第二話:コマだけどコマじゃない!
賑やかな声が聞こえてくる部室棟の廊下を早足で進む。
高校一年生の俺、岡本弘樹は慣れない校舎に四苦八苦しながら、目的地へと足を進めていた。
それぞれの部室から声が聞こえてくるので、部活の時間はすでに始まっているようだ。
まさか初日から授業が長引くとは思っていなかった。
駒友高校。都心から少し外れた立地にある公立の学校に俺は新入生として入学した。
生徒数は多く、一つの学年につき10クラスで構成されている。そこそこ大きい学校だ。
勉強はもちろん運動や部活面にも力を入れていて、パンフレットでは文武両道を掲げた進学校と謳っている。
部活数も多いが、驚くのはそれぞれに部室が設けられているということだ。同じ目標を持った同志だけが集う場所があることも、部活が強い一因なのだろう。
そして、その影響でとにかく校舎が広かった。
長い廊下はいくつか分岐点があり、授業での移動教室も大変になりそうだと先が思いやられる。
中央の階段で二階までぼり、本館を渡り廊下で通り越し運動部活棟を通り過ぎ、2つ目の門出右に曲がり階段を上ってさらに右の一番奥の文科系部活棟の最も端にある部屋。
ようやく目的地に辿り着き、部室の扉を見て部活名を確認した。
「コマ研究部」
その部活名は扉に紙で貼りつけられただけの様子で、すぐに剥がすことができそうだ。
しかし、意外とその部活ができてから長いのか、部活の名前を書いた紙は端がボロボロだ。
部室の外から見たところ、電気はついていてかすかに人の話す声が聞こえてくる。ここを開ければコマの回しに磨きをかけている生徒たちと切磋琢磨する未来があるに違いない、と俺は期待に胸を躍らせる。
俺はこの部活に入るためにこの学校を選んだといっても過言ではない。
充実した部活生活がここでスタートする。最初の印象は肝心だと、早歩きに伴って早くなっていた鼓動を収める。息を大きく吸って、吐くを三回すると落ち着いてくる。
よし、と頬を叩いて気合をいれ、扉に手をかけた。
がらがらと白い扉をスライドして開けると、室内の様子が明らかになっていく。
そこにはコマを回している人間は、一人もいなかった。
「世界の不整合。漆黒の翼に抱かれ舞い踊る堕天使の抱擁が不可欠。」
「わかってないですな桃原氏。ここは重心を上げて軽量すべきですぞ。」
「緑の守護神にはまだ理解が及ばないだろう。だが、神のマスターピースであることをいづれ知ることになるのだ。あははは」
すぐさま目に飛び込んできたのは、二人の男子生徒が4つの机をくっつけたテーブルの周りで何か言い争いをしている様子だった。
一人は、桃原とよばれた男で両手にぐるぐる包帯を巻いている。くせっ毛の長めの前髪は右目の部分が隠れていて左目だけが黒く光っている。大げさなポーズを決めながら高笑いをしている。
緑の守護神と呼ばれていた男は、全体的に少し丸みを帯びていて、うっすらと光る汗を時折肩にかけているタオルで拭っている。丸眼鏡がたまに曇っていて見えづらそうだ。
上履きに描かれている三本のラインを見ると、俺と違う赤色をしていることからこの二人は一つ上の上級生なのだと分かる。駒友高校には学年カラーというものが存在していて、持ち物の色によって学年が識別することができたりするのだ。体育祭などで全員が同じ形の体操服を着ていても、ズボンの色が違うので学年が分かるというシステムだ。
ちなみに一年生が青、二年生が赤、三年生が緑だ。
色は三年間変わらないので、去年の三年生の色が今年の1年生の色になるという循環をしている。
状況がつかめないまま小さな部室を見回してみる。
端には存在感のある錆びた用具入れがおいてあり、その隣には四角い機械がひとつ置いてある。
窓は開いていて、窓の前に黒髪で髪も顔も整った黒縁メガネの生徒が座って外を見ている。その男は、他の二人が話しているところに参加している様子でも俺のほうを見るでもなくやる気なく外を見つめていた。
上履きのラインを見るとかなりかすれているが、緑色ということは三年生だ。この中で一番の年長者のようだ。
状況を理解すればするほど、コマ研究部ではないと感じた。
部室を間違えたのかもしれない。開けたドアを見てみるが、しっかりと「コマ研究部」と書かれている。
間違っているならそれでいいだろう、これがコマ研究部であるほうが不自然だ。
正しいコマ研究部の部室を聞けばいい。先輩ならきっと存在は知っているはずだと思い切って声をかける。
「あの。すいません。コマ研究部の部室はここではないですよね。」
思った以上に戸惑いを含んだ声が出てしまい自分でも困惑する。
手前の机で何やら言い合いをしている二人の男子生徒は、議論が白熱しているのか未だ俺に気付いていないようだった。
近寄って存在から認識してもらおうと動き出そうとした時、窓際に座っている男が声をかけた。
「おい、新入生来てるぞ。」
俺に声をかけたというよりかは、手前の男子生徒二人に声をかけたが正しいが。
そこでようやく部屋にいる全員にいることを認知される。こちらに気付いた二人は両サイドからさささと詰め寄り、がっと肩をつかんだ。
「いやはや失敬。君はコマ研入部希望者ですかな?コマはいいですぞ~」
鼻息がふんふんとなっていて、勢いがすごい。
「地獄の入口へようこそ。死別せし片割れとの邂逅を待ちわび・・・おっと、第三の目が疼くな。」
えっと?
二人の圧力に気おされながらも、コマのように自分を強くもって回らなければと奮い立たせる。
「あの、ここはコマ研究部ですか。俺、コマを回したくてきたんですけど。」
そう言って先輩たちの隙間から見える背景を見た。
明らかにコマを回していたスペースもないし練習もしていない。コマを回せないなら、コマ研究部という名前がついていたってそんなの俺には意味がない。
せっかくこの学校に入ったらコマを回せると思ったのにと、唇を噛み締めた。
「そうでござったか!君は回したい派なのですな。我が部には回す派が足りなかった故に、回したい派の入部は大歓迎ですぞ!」
「えっと。コマって、回す以外にあるんですか。」
「なぬっ!カスタムコマを知らぬでござったか。」
「カスタムコマ、ですか?」
正直のところ、回す派とかカスタムコマとか言われても全く分からなかった。コマは回すしかないんじゃないのか。
そういえば俺はコマを長い時間回し続けることだけに集中していて、それ以外の存在を知らなかった。
考えこんでいた俺の手を包帯の先輩に手を引かれて、彼らが先程囲んでいた机へと引っ張る。
包帯の手は動かしても大丈夫なのかと思ったが、今は触れずにそのままついていく。
机には見慣れた形とは違うコマっぽい何かと、何かの図面が乗せてある。
そして、そのコマのような物体を手に取り、俺に手渡した。
「冥友に混沌の叙述を・・・」
「説明しよう!カスタムコマとは、自分で作成したコマと相手のコマをぶつけ合い、フィールドから押し出し最後まで回っていたほうが勝ちという競技なのである!きりっ」
「ふむ。そういうことだ。」
そして、これが作ったオリジナルのコマであり、この図面は新しいコマの設計図なのであると先輩は付け足した。
手の中にあるコマを見る。暗めの赤に塗装されたそのコマは、俺がいつも使っているものと形状が全く違った。
そして、コマ回しとは己とコマとの対話だと思っていたので、誰かとコマ競わせる競技があることに驚いた。
だけど、それは俺がしたかったコマ回しではない。せっかく来たけれど、俺はこれからもコマと切磋琢磨することにしようと思い、先輩のコマを返す。
「えっと、せっかくなんですけど、」
そう俺が言いかけたとき、後ろで扉に強く何かがぶつかる音がした。