襲来②
草木も眠る闇の中、雲の合間から覗く月に見守られながら緊張感のある静寂が続く。
間合いを見誤れば、魔獣の爪は肉はおろか骨すらもバターを赤熱したナイフで切るようにヌルリと引き裂くであろう、と人間達は考えて攻めるタイミングを常に伺い続ける。
先ほどの轟音、なぜかわからないがとにもかくにも恐ろしい。恐ろしいが、狙った獲物は食べたい。あの肉、腹いっぱいにむさぼりたい。ならば目の前の奴らをヤるしかない、と魔獣は考えながらもやはり音を恐れほんの少し及び腰になっている。
静寂を破り先に動いたのは、魔獣であった。こちらも音だといわんばかりに低い叫び声を上げながら、クレイ達へと突進する。
「来たわよ!」
「テンパーバレット!」
三度目の魔弾は最も近い距離で放たれた。近距離での音にサファイアは顔をしかめながらも効果を期待したが、ベッジを食らう事に命を賭けた魔獣は一瞬怯む仕草を見せただけで、間髪入れずに再び走り出した。
「慣れた!」
「貴方は頭を、私は腕を絡めとる! 宝飾【ダイヤ】、解除!」
彼女の剣は蛇のような動きで走る動作の最中に地面から離れた両前脚に絡みつき、クレイは動きが止まった魔銃の脳天目掛けて魔弾を連射する。
「さっきは受け止めるだけだったけど、今度はその爪を圧し折る!」
ギチギチと音を立てて剣身は前脚に食い込んでいく。しかし同時にこの時点で、魔弾を命中させた彼は魔獣の異常な性質を目の当たりにしていた。
(魔弾を弾いた!? この間の大猪とは違う。まさか……!)
「サファイアさん気を付けてください! この魔獣、防御魔法を張っています!」
「なん……!?」
剣の食い込みが止まった事に気付いたサファイアが視線を下すと、熊の鋭い爪が異質な輝きを放っていた。彼女は知っていた、それが一体なんの輝きか。だからこそ目の前の異常を理解してしまった。
「強化魔法!? 獣が……きゃっ!」
獣は剣を振りほどくと一目散にベッジがミリアと共に消えた闇の方向へと駆け出した。力みの反動で倒れかかった彼女に代わり、クレイは十八番の魔弾を放つ。
「捕えろ! 【チェーンハウンド】!」
飛び出した鎖の猟犬はすぐさま魔獣に追いつくと、爪で剥がされないように股関節や肩、首に巻き、最後は手の届かない背中に嚙みついて自身を固定した。クレイはそれを確認すると同時に力一杯引っ張って動きを止めようとしたが、魔獣のパワーは彼の全体重を載せたそれを遥かに上回り、ソリの様に引きずっていく。
魔獣はこれなら行けると、その重量級の肉体に見合わない速度でどんどんと加速していく……がしかし、急にスピードが落ち始めた。振り向くことを一切考えていない魔獣はより力を込めるが、あれよあれよという間に引っ張る力は強くなっていく。
力の正体は騎士達だった。熊の体躯、挙動からも感じ取れる圧倒的なパワーを前にして、彼らは皆一様に自分達の装備では討伐するのは不可能だと判断し、サポートに徹することにしたのだ。一人、また一人と鎖を手に取って加勢する。
「ワーカー、もっと伸ばせないか!?」
「やってみます! それと僕の名前はクレイ・フォスター。クレイでいいで……すっ!」
騎士十数名とクレイ一人が力を合わせることでようやっと釣り合いが取れ、動きを封じる事に成功した。だが彼らの心にあるのは瞬間的な安堵よりも、現状を認識したが故の不安であった。
「油断をするんじゃないぞ! 気を抜いたら持っていかれる!」
「マジックアローで射貫くというのは!」
「駄目だ! 向こうには民家がある。これを仕留めるだけの量の物が外れたら大惨事だ!」
(……焦って判断を誤ったかもしれない。心臓か脳を潰すがセオリーの魔獣狩りじゃ、どちらかといえば攻撃役は魔弾を撃てる僕の方が適格だ。でも今、あれの前に立ちはだかっているのは……!)
クレイの視線の先には体勢を立て直し、剣を構えるサファイアの姿があった。少しでも気を抜けば魔獣を取り逃しかねない緊迫したこの状況において、彼女は攻撃役に回らざるをえないのだ。
彼女は剣を伸ばし、鞭を振るうような動作で魔獣の頭を二、三度ほど切りつけたが、当たる度に乾いた音が響くだけで相手はびくともしなかった。
「効いてないみたいね……」
(魔力は肉体に依存する傾向が強い。強力な魔獣の持つ密度の高い骨や筋肉には高密度の魔力が流れ、稀に無意識の魔法を発動させている事例があると以前聞いた。こんな形で実物を目にするとは思っていなかったけれど……)
更に数回、フルスイングで切りつけるがクリーンヒットしても皮がはじけ飛ぶだけで、その傷もすぐに自然治癒で消えてしまった。だが彼女はその傷に可能性を感じて再び斬撃を繰り出す……が、魔獣もただ無防備に攻撃を受けているだけではなかった。残像が発生する程の速度でやってきた刃を爪で弾き返した上に、誰も予想していなかった反撃を同時に出した。
「きゃッ!??」
「サファイア様ッ!?」
まるで顔の前に集る羽虫をあしらうように振るわれたパンチ。そこから放たれたのは五つの輝く魔法の刃であった。なにが起きているのか理解できず、ほんの一瞬反応が遅れたサファイアはその内の一つに当たってしまい、鎧ごと肩の肉を抉られてしまう。
熊を足止めしていたジョニーは彼女がダメージを負ってしまった事にも驚いたが、それ以上に熊の放った攻撃に目を丸くしていた。
「ジョ、ジョニー隊長。今のはソードウェーブなのでしょうか!?」
「あぁ、間違いない! あんな攻撃をしてくるのか……!」
ソードウェーブ、それは言ってしまえば飛ぶ斬撃。属性を用いぬ通常の強化魔法で武器に施した魔力のコーティングを振るった瞬間に剥がし、遠距離攻撃とする高等技術である。簡単だと思うかもしれないが、剝がし方を間違えばコーティングそのものが崩れ去り技が成立せず、タイミングを誤ればあらぬ方向に飛んでしまう。
本来であれば強化魔法のコントロールを完璧にマスターした後、剥がすタイミングを正確にする為に精神的な訓練が必要な技であるが、魔獣はそれを本能で行っていた。
「サファイアさん! 立てますか!」
「っく……うぅッ……だ、大……大丈夫……!」
クレイの呼びかけによろけながらも答えた彼女の様子はあまり良いとは言えなかった。左肩からは大量の血が流れ落ち、目も当てられない状態ではあったが彼女自身はまだ前向きな考え方をしている。
(利き手の右は大丈夫……! 痛みには慣れるのよ!)
「鎧は……駄目ね。一点物なんだから、高くつくわよ……!」
まだ立ち上がるサファイアを見て、魔獣は再び爪を構える。殴るような構えに緊張感が再び高まり、誰もが放たれる瞬間を捉える為に腕に視線を吸われる中、ジョニーはどこかに引っかかるほんの僅かな違和感に思考を割かれていた。
(なんだ、この違和感は? 観察だ。全身をくまなく、スピーディーに、視るんだ………………待て。なんで少し後ずさり……)
「ッ! 全員、回避しろぉ!」
ジョニーの号令と同時に騎士達が一斉に鎖を手放す。そして更に同時に、魔獣は左後ろ脚を軸に半回転しながら風を切るような肝の冷える音と共に腕を騎士達目掛けてフルスイングしたのだ。当然、爪は届く訳はないが本命はソードウェーブであり、再び放たれた五つの刃は進む毎にバラバラの軌道を描いて命を刈り取らんと迫る。
一発は完全にあらぬ方向へ飛び、一発は騎士の一人の兜ごと頬を抉り、二発は回避しきれなかった者の腕や脚、脇腹を容赦なく切断した。そして最後の一発は……。
「ぐぅぅぅ!!!」
「大丈夫か、クレイ・フォスター!」
「大丈夫です! それより、怪我した人の処置と避難……ぐっ!」
その軌道は完全に目の前に居た不運な者の上半身と下半身を真っ二つにする事のできるものであったが、すんでの所でクレイが銃剣で受け止めたのだ。かつての修行で強化魔法もある程度できる彼であったが、雑だが魔力量の暴力ともいうべき一撃は確実にそのコーティングを削っていっていた。
(大丈夫とは言ったけど、この震えから感じる破壊力! このままじゃ銃剣ごと真っ二つにされる! 考えろ、考えろ、考えろ、考えろ!!)
銃剣の魔力の層はあと数ミリ、受け止めている刃はみるみる内に一ミリずつ削っていく。命がけの正念場、クレイ・フォスターの機転が試されようとしていた。




