また明日
クレイとミリアの二人は共にひとり者のワーカー用に国から用意された宿舎と呼ばれる建物へ向かって歩いていた。月明かりに照らされた夜道は少し暗く、何かが出てきそうな雰囲気を漂わせている。
夜道を歩くミリアの顔はこれ以上ない程にんまりとしており、その視線の先にあるのは夜道を照らす程に輝かしい……金貨であった。
「でへへ……まさか籠一つで5ゴルドなんて!」
「魔獣が食べてただけはありますね。質がいいって褒めてましたよ」
「いい仕事でした! あ、そういえばクレイさん……背中の方は……?」
「背中? あぁ、もう大丈夫ですよ。ドロウさんが紹介してくれたお医者さんに治してもらったんですよ。試験型の魔道具らしくて、あっという間に」
「あぁ、それは良かったです!」
(あの人いつの間にか居なくなったと思ってたらお医者さん呼んでたんだ……どういう人脈?)
「ミリアさんとトールにも、後日何かお返ししますって言ってましたよ。楽しみですね」
宿舎への道はまだ続く。相変わらず金貨を見つめてにんまりとし続ける彼女へクレイはなんとなくで質問をぶつけた。
「ミリアさんは、お家の為にワーカーになったんでしたっけ?」
「はい! うちは恵まれた方の農家なんですけど、私が有名になれば仕入れてくれる所ももっと多くなるかなって。それにこっちに家と貯蓄があれば、家業がダメになってもこっちで暮らせますから」
(凄いなぁ。ちゃんと将来考えてる)
「クレイさんはどうしてワーカーになられたんですか?」
「僕ですか? そうですね……」
そう聞かれて彼は空を仰ぐ。あの日とは違うが、自分自身の原点も夜であった事を思い出しながら。
「僕、孤児院育ちって言ったじゃないですか。でも他の子達とはちょっと事情が違って、記憶がないんですよ。拾われる前の記憶が」
まるで世間話をするかのような調子で身の上話を始めた彼に、どういった表情で聞けばいいか分からない彼女の顔は少し引きつっている。
だが彼は続ける。
「だからクレイ・フォスターとして生きてきた時間はちょっとだけなんです。でも、凄く愛された時間だったと思ってます」
「凄い自信ですね……」
「そうかもしれません。でもそう思えるくらいに、周りの人達には恵まれてたんです。だから大好きなんですよ。この街と人が。そんな大好きな人達の為に何かできる職業ってなにかなって思った時に候補に上がったのが、ワーカーでした」
建物の影から出たクレイを月が照らす。照らし出された水色の瞳は、どこか夢見る幼子のような輝きを放っていた。
「まぁそれと……マスターワーカーって称号がカッコいいなぁっていうのもありました。というかそっちが先ですね」
「称号がカッコいいから!? それでこんな危険な仕事を!?」
「あはは……よく言われます。でも憧れちゃったから止まれなくて。始めてみたら、しっくり来ちゃったんで」
「す、凄いですね……でもよく分かります。大好きな人達の為って所は。色々して貰ったら、色々お返しをあげたくなっちゃいますよね」
それから二人は何気ない世間話をしながら歩き続ける。ささやかな笑いを伴いながら続けられた会話は、二人の距離を少し近づけつつあった。
だがクレイが再び夜空を見上げた時、彼は建物の上にある人影を見つけてしまった。
「ミリアさん! 僕の後ろに!」
「え、え!? 急にどうしたんですか!?」
突如臨戦態勢に入ったクレイに驚きつつ彼女もつられて上を見ると、異様な何かがそこに居た。
夜闇も暗い黒色の霧が、人の形を成している。瞳は見えず、表情も見えない。頭の先から足先までその詳細は分からないが、とにかく人の形をした何かがそこに居る。
「なんなんですかアレ!?」
「ゴーストを知らないんですか?」
「聞いたことないです!」
(下まで噂は広がってないのか……確かに農耕地区での出現情報は無かった)
「あれはゴースト。十年前、国お抱えの魔道具研究者を殺害して逃走した賞金首です。でも神出鬼没で、近づくと霧のように消えて足取りは誰も掴めていない……だから【亡霊】です」
「わ、私達どうなっちゃうんですか!?」
悲鳴にも似たミリアの問いかけに、彼は臨戦態勢を崩すことなく、そして一瞥くれずに答える。
「分かりません。この十年、研究者殺し以外の被害は一つも出てないんですよ。アレはただ現れて、消えるだけなんです」
「え、じゃあなんでそんなに身構えているんですか?」
「……分かりません。僕は何度か遭遇した事があるんですが……見てるとゾワゾワするというか、嫌な感じがするんです。自然と武器に手を掛けてしまって」
二人がそう話している間にも、彼の言葉を証明するようにゴーストと呼ばれる存在はただ突っ立っているだけである。そして不意に吹いたそよ風に流されるように、ゴーストは霧散した。
「消えた……本当になんなんだ」
「ビ、ビックリしたぁ……!」
「ミリアさん、急ぎましょう。今までなかっただけで、今日初めての被害が出るかもしれません。手を!」
「え、ちょっ!?」
クレイはミリアの手を取ると駆け出す。傍から見ればロマンスのワンシーンのようであるが、走るクレイの表情は怖いものから逃げる子供のように怯え切ったものだった。
しばらく走り続けると、ひと際明るい輝きを放つ木造の建物が見えてくる。それを見つけた瞬間、彼の表情は一気に明るくなった。
「ミリアさん、宿舎に着きましたよ!」
「お、おぉ……ここが」
(なんかちょっと……壊れそう?)
周りにある建物の三倍ほどの横幅があり、中から漏れ出る灯りは正面の道を煌々と照らす程に強い。ワーカーズハウス、通称「宿舎」と呼ばれる寝泊まりする場所のないソロワーカー用の宿泊施設である。
その年季の入った扉をクレイは割と容赦なく、勢いよく開ける。
「管理人さん、戻りました!」
「おぉ、クレイくん。今日はずいぶん遅かったねぇ。後ろの子は……あぁ、今日付けで入る子だね。名前は確か……」
「ミリア・ガーランドって言います。今日から宜しくお願いします!」
「そうそう、宜しくねぇ。私はここで管理人やってる、フロバと申します」
建物と同様に年季の入った白髪を綺麗に纏め、落ち着いた色合いの服を纏ったフロバと名乗る管理人の老婆。腰は曲がっているが、その雰囲気は品のある凛としたものであった。
「はい、ミリアちゃん。これが貴方の部屋の鍵だよ。最近良いのに取り替えてね。その鍵は貴方の魔力でしか起動しないから安心だよ」
「へェ……こんな魔道具もあるんですね。凄いなぁ」
ミリアが感心していると気の抜けた音が流れてくる。クゥ~っと、犬の鳴き声のようなその音の正体は、ミリアの腹の虫だった。
(そうだ! 朝ごはん以外なんも食べてない!)
「あらあら、お腹が空いているのかい? ちょうどスープを作ってたから、後でお部屋に持ってってあげるよ」
「え、そんな悪いですよ」
「気にしない気にしない。ここはそういう場所だよ。ほら、早く部屋でお休みなさいな」
「それじゃ、ミリアさん。僕は部屋に戻るんで。おやすみなさい」
「クレイさん、今日は本当にありがとうございました! おやすみなさい」
二人はそれぞれの部屋と戻っていく。同じ階段、同じ廊下、同じ順路で辿り着いた先にある並んだ扉に手を掛けた時、予想だにしない偶然に気が付いた。
「部屋、まさかの隣だったんですね」
「前の人が数日前に出て行ったから、まさかなとは思ってました……なんだか本当に縁がありましたね。それじゃ、明日から頑張ってください」
「……あ、あの!」
部屋に入ろうとするクレイを、ミリアが慌てて止める。その表情はどこか必死で、決意を固めたようなものであった。
「その……明日からも、私と一緒に仕事してくれませんか! 先輩であるクレイさんが居れば安心だし、二人でなら一人よりも額の高い依頼も受けられると思うんですよ! そうしたら安定した収入源になるかもしれませんし!」
「タッグって事ですか……」
「ど、独立されたっていうのは知ってます! でも、その……あの、お邪魔でしたでしょうか……?」
彼女の言葉を受け、クレイは少し困ったような顔で頬をポリポリと掻きながら悩んでいた。
(一人の方が自由に依頼を選べるし、楽といえば楽なんだよね。でも……)
脳裏に過るのは、かつてこの業界に入ったばかりの頃だった。
(あの時、偶然だけどイカロスの皆が僕を拾ってくれたから、今の僕があるんだよね。じゃあ……)
「……良いですよ。乗り掛かった舟ですし」
「え、ほんとですか!? やったぁ!」
「じゃあ、また明日、おやすみなさい。ミリアさん」
「はい! また明日、クレイさん!」
ドアが締まり、騒がしかった一日が終わる。部屋に戻ったミリアは満面の笑みで、クレイは少し楽しそうに笑っていた。