ドッキリ!?バレンタイン!!~玄関開けたらチョコがお出迎え~
ハビタブルゾーン……すなわち、生存可能領域。
天文学上の用語で、恒星の周辺に居住可能な惑星が発生しうる範囲のこと。
ハビタブル、つまり住むことができるという語意のままの用語だ。
それを考えると、この居たたまれない部屋の中はハビタブルゾーンではないだろう。なにせ居たたまれない。
――残業が終わってうちの扉を開けたら、人間大のチョコ像がポーズをとって出迎えてきた。
「……」
「先輩、あの、なにかコメントくれません?」
そう問いかけてくる声で、目の前のチョコ像の中身が会社の後輩であることに気づく。
千代田玲子。ひとつ下の後輩。
今はチョコで全身をコーティングされたチョコレートモンスターだ。いつから俺の家は魔界になったんだ。
「ひとの家で何をしている千代田」
「いえ、これには深いわけがあるんですよ先輩」
「十文字以内で弁解しろ」
「実験です」
「わかった。処分だな」
チョコは燃えるゴミでいいとして、中身は生ゴミになるんだろうか。迷うところだ。
俺が真剣にゴミ袋を探し始めたのを気配で察したのか、千代田は大袈裟に両手を振って生存戦略を始めた。
「待ってください、先輩!!」
「チョコを全身に塗りたくった怪物に先輩呼ばわりされるのはぞっとしないな……」
「いやいや、これ我が社の新商品なんですよ」
「ついに狂ったか暁重工……」
たしかに我が暁重工は揺りかごから棺桶までを謳う、よく言えば手広い、悪く言えば一貫性のないモノづくりの会社だ。メイドロボとか作っている狂人の巣窟だ。
だが、千代田が所属する宇宙戦略部がなぜチョコ……のような物体Ⅹを作っているのか。これがわからない。
そんな俺の疑問が通じたのか、チョコレートモンスターはふふんと胸を張った。
ラバースーツのように全身にフィットするチョコーティングのせいで、意外と大きな胸がふるんと揺れる。もっと違うシチュエーションで知りたかった事実だ。
「これはですねぇ、食べられる宇宙服なんですよ!!」
「そのコンセプトに大きすぎる問題があることになぜお前たちは気づかなかった」
「真面目な話なんですよ、先輩」
真面目な話を全身にチョコ塗りたくったままする後輩の姿なんぞ見たくなかった。
だが、俺の悲哀は知ったことではないとばかりに千代田は話を続ける。
「宇宙での活動時間は地上から持ち込める物資の量に限定されます。特に食糧です。宇宙ステーションではほとんど生産することができませんからね」
「それはまあ、門外漢の俺でもわかる」
「そこでこの“チョコラバースーツ”です!! なんとこいつ、水と光があれば自己再生・自己増殖・自己進化する優れものなんです。しかもチョコだから食べられる!!」
そう言っている間にも千代田の形の良い尻からにょきっと尻尾が伸びた。
「おい、尻尾が生えたぞ」
「え? お、おお。なんか動かせますね。原料はカカオ100%なのに」
「お前たちはカカオをなんだと思ってるんだ?」
「まあまあ。先輩もおひとつどうぞ」
千代田が自分の顔面を差し出す。
反射的に平手打ちしそうになったが、このまま放置してはなにも解決しないことに気づいて、渋々、後輩の顔を覆うチョコに指を差し込む。
指の触れるチョコは熱くもなく冷たくもなく、固くもなく柔らかすぎることもない、ひどく感触が良い。
少し力を入れて引っ張る。ぱかっとチョコが外れた。フェイスハガーみたいでこわい。
「ふー。ちょっと息苦しかったですね。改良の余地ありです」
チョコの下からは慣れ親しんだ後輩の顔がでてきた。
猫を思わせる切れ長の目と整った顔立ち。年齢よりも幼く見えるのはいたずらっ子のような雰囲気のせいか――
「さあさあ先輩、千代田チョコをご賞味あれ!!」
「そういうところだぞ後輩」
あるいは日々の言動のせいだろう。
なにが悲しくて後輩の顔を型取ったチョコを食べねばならんのだ。
と、そんな俺の悲哀を感知したのか、手の中のチョコがぐにぐにと形を変えてあっという間に手のひら大のハート型のチョコに変形した。
なるほど、これなら食べるのに抵抗感もない。
「んなわけあるかあああああ!!」
「ほがっ!?」
怒りのままに後輩の口にハート型のチョコを突っ込んだ。
反射的に飲み込んでしまった千代田が一瞬で涙目になった。
「にっが!?」
「そりゃあカカオ100%なら苦いだろうよ」
「これ大丈夫ですかね? おなか突き破ってきたりしません?」
「カカオ100%なんだろ」
「カカオ100%なんですけどねえ……」
そうこうしているうちに、千代田の全身を覆うチョコラバースーツはさらなる進化を遂げ、側頭部から角がにょきっと生え、背中には小悪魔を思わせる小さな翼が生えだしている。
「おい、明らかに宇宙服と関係ない進化してるぞ」
「うーん。着用者の思考を受信しているので、宇宙で着ればたぶん宇宙に適応できるように進化してくれると思うんですが」
「なるほど、いまお前がなにを考えているのかよくわかった」
やはり生ゴミか。
俺が台所からポリバケツを引っ張り出してくると、さすがの後輩も命の危機を覚えたのか、表情に必死さが混じる。
「だ、大丈夫ですよ、先輩。これは試作品なので、着用から一時間程度で機能停止するようにできています。もう少ししたらただのチョコになりますから!!」
「なにひとつとして大丈夫じゃねえ」
「それにまだ安定性がなくて、ちょっと外気温が変わるだけで不活性化しちゃうんです!!」
「ほう。お前の発言の中で今日一だなそれは」
俺はエアコンのリモコンを手に取った。ぽちっとな。
暁重工製、極限環境激変エアコン「寝たら死ぬぞ君」が起動し、凄まじい温風を吐き出して瞬時に部屋の温度を25度まで上げる。
結果は一目瞭然だった。
千代田の全身を覆っていたチョコラバースーツはびくんと震えたかと思うと、チョコ本来の姿を思い出したようにドロドロと溶けだした。
「ぎにゃあああああ!?」
後輩が悲鳴を上げながら胸元を隠す。
シルエットで察していたが、やはり素っ裸だったらしい。
健康的な白い肌にチョコを盛った姿は掛け値なしに色っぽい。鎖骨や胸元に残るチョコを惜しいと思う気持ちが湧いてくる。
が、ぼたぼたと落ちていくチョコが床に染みを作っていく様がすべてを台無しにしていた。
「よし。悪は滅びた。お前は帰れ。俺は部屋の掃除をする。説教は明日だ」
「はえ? わたし、服ないんですけど」
「それ着て俺のうちまで来たのかよ!? どういう肝の据わり方してんだお前は!!」
叫びながら後輩を玄関から蹴りだして鍵をかけた。
ふう。これで一安心だ。
「ちょ、先輩!? 裸!! わたし裸なんですけど!!」
後輩がガンガンと扉を叩く。近所迷惑だからやめてほしい。
「反省しろ」
「反省!! 反省しました!! すごい反省しました!! なので慈悲。お慈悲をください!!」
「どこが反省してんだ!!」
「いやいや先輩にはいつも世話になって――え、ちょ、光? あ、人来る!! 人来ちゃいますよこれ!! チョコ生き返れ!! チョコスタンダップ!!」
錯乱した後輩が謎の呪文を唱えだした。末期症状だろう。やはりあのチョコは危険だ。
「来てる来てる来てる!! あと五歩、四歩、三歩――」
「――――」
「いやああああ!! 百歩譲って裸見られるのはいいとしても痴女だと思われるのはいーやーだあああああああ!!」
一秒後、我が家の玄関には尻もちをついてぜえぜえと息を荒らげる全裸後輩の姿があった。
チョコラバースーツの最後の維持もとい意地か、見えてはいけない場所はチョコに隠されているのが哀愁を誘う。
「反省したか?」
「はい」
「なにか言うことは?」
「ええっと」
こちらを見上げた後輩は、へにょりと泣き笑いのような表情を浮かべた。
「は、ハッピーバレンタイン?」
「……」
なんとはなしに、後輩の鎖骨のくぼみに溜まっているチョコを指で掬う。
ん、とくすぐったそうな後輩の顔を見下ろしながら舐めてみる。
「……苦いな」
「カカオ100%ですからね」
「そうだった。……風呂、入るか?」
「いえ。チョコで排水溝詰まらせそうなので、濡れタオルかなにか貸していただければ。あと服を、ですね……」
「ああ、うん。用意しとくから掃除しろ掃除」
「フローリングに染みたチョコってとれるんですかねえ」
「とれなかったらお前を壁の染みにするから気張れ」
「アッハイ」
腰が抜けた様子の後輩に手を貸して立ち上がらせる。
まったく。こいつは毎度毎度人を困らせてなにがしたいんだか。
「もうこんなのは御免だからな」
「もうしません」
「言ったな。もうするなよ。フリじゃないからな?」
「はい。来年はもっと平和的で素材の味を活かした……リボンにします!!」
俺は後輩を玄関から蹴りだした。