら出せない俺は、口の中まで入って来る、影の声を聞いた。
――ようやく、邪魔な祓い屋が消えたね
キエタ、キエタ、きえた、消えたよおおおおおおおお!
――これで王家の血筋も……
キエル、キエル…………。うふふふふ。あははははは!
***白い結婚でも、幸せなら良いじゃない
アージノス殿下が急死したとカル様から聞いた。
同衾していたセルーフェ様は、気がふれたそうだ。
「腹上死……「やめなさい。我が妻として、ふさわしくない言葉です」
「はあい」
小さく舌を出す。
カル様は私の顔を見て、顔を染める。
ちょっと嬉しい。
「殿下の側近だった者たちも、大怪我したり、行方不明になったり、しているようだな」
「さようでございますか……」
思ったより早かった。
聖女の刻印を持つセルーフェ様がいるのだから、もう少しもつかと思っていたけれど。
私が幽閉されていた場所は、王宮のはずれだったが、敷地内なので毎夜、服わぬモノたちの相手が出来た。相手をして、今生への未練を失くして、行くべき世界へと旅立ってもらう。
それが私の持つ能力、「祓戸」。
それを男遊びと捉えたアージノス殿下と彼の周囲にいた者たちは、愚かとしか言いようがない。
もっとも、ヒトは自分を基準に物事を考えるから、アージノス殿下や側近たち、あるいは聖女様の、やっていたことが分かると言うもの。
私は暮れ始めた空を眺め、一つため息をつく。
「旦那様」
「なんだい?」
「一緒に庭園に行って下さいます?」
「ああ、もちろん」
カル様のお邸は、秋の花々が見事に咲いていた。
重なるような花弁を持つ、白い清楚な花が、夕陽を受けて、橙色に染まっている。
私はカル様の手を取って、夕暮れを見つめる。
「踊りましょう、カル様」
「え、今?」
「はい」
カル様は嫌な顔もせず、私の手を握る。
互いに見つめ合い、体を寄せ合う。
実感する。
こんなひと時が、幸せだって。
相変わらず私たちは、白い結婚であるけれど。
***おまけ
数年後、何の奇跡か知らないけど、カル様のナニが復活するの…………。
了
お読みくださいまして、ありがとうございます!!
機会があれば、フェミィとカルの後日談でも書いてみたいと思っています。
感想、ブクマ、☆→★、いいね、全てに感謝です!!