青ざめた狂気
その日、その男はいつも通りに仕事をしていた。雑草を刈り、弱った花をいくらか間引き、水をやる。この地に産まれ、領主から与えられてずっとやって来た仕事であり、なんの文句も不満もなかった。勿論、真面目にサボらずやってきた。ちょっとだけ魔が差した時はありはしたが、今までの働きを考えれば可愛げがある程度の魔でしかない。
だから今まさに自分に襲い掛かっている受難には納得ができないし、怖い。青ざめたという表現では足りない程に真っ青な怪物が攻撃を仕掛けてきたのだ。
こんな目に遭う謂れは無い。ただ、昼から酒を数杯飲んで水やりをしていただけなのに。
「だ、誰か!誰かぁぁぁぁ!助け、たす……!」
男はパニックに陥り、まともに喋れない。腕に受けた傷からは血がぽたりぽたりと滴って、小さな血の池を作っている。決して死に直結するような量でも傷でもない。だが自分の体から血が滴るほどに流れるという経験は、必要以上の恐怖を感じるのには十分だった。
そしてなにより、襲ってきた怪物はまだ近くの何処かに隠れている。姿は見えないが視線を感じていた。さっきはなんとか避けられたが、まともに動けない今度はそうもいかない。喉元に刃物を突き付けられている様な状況が恐怖を更に加速させ、男は今にも泣きだしそうだった。
(た、頼む頼む頼む! 死にたくない! 俺はなんも悪いことをしてないじゃないか! 神様でも悪魔でも何でもいい! 来てくれ!……あぁ!?)
木陰から真っ青な怪物が現れた。いくつもの生物と人間を継ぎ接ぎにした姿に、ギョロリと飛び出しかけた眼、腹を空かした犬のように唾液が口から零れ落ち、発する声は首を絞められているかの様に細く、苦しそうだ。
怪物は動けない男をカマキリのような右腕で引っ掛けると、ズルズルと引きずり始めた。その足取りはたどたどしく、まさしく千鳥足といった様子である。男はもはや声にならない叫びで助けを求め、爪から血が出る事も厭わずに地面を掻きむしる。だが現実は残酷なもので、まるで効果がなかった。
男の体から不思議と力が抜け、もうどうでもいいといった気持ちが湧いてしまった瞬間だった。不意に鎌を引っ掛けられた部分が軽くなる。そして彼が視線を移す間もなく、轟音を出しながら駆け付けた少女が必殺の一撃を繰り出す。
「うおおおおおおおおおおおお!!! どっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!」
恐ろしいほどに見事な砲弾の如きドロップキックが怪物を吹き飛ばし木に叩きつけた! 一見すると華奢な様に見える少女は男を肩に担ぐと走りだす。
「安全な所まで逃げます! 後で戻ってきますんで!」
「こけるんじゃないぞ。ミリア君」
猛スピードで遠くへ走っていくミリアを一瞥もせず、アリシアは目の前の怪物を注意深く観察する。
「こりゃ青い。ペンキで水浴びでもしてたか?」
「それは駆除した後に調べてください。サファイアさん、一緒に動きを止めましょう。アリシアさんは魔法で仕留めてください。一撃でお願いします」
冷静に作戦を伝えるクレイにアリシアは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「おいおいおい! なにしてくるのかを見ないのか!?」
「……人命がかかっているんですよ」
「私もどうかと思うわよ。アリシアさん」
「……オーケー、オーケー。解剖で満足しておくよ」
二人の突き刺すような視線に彼女は肩を竦めながら答えた。
アリシアはすぐさま気を取り直すと、怪物を魔法的手段で解析し始める。まず最初に気づいたのは、彼女のそうした行動に対して怪物が一切の抵抗をしなかった事だ。
(ふむ……大抵、こういった事には対抗して解析を中断させるのがセオリーだが……魔力は並み以上、魔法についての知識は並み以下といった所か。そしてやはり、あれは元人間だな。頭と胴体の構造は人間そのままだ)
「心臓の位置は分かった。頭は潰したくない。とりあえずトライだ」
「サファイアさんは両足を、僕は腕を拘束します!」
そういって走り出したクレイに合わせサファイアも飛び出す。二人で挟むように囲むと、まずはクレイが魔弾による牽制を仕掛ける。被弾を防ぐために鎌で身を隠した瞬間を見逃さず、次いで放たれた鎖の魔弾が鎌の生えた腕に巻き付いた。怪物が逃走しようとした所に今度はサファイアの剣が両足に絡みつく。刃が立てられた拘束具は肉に食い込み、もがけばもがく程深く突き刺さる。
動くことができなくなった怪物をアリシアの矢が狙い澄ます。それまで指先から出していた細い物ではなく、腕全体を使った太く大きいものだ。感じ取った心臓の位置に指先の矢じりを合わせると、一呼吸置いて詠唱した。
「マジックアロー……ヘイル!」
冷気を纏った高速の矢が放たれ、瞬きの間もなく心臓に突き刺さる。矢は貫通することなく、射抜いた心臓を冷気で凍てつかせ、そのまま胴体を内側から氷漬けにしてしまった。
「よし……いいぞ、二人とも。たぶん死んだだろ」
拘束から解かれた怪物は人形のようにぱたりと倒れ、ぴくりとも動かなくなっていた。小走りでやってきたアリシアはすぐに死体を調べ始める。
その様子を横目に辺りを警戒するクレイはぽつりと呟く。
「なんというか……とてもあっけなかったですね。もうちょっと苦戦するかと思ってましたが」
「こっちの行動に対して反応が良くなかったわね。なんというか素人を相手にしてるみたい……」
「なぁ二人とも、どう思う?」
突然投げかけられた質問に二人はぽかんとしていた。ため息交じりの呆れた様子でサファイアは返答する。
「アリシアさん、質問するなら主語を言ってちょうだい」
「こいつの左腕だよ。内部の魔力構造は人体からかけ離れているが、右腕や足に比べれば人に近い。さらに言えば……羽が生えていたような痕跡が一切見当たらない」
「依頼主が見せてくれたスケッチには……羽が描いてありましたね。まさか!」
「あぁ、しかもこの頭に生えた角はスケッチのものよりも小ぶりだ。もちろん証言した奴と描いた奴とで認識の齟齬があった可能性はあるかもしれんが……まずいな。最低でも一匹、最悪二匹以上は似たようなのがいるぞ」
クレイはミリアが逃げた方角へと視線を移して考え始めた。
(近くで安全な場所となれば、恐らく途中で見かけた身を隠せそうな作業小屋まで運ぶはず。それ程時間は経っていない……待つよりも追いかけて合流する方が早いか)
「お二人とも、ミリアさんを追いかけて合流しましょう。何が起こるか分かりません」
「賛成ね。急ぎましょ」
「じゃあ……サファイア君、ちょっとこれを担いで運んでくれないか。鍛えているのだろう?」
アリシアが死体を指さしながら、一遍の申し訳なさも感じさせない口調で言い放った。その言葉にサファイアは開いた口が塞がらなかった。
「アリシアさん、貴女ねぇ……!」
「怒ってるのか? 分かった。じゃあ理由を説明しよう。長くなるから手短に言うぞ。こいつは間違いなく人為的に作られた人間の改造品で、それには技術も設備も相応の物がいる。もしかしたら作った奴が見てない間にこの死体を処分する可能性がある。こいつは情報の塊だからな。絶対に街に持って帰りたい」
「街に持って帰れば安全なんですか?」
「歴史上比肩する者なしと称される騎士団長ブラッド・マッケンジーのお膝元だぞ? これ作れる頭の奴がそこに攻め込むなんて馬鹿しないさ。それに、研究室の近くにはブラッド騎士団長サマの仕事部屋もあるしな」
「魔法で持ち上げられないのかしら?」
「できる。だが少しでも戦闘用に魔力を温存しておきたい。なにが起こるか分からんからな。君もさっき認めただろう?」
「……オーケー。分かったわ。でも戦闘が始まったら適当な場所に置いておくわよ」
「タフな子だ。投げて飛び道具ぐらいにしても傷つかんさ」
「あっさり死にましたけどね……」
こうして三人はミリアと合流すべく走り出した。




