初仕事ー静かな森にご用心ー
ジョッキのぶつかる音、談笑、怒鳴り声。昼間だというのにその騒々しさは夜とそう変わりないここは、ワーカーズ・ギルド。常に依頼と、飯と、酒が回り続ける不夜城である。
そこへ一抹の不安と希望を胸に三人の若者がやってきた。
「マリアさーん! 新人ちゃん連れて来たぜー!」
「し、失礼しま……酒くさっ!」
「あはは……慣れるまできついですよね」
その瞬間、騒いでいたワーカー達の視線が一気に三人に向けられる。クレイとトールは慣れていたので問題なかったが、ミリアは初めての経験にたじろぐしかなかった。
「あわわわ! なにか問題が……!?」
「大丈夫です。多分新人に興味津々なんですよ。将来の同業者になるかもしれないですから」
「ほらあんた達、新人をそんな目で見てやるのはやめなさいよ。その子が新人ちゃん? 初めまして、私はマリア。ここでウェイターと依頼の受付を担当してるわ」
マリアは赤みがかった濃い茶髪と深紅の瞳を持ち、その活力溢れる喋り方を裏付けるような自信に満ちた顔付きや雰囲気は少なくともミリアを安心させた。彼女は身に着けていた赤いエプロンから紙を取り出すと、それをミリアに手渡す。
「新人ちゃん、早速だけどこれに名前と性別と、あと年齢を書いてちょうだい。本登録はこれだけで済むから。席は空いてる所を使ってね」
「は、はい!」
彼女がテーブルに着いて必要事項を書いてる間、クレイとトールは大量の依頼が張られた掲示板を見ながらあぁでもない、こうでもないと話していた。
「これとかどうだ…『ガストバードの討伐』! 十匹で五百ゴルドだってよ」
「今日なったばっかりの人にそれはダメだって……採集依頼とか一番いいんだけどなぁ。今日は来てないのかな」
次々と依頼書に手を伸ばすが、どうにもしっくりと来る物がないようだ。そんな二人の背後からマリアが声を掛ける。その声はどこかいたずらっ子のようであった。
「お二人さん。探してるのはこれかしら?」
「『シュガリーの実を籠三つ分』? 凄く良いじゃないですか!」
「新人ちゃんが来る事は分かってたから取っといたのよ。貴方達も行くんでしょ?」
「なんで分かったんだ。マリアさん?」
「勘かしら? 貴方達、一度お節介掛けたら最後まで面倒見るタイプでしょ。それに、ビギナーの手助けで依頼成功させたら補助金出るし?」
マリアの言葉に、トールは少しだけバツが悪そうに愛想笑いしながら頬を掻く。それに対しクレイは黙って依頼書の詳細を確認し続けていた。
「すいませーん! 書けました!」
「お、じゃあこれで……ワーカーデビューね! 初仕事は彼の持ってる依頼者に書かれたやつ。採集品の納品はここでするから、仕事が終わったら戻ってきてね。それじゃ、行ってらっしゃい!」
「新人頑張れよー」
「金いっぱい入ったら奢ってくれよ~! うっ……ウォロロロロロ!」
ご機嫌な声と悲鳴と少々汚い音に見送られ、三人はワーカーズ・ギルドを後にした。
※ ※ ※
「にしてもシュガリ―の実かぁ。もうそんな季節なんですね」
「それ、名前聞いた事あるんだけど何なんだ?」
依頼書を見ながらどこか懐かしそうな声を出す彼女に、トールが寝そべったまま質問する。そんな様子を眉を顰めながらクレイが咎める。
「人に物を聞く態度じゃないよ、トール。というか馬車で横になってよく気持ち悪くならないね」
「しゃーねーだろ。俺は起き上がってたらグロッキーになっちゃうんだよ」
「あはは……で、シュガリ―の実についてですよね。まぁ一言で言うと、この季節にすっごく甘くなるちっちゃな果実です! 鍋で果汁を煮詰めたら、それだけでお菓子の甘さの元になっちゃうぐらいに!」
そう語る彼女のエメラルドグリーンの瞳は輝きに満ち溢れ、口の端からも輝く欲望がちょっとだけ垂れていた。
「へー、こっちじゃ見たことないな。結構お高い感じ?」
「んー……人工栽培してる分のは安いですけど、天然物がすっごく高いですよね。甘さの格が違うって言いますか。懐かしいなぁ、森で用事があった時はお菓子代わりに食べてたんですよ!」
「よく見たら依頼人も菓子職人さんだね。個人依頼を出す程欲しいんだ……」
そこからしばらく沈黙が続く。せっかくこれから仕事を一緒にするのだからと考えた挙句、なんの悪気なしに彼らに疑問を投げかけた。
「そう言えばお二人とも、フォスターさんなんですよね? ご兄弟とか?」
「ん? あぁ違う違う。俺は捨て子」
「僕は拾い子で……まぁ捨て子みたいなものですね。二人とも孤児院の出で、そこで育てられた名無しの子には苗字をあげる事があるんですよ」
しまった、とミリアは己の軽薄さを後悔した。だが吐いた言葉は元に戻せない。だがどうするんだ? と、彼女の思考が渦を巻き、顔が真っ青になり始めた。
その様子に気づいたのかクレイがフォローを入れる。
「気にしないでください。生まれつきですし、特に悲観はしていませんから。でも他の子は気にする事があるので、この苗字を聞いたら注意してあげてくださいね」
「う、うぅ……すいません。本当に」
「まぁでも、兄弟ってのは強ち間違いでもねぇな。ずっと同じ場所で同じ飯食って生きて来た訳だし、そこらの家族より仲良い自信あるぜ。なぁクレイ?」
「そうかもね」
揺れる馬車の中、彼は少しだけ恥ずかしそうに頬を掻いていた。
※ ※ ※
馬車で数時間。降り立った森はミリアにとってはよく知った場所だった。彼女の中にわずかばかりの恥ずかしさがこみ上げ、まるでひそひそ話のような木々のそよぎが彼女を出迎える。
(勢いよくノブリスに行ったはいいものの……まさか勢いのまま数時間で近所に逆戻り。服も置き忘れて来ちゃった)
「いやでもまぁ、仕事だから……仕事。うん」
「おーいミリアちゃん! こいつとかどうだ!」
「おー、虫食いもないですし良いですね! いっときましょ!」
(ダメダメ、気合い入れなきゃ! 頑張るぞー!)
頬を叩いて気合を入れ直し、シュガリ―の実を摘み始める。その年の実は彼女が今まで見てきた中でも最も実りが良く、思わず摘み食いしそうになるほどだった。
口に入れたい衝動を抑えつつ、籠を一杯にしようと懸命に作業する中、彼女は慣れ親しんだ森にある違和感を覚えていた。
(森ってこんなに静かだったっけ? 前はもうちょっと……鳥の鳴き声というか、気配みたいなのがあった気が……?)
「なぁクレイ、なんかさっきから変な音聞こえねぇか?」
「いや? 鳥かなんかじゃない?」
「にしちゃ、なんか人っぽい感じしねぇか?」
その言葉にミリアが耳を研ぎ澄ませる。彼らよりもこういった場所での勘には自信があった彼女は聞こえてくる音と記憶を照らし合わせながら、音の正体を掴もうとする。
(片っぽは……人間の悲鳴 ? いや、猿? まぁそっち系で、もう一個聞こえ……)
「……やば」
「どうしました?」
「大変です! この地鳴りみたいな音はイノ……!」
「誰かぁッ! 助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
突如、茂みから悲鳴の正体が飛び込んできた。それは男で、絵の具塗れの衣服を身につけ、その顔は走り回っているせいか、それとも不摂生のせいか可哀そうな程に瘦せこけていた。
男は三人を見つけるや否や、一番近くに居たクレイに泣きついてきた。
「あの! あの! 助け……うぉぇッ!」
「落ち着いてください! ほら、深呼吸。深呼吸ですよ」
「ヒュー……ヒュー……! 絵、絵を描いてたんです! それで、お腹がすいたからそこに生ってる果実を食べたんです! そしたら……!」
男が事情を説明する最中、突然男が来た方向にある木やら茂みやらが宙を舞い、激しい音を立てて地面に降り注いだ。
「ちくしょう! 今度はな……ん……」
「この人ですぅぅぅぅぅ!!」
「いや、これは人じゃ……!」
「やっぱ猪じゃないですかぁ!」
(しかもこのサイズに見た目……魔獣化してる!)
画家の男を追いかけやってきたのは猪であったが、ただの猪ではない。
魔獣。それは魔力が染み込んだ水や果実等を摂取し続けた生物または、それを捕食し続けた生物が行きつく、異常な進化を遂げた個体を指す言葉である。
森の主の怒りに燃える真紅の双眸が、四人の不届き者達を捉え続けていた……。