旅立ちと出会いと
「お金良し! 着替え良し! 地図良し! 後は……」
「髪飾り、忘れてるわよ」
「え? ア゛ァ゛ッ!? ほんとだ!」
少女は慌てて母から髪飾りを受け取る。蝶々結びのリボンがデコレーションされたヘアクリップを嵌めて鏡を見ながら明るい茶髪を弄ると、満足したのか安堵のため息をつく。
「これなかったら私じゃないよねぇ」
「それにどんだけアイデンティティー依存してんのよ」
「だってかわいいもーん……あ、馬車の音」
窓から外を覗けば、家の前には朝焼けの薄暗さの中、一台の馬車が止まっている。そこに乗っている御者は彼女達家族の顔見知りだ。
少女が荷物を抱えて家の前に出ると、家族も見送りに来始めた。
「姉ちゃんがワーカーかぁ。ほんとに大丈夫?」
「任せてよ! 有名になってバンバンうちの宣伝してくるから!」
「危険な仕事も多いと聞く。危なくなったら帰ってくるんだぞ」
「ま、でもこっちの心配はいらないわよ。リサとボッツも居るから、そっちに集中するのよ。ミリア」
「うん! それじゃあ……行ってきます」
馬車は彼女を乗せると、首都ノブリスへ向かって進み始めた。
※ ※ ※
首都ノブリスは巨大な山にある「巨人の腰掛け」と呼ばれる規格外のサイズの傾斜を開拓して作られた坂の都で、麓に近い方が住民の居住区、山頂に近い方が貴族の住む地区と分けられている。その頂上にはノーブル城と呼ばれるこの国の象徴が、足元の農耕地区や港区を見下ろすように建てられている。
馬車で揺られる事約二時間、ミリアはノブリスの入口にやってきた。
「馬車ありがとうございます!」
「気にする事はないよ。ガーランドさんちの野菜はよく売れるからね。世話になってるのはこっちさ。ミリアちゃん、ワーカー頑張んなよ!」
「はい!」
馬車を降りてまず最初に彼女を出迎えたのは、これでもかと堅牢に作られた門であった。門の上、周辺には鎧を着た兵士達が矢を構えながら周囲を警戒しており、門の中には検問所が敷かれている。
「積み荷を確認する少し待て。次!」
彼女の番がやってきた。品物を載せた馬車や荷車等が居る中で彼女は身軽な方であった。パンパンになったリュックサックを背負ったまま、ミリアは受け答えする。
「名前を」
「ミリア・ガーランドです! 農耕地区の農家の娘です!」
「目的は?」
「ワ、ワーカーになる為にやってきました!」
「持ってる物は槍と……そのパンパンのリュックは?」
「これは着替えです!」
「着替えか……」
彼女には頭の先から脚の先端まですっぽりと鎧で覆った審査官の顔は見えなかったが、兜のスリットから覗く視線がミリアと待機している大勢の待ち人達を交互に見つめるのは分かった。審査官は少し悩むような仕草を見せると、指示を飛ばしてきた。
「リュックを背負ったままこちらに背を向けろ」
「は、はい!」
彼女は何をされるのだろうかと思っていたが、何の音もなく二十秒程が経過した。
「魔力反応基準値を越えずか……行ってよし! 次!」
「ありがとうございます!」
(あれが検査用の魔道具かぁ。こっちには色々あるんだなぁ)
検問所を越え、再び外の光が差し込んできた時、まず彼女の目に飛び込んできたのは……坂だった。舗装された傾斜の道と、それに合わせてつくられた斜めの建物はこの都市の象徴的な光景である。
「すっご、足腰やられそ……っていけないいけない!地図は……!」
(今、中央検問所を抜けたから、この通りを真っ直ぐ進めば二番に出るんだよね?)
地図と睨み合いながら彼女はとりあえず進みだす。日差しはそれなりに強かったが、風も吹いており、見た目よりは快適な場所だと彼女は感じていた。
目的地へと赴く中、彼女は将来に想像を膨らませる。
(まずはワーカーズ・ギルドって所で本登録を行って、ソロワーカー用の宿舎に行って……本格的に依頼を受けるのは明日からかな? 有名になったら、お金がっぽがぽのウッハウハ……!)
「家族にも楽させられるかも……! 頑張るぞー!」
その時、何かが彼女にぶつかった。ドンッ!と強い衝撃を感じて一瞬ふらつく。ミリアは瞬時に謝ろうとしたが、ぶつかった人物の手に自分の全財産が入った小銭袋が握られているのを見て、言葉よりも先に手が出た!
「待てこのスリ! ふんぐぐぐぐぐ!!!」
「いでででで! 放せッ! 放……せぇッ!」
ブチィッと不吉な音が鳴り、男の情けない悲鳴が響く。尻もちをついたミリアは己の手に握られたモノに視線を合わせる。それは男の髪で、皮脂でキシキシとしていた。
「ギャァッ! キモイ!!」
「人の髪千切っといて……! クソッ! 覚えてやがれ!」
「あッ! 待てこの!」
(足早ッ!? ほんとに人間?!)
逃げるスリの靴は明らかに普通の物ではなかったが、もはや小銭袋しか目に入っていない彼女は気づかなかった。そのままどんどんと距離を離され、姿が視界から消えかけていたその時……。
「どうされましたか!」
「えっ、あっ! スリです! スリに遭ったんですけど、逃げられちゃって……私の全財産!」
彼女に声を掛けてきたのは二人組の男。一人は逆立った短い金髪の男でミリアと同じようなエメラルドの瞳を持っている。もう一人は真っ黒な黒髪で暗めの水色の瞳が特徴的だ。
「クソッ! もう見えねぇな……! クレイ、なんかあるか?」
「あるよ。えぇと……」
「ミリアって言います!」
「じゃあ、ミリアさん。逃げたスリの匂いが分かるものって持ってます?」
「臭い? 臭い……あッ! 髪の毛あります!」
「髪の毛」
「千切ってやりました! ヘヘッ!」
「千切った、髪の毛を……? ま、まぁ、お借りしますよ」
クレイと呼ばれた男はそれを受け取ると、背負っていた剣を手に取り、その切っ先へと髪の毛を持っていく。そして男の逃げた方向へ剣を向けると……。
「追跡よろしく。魔弾【チェーン・ハウンド】!」
剣に刻まれた紋様が光を放ち、引き金を引くと甲高い音と共に弾丸が放たれる。弾丸は最初光のベールに包まれていたが、それが剝がれるとその中から猟犬の頭を持つ艶のある漆黒の鎖が現れた。
放たれた鎖の猟犬は周囲を嗅ぐと一目散に男の逃げた方向へ飛んでいく。
「えぇッ!? なんですかそれ!」
「この子ですか? この子は【チェーン・ハウンド】、匂いを覚えて相手を地獄の果てまで追いかけます。そして捕まえると……」
「……ィィィィヤァァァァァァァァ!」
「どこかしらに思いっきり嚙みつきます。多分痛いですよ、金属の牙は。じゃあ追いかけましょう。僕に掴まってください」
ミリアは言われるまま、クレイの腕に掴まる。そして彼が「ハイヤッ!」と叫ぶと鎖が巻き戻り始めた。
「トール! 巡回の人を呼んで!」
「オッケー分かったぜ!」
先ほどの坂道とは対照的な真っ直ぐで平坦な道を、ソリで駆けるかのように軽やかに、スピーディーに、火花を散らしながら進んでいく。人生で体験したことのない異様な移動方法に、ミリアは奇声を上げることしかできなかった。
やがて路地裏に入る曲がり角で、声にならない声をあげながら股間を抑えて蹲るスリが見つかった。
「止まってください! こいつです」
「あっちゃ~、確かにそこは急所だけど……ほら、噛むのはお終いだよ。汚い」
涙やら鼻水やらでぐっちゃぐちゃになった顔で助けるように手を伸ばすスリだったが、ミリアに槍を向けられるとすぐさま小銭袋を差し出し、命乞いを始めた。
「か、金に困ってたんです! どうか命だけは……!」
「問答無用!」
「まぁまぁ、落ち着いてください。騎士でもないのに殺しちゃだめですよ」
(それよりも、この人の履いてる靴……まさか)
「おーい! 巡回の騎士さんら連れてきたぞー!」
トールと呼ばれた男に連れられ、剣を佩いた二人の騎士がやってきた。その二人は軽く状況を聞き出すと、スリの両脇を持ち上げ連行し始めた。そこへクレイが声を掛ける。
「あの、騎士さん。その人の靴調べておいた方が良いですよ。多分……無刻印の魔道具です」
「なにッ!?」
「貴様、脱げ!」
クレイの言葉で一気に顔が青褪めたスリは必死に抵抗したが、鍛えた重武装の騎士に敵う筈もなく、あっさり靴を脱がされた。
「これは……! どうやら話を聞く必要があるな」
「貴様にはとっておきのスイートルームを用意してやる! 来い!」
「そこの三人、治安維持への協力感謝する!」
こうして嵐のような時間は瞬く間に過ぎ去っていった。そのまま立ち去ろうとする二人をミリアは慌てて引き留める。
「あの、ちょっと待ってください!」
「どうされました?」
「先ほどはありがとうございました。それでですね。ちょっとお願い事が……ワーカーズ・ギルドって場所ご存知ありません?」
その言葉にトールとクレイは顔を見合わせる。そしてトールが笑顔でこう返してきた。
「ひょっとしてミリアちゃん。新米ワーカー? 実は俺らもワーカーなんだよ。案内ついでに初仕事一緒にやってみるか? 俺らもちょうど依頼探してたからな」
「えッ、良いんですか!?」
「ここで会ったのも何かの縁ってやつですよ。それにワーカーって如何に早く仕事に慣れるかが大事ですから。今ならまだやり易い依頼も残ってるんじゃないですかね?」
「んじゃ自己紹介と行こうぜ。俺はトール・フォスター! 暁の金貨所属で、雷魔法が得意だ。雷のトールって呼んでくれてもいいぜ!」
「僕はクレイ・フォスター。今日で独立一日目のソロワーカーですが、二年程別のギルドで経験を積んでます」
「わ、私はミリア・ガーランドです! ワーカーになって家を宣伝する為に来ました! あと収入増やすため!」
(素直な子だなぁ)
(面白れぇ子だなぁ)
三人は握手を交わす。親切な良い人達だと喜びながら……だが彼女は知らない。
クレイ・フォスター。彼が後の世で「魔物殺しの魔弾」や「銀の弾丸」と呼ばれるワーカーであり、その波乱に満ちた生涯に彼女が深く関わり、巻き込まれ続ける事を。