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【第一章完】魔王討伐を果たした最強ドルイド、転生先の時代に困惑する③

作者: 於保育

だいぶ遅れましたが、これで第一章完。お待たせしました。

現在第二章制作中です。

キャラの名前とか虫食い過ぎてすいません。もし「こんな名前付けてくれ」とかありましたら助かります(兼ね合いなどで必ず採用できるわけではないのですが……)

コロナ禍とか色々ありましたが、とりあえず一章分は書き終えられてよかったです。


 計器が作業が続く合間も計器は危険域を示し続け、そして遂に魔力災害が発生してしまった。


 冒険者たちの一人として、ひっそり門の側に陣取っていると、不意に勢いよく複数台の馬車がやってきては、何やら居丈高かに守衛へ怒鳴ると街を飛び去って行く。


 中には街に入ってくるものもあり、バイコーンに引かれた馬車には、先ほど魔素の異常に関連している施設で見たものもいくつかあった。


 それから程なくして、街の住人たちが魔力災害を知らされる間もないまま、城壁へ向けキンググリズリーどもが押し寄せてきた。


「……ショーティ君、見たまえ」


「ええ。上位種がいますね」


 エルシィさんの視線の先には、周囲のキンググリズリーより一回りから二回りほど大きな個体の姿がちらほら見られる。


 長くキンググリズリーを討伐できなかったことで、此度の魔力災害において生まれてしまった上位種。


 単にサイズが大きいだけでなく、その強さも並みのキンググリズリーが子供扱いされてしまうほどのもの。


「あ、あれが上位種……あんなの、見たこともない」


「みんななら大丈夫。油断せず時間をかければ狩れる。少なくとも負けることはないよ」


 とは言え、単なるキンググリズリー相手でもいっぱいいっぱいなパーティーばかりの中で、さらに上位種もとなると、対応できる戦力は限られてくる。


 ましてや、仮に乱戦ともなれば、不慣れな状況に実力を発揮しきれないこともあるだろう。


 いざというときには、最低限彼らだけでも落ち延びさせねばならない。


 最初からわかっていたとは言え、状況は決して芳しくない。本来守るはずだった身内にリスクを冒させている状況で、果たしてどこまで粘れるだろうか。


「な、なんだあの熊の大群は!? 急いで城門を閉めろ! っておい、持ち場を離れるな!」


「うるせぇっ糞ッタレめ! 薄給で命までかけられるかよ!」


 恐らく、彼らも事前に何一つ受けていないのだろう。突如現れた魔物を前に、何割かの守衛が持ち場を離れ逃走してしまった。


 それでも残った者たちで門を締めようと奮闘しているが、元々ギリギリの人数で回していたこともあってか、今のままではとても間に合いそうにない。


「ちくしょう! このまま城内へと奴らの侵入を許しちまったら、街は大惨事だ!」


「誰でもいい、俺たちに手を貸してくれる奴はいないか!?」


「ここにいるぞ!」


 重なる返事が響くより先に駆け出していた僕らは、彼らに協力しどうにか門を閉ざすことができた。


「冒険者か! おかげで助かったぞ恩に着る! 急いでこの事態を本部に知らせなければーーっうお、な、なんだ!?」


 僕らに礼を告げた彼の言葉は、地響きすら立てるほどの門を揺らす音に遮られた。


 その轟音は、すぐに門のみならず城壁からすら波及しはじめた。異変の原因を突き止めんと城壁に登った守衛は、その見開かれた瞳に映る光景に言葉を失ってしまう。


「そんな、なんだこの魔物の数は……」


「ちくしょう! 閉まりはしたが、押し寄せる量が半端ねェ! これじゃ門どころか城壁すら……っ」


 あとに続いた者もまた、理不尽過ぎる状況に堪らず声を荒げる。


 何も知らされないままに、このような苦境へ投げ入れられてしまっては、彼らの反応も致し方ない。


 しかし、僕たち冒険者は、急場ごしらえとは言えギルドにて準備をすることができていた。


「各々! 城壁に昇り次第迎撃開始!」


「生意気にデカいのもいるが、一頭たりとも中に入れてやるな!」


 そう気勢を上げながら、各自弓や投げ槍、スリングなどを用いて応戦する。


 大量にこしらえた矢や槍、飛ばす石には、それぞれ魔石による効果を付与しておいた。


 それらは着弾と同時に爆発を起こし、周囲のキンググリズリーを巻き込み敵へ多くの被害をもたらしていく。


「す、すげぇ……さして熟練しているわけでもない俺らでも、安定してこの火力……」


「くれぐれも爆風には気をつけろ! うっかり向こうに落ちたら連中の餌だぞ!」


 そうしている間に、先述の道具を使えない者たちが城壁の縁まで行き、今まさにこちらへ登ってくる敵へマジックバッグの中身をぶちまけた。


「街には決して入れないぞ! これでも喰らえ!」


 開き逆さにした口からは、その体積を遥かに超える量の融けた鉛、熱湯、キンググリズリー用に調合した麻痺毒など。


 それらが侵入を企てる魔物どもへと容赦なく降り注ぎ、耳をつんざくような鳴き声が辺りに木霊した。


「スゲェ! 熱々な鉛の滝を、何度も!」


「このマジックバッグ超助かる!」


 繰り返される痛撃の前に、連中は堪らず絶叫を洩らしながら落ちていく。


 それでも後続のキンググリズリーどもは前進をやめようとしない。


 手傷を負った邪魔な仲間を殺してでも、執着心を強く感じさせる目で僕らを睨み上げ続ける。


 そんな中、唐突に後方のキンググリズリーどもが、不快そうな怒声を挙げながらも不自然に割れた。


 何事かと目をやれば、そこには先ほど回った各施設で、魔物避けの魔石を渡してきた作業員たちの姿であった。


「お、おい。あれ、ごみ処理場で働いてた人たちじゃねぇか?」


「生存者がいた! 合図を出すまで門前への攻撃を一度控えろ!」


 指示を出す間も、人数を減らし、負傷者を抱えながら彼らはリーダーである○○を中心に必死で駆けてくる。


「門をォーーーッ!! 開っけろォーーーッ!!」


「む、無理だ! 入れてやりたいのは山々だが、この状況じゃ……っ」


 ○○がボリュームを大にして発した要求に対し、守衛たちの反応も仕方ないものだ。しかし、別に今は門を開けなくてもよい。


 僕は近くにいた冒険者から弓を借り、近くで彼らに手出しをする可能性を持った上位種へ、次々麻痺毒を撃ち込んでいく。


 倒れた際、逃げてきた彼らが下敷きになってしまわぬよう、奴らの体勢や周囲の敵の流れなどに気をつける必要があったが、的が大きいことが幸いし順調に動きを奪えている。


「おいチビ! もう魔石が砕けちまいそうだ! どうすりゃいい!?」


「そのままこっちに! 今引っ張り上げるから、なるべく密集して真ん中へ魔石を置いて!」


「お前ら、あいつの言う通りにしろ! 魔石は真ん中で、できる限り寄って待て!」


 援護する僕に気づいた○○へ伝えると、彼は仕事仲間たちへ指示を飛ばす。


「早くしてくれぇ!? このままじゃ食われちまう!」


 付近にいた上位種はあらかた麻痺させたとは言え、魔石の効果も弱まっているのかキンググリズリーどもはジリジリと彼らへにじり寄っている。


 誤射を防ぐため中央への攻撃を控えさせていることもあり、その勢いは増すばかりだ。


 しかし、どうにか間に合いそうだ。僕は安堵しながら、前世でも度々お世話になった呪術を行使した。


「【荊棘の頸木】!」


 唱えれば、次の瞬間生えてきた蔦が、助けを求める作業員たちの元へ次々伸びていく。


 それらはさながら救命ロープの要領で彼らの体に巻き付き、その体を持ち上げると待ち焦がれた城壁の内側へ運びはじめた。


 そんな彼らへ飛びつこうとしたキンググリズリーどもの足に、蔦は容赦なく絡みつき引き倒す。


「グオオオオオ!」


「悪いなキンググリズリー。今の呪術は人間用なんだ……全員、控えていた正面へ向け、撃てぇ!」


 怒りの咆哮を上げる連中への皮肉とともに、最大限の攻撃を加える。


 哀れ獲物を全て逃してしまったキンググリズリーたちに向け、雨あられとばかりに降り注ぐ矢や石。


 遠距離攻撃の手段を持たない奴らには為す術もなく、その身は次々肉塊へと変わっていく。


 密集させていたこともあり、敵の被害は甚大。まだまだ数は多いとは言え、今ので怯んだか勢いも多少は止まった。


 あとを任せ、今助かった彼らの元へ飛び降りると、何やら怒った作業員の何人かが守衛に怒りをぶつけている。


「手前ぇこの野郎! さっき俺らを見捨てるつもりだったろ!」


「あ、あの状況じゃどうしようもなかったんだ! やめてくれ!」


「今のに関しちゃ、この人間の言ってる通りだ。門を開けてたら、せっかく安全な内側まで魔物どもに侵されてた。堪えろ」


「だって、人間は俺らを置いて逃げたんだぞ!?」


 揉めている最中ではあるが、僕は間に入って仲裁をしている○○へ話しかけた。


「よく生還した。ここはなんとかするから、急ぎ避難先へ向かってくれ」


「間に合わなかった奴も大勢いたがな。だが、お前のおかげだ」


「残念です。ところで、さっき怒っていた彼が言っていたのは」


 仲間を諌める冷静さを持つ彼ではあったが、それでも相槌を打つ際の瞳は暗いものだった。


「あの糞所長、魔力災害なんぞ起きないとか抜かしながら、事が起きれば手前は真っ先に逃げやがったんだ。見なかったか」


「バイコーンに牽かれた馬車が通りました」


 やはり、先ほどの出来事はそういうことだったのか。


 呆れながらも、○○が引き連れて来た中に何人か人間の姿があることを確認する。


 彼と知り合ったのは今日が初めてだが、人の上に立つ者としてふさわしい方はどちらかと尋ねられたら、答えるまでもなく彼を選ぶだろう。


 そんなことを思っていると、控えてもらっていた東地区の神官が声をかけてきた。


「ショーティ君、魔道具の使い方、これでいいの?」


「大丈夫です。彼らと話してみて下さい」


 若い神官は強く緊張した様子ではあるが、一度咳払いをしたのち、意を決して彼らへ話しかける。


「私は東地区にある教会の者です。今から皆さんを、避難先である当教会までお連れします。ついて来て下さい」


「……その子が付けてる魔道具も、お前が作ったのか?」


「翻訳用に使える上質な魔石は限られてる。この魔力災害が終わる頃には、魔石が手に入ったとしても破棄しなきゃならない」


 何故か○○は、彼女へ返事を返すより先に、僕へ質問を投げかけてきた。


 なので意図を汲み取って答えたつもりだったのだが、そういうことを聞いてるんじゃねぇんだけどな……と、何故か呆れた様子で一人ごちられる。


「その、ショーティ君はちょっと普通の子じゃないので、そういうものだと受け入れたほうがいいと思います」


「嬢ちゃんの言う通りみたいだな。わかった。案内してくれ」


 僕、普通の子じゃないのか。本人の前で、僕の気持ちを考えず納得し合う二人に、内心腑に落ちない思いが沸き上がってくる。


「大変です! こちらと反対側の門で、トラブルが起きています!」


 そんなとき、ギルド職員の異常を知らせる報告が届いてきた。僕はデイヴィたちと顔を見合せ、今からそちらへ向かうことを確認し合う。


「坊主、助かったぜ。あとで一杯奢らせろよ」


「おいガキ、お前の忠告の通りだったな。死ぬなよ」


 礼を言いながら神官に引率されていく彼らと別れ、門を他の冒険者たちに任せた僕たちは反対側の門へと向かった。



「おい、俺を誰だと思ってるんだ! さっさと門を開けろ!」


「やめて下さい! 今向こうには魔物が溢れているんですよ!?」


「俺たちが通ったらすぐに締めたらいいじゃないか! そんなこともわからんのか!」


「無茶言わないで下さい! さっき門を閉ざすだけでも、冒険者たちが手伝ってなお間一髪だったのに!」


 辿り着いた反対側の門では、流麗な装飾に彩られた馬車がいくつも並んでおり、身なりはよくとも顔を真っ赤にした男が門番を困らせていた。


「あれ、何があったんですか」


「街を出るから閉めた門を開けろとさ。まったく、これだから勘違いした金持ちどもは……」


 近くにいた冒険者に話を聞くと、彼は呆れた様子で喚き立てる男を見ていた。


「貴様ら、所属と名前を言え!」


「……なぜ今それを言う必要があるんですか」


「言えと言っているのだから早くしろ! どうせ後で調べられることだ。貴様らだけでなく、貴様らの親兄弟まで無事では済まさんぞ!」


「あんた正気か! 魔物が入ってきたら、俺らやここに住んでる連中はどうなるんだよ!」


 とうとう抑えられなくなった若い守衛に、男は冷たく吐き捨てた。


「知ったことか。俺が住んでいる場所はここの城壁より頑丈な壁に囲まれ、君たちより優れた警備兵を自分たちで雇っている。そこでの安全で清潔な暮らしを手に入れるため、いったいどれだけの努力を積み重ねてきたか貴様にわかるか? 貴様は俺に比べいったいどれだけ努力してきたんだ?」


 予想外の言葉に唖然とする若い守衛を鼻で嗤いながら、男は勝ち誇った顔で言葉を続ける。


「お前らは黙って俺たちの言う通りに動くべきなのだ。不満があるなら、なぜ今の暮らしに落ち着くまでに現状を変えようと努力しなかった? 開けたら自分たちが危険だなんて私には関係のない話。例え貴様らがどうなろうと、それは貴様ら自身の自己責任。さあ、早く開けろ」


 なるほど、たしかに彼らが乗っている馬車は、僕がいた時代よりも進んだ技術でしっかりと強化されている。


 複数体の上位種に囲まれたらどうなるかはさておき、少なくともキンググリズリー程度であれば破壊されることはないだろう。


 それを牽く見事なバイコーンの屈強さを見ても、馬車の中にいる自分たちは安全を確保したまま街を走り去れるはずだ。


 さらには、周囲に連れている体格から装備まで守衛より勝った護衛たちを展開して、バイコーンに跨がった彼らをキンググリズリーとその上位種に当てる。


 そうして彼らは無事、悠々と街を出られる腹積もりなのかも知れない。


 実際危険はあっても、無事抜けられる可能性のほうが高いのだろう。だがーー。


「このまま街にいては、外の魔物が片付くまで留め置かれることになるじゃないか! 私にそんな不便を味合わせるつもりか! さっさと開けろ!」


 前世の頃も、ああいう絶望的に情動をコントロールできない奴は多々見てきたが、さすがに酷すぎる。


 あれに比べたら、同じ暴利を貪る側でもヤクザ者たちのほうが幾分マシに思えた。


「もういい、ここまで言ってやっても理解できないというなら、こっちにも考えがある。行け!」


 男は一方的に会話を打ちきると、馬車に繋がれていたバイコーンのうちの一頭を解き、なんと門へ向かって一目散に駆けさせたのだ。


「危ない! 避けろ!」


 悲鳴とともに、命からがら守衛たちはバイコーンの身の毛もよだつ突進をかわす。


 中には動けていない者もいるが、とりあえずは全員五体満足でいるようだ。


 しかし、まだ問題は終わっていない。放たれたバイコーンは依然として、門に向かっての直進を続けている。


 このままでは、門が破壊されるのみならず、衝突時の衝撃によって、城壁の上で今も応戦を続けている冒険者たちが落とされかねない。


「ハハッ! バイコーン一頭潰れようと、それで皆の活路を開けるなら、私はちっとも惜しくなどない! さあ、早く門を抉じ開けろ!」


 事実、一頭失ったところでまだ有り余る馬力を有するであろう馬車に戻った男は、まるで気が触れたかのような言葉を口走る。


「馬車がぶつかるぞ! 何でもいいからしがみつけ!」


 そう指示を出しながら、僕は門へ向け天を穿つためにあるかのような二本の角を向けるバイコーンの前へ、強引に植物の壁を作る。


 当然、こんな材質にも拘っていない急ごしらえでは、見事に隆々とした体躯を誇るバイコーンを止めることなど不可能だ。


 実際、奴は突如目の前に現れた壁に激突してもなお前進を続け、そして周囲にひしゃげるような轟音を響かせた。


 向こう側で壁を引っ掻いていたキンググリズリーどもですら、驚きの声を上げるほどの威力。


 僕は落ちかけた冒険者や守衛たちに蔦を伸ばし、キンググリズリーどもがごった返しているであろう向こう側へ落ちてしまうことをどうにか回避させた。


「あ、ああ……なんてことだ……あんな衝撃で、門が持っているはずがない……」


「ガハハ! それ見たことか! では皆の衆、先陣を切る私に続けーーあれ?」


 この世の終わりとばかりに守衛が膝をつく。数えきれぬほどのキンググリズリー、しかも中には上位種も混ざっているともなれば、当然の反応だろう。


 しかし、未だキンググリズリーどもが入ってくる様子はない。土埃が晴れると、そこには一応無事な門と、城壁へ派手に突っ込まされ這う這うの体なバイコーンの姿があった。


「も、門が無事だ……そんな、そん……どうして……」


「ど、どういうことだ! バイコーンは門へ向け直進させたはず! なのになぜ!?」


 理由など答えるまでもない。壁は最初からバイコーンを受け止めるためではなく、方向を変えさせるために作ったのだ。


 斜めに設置したうえで、その繊維の編み方も自然と力が流れてしまうよう組ませてもらった。


 本来なら、こんな妥協策的な手段を取らずとも正面から受け止めたいところだったのだが、情けないことに今の体ではこれが限界のようだ。


「ちくしょう! こうなったらもう一頭バイコーンを潰してでも……っ」


「ーーもう、いい加減になさられては」


 男の白い首に、僕は剣を突きつける。僕が近づくことに気づけなかった男は、周囲を見渡し驚愕する。


「ご、護衛ども、早く起きて私を助けろ! この無礼なガキの首をーーひぃっ!」


「手間をかけさせるな。他の連中もだ」


 少し血を滲ませてやっただけで、男は平静を失いパニックを起こす。暴れられても面倒なので、【荊棘の頸木】で他の面々ともども馬車から引き摺り下ろして縛り上げてやった。


「守衛さん、あとはよろしくお願いしますね」


「あ、ああ……」


「手前ェこのガキ! こんなことをしてタダで済むと思ってるのか!」


 まあ、タダでは済まないだろうが、この程度の連中ならどうにか切り抜けられるだろう。


 護衛も油断に助けられたとは言え、副部長に比べたら弱そうな奴らばかりだったし。


「あとで覚えておけよ! ガキだからって甘く見て貰えるとでも思ってるなら大間違いだぞ!」


「すぐ弁護士に話をつけて貰って出られるんだからな! そんときは、お前、生きたまま皮を剥いで死んだほうがマシな苦しみを……」


「ああ、もう黙って連れて行かれろ。ほれ」


 あまりの見苦しさに耐えられなくなったので、僕はこの体では未熟なままの【幻覚による酩酊】を行使する。


 精度もへったくれもない呪術を加減なく使われてしまった彼らは、一様に瞳を力なく曇らせ、口をぼんやりと開きながら大人しくなった。


「お、おいショーティ。お前こいつらに何したんだ……?」


「なんだか全員、魂を抜かれてしまったようなのです……」


「幻を見せてる、と言いたいところだけど、単に意識を混濁させただけだよ。ちなみに前後の記憶もおかしくなるから、しばらくは大人しくしてくれると思う」


 別に廃人にまではならないだろう。こんな前世でも飽き飽きるほど見てきた連中、例え魔物の餌になろうが心一つ痛みはしないが、それでは守衛たちも困るだろうし。


「そ、そう……おかしくしちゃったのね……」


「これがドルイドの呪術……実際に目の当たりにすると、思わず身震いしてしまうな」


 いや、こんな失敗例を凄い技術みたいに言われると、ドルイドの呪術を誤解されたみたいで複雑なんだけど……まあ、今はこの状況をどうにかしなければ。


「守衛さん、こいつら連れてっちゃって下さい。素直になったはずですので」


「あ、ああ……今行くよ……」


 そう言ってお縄になった富裕層を移送する彼らではあったが、その反応はやはり引き気味のものであった。



 厄介者たちが消えたあと、僕らは街を守るために為すべきことを為した。


 バイコーン激突の際、うっかり鉛や熱湯、麻痺毒を浴びてしまった者たちの治療や、迎撃用のマジックバッグのみならず向こう側へ喪失してしまった矢、石などの補填。


 魔力的に少し厳しく、ポーションを飲みながら状況を整える羽目になったが、そんな慌ただしい状況もようやく一段落しかけた頃。


 多少状況に慣れはじめた僕らに、次なる危機が訪れた。


「あれ、さっきバイコーンは当たらなかったはずの門のところ、ヒビが入ってるんじゃないか? おーい坊主、ちょっと見てくれ!」


 守衛の呼び掛けに応え、指差された箇所をどれと見いやれば、たしかにそこには細い亀裂が入っていた。


 おそらく、直撃は避けたとは言え屈強なバイコーンによる突進で間違いなくダメージを負い、そこに向こう側から加えられたキンググリズリーどもの圧力も合わさって生じたものなのだろう。


 一応門も直したはずだったが、こちらの門は近年補修されたか経年劣化こそしていないものの、半端な職人にでも依頼したのか作りが甘く、素材の材質も加工も悪かったせいで呪術による効果も発揮しずらい。


 そこに負傷者の手当てなども加わり、その場ですぐに念には念を入れての補強ができていなかったのだ。


 幸い、今は手元にポーションもある。僕は体が小さくなってしまったことで、少しキツくなってしまった一気飲みにより涸渇した魔力を満たし、疲弊した魔力回路を修復した。


「今直しますので、少し下がってーー」


 そうして城壁や、念には念を入れ壁の補修に取り掛かろうとしたとき、何やら頭上から慌てふためくような声が降ってきた。


「な、何かデカいのが、うわあああ!?」


 総毛立つような寒気を感じた僕は、近くにいた守衛を抱えて後方への退避を試みる。


 しかし次の瞬間、激震とともに門は破壊され、その際恥ずかしながら巻き込まれる形になってしまった僕は、守衛とともに近くの地面に倒れ伏した。


「しょ、ショーティっ、待ってろ、今助けてやるからーー」


「待って! なに、あの大きいの……ッ」


 やられておいて格好もつかないが、無闇に近寄らないのは正解だ。


 門どころか、近くの城壁まで巻き込んで破壊してくれたそいつは、キンググリズリーどころかその上位種よりさらに大きく、そして獰猛さを隠さぬ姿形をしていた。


「な、なんなんだよこの化け物……っ」


「クイーングリズリーか……にしても、このサイズはちょっとな……」


 吹き飛ばされ負った負傷を最低限治癒でごまかし、僕は再度守衛とともに離脱を計る。


 大きく振られた、山さえ削り取ってしまいそうな巨大な爪は、さながら大型な魔導重機のよう。


 唸るそれは、避けても身のすくむ突風を起こし、奴が破壊した瓦礫を広範囲に撒き散らかす。


 それでも奴は大型だ。力だけでなく速さも持っているが、小回りまでは効いてこない。


 動きを読み、周囲を巻き込まないためとは言え不細工な大きいステップでギリギリかわし続け、僕はどうにか仲間たちの元まで辿り着いた。


「全員、頭を低くしながら至急この場を離れろ! 兜を付けていても瓦礫に持っていかれかねんぞ!」


 エルシィさんが全体の混乱を落ち着かせようと指示を飛ばす中、僕は腰を抜かしてしまったらしい守衛の男を一旦下ろす。


「この人頼む。俺は時間を稼いでくるから」


「は、はい……って、ショーティさん、その腕……っ」


 言葉を失うソフィアの視線の先を見れば、なんと僕の腕は骨が覗き千切れかけていた。


 直撃自体は避けられたとは言え、少し爪が掠ってしまったのかも知れない。


「大丈夫! すぐ行くから、みんなを連れて逃げて」


「け、けど、その腕じゃ……っ」


「問題ない、俺に考えがある」


 絶句する仲間たちではあるが、しかし今は立ち止まっている暇などない。


 僕の言葉を信じたか、動けない守衛の男を背負い彼らは先に逃走する。残ったのは、もう肉片に変えられてしまった者と迫り来るクイーングリズリー。


 そして、最低限腕がもげぬよう【荊棘の頸木】で無理矢理固定しただけの僕。治癒したいのは山々だが、そんな余裕はなさそうだ。


 屋根に上がり、ときにそこを飛び移りながら攻撃を避けつつ距離を詰めた僕は、城壁から奴の顔の高さまで高く飛ぶ。


 空中での僕をいい的だと思ったのか、ほくそ笑みながら横降りに爪を振るうクイーングリズリー。


 しかし、その爪が僕を捉えることはない。なぜなら事前に、旗を掲揚するポールに引っ掛けた蔦を縮め、奴が予想だにもしていなかった空中での回避を成功させたからだ。


 その際風を切るどころか真空まで作っていそうな空振りが蔦を切ってしまったが、しかしポールに繋がるそれは、既に役目を負えている。


 瞠目するクイーングリズリーへ向け、僕は収納魔法から今日のための取って置きを握り、思い切り投げつけてやった。


「いっぺん不意打ちが成功したぐらいで、調子に乗るなよ!」


「があああああ!?」


 無事直撃したことを確認した僕も、着地と同時にその場を一目散に逃走した。


 とりあえず、それ以上のキンググリズリーどもの流入を防ぐために、収納魔法に納めていた丸太や角材で最大限頑強な壁を作り、城壁を補修する。


 そうして目につくキンググリズリーどもを片っ端から切り捨てながらある程度の場所まで移動すると、奥まで侵入したキンググリズリーを始末していたらしい仲間たちが出迎えてくれる。


「ショーティ! よく生きてた!」


「さっきの見てたわよ! あんな無茶して!」


「早く腕を見せて下さい! ポーションであればこちらに!」


「中にキンググリズリーどもが入り込んで来たが、上位種含め今始末している最中だ。腕の状態はどうだ」


 今、試してみます。そう返事を返しながら、蓋を開けて貰ったポーションを次々飲み下しては治癒を行使できる状態を作っていく。


 幸い実行したところ、まだ元通りに動かせる気配こそないものの、腕の形状自体はどうにか元通りになった。


 正直助かったな。そう一安心しかけたとき、思いの外大きな喝采を上げた仲間たちに驚く。


「ちゃんと治ったか!? もっとよく見せてみろ!」


「よかった……いくらショーティでも、腕がなくなっちゃうかと……」


「い、いや、大げさでしょ。あれぐらい大したことーー」


「大したことです! さっきの守衛の方も、大変気に病んでいたのです!」


 目尻を拭うハーティの様子に驚いて言ってしまったのだが、即座にソフィアから、珍しく大声で窘められてしまった。


「正直私も、ショーティ君が生還を諦め最期の力で時間稼ぎをしているのではと不安に思っていたんだ。すまない、君のことを疑ってしまって」


「し、仕方ないっすよエルシィさん。あんな馬鹿でっかいの相手に単身で挑むとか、ショーティでもない限り普通無理なんだし」


 なんのかんのと言いながらも喜んでくれる、そんな仲間たちの姿がこそばゆい。どういうわけか、助からなかった前世での最期を思い出してしまうな……。


「ま、まあ、無事繋がってくれてよかったよ。取れかけとは言え、一応はくっついてたのが幸いしたのかな」


 神官の法術と違い、基本的にドルイドの治癒は欠損までは治せない。とくに腕ともなると、元の形に戻せた例は、少なくとも僕が知る限り一度もない。


 別にベサント司教たちを悪く言いたいわけではないが、並の法術では繋げてからさらに動かせるようになるまで、多くの時間を要したことだろう。


 当然、その間冒険者や住人の治療は行えなえず、自分で言うのもなんだが僕という最大戦力が失われたことにより、最終的に救えた人命はずっと少なくなっていたに違いない。


 また、運良く助かった者たちであっても、治療の遅れやその不十分さによって、残りの人生を後遺症を抱えて生きる羽目になっていたはずだ。


 損傷具合次第では、下手をすると一生繋がらなかった可能性もあった。


 それを思えば、自前で繋げることができて本当によかった。この前教会で形ばかりとは言え祈ったのが効いたのだろうか。


 動きはぎこちないとは言え、呪術を用いて木や蔦を

補助具のように使えば、どうにか戦うこともできるだろう。


 それにしても、上位個体のみならずクイーングリズリー、しかもあれだけ強化された個体が出てきてしまうとは。


 一応出るかもと覚悟はしていたのだが、あの規模が出てくるとは完全に予想外だ。未曾有の魔力災害が起きてしまっていると言ってもいいだろう。


「ところで、これからどうするんだ?」


「とりあえず壁はどうにか塞いだから、他にも入り込んでる個体を駆除しながら、状態を整えてクイーングリズリーを討つ。さっき麻痺毒を食らわせたばかりで、今はまだ動けないはず。その間に避難を済ませつつギルドへ戻ってーー」


 話していると、不意に仲間たちの視線が、僕より後方へと流れていく。その目は、困惑と恐怖がありありと浮かんでいた。


「ね、ねえショーティ。さっきの大きな熊の魔物は、当分動けないはずなのよね……」


「で、では、あそこで起き上がったのはいったい……」


 まさかと思い振り返れば、そこには先ほど毒を受け、その巨体を地面へどうと倒れ伏させていたはずの、見紛うことなきクイーングリズリーであった。


「ウソ、そんな……そん……」


 たしかに効果は出ていたはずだ。普通の個体はもちろん、上位種ですら最悪あれだけで死に至らしめることのできる秘蔵っ子。


 なのに僕らの視線の向こうでは、クイーングリズリーが時折転びながらも、倒れた先にある建物を瓦礫に変える覚束ない足取りとは言え、じりじりと街の中心部へ向かい動くことができている。


 単純なサイズや強さのみならず、毒の耐性なども含め全面的に強化された個体。


 自然の手入れを怠り、高出力の魔道具を適切に運用しなかったことなどが重なってしまったせいで、とんでもない規格外が誕生してしまった。


「で、でもさ、あんだけ弱ってるなら、そのうち毒で死ぬんじゃねぇか……?」


「ど、どうなんですか、ショーティさん」


「……その可能性もなくはないだろうけど、それ以上に体内で解毒されてしまう可能性のほうがよほど高い」


 あれをもう一度作るような猶予はなく、仮に近いものを作れたとしても、クイーングリズリーに耐性ができていたなら、効果もあまり期待できないだろう。


 全員で黙り込んでいると、遠くから誰かの悲鳴が聞こえてきた。


 恐らく、街のほうからだろう。討ち漏らしか、それとも、別のルートから侵入されたか。


「時間の余裕がない。一刻も早く避難を終わらせて、クイーングリズリーを討つ体勢を整えよう」


 僅か数秒の沈黙でも、数時間の経過と体が勘違いしてしまう。それほど対処しなければならないハードルは上がってしまっている。


「大丈夫。倒すだけなら俺がなんとかできる範囲だ。そのとき生きてる人が一人でも多くなってるように、頑張ろう」


 半信半疑と言った様子ではあるが、それでも意義を唱える者は一人もいなかった。



 街のほうへ向かいながらも、僕はまだ足元が覚束ないクイーンが上手く進めないよう、街中に壁を作っていった。


 高さはそれほどではないが、奴の巨体が通り抜けにくかったり、足が引っ掛かってしまうよう収納魔法に残った木材を加工しては、それを適時配置していく。


「ねえショーティ、その壁ってどれぐらい持つものなの?」


「まともな状態の城壁に比べたら、耐久性自体は低いよ。あくまで弱ってる敵相手に、進行を遅らせるためでしかない」


 そう答えながら、まだ逃げ切れていない人が立ち往生せずに済むよう、人が抜けられる隙間へと導く矢印を刻んでおく。


 幸い、クイーングリズリーの動きは未だ遅々たるものだ。あの調子であれば、今している小細工も多少の意味を持ってくれることだろう。


 そうしながら、徐々に怒号や悲鳴が近づいてくるのを感じつつ辿り着いた街中は、既に逃げ惑う人々でごった返していた。


「落ち着け! 慌てずに騒ぎが収まるまで家で大人しくしていろ!」


「家で大人しくしていろだって! 家ならあの熊の魔物に滅茶苦茶にされちまったよ! 適当なこと言うんじゃねぇ!」


 落ち着けようとした守衛が、街の人たちに掴みかかられていた。彼自身、現在の状況を把握できずにいるのだろう。


 それに加え、事前に警戒を促す流れすらなかったせいで、皆パニックを起こしている。


 他人を押し退けてでも進もうとする人たちによって、怪我人まで出ているようだ。


「お、おい。あそこ、ちょっとまずいんじゃないか……?」


 デイヴィが指すほうを見れば、そこには周囲よりさらに一層圧の高まった密集があった。


「誰だ押してるのは! もう押すのはやめてくれ!」


「お願い押さないで! このままじゃお腹の子がーー」


「おい、早く進めよ! ほら、いつまでも止まってるな!」


 既に尋常ではない絶叫や痛みを訴える声が響く中、地震かと錯覚するような地響きが伝わってきた。


 クイーングリズリーが、僕の設置した最初のトラップに引っ掛かり、派手に転んだのだ。


 上手く起き上がることもできず、辛そうな奴の呻き声がこちらまで届いてくる。


 事情を知っている僕らにとっては、作戦が上手くいっていることの証明だ。


 しかし、突如日常を破壊した出来事から逃げる最中の人々にとって、それは既に極限まで高まっていた不安を増幅させるものでしかなかった。


 さらにボリュームを上げる人々の声。そして人を押す圧力はピークに達し、遂に危険と目されていた地点から、大勢が続けざまに倒れはじめてしまった。


「まずい、将棋倒しだ!」


「エルシィさん、あとは頼みます!」


 言い残して屋根へ登り、惨事の現場に辿り着いた僕は範囲治癒を行使した。


 この体では、まだまだ使えるようになったばかり。精度も低く、魔力の消費も不慣れな現状通常より激しいのだが、かといって放っておくこともできない。


 一々数えてもいられないため、おおよそ命に別状がなさそうな頃合いで切り上げ、これ以上惨事が広まらないよう【荊棘の頸木】で行動を制限する。


「な、なんだこの蔦は! 動けねぇ!」


「皆さん、落ち着いて下さい! クイーングリズリーは麻痺毒によって現時点では満足に動けない状態です!」


「あの少年の言う通りです! 急がずとも、避難先まで十分間に合います!」


 エルシィさんが引き継いでくれたので、その間にまだ負傷が重そうな人を見つけては治癒をかけていく。


 しかし彼女の指示も、やり場のない込み上げるものをぶつけるような怒声に掻き消されてしまった。


「今現れた蔦は、あくまで負傷者を出さないための措置であって皆さんに危害を加えるためのものではありません! キンググリズリーが現れても我々が皆さんを守ります! ですから指示に従ってーー」


「うるせぇ! ごちゃごちゃ言ってないで、さっさとこの拘束を解きやがれ!」


「そうよ! 私たちのほうが先に避難をはじめたのに、なんで遅れた人たちに合わせて動かなきゃならないのよ!」


「お前ら冒険者だろ! 俺ら真面目に働いてる人間に命令してる暇があったら、今すぐ街を襲ってる魔物を全滅させて来い!」


 冷静になれば誰でもわかるような無茶を言う市民たち。あくまでエルシィさんは感情的にならぬよう対応するが、続く言葉にはさすがに一瞬言い淀んだ。


「落ち着いて下さい! ギルドは現在街の協力を申し出てくれた教会などと連携しながら、街を脅かす魔物に対応しています! ですのでそれが終わるまで、皆さんにもご協力をーー」


「おい、あれ○○の娘じゃないか? あの地元のギルドと癒着してたって不祥事で没落した貴族の」


「本当だ、俺見たことあるぞ。娼婦になって客でも取ってるのかと思っていたが、冒険者なんかに落ちぶれてたのか。私腹肥やしてた汚ならしい家の娘にはお似合いって感じだな」


 家を侮辱され、さすがに表情が引きつった様子をしめたと思ったか、野次はさらに喜色ばんだ残忍なものになっていく。


「……皆さん、我々はあなた方の安全を考えーー」


「やい○○家の娘よく聞け! 未だに貴族様気取りを続けてるのかも知れないけどな! 家柄のないお前なんか魔物の餌になるのがお似合いだ! 所詮は俺たち以下の冒険者なんだよ!」


「俺たちに上から命令して悦に入ってる暇があるなら、街を守るために魔物と刺し違えて死んでこい! この役立たずども!」


「手前らが使えないせいで家も明日からの仕事も全部台無しになっちまったよ! お前らこれ済んだら、どう責任取ってくれるつもりなんだ!?」


 罵声を繰り返すうち調子づいてきたか、民衆の過激派は徐々に蔦をちぎって詰め寄ろうとするなど、危険な雰囲気を醸しはじめた。


 先ほどまで怒鳴られていた守衛の姿は、どこかへ消えてしまった。ターゲットが移ったのを幸いとばかりに、どこかへ消えてしまったのだろう。


 焦りを募らせるエルシィさんを庇うよう、三人が前に立って守る体勢を取る。そんな彼らにも、いつしか容赦なく罵声が浴びせられ出した。


「あんたらいい加減にしろよ! エルシィさんは今でも街のために頑張ってるんだぞ!」


「縁談断ってまで、毎日魔物の駆除に勤しんでるのに、ちょっとは感謝したらどうなのよ!」


「今街が襲われているのはエルシィさんの責任じゃありません! 酷いことを言った人たちは、ちゃんと謝って下さい!」


「みんな……」


 順調に仲間意識が育っていることは喜ばしいのだが、しかし今回ばかりは、怒りの捌け口を求める民衆に油を注ぐ結果となってしまった。


「なんだと、この糞ガキども! お前らもそのお貴族様の味方なのか!」


「はっ、あの年齢で冒険者なんかやってるんだ。おおかた乞食や浮浪児レベルのゴミクズなんだろうぜ!」


「おいガキども! 子供だからって加減して貰えるなんて思ってるなら大間違いだぞ! 手始めにそこの小さいメスガキからぶっ殺してやろうか!」


 この言葉に堪りかねたか、デイヴィが剣に手をかけてしまう。


「人の妹によくも……っ、手前ら指一本でも触れてみろ! 生まれてきたことを後悔させてやる!」


「っ、待て、デイヴィ君!」


 気づいたエルシィさんが止めたときには、既に民衆の過激派も抑えが効かなくなっていた。


 もし拘束がなかったなら、今頃とっくに刃傷沙汰が起きていることだろう。


 幸い、魔力量は分水嶺に差し掛かっているものの、まだ危険域にまでは到達していない。


 【荊棘の頸木】を行使していられる限り、殺し合いがはじまることはない。


 それでも、今のやり取りで収束の目処はさらに立たなくなってしまった。


 圧死などの危険はなくなったとは言え、今のまま避難が滞っては大勢が死ぬことになる。


 そうこうしているうち、過激派を止めこそしないものの、野次に加わらず事の行く末を見守っていた敵対的でない避難民たちも、ぽつぽつと主張をはじめ出した。


「ねえ、あなた○○家のエルシィ嬢よね、覚えているかしら」


「え……あ、はい。その節は」


「まあ、だいぶ昔の事なのに嬉しいわ。実は私たち、用事があって街に出ているうちに、こんなことになってしまって……」


「今、冒険者をしているんだろう? 我々が暮らしている地区、その壁の内側まで私と家内を連れて行ってはもらえないだろうか」


「勿論、謝礼は不足のない額を払うわ。それに今回の騒ぎが落ち着くまでの間、あなたたちのことも敷地内で保護してあげる。ね、悪くない話でしょう?」


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺の叔父は議員をしているんだ! 金は払うし君の家の再興のことも相談してみる! だから助けてくれぇ!」


 他にも、富裕層と見られるこの街の住人や観光客たちが、エルシィさんへ頻りに護衛の依頼を打診しはじめた。


「私も商会の会長を務めているんだ、議員にも知り合いは多いし、違う街ではあるが冒険者ギルドの支部長とも馴染みだから君たちの役に立てるだろう。だからどうか、助けると思って外まで……」


「お、お気持ちはありがたいのですが、まずは皆さんを安全な場所までーー」


「おい、結局金持ちの味方か! 俺たちのためなどと抜かしても所詮は貴族、貧乏人なんか眼中にないってか?」


「気にすることはないわ。こんな酷い人たちは置いておいて、さあ行きましょう。私たちが住む地区の壁は、こんな人たちを守る城壁より高くて頑丈なんだから」


 他にも、三人へ謝礼の交渉をはじめようとしたり、僕へ向け治療を催促する声が上がったりと、無思慮な過激派の空気に当てられた普通の人たちまでが、無軌道な振る舞いをはじめる始末。


「なあ、あの危ない奴らだけ置いてさっさと行っちまおうぜ」


「誰かが俺の財布をスリやがったんだ! 早く犯人を見つけてくれ!」


「おいそこの糞チビ! この蔦を出しやがったの手前だろ! ふざけんな早く解けこの野郎!」


 さすがにこれでは、収拾がつかない。僕は仕方なく、【荊棘の頸木】の材質を、蔦から荊棘へ変える準備をはじめた。


 一度高圧的に接して、恐怖で従える以外ない。こうしている間にも、時間は浪費されクイーングリズリーもこちらに近づいてきている。


 締め上げても言うことを聞かないものがいれば、何人か斬りつけてでも従順にさせよう。


 欠損さえなければあとで治せるし、のちに難癖をつけてきたなら、先ほど勘違いした金持ちにしてやったように頭を弄ってやればいい。


 そうして、僕の身内を愚弄した過激派へいざ実行してやろうとしたとき、何か金属を打ち鳴らすような甲高い音が響き渡った。


「お前ら今の状況わかってるか? いつまでこんな場所で油売ってるつもりだよ」


 見ればそこには、この前教会に来たヤクザ者たちの姿があった。各々武器を携え、数もある程度揃っている。


「挙げ句、体張ってる若い奴ら相手に憂さ晴らしか。街のレベルは市民のレベルとは言うが、悲しいほどに納得しちまうぜ」


「なんだあ手前! 急にしゃしゃり出てきて抜かし腐りーー」


 言い返しかけた男の足に、容赦なく鈍器が振るわれた。元々蔦で拘束されているうえ、周囲に人が密集しているため避けられるはずもない。


 鈍い音とともに、男の脛からは骨が突き出た。痛みに絶叫する男の顔に革靴がめり込み、歯がポップコーンのように弾け飛ぶ。


「がああああ!?」


「うるせぇ! 静かにしろ!」


 小さく上がった悲鳴に対し、ヤクザ者の手下たちがそれぞれ散らばって市民たちへの恫喝を開始した。


 もはや、好き勝手に私語をはじめる市民はどこにもいない。


 恐怖のあまり泣いてしまった子供を必死に宥める親の声が微かに聞こえてくる中、最初に歯向かった男を痛めつけていたヤクザ者が僕のほうへと振り返る。


「よう坊主、魔物退治から暴漢の拘束までよく働いてくれてるなあ」


 自業自得とは言え、先ほどまで容赦のない暴力を振るわれていた男は、倒れ伏したまま動く気配もない。


 朗らかな笑みを貼りつけた男は、次いで僕の仲間たちにそれを向ける。


 語る調子も、ついさっきまで声を張り上げていたものとはまるで違う、わざとらしいほど屈託のないもの。


「嬢ちゃんたちも大変だったろう。俺たちが来たからには、もう心配ないからなあ?」


 ヤクザ者と対面している四人の顔は、エルシィさんも含め民衆に詰られていたときより強く強張っていた。


 緊張と緩和。それを暴力づくの外連味(けれんみ)で演出するヤクザ者の手腕自体は見事なものだ。


 例え現時点で自身に敵意が向いてなくとも、機嫌を損ねればどんな目に遭わされるか。


 それを想像させることでペースを握る、脅しを武器にしたやり口は正直好ましいものではない。


 しかし、今回ばかりは彼の貫目に助けられた。まだ幼さが残る僕らや、若くスマートでこそあるものの押しの強いタイプとは言い難いエルシィさんでは、正攻法での対処に限界を迎えていたのは事実なのだから。


「お前、回復魔法もそれだけ使えるのか。ますますウチに欲しいなあ」


 歯のない顎を砕かれた男に治癒をかけるとまだ反応があったので、最低限自力で移動できる程度に治してやっていると、ヤクザ者が感心した様子で声をかけてきた。


「あの溶けた鉛が入ったマジックバッグもえげつなかったしよ。俺たちも用意したかったぐらいだぜ」


「……なんのことでしょう」


 一応、今回使用されている魔道具の数々は、一定時間で自然と効果を失うよう事前に細工を施している。


 よほどの術士や、それに匹敵する者でもヤクザ者たちの側にいない限り、証拠が掴まれることはないはず。


 そう思いながらしらばっくれると、ヤクザ者はまあいいやと気のなさそうな様子で話題を変えてくる。


「それよりお前、さっき善良な市民相手に抜こうとしてたろ。駄目だぜ、例えば獲物を路地裏に追い込んで仕留めるような強盗相手ならまだしも」


 いい加減、素性や経歴を調べられはじめる頃とは思っていたが、あの件も把握されていたのか。


 もっとも、僕が手にかけた若者たちが『金持ってるガキのカモがいるから、みんなでそいつを狙おう』などと大声で言っていたなら、下手人として僕が目をつけられるのも無理のない話だ。


 こちらも証拠が出ることはないだろうが、さすがに力を発揮し過ぎた。


 いざとなったら力押しでどうとでもなるが、相手の出方次第では面倒なことになるかも知れない。


「おいおい、そんな恐ろしげな目で見るなよ全く。しかし解せねぇな。こんな連中相手に、お前がそこまでしてやる義理もないだろう」


「……死ぬ人間が、少なくなるに越したことはないでしょう。多少痛めつけても、あとで治してやれますし」


「だからって、のちに軋轢を生む結果になろうと手を汚すか。常識知らずな元浮浪児のガキ以前に、普通の発想じゃあねぇぞ、それ。別に正義感が強いってタイプでもないだろう」


 黙って反応を窺っていると、ヤクザ者は小さく溜め息を吐いたのち、少し淡白な口調で短く語った。


「半端な恩情なんぞ示しても、奴らの大半は逆恨みをするだけだ。こっちのほうが立場は上なんだと、そう誇示し続けられないようなら見捨てるほうがいい」


 これは、ヤクザ者なりの忠告なのだろうか。呆気に取られていると、彼は面倒臭そうな顔でタバコに火をつけ、吸った紫煙を鈍色の空へと吹かす。


 嫌にギラついたエネルギーを放たない彼は、少しくたびれた普通の男と変わらないようにさえ見えた。


「少しタイプは違うが、お前も根は無法者って感じだからな。宗教家気質なのか、それとも未来の支配者なのかは知らんが、覚えておいて損はないはずだぜ。こういうことは、知るのが早ければ早いほどいい」


 先ほどとは違う意味で沈黙する僕を横目に見やると、彼は部下へ指示を出したのち、その一挙手一投足へ過敏に反応する民衆のほうへ、再び乾いた作り笑いを向けた。


「さあさ皆さま、もうご心配には及びませんよ。皆さまの身の安全から避難先での生活に至るまで、この○○ファミリーの幹部が一人、○○が(何か大業な四文字熟語)、身命を賭してお守り致します。若くも頼れる冒険者諸君も、道中お供してくれるようですし」


 先行きが不透明な中、せめて要らぬ不興は買わぬように。そんな思惑から、○○と名乗ったヤクザ者を畏怖しながらも従う意向を示す民衆を見下ろし、彼は含みのある表情でほくそ笑んだ。


「では、いざ参ると致しましょう。出きる限り固まって移動して下さい。あまり離れると、危ないので。ね?」



「四時の方向、魔物二体!」


 未だ緊張が抜けていない様子の、若いヤクザ者が声変わりしてすぐの喉で報告してくる。


 後方にはエルシィさん、さらに右側にはハーティもいるので、僕が出向くまでもないだろう。


 とは言え、そのぶん正面から右がやや手薄になる。ヤクザ者たちも散開する形で配置されているが、正直戦力としては、あまり宛にしないほうがいいだろう。


「正面からも二頭! うち一頭はデカいです!」


恐らく自力で冒険者や守衛の配置が手薄な城壁を超えた幸運な上位種と、先ほどクイーングリズリーによる攻撃の際に入り込んだ個体だろう。


「坊主、デカいほう頼むな」


 ○○は部下に持たせていた大剣を受け取り、肩を回しながら僕へ声をかけてきた。


「……平気ですか?」


「ナメてんのか。ほれ、行け」


 まあ、そこまで離れていないから、何かあればすぐ援護に入れるだろう。


 顔を潰すのもよくないので、キンググリズリーのほうがクセもなく○○のほうへと向かえる形になるよう、先陣を切って上位種をさっくり仕留める。


 さて、様子はどうかと振り返れば、彼は思ったより危なげない立ち回りでキンググリズリーを処していた。


 大剣自体の重さと、それを自在に振るえるパワーに物を言わせ、まず肩甲骨を砕いて動きを鈍らせる。


 そうして敵が取れる選択肢を制限してから、首を断って戦闘終了。


 援護の必要はなかったな。途中から幾分警戒を解いて見守っていた僕は、肩で息をしながら手下に汗や返り血を拭かせる彼を讃えた。


「凄いですね」


「……なんだ、嫌みかよ」


 いや、実際素直に感心したんだけど……臍を曲げたのか珍しく不快感を表に出す彼は、悔しそうに見くびられたもんだと呟く。


「そりゃ、昔に比べりゃ衰えたがな。まあ、お前にとっては所詮規模問題だろうが」


 彼はいじけたように言うが、それでも単独でキンググリズリーを倒せる実力は大したものだ。


 伊達にヤクザ者たちの中で、幹部に名を連ねているわけではないということなのだろう。


 そう感心していると、今一つ身につけた武具が様になっていない彼の手下が、こちらへ息を切らしながら走ってきた。


「○○さん、左側後方で負傷者が出ました」


 左側というと、ソフィアが担当しているほうか。


「程度は」


「命に別状はありません。ですが足を砕かれちまって、自力で歩けない様子でして……ポーションでは治りきらねぇんです」


「だらしねぇな。ちょっと行ってくれるか」


 短く聞いた○○は、舌打ちとともにやや苛立った様子で僕へ要請した。


 僕としても、ソフィアや負傷者の様子は気がかりだし、彼の実力も確かめられたので問題はない。


「すぐ戻ります。何かあったら、すぐに呼んで下さい」


 例え上位種が出ようと、先ほどの力を発揮できるなら問題ないだろう。


 複数の上位種を相手取るとなれば、問題も生じてくるだろうが……さすがにここまで来れば、そんな想定もレアケースだろう。僕が戻ってくるまでの時間さえ稼いでくれれば問題ない。


 途中左側を受け持っているハーティに経緯を伝え、念のためやや前方に寄って○○のフォローへ入れるようにしてもらいながら、負傷者の待つ後方へ向かった。



 おおよそ受け持ちのエリアへ近づけば、僕の姿を見つけた若いヤクザ者が駆け足で寄ってきた。


「負傷者は」


「こっちだ。ついてきてくれ」


「……防具の付け方が、少し甘い。それじゃダメージが体に掛かって、内臓が破裂する」


「え、ど、どうしたらいい……」


 こんな事態なのに、なんだかなあ。そんな新兵の世話でもするような思いで直してやり、二人で向かう。


 その先にいた負傷者は、なんと浮浪児時代の僕の顔見知りであった。


「しょ、ショーティか……」


 何となく、気まずい空気が僕らの間に流れる。以前怪我を治してやって以来だが、恐らくあのあと、東地区の教会での生活に馴染めなかったのだろう。


 そうしてヤクザ者の見習いとなり、今回の事態に駆り出された、と言ったところか。


「あっ、ショーティさん。こちらの方がお怪我をされて……」


「熊の魔物に近づいたところを払い退けられて、こうなっちまったんだ。治せるか?」


 たしかに、彼の怪我の具合は、脛から骨が突き出たりと想定していたより程度の重いものであった。


 それでも、先ほどの僕の腕と違い、別に千切れかけというわけではない。ドルイドの【治癒】でも、十分治せる範疇だ。


「お、俺の足、どうなるんだ……?」


「大丈夫。元通りになるよ」


 案の定、【治癒】を行使すれば、彼の足は神官の法術によるものでなくとも、あっさり元の形に戻った。


「すげェ……っ。あんな怪我を、いとも容易く……」


「わあ、よかったですねっ。ポーションが効かなかったときはどうなることかと心配でしたが、これで元通りです」


「あ、あの。治して貰えたことはありがたいんだが、まだ動かせそうにないんだけど……」


 先ほどより弛緩した雰囲気の中、彼はおずおずと、言いずらそうに申し出る。


 見れば上手く立ち上がれずにいるようだが、別に治療に失敗したと言うわけではない。


「治したてだし、損傷の度合いも重度だったからな。元通りになるには、少し時間がかかる」


「私も前に内臓が溢れちゃうぐらいの大怪我をしたのですが、ショーティさんのおかげですっかり元通り。むしろ前より丈夫になったぐらいです。なので大丈夫ですよ」


「まったく、手柄が欲しいとついて来といて、手間かけさせるんじゃねぇよ! おい、おぶってやれ」


 そう怒鳴り付けながらも、指示を受けたヤクザ者のうちの一人が彼を背負ってやっていた。


「あれ? でもショーティさんは腕のお怪我を治療されたあとも、すぐ普段通りに動かれてますよね」


「まだぎこちないんだけど……まあ、仮に取れちゃったとしても、そこは慣れだよ」


 もっとも、前世の頃治療してくれたのはエキスパートの○○※アンジェリンだったので、僕らは手足がもげても『ああ、やっちゃった。またヒーラーに余計な負担をかけてしまうなあ』などと、酷く淡々とした調子だったのだが。


「い、今、取れちゃってもって言わなかったか……?」


「それに慣れって……この坊主、これまでどんな暮らしを……」


 ヤクザ者たちが揃って引いている中、ソフィアだけは険しい目付きを僕へ向けてくる。


「取れでもって……ショーティさん。まさか一人で出没スポットを潰していたときに無理をしたんじゃ」


「ち、違うって。もっと前のことだよ。だいたい俺、みんなの前では常に五体満足だったろ」


「無茶したことに変わりはありません! もう絶対一人でしちゃ駄目です!」


 ええ……前世に遡ってまで叱られるのか。まあ、説明できない以上は仕方ないとは言え……。


「まあ、今後は気をつけることにするよ……」


「素直に反省できて、ショーティさんはとっても偉いですね。これが終わったら、たくさん甘えさせてあげます」


「いや、いい……」


 愛しのお兄ちゃん絡み以外で珍しく声を荒げていたソフィアが、僕のことを抱き寄せようとしてくる。


 かわすと、照れなくてもいいんですよ? などと宣ってくるが、さすがにこんな幼気(いたいけ)な少女に中身三十路のおっさんが甘えるというのは、自分でもキツいものを感じる。


 とは言え、彼女が今口にした照れというのも、一切ないではないのだが。距離を置かず心配してもらえるのも、悪い気はしないし。



「それはそうと、ソフィアの目から見てこっちの人たち、どう?」


 小声で尋ねると、ソフィアは少し周りを気にしたあと、遠慮がちにこう評した。


「その、皆さんとても一生懸命なのですが、魔物との戦闘に不慣れなこともあって、上手く動けないことがあります」


 控えめな彼女にこう言わしめるということは、やはり不慣れな魔物との戦闘に苦戦しているのだろう。


 先ほどハーティと軽く話した際にも、対面した敵に呑まれているうちに先手を打たれたり、逆にビビって不用意に突っ込んでしまったりと、立ち回りの面で拙さが目立ってしまったらしい。


 他にも動きが重複してしまう、気を張り過ぎてしまうなど、初歩的なミスが相次いでいるのは僕のところと同じだ。


「無理もない話とは言え、これだけ装備を揃えられたなら、そっちの訓練もしとけばよかったろうに……」


 小さく溜め息を吐けば、ソフィアが合わせるように言葉を紡ぐ。


「み、皆さん武器も防具も凄いですよね。いつの間に用意していたんでしょう」


「今日のために揃えてたんだと思うよ。街が襲われるのに合わせて、計画を練りながら」


 事実、彼らの装備は基本的に、市街地戦に向いたものばかりだ。


 さらには材質や印された付与も、強力な物理攻撃から身を守るためのもの。


 仮に武闘派の組織や現在が抗争中だったとしても、これだけの人数分を揃えようと思ったら、事前に備えていなければ無理だろう。


「その、襲われる前に手伝っていただくことって、できなかったのでしょうか」


「彼らには、襲われる必要があったんだ。今の実権を握っている体制の牙城を崩し、街で自分たちの影響力を高めていくために、今回の魔力災害を利用しているんだよ」


 この手のある種火事場泥棒的なやり口は、前世の頃から度々目にしてきた。


 敢えて一度、大きな被害を出させることで、失策を挙げ連ね責任者を糾弾する。


 仮に本丸を取れなくとも、尻尾切りなどで相手の組織は少しずつ弱体化していくのだから、敵対勢力とすれば使わない手はないだろう。


 僕自身だって、祖国が侵攻を受けた際。まがりなりにも大国でありながら、国家の弱体化を食い止めるどころかそれを加速させ、領内に多くの被害をもたらした当時の主流派ドルイドたちを相手に事実上の敗戦改革を画策したこともある。


 もっとも、最終的には妹のパトリシアたちに国や生き残ったものの傷ついた元棄民の兵たちを任せ、討伐隊へ志願することとなったのだが……。


「なんだか、複雑です。だって、みんなで力を合わせていたなら、そもそも今回のようなことはなかったんですよね?」


 僕の話に、ソフィアは表情を曇らせる。これが貴族だったエルシィさんや、酸いも甘いも噛み分けてきたベサント司教ならともかく、彼女たちはまだ若い。


 さらには支配者層としての思考も教育されておらず、農奴としての苦労を経験していたとしたって、内と外からその自己矛盾や欺瞞を見る機会も乏しかったはずだ。


 となれば、きっと今回のことで多少なりとも傷つき、さらには内心。憤りを感じていることだろう。


 まだ世界の酷薄さに不慣れな少女へ、僕はなるべく言葉を選びながら答えることにした。


「それはその通りだね。でも、人間は仮に苦境にある人たちの実情を知っていたとしても、だからこそ残酷さを発揮してしまうこともあるから。時にはそれを抑制するための対立軸という存在も必要になってくるんだろうね」


 仮に今の支配者層が増長していられなくなるような、そんな思想や信仰、組織などが勃興していたなら、彼らとていたずらに国家の基幹たる民生の安定を棄損し続けるような真似はしなかったろう。


 しかし、今回の騒動が終わってしまえば、彼らが高い壁の内側で、問題との直面を先送りしながら謳歌している泡沫(うたかた)の栄華も下り坂に入る。


 今さら機能不全を起こした組織に自浄作用など期待できるはずもなく、きっと今回の犠牲よりさらに多くの命や本来得られた金、仕事、人生を失う人々を出しながら、やがて今の没落貴族たちのように、歯牙にもかけられぬレベルへ勢力を縮小していく。


 以前○○は、自分たちは役人に比べれば街や人を守っていると語っていた。


 たしかにそれは一面的には事実なのだろう。彼らにも必要悪としての貢献があるには違いない。


 しかし、願わくばその対抗軸として台頭するのが、今なし崩し的に共闘しているヤクザ者たちではなく、別の存在であることを願わずにはいられなかった


 今頃民衆は、護衛の名目でヤクザ者たちに囲まれながら、彼らが語っている避難先とやらへ歩かされていることだろう。


 とは言え、この状況からすぐ日常生活に戻れるとも思えない以上、長期的にそこで事実上の軟禁生活を余儀なくされるのは間違いない。


 教会で長期間収容できる人数などとうに超えているので正直助かるが、先ほど僕らを悪し様に罵ってくれた過激派以外の住人たちには、幾ばくか同情心を抱いてしまう。


 果たして今後、街の勢力図はどう移り変わるだろう。栄枯盛衰盛者必衰。それが世の習いだとしても、かつての繁栄隆盛を知るものとしては、世知辛い気持ちを抱かずにはいられなかった。



「少しかかったな。怪我人はどうなった」


「無事治りました。今すぐ自力での歩行は難しそうでしたが、何日かすれば元通り働けるようになるでしょう」


 報告を済ませ、周囲を見回す。どうやら、離れている間はとくに何事もなかったようだ。


「ったく、使えねぇ……」


 内面の凶暴さが吐露されたような、重い響きの愚痴。


 先ほど見せた気遣いも嘘ではないのだろうが、やはり危険な男だ。


 僕より大きいとは言え、それでもあんな未熟な子供を、現在のような危機的状況に放り込めてしまうのだから。


 再度気を張り直し、周囲へ神経を研ぎ澄ませる。すると少し離れた場所から、斥候役のヤクザ者が走ってきた。


「デカいのが一頭! 何か人が襲われてた!」


「上位種なら、俺が行ってきます」


 確認を取ってから、全速力で報告があった方向へと向かう。そこで僕は、予想だにしない状況に出会した。


 負傷し多くの出血をした男が、それでも牽制のつもりか折れたのぼり旗を握り締め、背中の少女を必死に庇っている。


 その男と背後の少女は、二人とも僕の知っている顔であった。


 なぜ二人が揃ってここにいるのか。そんな疑問は後回しだ。


 獲物に気を取られた上位種を切り殺してから他の敵が周囲に存在しないことを確認し、すぐ治療に移る。


「おじさん、俺だよ、わかる? 一緒に日雇いで働いてたっ」


 声をかけると、彼は朦朧とした様子ながらも焦点の合わない目を僕に向ける。


「……ああ、あのときの……出世したとは聞いていたが……」


 一先ず、命に別状はないだろう。それを確認した僕は、次いで後ろの彼女に状況の説明を求める。


「ララ、なんでこの人とここにいるの。教会にいたはずじゃ」


「きょ、教会に、お父さんたちが来て……」


 ララの声と瞳が震えているのは、今キンググリズリーの上位種に襲われていたから、というだけではなさそうだった。


 それでも、渡した魔石さえあれば攻撃されることはなかったはずだし、万が一されたところでダメージもほぼ無効化されるはず。


 しかし、彼女の胸にはいつもぶら下がっていた魔石がない。まだ効果を失うには早いはずだ。なくしたのか、それとも……。


「きょ、教会のお手伝いをしてたときに、してない子達に注意したら取られちゃって、ちょうどそのとき、お父さんが来て、怖くなって、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 教会内は聖堂など、場所によって認識阻害などの効果をもたらす特殊な魔道具の効果が落ちる場所がある。


 そこで喧嘩をした相手が軽い気持ちで報復としてペンダントを奪い、効果を失ってしまったところに彼女にとって恐怖の対象である父親たちが現れ、パニックを起こし逃げてしまったのだろう。


 教会の方々に助けを求める。そんな当たり前の選択も、自己肯定感が欠如していたり、以前他の誰かに拒絶や黙殺をされたことがある子供には、心理的抵抗というハードルが極めて高い。


 そうして平静を失い、街に出てきてしまったところで、偶然出会った彼に助けられた。と言ったところだろう。


「起きてしまったことは仕方ないよ。怪我はない?」


「うん。でも、このおじさんが」


「この人なら治ったから大丈夫。ララもこれが収まるまではギルドで待っていようか。話は俺がつけておくから」


 さあ、立って。そう言いながら、おじさんを背負い彼女の手を引く。


「倒したかー……って、なんだそいつら」


「生存者です。こちらは倉庫で一緒に働いていた」


 そう答えながら、顔の上半分でも見えるよう、彼の負担にならない範囲で背を曲げ体を傾ける。


 しかし思い出せなかったらしい○○は、一先ず部下に日雇いのおじさんを背負わせ、ララとともに護送している民衆のほうへと下がらせた。


「女の子のほうに関しては、ギルドへ連れて行きたいのですが」


「わかった。そのときになーーっと、今度はなんだ」


 前方を見て素っ頓狂な声を上げた○○に釣られ視線をやれば、そこには決して冷静とは言いがたい人の群れがこちらに向かってきていた。


「助けてくれ! 教会から閉め出されちまったんだ!」


「教会って、どこの?」


「中央だよ! あの生臭坊主ども、より多くの喜捨を払える奴らが来たからって、払える額が少なかったり有力者との繋がりがない俺たちを放り出しやがったんだ!」


「この街に住んでいて、最初に避難していたのは私たちだって言うのに。これまで払ってきた額は返してやるから出ていけって言われたんだよ!? ちくしょう、ふざけやがって!」


 僕の問いに、彼らが憤りを隠すことなく答えたのももっともだろう。


 中央教会は、互助組織としての役割を完全に放棄している。かねてから悪い噂しか聞いていない教会ではあったが、ここまで酷かったとは……。


「しかし参ったな……この人数はさすがに俺たちでも無理だ」


「東地区の教会も、全員の受け入れは無理だと思います」


「どうする? ここは神官様方に倣って、払える額で足切りでもするか?」


 横目で見やっただけなのだが、彼は冗談だろうが、と口を尖らせた。


 こんな状況でつまらないジョークは慎んでもらいたいものだが……一つアイデアが浮かんだ僕は、少し不機嫌そうな彼にある提案をした。


「○○劇場が、近々取り壊されるようですね」


「あの歴史しかないオンボロがどうした」


 やはり、東地区の教会やギルドのように老朽化が進むほど古いままなのか。


 であれば、どの程度の効果を得られるかはさておき、少なくとも遣り様はある。


「俺に考えがあります。聞いて下さい」



 劇場は僕が前世の頃に訪れたときと比べ、多少の改装こそされてはいたが、建物自体に大きく手が加えられた形跡はなかった。


「いったい当劇場をどうしようと言うのですっ」


「なに、避難所として提供していただくだけですよ」


 ここを運営している方々に対し、○○は物腰こそ柔らかいものの、断ることは決して許されない印象を与えながら接収に成功した。


「たしかに今日の客入りを含めても、ある程度の人数を収容することはできるでしょう。しかし、この建物は近々解体の予定があるほど老朽化が進んでおり、今回のような大型の魔物が侵入するような事態において避難所として利用するには無理があります!」


「常識的に考えれば、俺も迷うことなくそう思うんだがね。今ちょうど末恐ろしいガキがいるんだ」


 館内の確認をおおよそ終えた僕は、ララに手当たり次第開けてもらった魔力回復用のポーションを立て続けに呷っていく。


 移動中もチャポついた腹に余裕が生じるたび、すかさず青い色の液体を飲み込んで不足分を満たしてはいた。


 それでも、この規模の建物に呪術を行使するとなれば、消耗からの回復途中な現状の魔力残量は心許ないと言わざるを得ない。


 たしかに景気がよかった頃に、繁栄や文化の象徴としてケチらず作ったこの建物は、材質的にも呪術や魔法の効果を発揮しやすいものではある。


 しかし、いかんせん老朽化というのは良材すら劣化させてしまう。必然的に、魔力の通りも悪くなっている部分もあると見て間違いないだろう。


 時間もないため万全は無理だが、それでも今から可能な最善を尽くさなければ。


 そんな思いでコンディションを整えていると、突如ララの小さな悲鳴が聞こえ、次の瞬間僕も先ほど痛めた腕を何者かに引っ張られてしまった。


「離れろ! ここは私たちが公演に使う場所だ!」


 まだ癒えきっていない腕を中心にに、引きつれるような痛みが走る。


 堪らず無事なほうの腕で相手を拘束すれば、相手は以前宣伝のための寸劇でアンジェリンの役を務めていた役者であった。


「離せ糞ガキが! ちくしょうふざけやがって!」


「お、おい、お前何をやったんだ!」


 恐らく突き飛ばされたらしいララに大きな怪我がないのを確認していると、騒ぎを聞きつけた他の劇団関係者たちが次々駆けつけてくる。


「このガキが、私たちが最終公演を演じるはずだったこの劇場に何かしようとしてやがったから!」


「だからそれは諦めろと言っただろ! この状況で悔しい思いをしているのはお前だけじゃないんだぞ!」


「それにその子たち、さっき来たヤクザ者たちが連れてきた子じゃないか。もし何かあったらーー」


「うるさい! ヤクザなんか関係ないだろ! 街の奴らも劇場や劇団なんか無駄だと散々私たちを馬鹿にしやがって、挙げ句最後の機会まで奪うのか! 少ないとは言え客も入ってたってのに!」


 仲間の説得にも応じず、彼女は激情のままに喚き立てるばかりだ。


 僕は彼女の手足を【荊棘の頸木】で拘束したのち、再び作業に戻る。


「おい、なんだよこれっ、手前糞ガキ! さっさとこのキモい蔦を外しやがれ! 殺すぞ冒険者風情が!」


「劇場には何もしません。ただ頑丈にするだけなので悪しからず」


 どこかへ連れて行かれた半狂乱の若い役者は無視し、後ろで見ている者たちへ一言告げてから、僕は【】を行使した。


「な、なんだこれは、少年の手から壁に何かがっ。これはドルイドの呪術か……っ」


「そ、そんな馬鹿な……。こんな年端も行かぬ少年にそんなこと、かの大英雄ゴヴァン・カークランドでもあるまいに……」


 大英雄かはさておき、とりあえず僕があんたらの演じるうちの一人、ゴヴァンおじさんなんですけどね。


 内心そう呟きながら、途中ポーションを補給しつつ呪術をかけていく。


 とくに痛んでいたり、雑な修復で弱っている部分は細かく補修、強化していった。


「終わったようだな。どうだ」


 ちょうど終わった頃、様子を見に来た○○に尋ねられたので、僕は魔力の枯渇や魔力回路の疲弊による頭痛や倦怠感をポーションでごまかしながら応対した。


「力は尽くしました。耐久性のテストに移りましょう」


 ララの手を借り起きようとしたところ、僕はあっさり○○に抱え上げられてしまった。


「軽いな。もっと飯食えよ」


「今のところは、食ってもこれですよ」


 憎まれ口を笑われながら、お姫様抱っこで外まで連れて行かれる。


「○○さん、準備は整いましたが、本当にやるんですか……?」


 一瞬彼の腕の中の僕へ目線を向けながらも、すぐ何事もなかったかのように報告する部下へ、○○は当然と言った調子で指示を出す。


「やるんだよ。さすがにあのクイーンとやらの一撃に比べれば大したことはないだろうが、果たしてこの劇場が本当に避難所として使えるのか、一度テストしておく必要がある」


 早くしろとの言葉で、事前に準備をしていたヤクザ者たちはテスト開始に向けキビキビと動き始める。


 数人がかりで用意されたのは、対大型魔物用の大型弩。


 矢には付与により威力強化の効果が上乗せされていて、通常の個体であったならクイーングリズリーにも相応の効果が期待できたほどの代物だ。


「ま、まさかその矢を、大勢が収容されている劇場に放つつもりでは……」


 ついてきた劇場支配人の震えた声に答えたわけではないのだろうが、○○は部下たちへ、短くやれと命令を下す。


「発射五秒前! 四! 三! 二! 一!」


「や、やめろぉ! 何すーー」


 発射という叫び声を合図に、大型の矢は付与による効果を発揮しながら、劇場へ向け瞬く間に飛んでいく。


 そして激突とともに、周囲には発射時以上の轟音が響き渡り、恐らく中へ避難していたであろう人々の悲鳴もこちらまで届いてきた。


「なんてことを……いくらあなた方がヤクザであっても、こんなこと……あれ?」


 呆然と膝をついた支配人は、再び顔を上げた際に間の抜けた声を発した。


 至近距離からあれだけの剛弓の直撃を受けたにも関わらず、壁の当たった部分には傷一つついていない。


 発射したヤクザ者たちも含め、目の当たりにした光景に人々が呆然とする中、○○の口笛が辺りに響いた。


「強化は無事成功したようですね。あの様子なら、クイーングリズリーが来ても籠城が可能な強度を得られたはずです」


「し、信じられん。夢でも見ているのか……?」


 支配人は頬をつねっているが、唐突な魔物の襲来に見慣れぬ呪術の効果までごく短時間のうちに経験したとあっては、この反応も仕方ないのだろう。


 何はともあれ、これで増えてしまった避難民たちを放り出さずに済みそうだ。


「しかし、これからどうなる。劇場で籠城と言っても、民衆はパニック寸前だ。今日の最終公演のために、多少は水も食糧もあるとは言え……」


「でしたら、芝居をなされては。幸か不幸か、満員御礼なことですし」


 ○○の一言で、劇団の関係者たちの迷いのあった瞳に光が灯る。


 やるぞ! こんな状況だからこそ演劇はあるんだ! などと気迫漲る声を上げながら中へ戻っていく中、僕らは次の目的地へ向け避難所と化した劇場を後にしたのだった。



 その後互いの避難所へ避難民を連れていくことになった僕らは、冒険者ギルドでの再会を約束したのち二手に別れることにした。


 教会側は神官たちの法術による治療が行えるということで、ララを庇って負傷した日雇いのおじさん含む、こちらから見て不安な怪我人や病人などはこちらで面倒を見る。


 ちなみに、先ほど僕の仲間たちへ罵声を浴びせた連中は、問答無用で全員向こう側。


 収容可能人数の関係上、彼らと同じ行き先になった人々には同情するが、奴らに関してはこれから向かう先で何が待っているかなど知ったことではない。


 一線を越えてくるヤクザ者に睨まれる恐ろしさを、骨身に染みて理解させられるはずだ。精々、己の行いを後悔するといいだろう。


 内心下衆な気持ちで歩いていると、定期連絡のためにやってきたデイヴィに声をかけられた。


「顔色悪いけど、疲れてないか」


「ああ、うん。この体でのキャパを考えると、ちょっと無理してる域に入ってるかな」


「腕千切れかけてたもんな……これ終わったら、あとは俺らや大人たちに任せてゆっくり休めよ」


 言ってから、この体などと迂闊にも口に出してしまったことを恥じたが、幸いにも彼は僕にとって都合のよい勘違いをしてくれたようだ。


「そうさせて貰おうかな。まずは戻って装備や状態を整えてから、クイーンを狩ることだけど」


 短期間のうちに万全な状態まで戻すことは不可能でも、七~八割程度まで戻ったなら、最低限仕止められるだけの力は戻るだろう。


 あとは、街や住人の状況に、クイーンの状態という兼ね合いの中で判断していくことになる。


 願わくば、全力でやり合ってみたいものだったが……それも所詮は、この体になってしまったからこそ思うこと。


 あの程度なら鎧袖一触できた前世の頃なら、獲物として執着する気持ちも相当薄かったろうし、何より今は、この未熟な体で街で暮らす人々を守らなければならない。


 私心は捨て、改めて今後の予定を整理していると、デイヴィが何かに気づいた。


「あれ、向こうから来たのって、教会の神官さんじゃないか」


 彼が指差す方向に目を向ければ、そこにはたしかに東地区で働く僕らと年齢の近い神官の姿があった。


「ショーティさん、皆さんっ」


 息を切らしながら走る様子に、只事ではない何かを感じ取った僕らは、周囲を警戒しながらもこちらから彼女のそばへ駆け寄る。


「どうしたんですか。こんなところに一人で」


「まだ入り込んだ魔物が彷徨いてるから危険だぜ。送ってやるから、早く戻りな」


「そ、それは大丈夫です。冒険者の皆さんやガスリー子爵※率いる騎士団のおかげで、少なくとも現時点ではこの地区の安全は確保されています」


 そうだったのか。何かしら動いているものとは思っていたが、入り込んだ個体数や侵入先も詳しくわからない中で制圧済みとは。


 一応○○さんたちも、こちらで駆除や避難の誘導に当たっていたと言えど、彼の騎士団とやらは高い練度を有しているようだ。


「そうなのか。じゃあ、ちょっとぐらいは移動のペース落とせるな」


「いえ、皆さんには今すぐ来ていただきたいんです」


「……何かあったんですね」


 怪我人たちを思いやるデイヴィへ、間髪入れずに要求する神官。尋ねると、彼女は苦々しい表情で語り出す。


「ガスリー子爵や冒険者の方々が出て、数名の冒険者や騎士の方々が残るのみという状態になった際に、避難民の方々が強引な要求をはじめて……」


「どのような人たちですか。その際に負傷者は出ましたか」


「獣人の方々の一部です。負傷者は、出ました……現在、他の避難者の方々の様子を見ながら治療中なのですが」


 返ってきたのは、歯切れの悪い答え。どうやら、かなり切羽詰まった状況のようだ。


「わかりました。今すぐ向かいます。デイヴィ、二手に別れて、一方はこのことをギルドに報告。もう一方は少しペースに余裕を持たせて避難民を連れていくよう伝えて。選定は任せる」


 負傷者や病人たちの容態は、こちらとしても気になるところだ。


 一応ポーションを持たせてはいるが、中には使用するべきではない者もいるはず。


 周辺の安全が確保済みならば、ペースを落としても問題はないだろう。


「わ、わかった。けど、お前はどうするんだ?」


「先行して騒ぎを抑えてくる。神官さんは、避難民の方々とゆっくり来てください。到着した頃には終わらせておきますので」


「す、すいません。よろしくお願いします」


 デイヴィが連絡に走り、神官さんも頭を下げてその後ろに続く中、ララが不安そうな表情で俯く。


「デイヴィたちとギルドへ向かって。そこにいる人たちが、ララのことを守ってくれるから」


「ごめんなさい。こんなことになって」


 べそをかきはじめたララの頭を、僕はなるべく柔らかな笑みと声音を作りながら抱き寄せる。


「何も悪いことなんてしてないだろう? 俺らに任せてくれれば、それで全部上手くいくから」


「もう、あの教会に行けなくなっちゃうかも知れない。一人で耐えなきゃいけなくなっちゃうかも知れない」


 しゃくりあげる様子を見れば、彼女がどんな扱いを受けてきたのかが嫌でも理解できる。


 なのにララは、これまで一度も直接的に加害者を非難したことはなかった。いつも事情を探る声に対し、沈黙を選び塞ぎ込んでしまう。


 辛いに決まっている。こともあろうか、実の親から虐げられて傷つかないわけがない。


 それでも、無知な子供は信用するに足りない親ですら、時に現実を空想でねじ曲げてでも信じ込もうとしてしまう。


 耐えていれば、いつかは愛してくれるようになってくれるかも知れない。いつかは他の兄弟、もしくは家の親と子のような関係になるかも知れない。


 彼女が唯一寄りすがれる願望に、僕はこれから終止符を打つ。仕方がない。子供にとって必要なのは、世間体を意識した気休めなどではなく安全に育てる環境こそ重視されるべきだ。


 治療前の状態のララの体の状態は、今でもはっきりと思い出せる。仮にどんな理由があろうと、あんな弱者へ容赦なく日常的に暴力を振るえる人間に対して遠慮など不要だろう。


 およそ数分後。選定が済んだことを確認した僕は、ギルドへ向かうデイヴィとハーティにララを任せると、避難民の連れ添いを担当するエルシィさんとソフィアを残し一人教会へ向かった。



 人のいない東地区を抜け辿り着いた教会からは、遠目からでも魔物の侵入という有事とは因を別にした、キナ臭い空気が漂っていた。


 中へ入ると、普段目にする神官のうちの一人が、僕の姿にやや強張った表情を和らがせた。


「ショーティくん。迎えに送った子は」


「仲間とともに遅れてきます。負傷した神官の方に会わせて下さい」


 小声で囁くように会話をかわす。まだ異常事態発生からさほど時間は経っていないが、だいぶ消耗してしまっている様子だ。


 こちらですという声に従い、治療のために使われている部屋を通り過ぎて奥の小部屋まで着いていく。


「ショーティくんが来てくれたから、もう大丈夫だよ」


 そこで寝かされながら声をかけられた彼女は、ああ、ともうん、ともつかない、うわ言じみた返事をする。


 無理もない。恐らく、ララによく構ってあげていた若い神官だと思うのだが、彼女の顔は顎を砕かれ、それ以外の部位もまるで原型を留めていないレベルに腫れ上がっている。


 体にも、少し見ただけで打撲や、抉るような引っ掻き傷が確認できた。


 何の力もない小娘に、どうしてここまで暴力を振るえるのか理解に苦しむところだが……今はとにかく治療に移るべきだろう。


 ポーションを空にし、いざ治癒を行使しようとしたところ、即席の寝台に横たわる彼女は苦痛に顔を歪めながらも首を振る。


「私より(わらひよい)他の方を(ほはおははほ)……」


「ええ、あなたを治したら。すぐ重傷者の元へ向かうつもりです」


「私は(わらひは)、もう(おう)……」


 青痣で開かない瞼からでも、日頃竹を割ったような性格の彼女が味わわされている絶望の深さが伝わってくる。


 けど、問題はない。これでも僕は前世の頃、彼女たちが敬愛する聖女アンジェリンと多くの負傷者を治療してきたのだ。


 まずは顔を治癒した。やや時間をかけ、丁寧に折れた眼窩底や鼻、顎に頬骨、歯などを元の状態へ形成し直す。


 次いで剥離してしまった網膜や破れていた片方の鼓膜、他にも痣や裂傷まで同様に、痕すら残らぬよう治していく。


 顔や頭に関してはおおよそ済んだので、後ろに控えていた神官へ頷く。


 治療の様子を見ながら既に泣いていたらしい彼女は、鏡を持って負傷していた神官の傍らで語りかけはじめた。


「治ったよ。ショーティくんがちゃんと治してくれたよ」


「嗚呼、ありがとうございます……ありがとう……」


「動かす際違和感があるでしょうが、いずれ収まっていきます。今はとにかく安静にしていて下さい」


 喉や脇腹なども痛めつけられているせいか、未だ彼女の声は嗄れている。


 何もかも元通りとはいかないだろう。これまで見受けられた彼女の朗らかさも、これからは鳴りを潜めてしまうかも知れない。


 だからこそ、治せる部分だけでも不安を解消してやらねば。まだ彼女は若く、人生もこれからなのだから。


 ポーションを空けつつ、残りの負傷箇所も全て治し終えた僕は、安堵からか眠ってしまった彼女を確認したのち、ここへ連れてきてくれた神官に事情の説明を求めた。


「いったい何があったんですか? 一部の避難者たちがトラブルを起こしているとは聞いていますが」


 彼女が話すことには、おおよそ以下のようなあらましだったそうだ。


 獣人たちは言葉が通じない者も多く、また普段から低賃金労働を強いられる、決して整っているとは言いがたい住環境での生活を送る者が多いなどの理由で、内心不満を募らせている者が多い。


 そこに今回の魔力災害が重なり、自分たちだけ避難指示を受けられなかったのではないか、避難先に着いてからも、受け取れる物資や治療の順番などに差がつけられているのではないか、といった疑心暗鬼に陥る者たちが現れはじめた。


 そこで、最近魔石の効果により認識阻害の効果がかかっていたララが、ペンダントを奪われた状態で父親たちに見つかったことで、燻っていた不安が表に出始めたのだそうだ。


 この教会は、子供の人身売買に関わっているのではないか? 疑念の域を出ない状態でも情報は錯綜し、それに乗じて強引に要求を通そうとする者、勝手に施設内を移動する者たちまで現れ、器物破損や盗難などの被害も出始めた。


 そんな事態を収拾しようと、活動的な彼女が翻訳機能を持った魔石を用い接触を計った際、一部の避難者たちは急に感情的になった。


 そうして教会の者や騎士に冒険者、そして他の避難者が止めに入るまでの間、一方的な暴力を受けてしまったのだそうだ。


「今は向こうの聖堂で、ベサント司教が避難民の方々を落ち着かせようとしています。私たちはこちらで待機しているよう言われて……」


「わかりました。では、今からそちらへ案内していただけますか?」


 異種族や異民族に限らず、困っている誰かへ下手な仏心を見せたばかりに、その相手から付け上がった態度を取られ要求が止まらなくなるというのは、決して珍しい話ではない。


 人は温情を示す相手へ必ずしも感謝を示すものではなく、ときに与し易いと考え搾取しようとしたり、いかにも当然と言った雰囲気で相手を利用しようとすることもある。当然、火事場泥棒じみた真似をする者も一定数は出ることだろう。


 その辺りは、長年貧困層の支援に携わってきたベサント司教なら理解していたはずだが、今回は若く青い神官が、少し対応を失敗してしまったのかも知れない。


 目的の礼拝堂へ向かうにつれ、苛立った人の声や緊迫した様子を肌で感じるようになってきた。


 国籍や民族、種族が違う者同士でトラブルが起きれば、両者の緊張は瞬く間に高まるものだ。誰かが煽っている可能性もある。


※負傷した、以前仕事を手伝ってくれたおじさんが歯を折られている描写追加。あとで治してあげると約束


「では、行きましょうか」


 酷く緊張した神官の彼女に声をかけ、僕は礼拝堂の厚めな扉を開く。クイーングリズリーの麻痺毒が収まってしまう前に、早く片付けてしまおう。



 開け放たれたそこには、多くの避難民たちが集まっていた。そして、その少なからぬ数が、教会の方々へ不信を募らせた視線を向けている。


 苛立ち、不安、焦燥。ただでさえ未曾有の規模の災害が起きているというのに、そこへ人と人とのいざこざまで起きてしまっている中で捌け口を用意されれば、人は自然とそちらへ指向されるものだ。


 間に立っている冒険者や騎士も、決して表に出さないよう、感情を必死に押さえ込んでいる様子が伝わってきた。


「ショーティさん……」


 振り返ったベサント司教が、僕の姿を確認し小さく安堵する。隣で小脇に帳面を抱えたおじさんは、気難しそうな表情を崩さない。


「なんだァ、そのガキは」


 荒んだ目の獣人による威圧に、僕は彼らの言語で返事をしつつ真っ向から受けて立つ。


「失礼。何か問題が起きていると窺い、足を運ばせていただきました」


 魔石による翻訳がなくとも言葉が通じることで、多少相手が浮き足立った。


 そこへ助け船でも出すかのように、恐らく今回の騒動の中心人物であろう男が間へ入ってきた。


「冒険者かな。今我々は酷くシリアスな話をしているのだが」


 その男は、着の身着のままで逃げてきた獣人たちの中で一人、一端の格好をして身なりも整っている。


 ギルドの支部長や、先ほど出向いた先の責任者たちと似た雰囲気の彼は、慇懃無礼な態度で僕に向かい合ってくる。


「一通り教会の様子を見たところ、どうやらその通りですね。何かお困りごとでも?」


「君には関係ない」


「俺はこの教会に多額の寄付をしています。そこで問題が起きているのに、知らない顔はできませんね」


「ほう、おやつでも我慢したのかな?」


 にべもない売り言葉に対し金額を口にすると、男の余裕に少しヒビが入る。ベサント司教が事実だと認めると、彼は一瞬苦い顔をした。


「それは失礼。君たち冒険者のおかげでここへ避難できたことは感謝しよう。もっとも、その誘導は他の居住区より順番が後回しだったようだが」


「地理的な問題でしょう。あなた方より遅れて到着した人間たちもいるはずです」


 その瞬間、彼を取り巻く獣人たちからの罵声が飛び交いはじめた。


 一度警告するが、こちらが口を開いた途端、彼らはそれを掻き消すように声のボリュームを上げてくる。


「おいクソガキ! お前を生きたまま食い殺してやろうか!」


「俺らに歯向かった奴らが、生きてここから出られると思うなよ!」


 いや、あんたらごときに殺されるわけがないでしょ……見たところ、誰一人としてキンググリズリーすら倒せなさそうな奴ばかりだし。


 それにしても、随分と慣れた雰囲気だ。以前獣人のギャンググループの話を聞いたことがあったが、恐らく彼らはその構成員や、それに準ずる存在なのだろう。


 仕方がない。このままでは拉致が空かないので、僕は彼らが投げつけてきた椅子を【荊棘の頸木】で受け止め、その後罵声に加わっていた者たちを、猿轡付きで次々拘束していった。


「なっ、き、君は丸腰の相手に、何の権利があってーー」


「ああ、これは失礼。あんまり恐ろしい形相で睨まれたうえ、椅子まで投げつけられてしまったので、これから顔の形が変わるほどの危害でも加えられるのかと。恐怖のあまり、思わず拘束しちゃいました」


 余裕綽々といった態度を崩すことなく、荒くれた連中が苦悶の声を洩らす中で、男へも軽く数本の荊棘を揺らしながら近づける。


 椅子を投げつけてきた者に関しては、足が着いていない状態で体を浮かせるなどのデモンストレーションまで行い、この場における力関係を明確に突きつけてやると、男はやや上擦った声を上げた。


「こ、このことは報告させて貰うぞ。私の友人には、かつて国の中枢で官吏を務めていた者も大勢いる。そうなればお前はブタ箱行きだ!」


「どうぞどうぞ、気の済むままに。もっとも、彼らもこの事態を前にしては、壁の外側へ気を回す余裕もなさそうでしたが」


 城壁よりも高い塀の内側に住めていない時点で、どうせこの男も使い捨てられるうちの一人だろう。


 証拠も、蔦を処分し彼らを縛り上げた際の怪我さえ治してしまえば、それで消えてしまう。


 それでも強引にお縄を頂戴しろというのなら、試しにやってみればいい。


 そんな余裕から笑みを溢していると、男は腺病質そうな性根を露呈させはじめた。


「無知で怠惰な冒険者風情が。この教会は人身売買にも関与しているというのに!」

ベサント司教反論も、過去の教会の行いを引き合いに出されて詭弁


「ほう、それは初耳ですね。こんな寂れてうらぶれた場所が、なぜ人身売買を?」


「学がない馬鹿はこれだから! 我々が避難するより前に、ここには私の娘が無理矢理働かされていたのだぞ!」


 ということは、この男がララの父親か。どうやら、あまり容姿に面影などが出る親子ではないようだ。


「今回の事態で外に出ていたところ、先に避難していたのでは?」

(ララの設定、獣人たちの集落ではなく現地で生まれた子に変更)

「我が家は子供の躾も万全だ。妻には娘に家の手伝いをさせるよう、常日頃から言いつけている。何故か最近はそうではなかったようだが……」


 魔法や呪術と縁の遠い一般人では、このように魔石の効果がモロに出る。


 もっとも、渡したペンダントを奪われたせいで、認識阻害により曖昧になっていた要素に、部分的ながら気づきはじめているようだが。


「貴方がすべきことは、この教会を疑うより、まずはご家族との関係を見直すことでは?」


「私は家族のために毎日必死に働いているんだ! その中でも、大事な一人娘の姿が見えないとなれば、親としてどれだけ心配か君にわかるか!」


 あれだけ痛めつけておきながら、大事な一人娘ねぇ。着てる服も、こっちで浮浪児だった頃の僕と大差ないボロだったし。


 白けた気持ちで聞いていると、ララの父親は独演会が如く、さらにヒートアップしはじめた。


「最近では我々の子供が行方不明になる事案も多発しているんだ! 最近この教会では、街の浮浪児を世話の名目で集めはじめたそうじゃないか! それが私の娘を誘拐した何よりの証拠だ!」


「貴方が娘さんを大切に思う気持ちは、大変よく理解できました。ですがご安心下さい。娘さんのお名前はララさんですよね? 彼女は今、冒険者ギルドで保護されていますから」


「そ、そうなのか……?」


「ええ。ですからもう、この事態が収まるまでは教会の指示に従って大人しくしていて下さい。これ以上負傷者が出るようでは、我々も面倒を見きれませんので」


 彼は周囲へ目を配るが、取り巻きたちが縛り上げられた今、積極的に味方になろうという者は多くないようであった。


「君、たしかこの教会の神官が怪我をしたとき、その現場にいたんだよな」


「え、はい。その、近くにいましたけど……」


「そのとき彼女は、我々獣人を差別するようなことを言ったんだよな? 侮辱的な言葉を繰り返しぶつけられるうち、心を傷つけられた怒りがつい噴出してしまったんだよな?」


「……そう、だったような、気がします……」


 気遣わしげな言葉とは裏腹に、酷く責め立てるような視線を向けられた男は、やむにやまれずと言った様子で証言する。


 同じ方法で、他にも何名かの言質を取ったララの父親は、勝ち誇ったような顔で僕へ向き直る。


「今彼らは、苦痛の中にありながらも耐え難かった記憶の証言をしてくれた! そちらの負傷者はあくまで自身の言動に因した自己責任! 我々に過敏な対応をさせるまで追い込んだのは君たち人間なのだ!」


 僕が同胞を侮辱されたなら、そんな喜色の滲んだ面で勝ち誇るより地道に一人一人報復していくけどなあ。


「それは誤解です! 彼女はあくまで避難者の方へ、立ち入り禁止の部屋へ入らないこと、教会内の物を勝手に動かさないことをお願いしただけでありーー」


「おい、あの女は反省することもなく言い逃れをはじめたぞ! 私たち獣人を同じ人間と思っていない証拠だ!」


 彼の煽りに、特別攻撃的というわけでなくとも状況次第で立ち位置を変える層が呼応し、弁解したベサント司教へ攻撃的な態度を見せてくる。


 例え翻訳用の魔石があろうと、いやそれ以前に、同じ言語を使っていようが、対話は互いにそれを望まなければ成立しない。


 そのための信頼関係の構築や敬意を抱くということを、ララの父親はこれまでもニュアンスを大げさかつ恣意的に解釈した言葉で煽ってきたのだろう。


 不意に視線を向けた先にいた、元からこの教会で生活の支援を受けている獣人の居住者は、青い顔を俯けていた。


 今回のトラブルを機に、この教会に居づらくなって出ていかなければならないことを懸念しているのだろう。


 また、獣人たち中で煽りなどにあまり加わらずにいた穏健派たちも、せっかく得た避難先を失うのではという不安に表情を曇らせている。


 しかし、ララの父親へ物申す者は一人もいない。例えある程度の数が揃っていようと、穏健派が過激派とその取り巻きを抑えられないのは、歴史で見ても決して珍しい話ではない。


 それにしても、こんな状況でよく下らない揉め事なんか起こせたものだ。籠城するにしても、ここまで亀裂を作っておいて今後どう過ごしていくつもりなのだろう。


 身なりからして、ララの父親は末端の労働者より待遇のよい立場にいるのだろう。


 上に立つ者がソフィストばかりになっているのも、戦火が遠退いた日々の中で、静かに世の中が腐り続けた結果なのかもしれない。


 先人たちが築き上げた、豊かさや安全という遺産を食い潰しながら、権力闘争と自身の空虚な言葉を飾り立て説得力や共感性を高めることに執心するしか能のない連中。


 当然危機に対応する能力などあるはずもなく、それどころか困難を呼び込んでもなお、眼前に迫りつつある事態から目を逸らし、保身に※きゅうきゅうとするばかり。


 思い返せば、僕の祖国とて同じだった。民生の安定という国家の命題を半ば放棄し、政商や財界と再分配をしないための言い訳ばかり繰り返すうち国家は弱体化し、魔王軍による領内への侵攻を許してしまったのだ。


「別に我々だって、この事態にこれ以上の争い事は起こしたくなどない。ただ今回の出来事で我々の仲間たちは耐え難い苦痛を味合わされ、今も苦しみの中にある。そんな彼らへの見舞いとして、治療や食糧の供給及びーー」


 こんなのが身内にいると、大変だよな……過去を思い出しながら獣人たちに同情していると、不意に礼拝堂の扉が開け放たれた。


「相も変わらず、脅したり負い目を抱かせたりの口先三寸で、恩のある相手を丸め込もうとしてやがるのか」


 憤然とその言葉を放ったのは、ゴミ処理場で出会った労働者の○○であった。彼の挑発じみた苦言に対し、ララの父親は視線も寄越さず返答する。


「今重要な話をしている。関係のない者は出ていきなさい」


「ほう、同じ獣人かつ避難民なのに無関係、と」


「努力して地位を得た私と、己を磨くこともせず無価値なままの貴様らが同じはずないだろう」


「何が努力だ。人身売買じみた手法で俺らを騙して、汚く搾取してきたくせに。少なくとも俺には、ここに来られるよう手を貸し収容してくれた人間たちより、お前なんかのほうがよほど差別主義者に見えるがな。……おい、お前らはどう思う?」


 問いかけられた後方の獣人たちは、それぞれ居心地悪そうに視線や顔を背ける。


「貴様らは私に逆らわないよな? まさか、あんな低能の戯れ言に騙される愚か者はいないよな?」


 ララの父親へも、明確な返事はない。勿論、未だ意志を変えない目の者もいるが、ほぼ大局は決まってしまったも同然であった。


 僕という最大戦力だけでなく、今やってきた○○たちの肉体労働者の存在も加わるとなれば、当然空気を読む層は下手に立場を明らかにしない。


 こうなってしまえば最後。膠着は徐々に傾いていき、ララの父親たちは過激派を残して、ほぼ全ての味方を失っていくだろう。


「そ、その翻訳用の魔道具を調べさせろ! それは違法に作成されたものではないのか? だとすれば重罪もいいところだ! 調べさせろ! 調べさせないなら罪を認めたことになるぞ!」


 重罪かはさておき、間違いなく今の寡占が進み続ける世の法において違法ではある。しかし、今回の事態が終わる頃には証拠も残さず破棄できるので、なんら問題はない。


 空気が変わらないことに焦ったララの父親は、次には弁護士や役人との繋がりを強調しながら獣人たちを煽ったり、急に言葉がわからないフリをして不利な話題の進行を止めようとしはじめる。


 それも通じないと見るや、遂には泣き落としのようなことまではじめ出した。


「私はあくまで、みんなでこの避難生活をよりよく乗り切るために声を上げただけなんだ……! 我々が置かれている状況を知ってもらい、これからの社会をみんなに考えて欲しくてーー」


 その狂気すら感じさせる、一連の支離滅裂な言動を前に多くの者が言葉を失う。


 そんな聴衆の気持ちなど微塵も察せないのか、彼の言動は再び高圧的なものへと戻りはじめた。


「聡明な諸君なら既にお気づきだろうが、私は陥れられようとしているんだ! おい君、なぜ差別的な言動をされたなどと嘘の証言をした!」


「ええっ、それはあなたが先ほどーー」


「黙れ外道! この期に及んで言い逃れをしようとは! いったい何が目的でこんなことを企んだんだ!」


 顔を真っ赤にして責任転嫁をする彼に多くが呆れる中、僕はその姿に、死の前日不貞と托卵が白日の元に晒された母の姿を思い出していた。


 史上最年少でドルイドの修行を終えた僕を祝うため、急遽集まった家族や親族たちに不貞の現場を発見されたのが、有力なドルイドの側室の一人だった母と、不思議なほど僕を気にかけてくれていた精悍な軍人の男だった。


 彼の瞳は茶色く、その色は皆が透き通るような青い目の者ばかりの我が家で唯一その特徴を持たない僕の目の色と酷似していた。


 彼らは翌日姿を消したあと、転落した馬車から遺体となって発見され、僕も将来を嘱望される若きドルイドから一転、妹のパトリシア以外のほとんど誰からも相手にされなくなった。


『お前なんか産むんじゃなかった。この疫病神』


 既に遠い昔の話になった。きっとララも、似たような言葉をぶつけられながら生きてきたのだろう。


 僕がララの父親へ幻覚を見せる呪術を行使すると、彼は突如大声で叫び出した。


「い、嫌だ! やめて父さん! 母さん助けて! 母さん! うわああ!」


 もう元には戻らないほどに発狂し、暴れ出した彼を【荊棘の頸木】で拘束する。少なからず場に動揺はあったが、元々正気とは言い難い態度だっただけに不審がる者は誰もいなかった。


 拘束され、猿轡をされてもなお暴れる彼が見ているのは、彼が最も目を逸らしたがる記憶だ。


 未熟な幻覚呪術で最も効果を発揮するそれを行使されたララの父親は、涙と涎を垂らしながら必死で顔を左右に振って何かを否定している。


 そのイヤイヤをするかのような姿は、まるで幼児そのものであった。



「さっきは助かりました」


「ふん、お前には借りがあるからな。この教会も、中央教会とは違いそうだし」


 ○○に礼を言うと、彼は鼻を鳴らしながらも、思いの外柔らかい返事をしてくれる。


 多少信用してくれる気になってくれたかな。そう思っていると、横から突如割って入ってきた女の人が、○○に対し食って掛かった。


「あんた、命の恩人に対してなんて口聞いてるのっ!」


「い、いや、今のは別に何の問題もーー」


「すいませんうちの人が。いつも口を酸っぱくして言い聞かせてるんですが」


「あ、いえいえ。お気遣いなく。先ほど場が無事収まったのは、ひとえに彼のおかげですから」


 雰囲気から察するに、恐らく○○の連れ合いだろう。屈強な体躯の彼と違い、愛嬌のありそうな可愛らしい人というのが少し意外だ。


「ほ、ほら、このガキもそう言ってるんだから構わないだろ」


「なに言ってんの。私たちがここへ避難できたのだって、この子が教会の人たちと事前に準備してくれてたからだって言うじゃない」


 言い返された○○は、完全にタジタジと言った様子。作業員たちの中では親分肌なのに、家では尻に敷かれているとは。ギャップがあって可愛いなあ。


 とは言え、あのあと獣人たちが大人しく引き下がってくれたのは、同じ種族である○○たちが、ララの父親たちへ明確に対立を表明してくれたというのが大きな要因として挙げられる。


 あれが多数派にとって、旗色の悪くなっていたララの父親たちを見限り、穏便に教会側へ恭順するための重要なポイントだった。


 もし彼ら作業員たちが立ってくれなかったなら、場が収まるまでさらに多くの時間と、切り捨てなければならない人数を必要としたことだろう。


 とは言え、先ほど礼拝堂から神官たちに促され場所を移る際、労働者層が場を収めたことに不服そうな顔をしている者たちも一定数確認できた。


 年輩かつ、着ている衣類も相対的に上等な彼らがどれほどの影響力を持っているかはわからない。


 しかし、彼らが何かを仕掛けてきたり、または獣人たちのギャング団などによる報復の可能性もある。


 ガスリー子爵たちが後ろ楯についているとは言え、教会側は思わぬ火種を抱え込む形となってしまった。


 それだけに、○○たちが獣人たちの中で主導権を握り、教会との協調路線を選んでくれたなら、これからの苦境も乗り切りやすくなるのだが……。


 未だ奥さんに叱られている○○を眺めながら、そんなことを思っていると、再収容を終えてきたらしいベサント司教が、おじさんとともに戻ってきた。


「暴れてた連中、きちんとどこかへ押し込めましたか?」


「ええ、一先ずはマイコニドたちに運んで貰いながら、彼らは全員地下室へ。あまり気乗りはしませんが……」

(フォレストキャットが守った描写も追加で入れる。前ページ辺り追加候補)


 そう溜め息を吐きながらも、彼女は僕に改めて感謝の言葉を口にした。


「ショーティさん、先ほどは助けて下さり、ありがとうございました。ガスリー子爵たちが戻ってくるまで、どうにか粘ることができればと思っていたのですが……貴方に来ていただけなければ、間に合わなかったかも知れません」


「いえいえ。それより、これから追加の避難民たちが来ることになっているんです。時間的にあと少しで到着するはずなのですが、病人や負傷者が中心となっています。任せてもよろしいでしょうか」


「わかりました。そちらはお任せ下さい。ところで、尋常ではないほど大きな熊の魔物が出たと耳にしたのですが……」


 押し殺しきれなかった不安を漏らすベサント司教に、おじさんも続く。


「俺も聞いたぞ。中には、城壁が簡単に破壊された、なんて眉唾な話まであったぐらいだ」


「あ、あはは……まあ、たしかに通常とは違うかも知れませんけど、これからギルドで準備したのち倒してきます。なので、どうかご安心下さい」


 僕の言葉を複雑そうな顔で咀嚼したのち、腹を括った様子で一度深く礼をしたベサント司教は、そのまま自身の務めを果たすために礼拝堂を出た。


 そんな彼女を見送ったのち、おじさんは周囲を確かめてから小声で僕に尋ねてくる。


「ほんとのとこ、どうなんだ……?」


「倒せることには倒せるよ。予定はだいぶ崩れちゃってるけど……」


 苦笑いで返すも、おじさんは心苦しそうに暗い視線を下げる。


「その、あんま無理すんなよ」


 恐らく、見た目が子供の僕を前線へ向かわせることに罪悪感でも抱いているのだろう。


 しかし、それは仕方ないことだ。人には向き不向きがあり、辿ってきた経過も千差万別。


 ならば危機を前にすべきことは悔いることではなく、適材適所でそれぞれが与えられた持ち場で力を尽くすことだ。


 おじさんには、役人として長年働いてきた経験がある。彼の事務能力は、大勢の避難民を抱えることになった教会の大きな力となっていることだろう。


「そっちこそ、目の下に濃いクマできてるけど平気なの?」


「よ、余計なお世話だっ。このクソガキが……」


 これでいい。口元が緩むのを感じながら去ろうとしたとき、彼はふと思い出したようにこんな話題を持ち出してきた。


「しかし、なんだったんだろうな。さっきほら、向こう側で煽ってた男が、急に豹変しただろう?」


「……さあ。早く、落ち着くといいけどね」


 勿論、あれは呪術によるものなので、そうはならない。とくに耐性も知識もないあの男は、遠からず狂死することになる。


 あれは生かしておけば、必ず致命的なトラブルを起こすだろう。それだけは確信を持って言える。


 獣人たちの中心人物というのを抜きに見ても、あの性根でまともな父親になる可能性など、数字の上ですら万に一つもないはずだ。


 それでも、子供にとっては如何に天文学的数字であろうと、普通の家族のようになれるかもという願望は捨てられないものだ。


「……お前、やっぱり顔色悪いぞ。ポーションの飲み過ぎじゃないのか」


「平気だよ。あとは任せたから、エルシィさんとソフィアに、先にギルドへ行ってるって伝えておいて」


 それだけ告げて、足早に僕も教会を去る。ララが望んでいるはずの将来の可能性を、僕は未来永劫断った。


 そのことに関しては、一抹の苦さを感じずにはいられなかった。



 ギルドへ戻れば、そこには今街のために動いている人物の大半が顔を並べていた。


 副部長、○○さんたち(冒険者三人組)、○○(ヤクザ者)にガスリー子爵の姿まである。


 これは手間が省けたな。あとはエルシィさんとソフィアを待つだけか。


 そう呑気な気持ちで中へ入ると、途端に同じ冒険者たちから詰め寄られた。


 何事かと思っていれば、皆口々に同じ言葉を口にする。


「ショーティ、お前クソでっかい魔物相手にして腕が取れかけたって本当かよ」


「どっちの腕だ? 傍目には、なんともないように見えるが……」


 どうやらみんな、伝え聞いた僕の怪我の程度を心配してくれていたようだ。


「ほら、くっついてるから心配ないよ」


 その言葉とともに袖を捲って見せれば、一同は負傷箇所を凝視したのち、安堵の溜め息を吐いた。


「残ってる傷痕は酷いが、それでも魔法や薬で治せる怪我でよかったな」


 大方、先に来ていたデイヴィたちが少し大袈裟に話したのだろう。


 もっとも、アンジェリン級の法術使いがいない以上、みんなの反応も無理のない話ではあるのだが……。


 仕方ないなと苦笑いを浮かべていると、やや弛緩した空気の中を一人、ガスリー子爵がこちらへ向かってきた。


「ショーティ君、で、よかっただろうか。此度の魔物の襲来において多大なる貢献、まことに感謝する」


 その目に困惑の色を浮かべながらも、この前教会で会ったときとは打って変わって、改まった態度だ。


「この前の教会では済まなかったね。まさか、君がここまでの力を持っていたとは。怪我の具合は、本当に大丈夫かい? もっとよく見せて」


 取り込もうとでも思っているのだろうか? やけに距離が近くなったガスリー子爵に若干引いていると、○○が苦笑いを浮かべながら間へ入ってくれる。


「心配しなさんな子爵サマ。こいつなら、少なくとも戦闘で死ぬなんてことはないだろうよ」


「またお前か。珍しく善行を為しているようだが、どうせ今回の事態を利用して焼け太ることを狙っているのみならず、ショーティ君を丸め込んで手勢に収めようという魂胆なのだろう?」


「そいつは支配者層に返り咲きたいガスリー様と変わりませんよ。話を戻しますが、俺はこいつが戦っている姿を実際に見ている。普通よりデカいキンググリズリーすら一太刀に切り捨てる姿は、さながら先の大英雄そのものだった」


「私は成り上がれるならどんな手でも使うお前たちヤクザ者と違い、今でもこの地に住まう者たちの安寧を願っている。だいたい、子供が怪我をしたなら心配するのは当たり前だろう」


 いや、その大英雄とやらも一人情けなく戦死してて、その張本人が前世の僕なんですが……不吉なフラグみたいで、なんとも嫌だなあ。


 ガスリー子爵も妙にヒロイックというか、引き抜こうという思惑があからさま過ぎて、一瞬○○たちのほうがマシに感じてしまう。もっとも、支配者としてふさわしいのは前者なのだが。


 険悪とまでは言わないが、それでも水と油の関係性をアリアリとギルドで見せている二人を尻目に、先ほど説得に同行してくれた年配のギルド職員から報告が入った。


「たった今、支部長から連絡が届きましたが……」


 受けてくれ。副部長はそう返すと、通信用の魔道具を彼から受け取り、応答を開始した。


「もしもし、私ですが」


「巨大な魔物が出没したと聞いたが、もう倒したか?」


 返信用のスピーカーから聞こえてくる支部長の声は、普段と違い余裕のない上擦ったものであった。


「いえ、これから準備を整え、麻痺が解ける前に討伐へ向かう予定ですがーー」


「早くしないか! いつまで時間をかけているんだ、この役立たずども!」


「僭越ながら、冒険者側の対応に落ち度はないように思うが」


 響き渡る怒声に、冒険者ではないガスリー子爵までもが表情を険しくする。副部長からマイク部分を渡すよう促し指摘すると、スピーカーから誰だお前はという金切り声が届いてきた。


「ガスリー家当主、○○・ガスリーだ。問われるべきは冒険者の能力ではなく、自分たちだけ安全な場所に閉じ込もる貴方の責任者としての自覚だろう」


「子爵様の仰ることももっともです。しかし私が現場にいて、いったい何ができますかな? 適材適所という言葉を知っている者たちは、貴方と同じ貴族の方々を含めて皆、今私がいる居住区の内側にいますが」


「では、もっと有効な指示を出すがいい。早く敵を倒せ? 君たちは今の今まで、標的が麻痺毒を受けていたことすら知らなかったようだが?」


「そんなことは知りませんよ。少なくとも彼らには、冒険者として普段利用させてやっている街を守る義務と責任がある。おい副部長、こっちには移動の予定を遅らせて下さっている方もおられるのだ。早くしろ」


 青筋を一層立て、何か叫びかけたガスリー子爵を制したのは、先ほどからシニカルな笑みを浮かべていた○○であった。


「子爵様、熱くなったって仕方ないでしょうや。こんな小物、仮に有効な対策が立案されようと、責任逃れのために採用しないに決まっているでしょう」


 高転び目前の支配者層。その体たらくを前に余裕な表情の○○の言葉に、ガスリー子爵は鼻を鳴らしながらも気を静める。


「私を小物だと! 今喋った奴は誰だ! 名を名乗れ! 二度とこの街で依頼を受けられると思うなよ!」


「今の発言は冒険者のものではありせん。まずは侵入した魔物の討伐のためにもーー」


「関係者以外の者を不用意に館内へ入れるなど、管理能力の欠如にもほどがある! この低能め! そんなだから万年副部長なんだ!」


 僕らが感情のまま吐き出される暴言にウンザリする中、副部長は通信先の勢いが収まるまで無言のまま、身振り手振りで職員へ指示を出し続ける。


 本来であれば、こんな糞の役にも立たないお伺いになど、一秒たりとも時間を使っていられないのだ。


 僕らもなるべく音を立てないよう気をつけつつ、ギルド内でできる準備へ取り掛かった。


「……ええ、これからは気をつけますよ。それで討伐の件なのですが、現在の魔力災害の状況を詳細に知るためにも、そちらの機器で測定された情報を教えていただけませんか」


「……魔力災害など起きていない」


 ようやく話が進むのかと思いきや、支部長の口から出たのは予想外の言葉であった。


 は? と絶句する副部長に向け、再び支部長は気色ばんだ声音で喚きはじめる。


「そもそも魔力災害など起きてはおらず、今回の事態も、ただ偶然現れた魔物どもが街へ入り込んだだけ。仮に数値に異常があろうと、それが確実に今回の事態に繋がっているかは誰にもわからない。だから今後一切、魔力災害という名称は使わんように。いいな」


 これには、さすがの副部長も溜め息を禁じ得なかったようだ。深く重い吐息を洩らしたのち、苛立ちを通り越し呆れた様子で、淡々とした指摘がはじまる。


「この際、魔力災害でなくても構いません。現在の魔素濃度の推移などは教えていただけるんですよね」


「機器は現在故障中により、その質問には答えられない。そちらで対処するように」


「ではギルドからの緊急指名依頼を発注※するということで構いませんね」


「あれだけの魔物だ。詳細を調べてからでなければ許可はできない」


 さっきの教会に引き続き、またこの流れか……目頭を揉む副部長へ目をやれば、その姿からは徐々に押し込めていた苛立ちが漏れはじめていた。


「一目で災害級とわかる脅威度ですが。参加者への依頼料、保障などは当然あって然るべきです。第一詳細など、どう調べろと?」


「それを考えるのは私の仕事ではない。倒したあとの素材の買い取り料があるのだから十分だろう」


「我々は奴隷ではありません。そんな条件で、どこの誰が依頼を受けると思っておられるのですか?」


「ならば座して死を待つといい。幸い我々のいる居住区は安全で、救援が来るまでの籠城に耐えうるだけの物資も揃っている。もう逃げる時間も手段も持たない貴様ら庶民が、我々と対等に交渉しようなど片腹痛い。恨むなら、怠惰に今日までの日々を過ごしてきた自分たちを恨むことだな! はは!」


 スピーカーから流れてきた高らかな哄笑は、次の瞬間低くもドスの効いた声により途切れた。


「……冒険者にならざるを得なかった者たちは、その多くが明日をも知れぬ日々の中でも懸命に依頼をこなして来ました」


「け、結果が出なかったのなら、そんなものは無価値だ! 言い訳をせずに結果を出せばいいのだ!」


「結果? こんな事態を招いたあんたらが、これまで何を積み上げてきたって言うんだ」


「く、口の聞き方を……」


 内容で二の句を次げない支部長へ、副部長は決定的な言葉を叩きつけた。


「お前らのやることと言ったら、人の生活や資源、安全と言った国富を切り売りしてばかりじゃないか。それでいざ破綻させれば、素知らぬ顔で安全な場所へ閉じ籠るか、次に食い荒らす対象へ移動するか。いいとこ蝗じみた略奪者と何が違う?」


「……貴様、そこまで言ってタダで済むと思うなよ」


「副部長、もうその辺で」


 彼らがやり取りをしている間に避難民を誘導し終えたソフィアとエルシィさんも到着し、おおよその準備も整いつつある。


 声をかけたのは、あくまでそれを伝えるためだったのだが、通信先の支部長は自身への擁護と勘違いしたようだ。


「その声、ショーティ君か。そっちは大変だろう? 早くこちらへ来なさい。一人ぐらいなら、私が面倒を見てあげられるからね」


「結構です。自分たちの身は、自分たちで守りますので」


 にわかに明るくなった猫なで声に辟易しながら答えると、次には何やら、一見気遣わしげな言葉が返ってくる。


「……君は孤児の身でありながら、卓抜した実力を身につけている。きっと他の誰にも負けぬほど、人一倍の努力をしてきたことだろう。そんな君には、十分報われる権利がある。使い捨ての冒険者などせずとも暮らせるよう、私の下で働ける正規のポストを用意しよう。住む場所だって今のボロ宿ではなくーー」


「あー、申し出自体はありがたいんですが、生憎自分が努力したとか恵まれない境遇とか、あんまり気にしたことないんですよね」


 ましてや、自身の行動を誰かに報いて欲しいとすら思わなかった。


 前世で初めて国を出たときから、討伐隊へ志願したときまでこれは変わらない。


 与えられた環境で最善を尽くして、最期が来たなら堂々と胸を張って倒れるのみ。


 信じるに足る何かを守ることができるのなら、それ以外は全てどうでもよいことだ。


「そういったことは、これから私が責任を持って教育すると約束しよう。そうすれば君も、我々が正しいと納得する」


 たかが官吏風情が、かつてドルイドだった僕を教育しようとは。苦笑を堪えながら、僕は最後に彼へ忠告を与えることにした。


「滅びの道を歩まぬよう、今からでも歴史から学ぶとよいでしょう。民生を省みず格差を拡大させ続けた結果、国家を弱体化させ魔族の侵攻を許してしまった愚かなドルイドたちなんかオススメですよ」


 もっとも、世の中の荒廃は単に判断を誤るのみならず、その決定を下した者が保身に走ることも含めて起きるものだ。


 支部長のような人物が内省に至り、自己批判や問題の総括に至ることは、まずないと言ってよいだろう。


 通信を切った魔道具を年配の職員へ渡し、副部長へ視線を送ると、彼は少しの間僕と視線を交わらせたあと、全体へ向け声を張った。


「これより、街へ侵入した魔物、キンググリズリーの上位種及び、クイーングリズリーの討伐に関する最終確認を行う。なお、今回の依頼は非常に高い危険度が予測され、ギルドとしても出来得る最大限の保障を用意したが、参加を決めるのは諸君だ。僅かでも迷いのある者、本心を言い出せないまま、ここまでついて来てくれた者がいるなら、どうか気兼ねすることなく申し出て欲しい」


 何事かと耳を傾ける冒険者たちへ、副部長は訥々と語りはじめた。


「かつて冒険者は、自由を求める者たちの集まりだった。俺も傭兵だった親父の影響で、騎士ではなく冒険者を生業に選んだ。俺たちの世代は、だいたいそうだ。真っ当な仕事に就くことだって不可能ではなかった中で、敢えて冒険者を選び取って今日まで生きてきた。ーーしかし、若い諸君は違う」


 真摯な眼差しを一人一人へ向けながら、苦み走った顔で副部長は続ける。


「職を奪われ、生活を奪われ、立場を奪われ。それでも生きるため、魔物と殺し合うことを事実上強いられてきた者たちが大半だ。忸怩たる思いを抱えてきたことだろう。その怨嗟は、俺たちの世代には到底理解し得ない。誇りを胸に戦えと言ったとて、感じて貰えるなどと思うほうが、おこがましいというものだ」


 言い切り、一度溜め息を吐いて顔を上げると、副部長の顔には穏やかな微笑が称えられていた。


 あたたかくも、他者に一切を期待しない。そこにあったのは、さながら無私の表情であった。


「我々が誰かを責めることはなく、また誰にも責めさせないことを約束しよう。ギルドは全ての選択を尊重する。三分待とう。その間に決めてくれ」


 逃亡を選んだ者たちは既に街を後にしており、残ったのは士気の高い者たちばかりだ。


 そのうえで、今ギルド館内に集まっているのは副部長への忠義か、あるいは何かしらの使命感か。


 いずれにせよ、並ならぬ決意を持っていることは間違いない。


 それでも、三分間の沈黙を経てもなお、誰一人欠けることなく静かに佇む彼らの様子は、前世の頃でも滅多に目にできない光景であった。


「……皆の決断に、現時点での責任者として礼を言わせて貰う。本当にありがとう」


 そう言うと、副部長はいつもの仏頂面に戻って、全員へ街の地図が張られた位置まで移動するよう指示を出した。


 ガスリー子爵が涙ぐみ、○○が鼻白んだような顔をしながらも素直に後へ続く中、デイヴィは僕へ声をかけてきた。


「その、よかったのか……?」


 何のことかと視線を向ければ、彼は気まずそうに頬を掻く。


 似たような目をしていたソフィアが、彼の代わりにこう言った。


「ショーティさんだけでも、安全な場所へ行けるならそっちへ行っていてもと言いたいんだと思います」


「ああ、向こうへ行ったって、約束なんか反故にされて使い捨てられるのがオチだよ。だいたい、あんな支離滅裂な人の下で大人しく指示に従うなんて、考えただけで蕁麻疹が出そうになる」


 深刻そうな彼らへおどけて見せると、ハーティが仕方なさそうに苦笑を漏らす。


「まったくもう。まだ小さいのに、立派に男の子ね」


「ああ、既に一廉の、見紛うことなき男子だ」


 ちょっとズレているエルシィさんも含め、全員で副部長の元へ向かう。


 前世の頃、魔族が祖国へ侵攻しようとしていることを知った際に、僕が率いていた者たちは国へ戻ることを進言してきた。


 彼らは口減らしとして、棄民政策の犠牲になった身だ。故郷を捨てる選択を迫られた彼らに、本来防衛へ向かう理由はなかった。


 それは、当時既に忌み子扱いだった僕とて同じ。正直、愛国心や郷土愛という感情は持ち得ず、ようやく傭兵団として回りはじめた一行を死地へ向かわせる気もなかった。


 そんな彼らが帰国を口にしたのは、僕が妹のパトリシアを案じていることを気取られてしまったからだ。


 時折望郷の念を口にする彼らへ、僕は妹のパトリシアが将来政治力を発揮するようになれたなら、再び国で暮らすことも可能になるかも知れないと語ったことがあった。


 パトリシアは一見、人に冷たい印象を与えるところがある。


 しかし、固定化された階層のみで付き合いが深まり、民生の安定を気にも留めない富裕な支配者層に危機感を抱いていた。


 また、機能不全を起こしている国家が、日ごとに弱体化していく現実を憂慮していた。


 そんなパトリシアであれば、階層の固定化を進めるための貧困化政策や、労働者から交渉力を奪っての一方的に搾取する現状を、多数派工作などを謀り転換させようとするだろう。


 直情的な僕と違い、彼女は内政や政治力に長けていた。また、当時のドルイドとしては珍しく、支配者層として国家に対し果たさねばならぬ責務というものも自覚している節があった。


 もう二度と会うことはないと思っていた、唯一肉親の情を感じる妹について語る僕の様子を見ていた彼らは、次第に彼女のことをパトリシア様と呼ぶようになっていた。


 そんな彼らが、あの利のない決断を下したことは必然だったのかも知れない。


 彼らの犠牲と引き換えに、魔族の侵攻を食い止めること自体は成功した。


 僕らが行かずとも国が滅ぶことはなかったろうが、その場合安全な場所に籠れた富裕層以外、ほとんどの民が蹂躙されたことだろう。


 今回と変わらない。否、今回戦う彼らのことは、何としても死なせない。


 かつての無念を噛み締めながら、僕は主戦力としてクイーングリズリーを狩るための作戦を立案していった。


 万全とは呼べない。それでも、必ず皆を守ってみせよう。



 最初の邂逅から、およそ数時間後。麻痺毒が抜けてきたクイーングリズリーは、未だ万全とは言い難い様子ながら、神経質そうに周囲へ警戒を配っている。


 その周囲には、今のところ人間はおろか、魔物すら一頭も存在しない。


 先ほどギルドで立てた作戦通り、輪になる形でクイーンを包囲した僕らは、付近の魔物を狩りながら少しずつ包囲するスペースを狭めていった。


 決戦に向け、想定外の邪魔が入ることは避けたい。ギルド職員から、最終確認が終わったことを告げられた僕らは、静かに立ち上がった。


「『身代わりの魔石』が砕けたら、無理せず取り決め通り離脱すること。最初は遠目から、俺が戦う様子を見て速さや間合いを掴むこと。いい?」


 身代わりの魔石とは、最大限物理耐性の効果をもたらすよう陣を刻んだ魔道具のことだ。


「わかったけど……ほんとにショーティは持たなくていいのか」


「うん。それより、みんなに余裕を持って対処して貰いたいから。一人でも多く囮を引き受けてくれる人が欲しいし」


 クイーングリズリーの攻撃にも効果を発揮できる魔石ともなると、当然その数にも限りはある。


 全員に行き渡らないなら、実力や与えられたタスクに応じ、所持する人間を割り振っていくべきだ。


「それにしても、あんなの人間に倒せるのか……?」


「倒せますよ。あんなの、所詮デカいだけですから」


 不安を滲ませる○○さんへ返事をすれば、彼は励まされたというより複雑そうな顔をする。


 そんな僕らを見た周囲が、仕方なさそうに苦笑いを溢した。


「災害級の魔物を、大きいだけ、か。お前が言うと、そう信じたくなるから不思議だな」


「あれより強いとなると、それこそ英雄譚とかに出てくるレベルだろ。○○とか、△△辺りの」


 ああ、たしかにどっちも、結構強かったなあ。○○はまだパーティーとしての連携ができてない時期だったからさておき、△△(竜系の)に関しては倒すのに多くの時間を費やしてしまった。


 奴は地の利を活用しこちらを翻弄するなど知性が高かったうえ、脅威的なブレスを除いても、その強さは容易に太刀打ちできないレベルのものであった。


 今目の前に現れたなら、全員抵抗らしい抵抗もできないまま※なぶり殺しにされるだろう。


 それを思えば、遠距離攻撃の手段も実質なく、魔法などを行使するほどの知性もないクイーングリズリーは、案外御しやすい相手と言える。


「そのデカいだけの相手に、また腕飛ばされるなよぉ?」


「あれは門番庇ったから負っただけなんで。見てたなら茶化さないで下さい」


 僕は普通に突っ込んだだけのつもりだったのだが、ヤクザ者の○○の冗談に、やや雰囲気がおかしくなる。


 ○○がアウェーの空気に肩を竦める中、ガスリー子爵が咳払いのあと、副部長へ確認を取りはじめた。


「あー、ギルド長。はじまる前に一つよいだろうか」


「あまり長くならないようでしたら」


 わかったと頷いたガスリー子爵が、向けられる視線に姿勢を正し、多少格調張ったものながら檄を飛ばす。


「諸君、私は立場こそ違えど、今ともに困難に向け立ち向かわんとする君たちの騎士道精神に感服している。この私がついているのだ。必ずや魔物を打ち倒し、この街に平穏を取り戻そうではないかっ」


 さすがですガスリー子爵! 慣れた様子で合いの手を入れるのは、彼が率いている騎士たち。


 装備などは古……懐かしの品々とは言え、それを纏う者たちはよく鍛えられていた。


 よく没落した子爵家でありながら士気を維持させているものだと感心していたのだが、どうやら彼の息子や甥など、親族が中心らしい。


 微妙に乗り切れなかった冒険者勢や、小馬鹿にするよう笑う○○を眺めたのち、副部長の顔を見やれば、立ち上がり重厚な声音で告げる。


「では、狩りに行くとしようか」


 それぞれが配置へ向かう中、さりげなく距離を詰めてきた副部長が小さく語りかけてくる。


「本当に、大丈夫そうか」


 僕を心配している様子の彼へ、僕は頬を歪めて応える。


「御父上に勝るとも劣らぬ武勲を立てさせてあげますよ」


 目を見開いた副部長は、呆れたように一つ大きな溜め息を吐く。


「まったく……かつて英雄たちを目にした父も、こんな気持ちだったんだろうな」


「力の大小ではないです。地道な抵抗を続けてきた人たちこそ、本当に讃えられるべき存在です」


「もうその気になっているのか……お前以外の言葉だったら、確実に叩いてるぞ」


 それは失礼と返すも、副部長に怒っている様子はない。


「死ぬなよ、小僧」


「副部長も。貴方は今後も必要な人間です」


 彼と別れ、持ち場へ向かうデイヴィたちと視線を交わし、僕は一同の中で、もっともクイーングリズリーに近い位置へと陣取った。


 そして全体の配置が完了したであろう十分後、僕は標的へ静かに近寄り、挨拶代わりの一撃を叩き込んだ。


「待たせたな」


 不意打ちに怒りの咆哮を上げながら、クイーングリズリーは激しく両腕を振り回す。


 しかし、その行動は予測済みだったこともあり、大きく飛ぶことで容易に回避。


 すぐさま追いかけてくる敵を背に、僕は距離を取るべく駆け出す。


 崩れた建物の僅かな隙間を、【荊棘の頸木】ですり抜ければ、踏み越えるか迂回しなければならない敵が苛立ちの声を上げる。


 そうして、小回りの効かない相手が追跡を手間取っている間に、誘い込んだ位置で再び建物に荊棘を絡ませ接近。


 遮蔽物が多く、自由には動けない狭いスペースを利用し、掴まらないよう細かく移動。そして再び一撃を加え離脱を繰り返した。


 クイーングリズリーは、敵意を剥き出しにしながら僕を追い掛けてくる。先ほど、麻痺毒を喰らわされた相手が僕であることに気づいたのだろう。


 敵を感情的にさせるのは、勝負事において有効な手段のうちの一つだ。


 苛立ちから、クイーングリズリーは強引に建造物ごと僕を叩こうとしてくる。


 その際飛散する瓦礫をなるべく回避し、動きのロスを突いて懐へ潜り込むと、さらに深く攻撃を加えていく。


 元々まだ麻痺が残っていたことに加え、出血する箇所が増えてきたことにより、多少動きの切れが落ちてきた。


 魔物は深傷を負えば負うほど攻撃性を増すとは言え、それでもダメージの影響が無関係ということはない。


 ここに来るまで、毒に侵されたまま無理矢理移動してきたことも理由の一つだろう。


 障害物に何度も転倒し、瓦礫で傷ついた体は、負傷箇所へ沿うように斬りつければ出血させることは容易い。状況は僕らにとって優位に動いている。


 とは言え、病み上がりは左腕をくっつけ直したばかりのこちらも同様。


 所詮神官ではなくドルイドの治癒ということもあり、左腕のみならず攻撃を受けた際に衝撃のあった左肩や脇腹も未だ違和感がある。


 痛みのみならいざ知らず、この引き吊れるような感覚のせいでバランスが崩れがちだ。


 人体の仕組み上、肩甲骨と股関節の動きには密接な関係があるため、切り返す動きをする際などに敏捷性の落ち具合がはっきりわかる。


 崩れた際のロスによる反応の鈍さや隙を小さくするため、攻撃は動きのスケールを抑えたうえで、フェイントを除いても二度三度が精々。


 それ以上は大きなリスクを伴うため、仕方なく離脱して仕切り直しを計っている。


「目、目で追いきれない……なんだあの動きは……」


「さながら、電光石火だな。一瞬であれだけ距離を開けることができるなんて……」


 この回避も、所詮は緊急離脱的な大きく遠くへ跳ねる類いのものであり、距離こそ稼げるものの次の攻撃に移るまで、テンポが間延びしてしまうことは避けられない。


 街の状況に加え、未熟なこの体を思えば、なるべく早期に決着をつけたいところなのだが……今も芸のない大きな動きでかわし、肩で息をする。


 向こうも疲労に慣れも加わったからか、すぐにこちらを追い掛けては来なくなりつつある。


 憎らしげに睨みつけてくるクイーングリズリーへ、僕は思わず苦笑いを溢していた。


「最初に不意打ちかけてきたのは、そっちだろうが。お互い満身創痍なんだから、恨みっこ無しでいこうや」


 この言葉に煽られたか、クイーングリズリーは猛烈なスピードで街を駆けてくる。


 建物や瓦礫があっても構わず進む、自棄糞気味の直進。これまで通り、避けながら刃を浴びせかけての離脱を繰り返す。


 しかし、こちらも時間を経るにつれ、徐々に体が利かなくなってきた。


 敵には今きっと、僕を追い詰めている感覚があることだろう。実際それは間違いではない。


 このままの状況が続くようなら、次第に僕の優位は失われ、地力で勝る奴がペースを握るのは時間の問題だ。


 徐々に袋小路へと追いやられる僕を、クイーングリズリーは千載一遇とばかりに猛追する。


 この目障りな人間を、ようやく殺れる。そんな確信に満ちた敵は、次の瞬間不意に襲ってきた痛みに戸惑い混じりの叫び声を出した。


「こっち向きやがれ! この糞デカ熊が!」


「まったく、いつまで待機なのかと思ってたけど、ようやく頼ってくれたわね!」


「あなたの相手は、ショーティさんだけではありませんよ!」


「動きはよく見させてもらった! やらせはしない!」


 突如姿を現した四人へ、巨大な爪が振るわれた。


 しかし、これを散会し回避したデイヴィたちは、エルシィさんの指示のもと、一定の間隔を保ちながらクイーングリズリーを撹乱しにかかる。


 デイヴィが正面から対面しプレッシャーをかけ、ソフィアが間に入ったり交差しながら前へ出ることで、的をデイヴィのみに絞らせない。


 そうして産み出した隙を、ハーティが縦に鋭く突きに行く。危なくなれば、すぐさまエルシィさんがサポートに入り、崩れかけたペースを再び手中に引き戻す。


 みんなが命懸けで時間を稼いでくれている間に、僕は呼吸を整え汗を拭いながら、この日のために作製した効果の高いポーションを飲んで魔力や体力を回復。


 そうして、四人に限界が来ないうちに、再びクイーングリズリーの相手をしに行く。


「ごめん、待たせた!」


「ショーティ君、もういいのか!?」


「もう少し休んでてもいいんだぞ!」


「いや、麻痺が抜けないうちに削っていく!」


 頷き合って確認を済ませると、敢えてクイーングリズリーの視界に入りやすい位置で挑発を繰り返し、注意を引く。


 みんなが無事引いたのを確認し、再びヒットアンドアウェイがはじまった。


 今のように、こちらにとって都合のよい各地点にはクイーングリズリー相手でも時間を稼げる人員が配置されている。


「」


「」


「頑張れショーティ君! これ終わったら、お姉さんがなんでも言うこと聞いたげる!」


 焼け石に水程度かも知れないが、負傷に加え呪術の行使により魔力の減少や、魔力回路の疲弊が残っている僕にとっては非常にありがたい休憩地点だ。


「子爵様、なかなかやりますねぇ」


「貴様こそ、性根は腐りきっているくせに剣筋だけはブレないな!」


 いかにタフとは言え、回復もなしに戦い続けなければならない相手と比べ、この差は確実に効いていく。


 本来であれば、このレベルの魔物とは万全な状態で戦いたかった。


 みんなの目的は、あくまで時間稼ぎとは言えど、それでもこのサイズに爪、牙、そしてパワーだ。万が一が起こる可能性は常に存在する。


 自分では、体や呪術はさておき、少なくとも頭脳や判断においては以外昔のままのつもりだった。


 しかしどうやら、二度目の生を受けてから記憶が甦るまでの間、僕の頭は随分と錆び付いてしまっていたらしい。


 前世の感覚であれば、いかに通常とは異なるクイーングリズリーが相手だとしても腕をもがれることなどなかったし、麻痺毒で弱らせ一時撤退に追い込まれることもなかったはずだ。


 不甲斐なさを噛み締めながら戦いを続け、クイーングリズリーの動きに慣れきった僕は、いい加減今回の魔力災害で最大の脅威を討ち取りにかかる。


「今から倒す! 全員、倒れる敵の下敷きを避けろ!」


「わ、わかった! 全体、退路をそれぞれ複数確保するように!」


 大雑把で、懐の深さもへったくれもない、ただ振り回すだけの、三流以下と評するしかない無様な斧捌き。


 それでも、既に何度も斬りつけ掴んだ感覚や敵の反応から鑑みれば、これは当たる。それも、深く抉れる一撃と、放つ前から体感で理解できる。


 たしかな手応えのあと、【荊棘の頸木】で離脱した僕の下へと、たった今事切れたクイーングリズリーが地響きを立て粉塵を舞い上がらせながら倒れ伏した。


 普段なら、死骸の位置や周囲の状況まで含めて戦えているというのに、これでは単なる力比べでしかない。狩りではなく、子供の力試しだな。


 そう今の自分に落胆しながら、粉塵がこれ以上広がらぬよう残りの魔力で水を撒く。見下ろす街並みは、そこで暮らしていた人々を思うと悲惨そのものであった。


 街の復興にも、これから多くの時間がかかるだろう。そのペースや規模も、果たしてどの程度になるものやら。


 あまり明るくない試算をしていたところ、下のほうから歓声が届いてくる。


 目を向ければ、そこではみんながクイーングリズリー討伐の喜びを噛み締めていた。


 中には、倒れた亡骸の上に乗り、飛び跳ねている者たちの姿もある。一応止めは差したとは言え、危なっかしい振る舞いに冷や汗が出そうになった。


「おーいショーティ! やったぞ! こんなでっかい魔物が倒せたなんて信じられねぇ!」


 屈託なく笑うデイヴィに手を振り、僕も彼らの元へ降り立った。するとみんな、それぞれ僕を迎えてくれる。


 一先ず、最大の危機は去った。問題は山積みとは言え、今はこれで良しとしよう。



 その後、未だ街の内部に潜むキンググリズリーらを掃討し、城壁の再補修を済ませた僕は、しばし教会で休息を取ることになった。


 一般に街と言うのは、地理的に魔素の薄い場所で発展するものであり、さらにそこへ結界などを張ることで安全性を高める。


 城壁なども単に頑丈なだけでなく、魔物避けなどの効果が付与されているものだ。


 今回の魔力災害で魔物が押し寄せてしまった理由の一つに、コスト削減などという名目で日頃のメンテナンスすら疎かになっていた、という事実があった。


 目先の金を長年ケチり続けた結果、より多くのコストがかかり、さらには技能を持った職人を集めようにも雇用の流動性が不安定なまでに高まった弊害により、技術の継承すら上手くいっていなかった自体が発覚。


 仕方ないので、高齢の職人や教会と繋がりのある石工や大工、土建屋の方々などの力を借り、できる限りこちらのやり方に合わせつつ突貫工事で直した。


 一先ずの終了後、各方面の職人たちから熱烈なラブコールを受けたのは秘密だ。


 ちなみに、富裕層が暮らす居住区を守る高い壁は、ある程度効果が発揮されるよう定期的に整備されていたようであった。なんだかなあ。


 さすがに無理をしたせいか、緊張の糸が切れると体が酷く重くなった。この感覚が消えるまで、まだ少し時間がかかるだろう。


 暇なので、簡単な魔道具の修理や、避難民の体調不良などを和らげるための薬を作っていると、不意にドアを叩く音が耳へと届いてきた。


 どうぞと迎え入れれば、中へ入ってきたのはララを連れた、先日負傷した神官だった。


「ショーティくん、少しよろしいですか? 整腸剤がもうすぐ切れそうで……」※言葉遣いあとで治す


「わかりました。そこにさっき作ったものがあるので、持っていって下さい」


「あ、それと薬をお酒と一緒に飲んじゃう方もいるみたいなんですよ。一応監視はしてるんですけど、どこで手に入れてるんだか……」


「では、禁酒薬も作りましょう。それはもう、とびっきりのを」


 笑いながら礼を言う彼女は、ある程度元気を取り戻した様子だ。


「ところで、体の調子はどうですか。どこか気になるところは」


「おかげさまで。まだ少し違和感はあるけど、ほとんど前と変わらないよ」口調直す


 あのあと、身内ということもあり他の重傷者などを除けば、彼女の治療の優先順位は高かった。


 多少は感覚のズレがあるのも仕方ないことなのだろうが、それでもあとで問題がないかチェックさせて貰おう。


「それより、ショーティ君こそ大丈夫なの? あのあと腕が取れたって聞いて、みんな驚いてたんだけど」


「あはは、取れるまではいってませんよ。もしそうだったなら、法術のお世話にならなきゃじゃないですか」


「ショーティ君なら、自分でも繋げられそうな気がするけどね。治癒だって私たちよりずっと回復させられるのに」


 さすがにそれはない。こと適性だけで言うなら、治癒は彼女たちの専売特許だ。


 魔術師や、呪術師、それに祈祷師なんかも多少は使えるとは言え、それはあくまで技能の習熟を深めた結果得られるもの。


 中には、欠損した部位を上手く縫い合わせる高度な技術を持つ者もいるが、それでも修練の末に失くした部位がなくとも生やせてしまう神官には到底勝てやしない。


 そんなことを思っていると、不意に彼女の顔に、微かな陰が差した。


「まあ、君がこんなに忙しくしてる気持ちはわかるけどね。私も、やることあるほうが余計なこと考えなくていいし」


「そうですね。没頭していれば、その間は気が楽です」


 僕らの間を気にしたララが、心配そうな顔で神官に話しかける。


「大丈夫? 何かあったの?」


「んー? 大丈夫だよ。ほら、元気元気っ!」


 すぐ笑みを作って相手をする彼女ではあったが、その様子からはどうしても、以前より溌剌さが薄れてしまった印象を受ける。


 そのことに気づいているのか、やはり合わせるララも戸惑いが滲んでいた。


「うーん、ちょっとまずいな。そうだ。これからララちゃんのお父さんがよくなるように、向こうでお祈りしに行こうか? さ、行こう」


 おどけながら僕へ小さく頭を下げ、身を捻り椅子から立とうとしたところで、音を立てて開いたドアから入ってきた者の姿に彼女の身が硬くなる。


「よう、調子どうだ」


 ララの父親に代わり、作業員のみならず獣人の避難民全体のまとめ役を務めてくれている○○であった。


 避難民たちが落ち着いているのは、彼の働きが非常に大きい。


 教会側と協調しながら、剛柔織り交ぜ獣人たちのグループをまとめ上げてくれている。


 ドカドカと床を踏み締めこちらへ来た○○は、二人の少女の存在にやや挙動を小さくする。


「ああ、いい。すぐ戻るから座っててくれ」


「座ってていいって」


 気遣う彼の言葉を通訳すると、彼女は硬さの見える愛想笑いを浮かべながら、短く感謝の言葉を述べた。


 そんな彼女をちらりと一瞥した○○は、さりげなく僕に近い場所、彼女とドアの間の空間を遮らない場所へ陣取り、話をはじめた。


「拘束してる連中を放せっつう要求が出始めてる。裏で手を回してるのは、この前しょっ引ききれなかったカスどもだな。それに他所の作業所にいた奴らも、少し切り崩されはじめてる」


「一度圧力をかけようか。甘い顔してたら、あっという間に増長する」


「下の奴らには、温情もかけてやってくれ。親族を盾に脅されてる奴らもいるようだし、こっちも連中を切り崩しに行きたい」


 力や脅しのみならず、人の情実に意識を向けられる人間だからこそ、これまでもリーダー足り得て来たのだろう。


「わかった。こっちと向こう両方で、それぞれ別グループに呼応しそうな奴のことをまとめておいて」


「お前こそ、さっさと治せよ。もう俺たちは家族だ。家族は弱い奴や困ってる奴を、絶対見捨てたりしない」


 自負を滲ませながら白い歯を覗かせる彼に、神官の少女の緊張がやや和らぐ。


 しかしその傍らにいるララは、対照的に虚ろな目を伏せた。言葉が通じるぶん、他意がないのは理解していても、思うところがあるのだろう。


 ララの父親は、あれからすっかり気力を失い、介護付きでの生活を送っている。


 半身に麻痺が残り、時折怯えたような譫言を繰り返す彼のことを、周囲の人々はこの前の卒中でおかしくなったと思っているようだ。


 そのうち食事も受け付けなくなり、死に至る日も遠くはないはずだ。


 一度、ララの母親に頼まれたので治療のふりをした。その際、衣服を汚してしまっていたララを叱る彼女の母は、こんな言葉を使っていた。


『こんな泥をつけて。元気になったお父さんが見たら、どう思うだろうね』


 そのときの親子の様子に、この女もまた養育者として不適格だと理解させられた。少なくとも、彼女に今後ララの世話をさせたいとは思えない。


「どうした、深刻そうな顔して」


 覗き込んでくる彼へ、頭を振って笑みを作る。


「いや、なんでもないよ。くれぐれも気をつけて」


「ああ、やること山積みなんだから、お前もさっさと治せよ」


「私たちも、そろそろ行こうか」


「うん……」


 三者三様の表情を浮かべた彼らが出ていき、しばらくするとまた別の来客があった。


「ショーティ、元気してたか」


「今日はね、お土産があるの。ほら、木苺とかグミに桑の実、たくさんあるでしょう?」


「さっき洗ってきたので、すぐ食べられますよ。はい、あーんして下さい」もう少し食べ物の描写追加


 他にも、冒険者ギルドの面々が集まってくれたようだ。これだけギルドからまとまって離れてもよいということは、ある程度仕事も落ち着いてきたのだろう。


「近場の魔物は粗方狩れたので、次はガスリー子爵の協力のもと、街道の安全を確保しようと思う」


「相当駆除してるはずなんだが、魔石も素材も心許ない。これからの季節を考えると、今のままでは少しまずいぞ」


「何でも壁の内側の連中が、魔力災害前に食料や物資を買い占めてたらしいぜ。しらばっくれてたくせに、本当はわかっていやがったんだ」


「一応、騎士団にも協力してもらって、ショーティ君に教えてもらった方法で戦力強化はしてるんだけど……」


 こちらも目の前の課題が積み上がっているようだが、聞いている限り行き詰まっている様子はなさそうだ。僕も体が戻り次第、すぐに加わることとしよう。


「魔素の数値は落ち着きはじめたのですが、未だに普段は目にしなかった上位個体が頻出しています。普通の魔物の数も多いようですし……」


「閉じ籠ってる支部長たちから連日、施設を復旧しろだのインフラを整えろだのと催促を受けているよ。支援もなしにできるわけがないだろうに。今では通信機の故障という理由で無視している」


「あはは、それはいいですね。精々中でヒステリーを起こしているといい」


 ちなみに支部長は、僕に対しても相当おかんむりらしい。支部長含め、降格やライセンス剥奪などをチラつかせているようだ。


 しかし現在、富裕層か閉じ籠っている区域では、労働者を蔑ろにし過ぎた弊害からシステム関係でのトラブルが相次いでいるらしい。


 とくに門の開閉にすら不自由しており、ごみ処理場や浄水場などを使えない結果、中は早くも不衛生な状態らしいのだから締まらない話だ。


「しかし、何でこんなことになる前に対処しなかったんだろうな。学があって賢い奴らが大勢いるだろうに」


「上手く回っていたはずの組織も、危機感がなくなるうちに少しずつズレていくんだよ。効果を得るために採択された政策が、いつしか教条化され、それを実行することを目的にしてしまったり」


「それが行くところまで行った結果、台頭する改革派というのがまた厄介でな。場合によっては旧態依然のほうがマシだった、なんてこともある」


 重い溜め息を吐く副部長に、エルシィさんも同調する。


「貴族が立場を失っていったのは、その傲慢さが長年嫌われ続けたことなど理由はあります。ただ、今の政商や大規模な商業ギルドが寡占を進め、税の逆進制を強め足元を見て支配する手法は、失敗した封建制と大差ないように思えます」


「ただでさえ下へ広がらない選挙権も、さらに納税額なんかで足切りしていくなんて話もあるぜ。市民様がたもルサンチマン煽られて、怠け者の貧乏人や学のない無能に選挙権は不要って笑ってた結果、自分らも選挙権を剥ぎ取られてるんだから自業自得だがな。各個撃破されてりゃ世話ねえよ」


 結局のところ、自由を謳いながらも庶民が一生浮かび上がれない階級社会を作り上げたいのだろう。


 政商と結び付いてるのが、前世の頃から中枢にあり続けている名家ばかりなあたり、その思惑がはっきり見て取れる。


 賃金が安く人道的な扱いから漏れがちな異民族、異種族の労働力を奴隷ではなく移民と呼び、待遇を引き下げられた庶民の近くに習慣の違う彼らを住ませ軋轢を生じさせ、大きな団結による交渉力の獲得を阻む。


 不満を抱く層には、努力不足、差別主義者とレッテルを貼ることで、ある程度は影響力を削ぐことができてきた。


 規制が撤廃されたうえでの、公平公正な競争を謳う自由主義者は、この時代における神官の役割を果たしているのだろう。


 しかし、今回の魔力災害が安全保障を怠り続けた末の帰結であり、それらを元に戻すことも職人が技術を後進に伝える余裕を奪われたことや、仮に長期の公による事業を打てたとしても一朝一夕で完成するものでない以上、あれ一度きりで打ち止めということはあり得ない。


 その場しのぎの対応に終始した結果、彼らはせっかくの地盤を、自らの手で破壊してしまっている。


 危機が去り、復興の中での豊かさや平和しか知らない世代が、社会不安や戦争への布石を着々と置き続けた八十年だったのだろう。


 僕が前世で生きていた時代も、細かい違いはあったとは言え、ちょうどこの流れであった。


 願わくば、今生では穏やかな人生を送ってみたかったものだったが……どうやら、僕はこういう星の下に生まれているらしい。


「いやあ、来るのが遅れて済まなかったね。どうだい体の調子はっ」


「お気遣いありがとうございます。そろそろ復帰するつもりです」


 先ほど訪れてから今に至るまで、終始上機嫌に破顔しているガスリー子爵は、次の瞬間予想だにもしない言葉を口にした。


「そうか! では是非とも、私の騎士たちに稽古をつけて欲しい! 皆、君の騎士団長就任を心待ちにしているぞ!」


「え、騎士団長……?」


 呆気に取られていると、ガスリー子爵がバシバシと肩を叩いてきた。一応気を使ってか右側ではあったが、少し勢いが強くベッドが軋む。


「そう、君は私が率いる騎士団を新たに率いる団長だ! なに、謙遜せずともよい。君の弱き者を慮る慈愛の心、そして何より、八面六臂どころか、一騎当千でもまだ足りぬほどの強者ぶり。まるでかの勇者様が突如目の前に現れたかのようだったよ! 私は君が欲しい!」


 アイツいっつも強さの例えに使われてんな。まあ、人間で誰が一番強いかを決めるとすれば、ほとんどの奴があいつの名前を挙げるだろう。


「なに、衣食住に教育も含め、心配は要らんさ。家庭教師もつけたうえで、時期が来れば学校へも行かせてあげよう。さあ、思いきって私の胸に飛び込んで来なさい」


「い、いや、お気持ちは大変ありがたいのですが、自分一人で決められることでもないですし……」


 こちらでの現代における教育内容に若干の興味こそあれど、あまりに話が性急過ぎる。


 そう思って口を挟んだのだが、それに対しガスリー子爵は嗜めるよう言った。


「なに、それはいかんな。たしかに君は幼い子供だが、しかし歴とした男子なのだから躊躇してはいかん。あのクイーングリズリーを屠った勇者がこの程度で及び腰では、些か情けないぞ」


「いえ、そうではなく、まずはパーティーのみんなと相談してからお返事させていただきたいのですが……」


「ああ、そういうことか。ならば安心なさい。ゆくゆくは他の冒険者たちも皆、私の騎士団の一員となってもらう」


 そんなこと、この前来たみんなは一言も口にしてなかったけど……。


「その……それは既に、副部長たちと話がついているのでしょうか……?」


「いや? まだ彼らには話していないが」


 それがどうかしただろうか。と、小首でも傾げんばかりにガスリー子爵は言った。


 他所の元支配者階級にこんなことを言うのも失礼なのだが、この人ほんとどうなってるんだ?


 貴族というのはもっとこう、高い選民意識が故の独善性や傲慢さこそあっても、自分たちのネットワークによる根回しに長けた、政争という魔窟の中を泳ぐ者たちのはずだ。


 なのにこの人とくれば、たしかに立派ではあるが落ち着きがなさすぎる。まるで五歳児が思い描く騎士像を体現せんとしているかのようだ。


「この前の一件で君たちの働きを目にして、冒険者は人材の宝庫と確信した。君たちのような意志ある者たちが、あんな劣悪な環境で醜悪な男の下にいるなど、あまりに惜しい」


 ある意味、こういう人だからこそ没落の憂き目に会おうが教会への支援を続けたり、先の魔力災害時にも収束へ多大な貢献を見せてくれたのだろうが……。


「このことは、近々エルシィにも話すつもりだ。民たちも、先の我々の勇戦を目の当たりにした結果、この街を取りまとめるのが誰であるのかを悟っただろう。選挙の結果次第では、○○(エルシィの実家)家の再興だって冒険者として功績を積むより早く確実なものになる」


 正直言って、まだ四十半ばほどの年齢を差し引いても、紙一重の人という印象を抱かずにはいられない。


 決して悪い人ではないことは認めよう。しかし、こんな勇み足が過ぎる人物が復権できたとして、本当にこの街は大丈夫なのだろうか?


「もし孤児や異教徒であることを後ろめたく思っているなら、そんな心配は無用だよ。私は差別がこの世で最も嫌いな人間のうちの一人だ。内心の自由は脅かされるべきではないし、もし君を悪く言う奴がいたなら、私が直々に懲らしめてやろう」


 い、言ってることは正しいけど、貴族としての復権を目指す人がそれを言うのか……。


 本人が自身の発言の矛盾に気づいていないあたり

、本当に純粋なお方なのだろう。友人としてなら、素晴らしい相手なのかも知れない。


 そんな複雑な気持ちでいると、外で聞いていたのかベサント司教が助け船を出してきた。


「ガスリー子爵、今日はもうこの辺りで。どうもショーティさんは無理をするキライがあります。合流の話も、もう少し遅らせるべきでしょう」


「なに? そのような事情であれば仕方がない。こんなこともあろうかと、今日は精のつきそうな食材を差し入れに持ってきたのだ。しっかり食べて元気になりなさい」


「え、いや、そっちは別に問題はなくてーー」


「若いうちはわからないだろうが、無理をすれば必ず後に残る。我が友もそれで娘を遺し命を失った。休みなさい。これは命令だよ。わかったね」


 有無を言わさぬ口調で言ってからニコりと笑って見せたガスリー子爵は、僕らのことを疑いもせず帰って行った。


「悪くなりそうなものばかりですし、みんなで早めに食べてしまわないと……それにしても、先ほどは大変でしたね」


「騎士団長の就任を求められました。外様のガキを急に上に据えたって、受け入れられるわけがないのに……」


 為政者を志すなら、機微への聡さや用心深さも重要だ。例えば妹のパティなんかは、その辺ピカイチなうえで果断に動ける判断力もあり、情もあるうえで支配者として一線は決して越えさせず、さらには……。


「そう言わないで下さい。ガスリー子爵は善良なお方です。先ほどの話でしたら、私からも断りを入れておきますので」


 それはありがたい話だが、このところベサント司教も疲労の色を隠せずにいる。頬も痩け、顔色もよくない。


「すいません。何もしていないぶん、こちらでの仕事を頑張りますので」


「おや、ショーティさんが何もしていないなら、私たちはいったいどうなるのですか? 作って下さっている薬、大変助かっています。流通が元に戻らない現状、なければどれだけの命が失われていたことか……」


 国内の大きな商会や海外の商業ギルドのため、本来避けるべき寡占を政策的に進行させた結果、○○(地名)のような大都市ですら物資が行き渡らなくなる状況を招いてしまった。


 高い壁の内側には、十分な医療を受けられる体制にあるのかも知れないが、これでは完全に貧困層及び庶民までもが見捨てられた形となってしまっている。


「それにしても……以前アンジェリン様からも伝え聞いてはいたのですが、ドルイドの製薬技術というのは目を見張るものがあるのですね」


「本職は薬師ではないんですけども、この程度であれば用立ててやって下さい」


 ドルイドになる際、知識として学んだだけなので、はっきり言って僕の調剤※など低レベルなものだ。


 前世でも、法術と違い完全な治癒も望めない中で自分なりに試行錯誤はしたが、歯痒い思いをしたこともしばしばであった。


「粗悪品が出回ることもある中で、十分以上の品質を備えていると思いますが……素材代のみで、これだけ作っていただいていることですし」


 教会の敷地内や街で手に入らない薬草などの素材は、デイヴィたち冒険者に採取してもらっている。


「はは、俺が俺が外へ出られるようになったら、その素材代も要りませんよ」


 僕の言葉へ小さく微笑んだあと、ベサント司教は真剣な面持ちでこう切り出した。


「街道の安全が確保されたなら、国からの介入があるでしょう。その際に、ショーティさんたちが責任を負わされてしまう可能性があります」


 それはそうだろう。支部長への皮肉に始まり、命令無視、器物破損、etc……。


 魔道具や魔法薬の違法作成なども、口を割る人間が一人もでない、ということはないだろう。


 そうでなくとも、システム側がその気になれば、罪状などいくらでもでっち上げられる。


 そして面子を潰された彼らは、ほぼ間違いなく僕を捕らえようとするだろう。


「あまり驚いていないようですね」


「予想はついていましたから」


「情報の秘匿には、こちらも最大限協力させていただくつもりです」


 ベサント司教の瞳には、冷徹さが滲む覚悟が宿っていた。内通者が出ないよう、同調圧力を高めるつもりなのだろう。


 もしかすると、そのための見せしめや処罰の方法まで考えているのかも知れない。


 しかし、それは非常にリスキーな舵取りだ。国家側ならさておき、いかに影響力が増しつつある東地区の教会と言えど、現状では少しのボタンの掛け違いで破滅への一途を辿りかねない。


 彼女たちの長年積み上げてきたものを、僕を庇わせるために崩壊させてはならない。そんなことより、もっと簡単な方法がある。


「いえ、それには及びません。それよりーー」



「これがお前の戸籍だ。ほれ、受けとれ」


 ○○(ヤクザ者)に投げ渡されたのは、今回の魔力災害で亡くなられた子供たちのうち、僕に都合のよさそうなうちの一人のものであった。


 表記されている名前は、○○・○○。ご家族も一緒に死亡が確認されており、親戚などが住む土地もここより遠方にある。


 これで冒険者登録を済ませたあと、元のショーティ名義は死亡による除籍扱いにしてしまえばよい。


 違法ではあるが、口裏さえ合わせてしまえば誰にも証明することはできないだろう。


「ありがとうございます。何から何まで世話になって」口調あとで確認


「まあ、お前ならいくらでも押し通ることもできるんだろうがな。外へ出たって森でも平気で生活できちまうんだろうし、そこで姿が変わるぐらい成長してしまえばいいだけなんだから」


 単純な力の差という意味では、間違いなくそうだろう。正直囚われの身になろうが抜け出す方法はいくらでもあるし、そもそも理由もなく縄の辱しめを受ける気もない。


「しかし惜しいな。俺はお前を買ってたんだが」


 そう言い口元を緩める姿からは、すっかり僕を諦めた様子が窺えた。力の差から判断して、御しきれないと判断したのだろう。


「あなたがヤクザ者でなければ、力を貸すこともあったかも知れません」


「けっ、そんなに俺らが嫌いかよ」


「貴方の優秀さに疑いはなくとも、民を締め付け過ぎるやり方は好きじゃないんですよ」


 みかじめとして、食っていけるだけの金以外をほとんど巻き上げてしまうことで、民衆が力を持つことを抑えることは可能だ。


 力で押さえつけること自体を否定するつもりはないし、彼らが時折温情を示すことがあるのも理解している。


 それでも、過分に上前を跳ね続け、民を疲弊させ共同体を先細りさせ続けた結果待っているのは、やはり今支配者として君臨している者たちと同じ体たらくなのだ。


 僕は祖国にいた頃から、力を持った者たちが台頭するなら、それはそれで構わないと思っていた。


 重要なのはドルイドという特権階級による支配が続くことではない。自国民の繁栄が持続するということなのである。


 それを履き違え、地位を力としか認識できない無責任なトップに、略奪者との差はどれほどあろうか。


 いや、悪事を働いている自覚があるぶんだけ、道徳的にはこのヤクザ者のほうがまだマシなのかもわからない。


「たしかに俺らも上前を跳ねちゃあいるが、馬鹿の一つ覚えに逆進性の高い税率を上げ続けるくせ、大商会には減税や惜しみ無い補償をする役人連中ほど狂っちゃいないぜ」


 彼自身に関しては、その言葉通り限度を知る人間なのかも知れない。


 しかし、麻薬を売ったり、弱味を握り骨までしゃぶったりということに目を瞑ったとしても、後年教条化しエスカレートするばかりになるであろう方向性自体が問題なのだ。


 例え軽率なところがあっても、僕がガスリー子爵を推す理由はそこにある。目敏さはなくとも、彼には自身を蔑んできた庶民をも救済しなければという使命感、徳があった。


 根底にある思想が正反対な以上、基本的に相容れることはない。そんな二人が同じ組織にいれば、その火種はいつか重大なトラブルを引き起こすだろう。


「ったく……知ってるか? 役人ども、復興税なんてものを取ろうとしているそうだ。」プラス、何か国富を切り売りするようなこと(焼け太りに繋がるような)


「普通は減税や補償をするところでしょうに、鼻の悪いことですね。有為な人材なんて、既に全員追い出されてるんでしょう」


 硬直化し、機能不全を起こした組織に順応できる人間が集まった結果の悲劇だろう。保身と椅子の取り合いに終始するような場では、とてもでないが健全化など不可能だ。


 恐らく、長いこと右に倣えの習慣が続き過ぎてしまったに違いない。問題は下の立場、世代へ押し付けていればよかった時代は、もうすぐ終わりを告げる。


 内心それがわかっているからこそ、彼らは逃げ切れる一人になるために安全保障という観点から見れば支離滅裂な、焼け太りを目論んでの行動を繰り返す。これもまた分断の結果だろう。


 それにしたって、仮にも大都市であった○○(地名)までもが切り捨てられる対象とは……この調子では、火さえ着けば一瞬で動乱が広がってしまいそうだ。


「そういうお前も、事実上街を追われるわけだが……これからどこへ行くんだ?」


「とりあえず、一緒に行く面子を鍛えながら北へ向かうつもりです」


「北? ろくに遊ぶ場所もないだろうに」


「あはは、でも、ここや中央に比べれば動きやすいでしょうから」


 苦笑いとともに返す。かつて出奔した際も、冒険者が受けたがらない依頼の消化や賊徒の恭順、討伐などを行ったのはあの辺りであった。


 率いていた者たちは、生まれ育った故郷から棄民され、心に傷を持った者ばかり。


 その鬱屈が外へ向かってしまう者も見られた以上、歓楽街が近くにあり過ぎる状況はあまり好ましくなかった。


 地方ということもあり、余所者、しかも異教徒が歓迎される土地でもなかったが……それでも、時折羽根を伸ばさせてやるぶんには、地方都市程度の規模のほうが都合がよい。


 護衛の名目で祖霊をつけたうえ、何かトラブルがあればすぐ向かってやれる。


 今回も、あのときに近い日々を送ることとなるだろう。パティはもう死んでしまったそうだが、それでも地元がどうなってるかは多少気になる。


 もしかすると、率いていた棄民たちの中で誰か一人ぐらいは生きているかも知れないし……。


 そう物思いに耽っていると、不意に○○が意地悪そうな笑みを浮かべた。


「期待の神童君を手元に置くことができなくて子爵サマもさぞかしガッカリなさっていることだろうな」


 実際、ベサント司教とともに計画を説明のうえ断りの報告をしに行ったところ、かなりしつこく粘られ、今でも隙あらば翻意を促してくる。評価して貰えること自体はありがたいが……。


「その、悪い人ではないんですけどね」


 ヒロイックな性質が強くとも、民生の不安定化を憂う気持ちは本物だろう。


 貧困支援は綺麗事ではない。生まれた環境や、死以外出口の見つからない生活苦が原因とは言え、自堕落極まった一部困窮者の姿に愛想を尽かし志を捨ててしまう者も多い。


 そんな中でも幻滅することなく、長年東地区の教会へ支援を続けているのが何よりの証拠だ。少なくとも、口だけの男ではない。


「あれにこの土地を治めさせたいんだろ? 俺はどうかと思うがねぇ。万年あの調子なんだから無理だろ。知ってるか?」


 貴族による封建的な社会も過ぎ去って久しいらしい今、たしかにガスリー子爵には為政者として欠けている要素が多い。


 それこそ、○○が腹心にでもなってくれれば心強いのだが、野心の強さからナンバーツーに収まり続けられるとも思わない。そもそも、水と油の二人が交わることもないだろう。


「それに知ってるか? あいつお前のこと、勇者様の生まれ変わりなんて言って回ってるそうだぜ。実態は得体の知れない化け物だって言うのに。それを子爵風情の騎士団長へ据えようなんてな。寝惚けてんのかって話だ」


 なんと他愛ない……時系列的に、僕が生まれてからとあいつが死んでしまうまでの時間被ってるし。


 その種のおおらかさも買いはしているが、しかしそれでも、トップとしての資質に些か欠けるところがあることに変わりはない。


 せめて時代が違えば、それなりの評価をされる統治者になれたのだろうが……彼が今後どのような評価を得られるかは、ひとえにベサント司教との関係次第だろう。


 街を見渡せば、あちこちから金槌や魔道具による音が響き渡っている。


 街のインフラなど、都市機能に関わる箇所も大方は修復し終え、残りは年配の方々が若い衆に、ノウハウを伝えながら直すこととなっていた。


 断絶されかけた技術を下の世代へ継承する、よい機会となって欲しい。


 そしてガスリー子爵が復権したなら、各施設の再公営化や長期的な公共事業で雇用の受け皿を作って貰いたいものだ。


 抵抗や妨害が予測されるため道は険しいだろうが、それをしないなら体制が変わる意味がない。


「俺なら、飼い慣らせそうもない奴は遠くに行って貰いたいもんだがね。今端々で喧しくしてる連中が動けてるのも、お前が教会を通じて支援してるからなんだろ? 一見無欲そうな奴の大望ほど、恐ろしいもんはねぇぜ」


 言葉遣いは粗野だが、彼が僕のことを随分と気にかけてくれているのはわかる。


 共に難事を乗り切った面々の中で、唯一見舞いへ訪れなかったのも僕の身の振りを気にしてのことだろうし、都合のよい戸籍を金だけで見つけてくれたのも、快気祝い代わりに違いない。


 僕は地元にいた頃から、必要悪としての側面を認めはしても、暴利を貪るヤクザ者を好いてはいなかった。


 しかし、目の前の彼個人に関しては一廉の人材として認めている。もし違う人生を歩めていたなら、そう思わずにはいられない。


「最初に冒険者試験を受ける資金を貯めたのは、荷運びの仕事にありつけたからでした。お世話になりました」


「何しでかす気か知らんが、まあ、引き際だけは意識しておけ。何かあっても、ここまで落ち延びられたなら面倒見てやるから」


 頭を下げると、彼は笑みの形にした表情を解き、複雑そうな心情が覗く横顔を俯けた。

※ヤクザ者の屈折を余儀なくされた過去を匂わせる描写入れる。あといい加減名前決める


 街を去る前に、僕はヤクザ者たちが避難民を収用している施設を訪れた。


 一応、スペースを区切る板があるとは言えど、あくまで最低限の域を出ていない部屋に、日雇い時代お世話になったおじさんはいた。


「お久しぶりです。お元気でしたか」


「おお、来てくれてありがとう。なんとかやってるよ」


「それはよかったです。これ干し肉なので、よかったら食べて下さい。あのあと、どうしてましたか?」


「ここから仕事に通ってるよ。物流が戻るのは、まだもう少しかかるみたいだけど、かわりに瓦礫の処理とかがあるから」


 穏やかな表情で、屋根付きの部屋で眠れて食事も出して貰えていると教えてくれた。


 教会の繋がりとは違う、ヤクザ者たちの影響が強い地域で復興に従事しているのだろう。


 相当なピンハネの元天引きされているはずだが、プライベートが皆無な空間にいることを差し引いても、さほど不満を抱いている様子は見られない。


「ありがとうな、あのとき助けてくれて。俺だけでは、どうにもならなかった。あとお前、体治してくれてたろ」


「その、法術ほどの治癒力じゃありませんけど」


「他にもデカい熊を倒したとか、城壁からインフラまで直して回ってるなんて話も耳にしてるぞ。……凄いな、才能があるっていうのは」


 細められていた目が開くと、どこか卑屈な眼差しがこちらを覗いていた。


「その、知ってる範囲であればお教えできますが」


「いやいや、お前と俺とじゃ……」


 不意に冷や水を浴びた気分を仕舞い込み、平静を装って伝えたのだが、にべもなく断られてしまった。


 あからさまな拒絶ではない。それでも、以前はなかったはずの明確な隔たりが、僕と彼の間には明確に存在するのがわかる。


 彼自身、今の自分にどこか戸惑っているのか、間を繋ぐよう先ほどの干し肉を噛っては、上手いなと呟いてみせる。


「これ、なんの肉だ?」


「キンググリズリーです。みんなで倒したものを炊き出しに使ったり、こうして加工して配ったりしています」


 そうか、立派なじゃないか。そう言いながら、一枚のそれを食べきる。どこか無理をしている感じは、やはり否めない。


「そう言えば、あのときの女の子どうなった」


 内心、歓迎されていないのだな。そう思っていたとき、彼はふと思い出したように切り出した。


「無事救助されました。おじさんのおかげです」(ララの魔石盗った子のその後追加)


「そうか、よかった。無事ご両親の元に戻れたか」


「はい。おじさんが命懸けで守ったおかげです」


 数日前に父親がベッドの上で死亡し、母親も急に行方を眩ませ小さな騒ぎになった、という事実があっても、表情は自然と、子供らしい無邪気な笑みを形作る。


 それから少しの間、当たり障りのない言葉を交わし合ったあと、話題もなくなった僕は別れる前に尋ねた。


「どこか、調子の悪いところはありませんか」


「……少し、背中が痛むかな」


 最後ということもあってか、この治療は素直に受けてもらえた。


 背中を中心に【治癒】を行使し、あとから下腹部が痛むことがあるという申し出もあったので、そこも診させてもらう。


 この人にも、ついて来てもらえたら。そう思っていた。若くはないのだろうが、単純な素養自体だってなくはない。


 先ほど【治癒】を教えようとした、その理由の一つもそれだ。僕やララのような子供を、自身の窮状を省みず損得抜きで助けてくれる彼にいて欲しかった。


 治療も終わり、街を出ることを告げた僕は、やはり表面的には親しげな、しかし実質空虚な挨拶を交わし合って別れた。


 帰り際に会った、避難民の護送時に一時道中を共にした男がいたので、金を渡し今面会していた男へ便宜を図ってくれるよう頼み、教会への道を一人行く。


 棄民された者たちにとっての僕は、()()()()を(・)()て(・)て(・)ま(・)で(・)()()()を(・)()い(・)て(・)く(・)れ(・)る(・)ゴヴァン様であった。


 デイヴィたちにとっては、頼りになる弟分。副部長たちから見れば、唐突に現れ味方についた異分子。


 しかし、彼から見た僕は、もう働き者な浮浪児のチビではない。


 冒険者になってから、何度か彼にお礼をしようと日雇いの現場に向かったことがあったが、不思議と彼に会えた試しは一度もなかった。


 違う現場で仕事をしていたのか、もしくは避けられていたのか。


 こちらの出方次第で違う展開もあったのかも知れないが、こうなってしまっては何もかも、仕方のない話であった。



 出発の日、教会の前には数十名にも(のぼ)る数の者たちが、旅支度を整えていた。


 面倒を見られる人数のキャパを超え、避難民たちを受け入れた教会はやや苦しみつつある状況にある。


 食料や物資の調達、環境の改善にはできる限り協力してきたが、それにも限界というものがあった。


 そこで今回、有志を募り街を出て、冒険者として活動をしながら出稼ぎをして回ることになったのである。


 まあ、僕が街にいられなくなる可能性が高いという事情が端を発した計画なのだが、近隣のキンググリズリーらは日々成長を見せている騎士や冒険者たちのおかげで大きく数を減らしている。


 となれば、違う土地へ魔物を狩りに向かうのも一つの手だろう。仮にも大都市だった○○ですら、魔力災害以前からあの有り様だったのだ。


 現在暮らしている住人たちは気の毒な思いをしているのだろうが、僕らにとっては非常に狩り手のある状況となっていることだろう。


「着いてきて下さり、ありがとうございます」


「気にするな。それに俺はまだ、お前に勝ててないからな。勝ち逃げは許さん」


「北のほうは昔拠点にしてたことがある。いくらか役に立てることもあると思うぜ」


「そうそう。大船に乗ったつもりで、お姉さんたちに任せなさい。船なんて乗ったことないけど」


 他の冒険者もそうだが、この三人がついてきてくれることは大きい。戦力として申し分ないうえ、人間的にも信用を置ける。


 発展途上な者たちが多い一行の面倒を、各々親しみやすさや、おおらかさを持って見てくれることだろう。


「まったく、街がこれからってときに、実力者を引き抜いて行きやがって……」


「すいません。何かで埋め合わせられるなら、おっしゃっていただければ」


 副部長の顰めっ面に言えば、彼は厳つい面相を解き、冗談に決まってるだろと笑った。


「安定を求めて騎士団に移った奴らを抜いてもなお、お前のおかげで力量のある冒険者が増えてくれた。近くに家族が住んでたりと、この街に根を張って動いてくれる者も多いしな」


「短い間だったけど、世話になったよ。次代の英雄と肩を並べて戦ったって、親父への土産話もできたし」


「何かあったら頼ってね。こっちからでも、できる限りのことはさせてもらうから」


 実際、今回街を出る者たちは、肉親や近親者などの身寄りのない者たちが大半であった。


 そうでない者も僅かにいるが、家族について口を重くしている様子だったので深くは聞かないことにしている。


 街に残る冒険者たちやその関係者と別れをかわしていると、不意に咳払いの音が聞こえてくる。


 声の主を探せば、そこには苦い顔をしたガスリー子爵の姿があった。


「ええと、ショーティ君。街に残れない事情ができてしまったとは言え、こんな形で別れることになるのが残念でならない。本来君には、私の支援のもと騎士団長としてその力量を存分に発揮させてあげたかったのだが……」


 微妙になった雰囲気をものともせず、ガスリー子爵は僕の前に背筋を伸ばし堂々と立てば、次の瞬間には力強く宣言していた。


「しかし、私は決して諦めない! この街の実権を取り戻した暁には、必ず君に相応しい椅子を用意しよう。それまでの間、広い世界を見て見聞を広げてきなさい!」


 僕、戻ってくる前提なのか。聞いている感じ、まるで引き裂かれる主従とでも言いたげな情感の込もりっぷりに少なからず引いてしまう。


「これは私からの餞別だ。必要なときに使いなさい」


 そんな僕らをよそに、ガスリー子爵が促せば騎士団所属の彼の親族が、荷馬車を引きながら姿を現す。


 促されるまま中を覗けば、そこには現金や濾過器、薬に魔道具などが各種取り揃えられていた。


 旅での使用に不向きなものや、使い道に困るものもあったとは言え、どれも値の張るものばかり。これだけでも、彼が金に糸目を付けず用意してくれたことがわかる。


 そして何より目を引いたのは、上質な魔石の数々であった。魔石には気泡、亀裂の有無や純度など、品質を分けるものがある。


 一般的には、色合いなど見た目が綺麗なもののほうが大きな力を秘めていることが多い。


 ガスリー子爵から渡されたそれらは、どれも値打ちのあるものばかりなうえ、希少価値の高いものも相当数混じって、それぞれの輝きで存在感を発揮していた。


「こ、こんなの貰って大丈夫なんですか?」


「気にすることはない。君にしてもらったことからすれば、これでも足りないぐらいなのだろうが……」


 たしかに、あのとき事態に対処できる人間は僕ぐらいだったとは言えど、この量や質はちょっとしたものでは……。


 様子を伺うに、必ずしも恩を着せるため、というわけでもなさそうだ。


「……たしかにいただきました」


「うむ。必要なときが来たなら、遠慮なく使いなさい。今回の旅での経験は、必ずや将来君の糧となるだろう」


 これだけの支援を受けてしまった以上、貰いっぱなしというわけにもいかない。いずれは、何らかの形でお返しを考えなければな……。


「ララちゃんも気をつけるんだよ? みんなから離れないようにしながら、何かあったらすぐ誰かに相談すること」


「うん……気をつける」


 一方、少し離れたところでは、ララが教会の方々と別れの言葉を交わしていた。


 辿々しいながらも、短期間のうちに言葉でのやり取りが可能になっているのは、単に彼女が若く言語の習熟が早いから、というだけではない。


 教会の仕事を積極的に手伝いながら学んだララは、読み書きの不得手から教本で学ぶという手法を取れない中でも、立派に最低限度のコミュニケーションを取る方法を身につけていた。


「旅先のどこかで、お母さん、見つかるといいね」


「うん……」


 俯くララの様子に、他の神官が何かあったのかと尋ねる。代わりに答えたのは、当初話しかけていた神官であった。


「ララちゃんのお母さん、いなくなっちゃったんだよ。街のどこを探しても姿が見当たらなくて」


「え、いなくなったって……もう全部探したの?」


「○○ファミリー(ヤクザ者たち。名乗り口上のシーンと齟齬が生まれない名前に)が治めてる場所の深く以外は……仮に街を出ていたとしても、外はまだ街道の安全すら災害前以下なのに」


「お母さん、怒ってたから」


 自責の念が滲むララの短い言葉に、神官たちは慌てて彼女を慰めはじめた。


「あれはララちゃんが悪いんじゃないよ? お母さんも気が立ってて、ララちゃんを叩いちゃったのが気まずくて少し遠くに行っちゃっただけなの」


「きっとそうだよ。ショーティくんたちとは定期的に連絡を取り合うことになってるし、こっちで姿を見かけたら、すぐ手紙を送るから。だから元気出して、ね?」


 耳にしたデイヴィたちも、声を抑えながら話し合う。


「このご時世に、心配だなあ。なるべく俺らも協力してあげようぜ」


「そうね。最後のやり取りがそれじゃあ、母親もきっと後悔してるだろうし」


「でもララちゃんのお母さん、いったいどこに行ってしまったのでしょう。無事だといいのですが」


「きっと()き(・)て(・)は(・)いるよ」


 そうだな、前向きに考えようぜ。そうデイヴィたちが語る中、不意に視線を感じ、然り気無くその方向へ視線を向けると、エルシィさんがじっと僕の顔を見ていた。


 彼女に関しては、父親の発狂や卒中の時点で、何かしら勘づいていそうな雰囲気はあった。


 そう思いながらも、視線が絡まった際に彼女の瞳にあったのは、予想していた警戒でも嫌悪でもない、まるで哀れむような色であった。


 戸惑いが表出しかけた際に、ウィルの喚くような声が思わぬ助け船の形となった。


「おい、早く行こうぜ。さっさとしなきゃ、日が暮れちまう」


「もう、野営の手順を覚えさせるために、今日はあんまり急がず進むって決めてたでしょ。それに大勢で出て怪しまれても仕方ないから、少人数で少しずつ外に出るって……」


「ああもう、わかってるよ、まったく、小言ばかり言いやがって面倒臭ぇ」


 ポーラの嗜める言葉に、決まり悪げなウィルが悪態を吐く。周囲が和む中で、エルシィさんからの視線はなくなっていた。


「司教様、この教会で育ててもらった者として、恥じることのないよう旅先でも努めて参ります」


「若いうちに外の価値観に触れるのは、苦しみもあるでしょうが意義のあることです。神はいつでも、あなたたちを見守って下さいます」


 同行することとなった神官たちへ激励の言葉をかけたのち、ベサント司教は僕の元へとやって来た。


「彼女たちのこと、よろしくお願いします。一通りのことはこなせるよう教えてきたつもりですが、何かあった際には遠慮なく言ってあげて下さい」


「了解しました。彼女たちの無事も、ここに約束させていただきます」


 僕の返事に、ベサント司教は申し訳なさそうな顔を俯ける。


「本当に、なんと申し上げればよいやら……よりにもよって、あなた一人に押し付ける形になってしまうとは」


「もともと、一通り外を見てみたい気持ちはあったので予定通りでもあります。気に病まないで下さい」


 幸いあれから東地区の教会や、支援者であるガスリー子爵の影響力が高まったこともあり、多少の追及を受けようとシラを切れる程度の力は得られた。


「しかし、いくらなんでも本来の身分で死亡扱いは……亡くなられた方のそれを買うというのも」


 ひょっとして、前世で一度死んできたことで、僕の命に関する根底の部分でのハードルは、他人のそれと変わってしまったのかしらん?


「それでしたら、なおさらお気になさらないで下さい。身寄りのないみんなのこと、よろしくお願いします」


 かつての浮浪児たちは、今回の同行を願う者たちの割合が殊更高かった。


 手っ取り早く一旗挙げたい気持ちはわかるのだが、あまりに幼い子供や、素行、行状の問題が大きすぎる者は、このままで面倒を見てもらうこととなっている。


 他に行く場所がないという状況であれば、厳しさを持って締め上げながら連れていくことも考えねばならなかったが、面倒を見てくれる場所があるならそこで時間をかけて育てばよい。


 大人数の面倒を見ながら、一人一人へ丁寧に向き合うというのは相当困難なことだ。全員へ目が行き届かない結果、致命的な問題が発生することが目に見えている。


 僕自身、排除ではなく言うことを聞かせるために暴力を用いることは好きではないし、そういった方法で短期的にまとまった体をなせても、歪みは静かに内なる攻撃性として蓄積され続けていく。


 だから、今はこの規模で無理なくいく。ある程度スムーズに組織運営できるようになったなら、これから向かう先で新たな人員を迎え入れることもあるだろうが、それも先の話だ。


「お前には随分世話になったな。まあ、俺にできそうなことも少なくなってきちまったが、あとのことは任せろ」


 ○○(獣人側の労働者代表)はそう言うが、長い避難生活でも獣人たちグループが不慣れな環境や、生活習慣の違いでさほど問題を起こさなかったのは、間違いなく彼が同族間でのリーダーシップを取ってくれたおかげである。


 今後は元の暮らしに戻るにつれ、雇用面や今後の立場など、不安定になってしまった暮らしの安定化が求められる。


 また、教会から距離ができたところでの切り崩しや、新たに喉元過ぎて熱さを忘れた層が起こす混乱なども予測されるが、ガスリー子爵や教会と連携しながら、問題に対処していくことになるだろう。


「人心が離れないよう気を配ってくれるのも立派な仕事だよ。街のためにも教会のこと、これからもよろしく」


 僕らが握手を交わす中、周囲でも教会に暮らす方々とフォレストキャット、エルシィさんとガスリー子爵たちなど、別れを前に最後の挨拶をする人々が増えていく。


 また戻ってくるのは、いつの日、どんな状況でのことになるだろうか。


 恐らく平穏の中での再訪は望めそうもないが、前世で国を出たときとは違い、惜しまれながる構成員が大半なのが幸いであった。


「おーい、持っていく物は、さっき子爵様からいただいた物質を合わせたので全部なのか?」


 同行を申し出てくれたおじさんが、何やら帳面を片手に確認の声を上げている。


 教会には申し訳ないのだが、信頼の置ける事務担当を得られたことは非常に大きい。


 子供たちも、彼にもっとも心を許している節がある。戦う力はなくとも、今後の道中で間違いなく重要な役割を果たすことになるだろう。


「じゃあ、そろそろ行こうか。それぞれ身分証は持ったな? 解散後、数人ずつの組みに別れて、外の集合場所まで移動開始!」


 掛け声に合わせ動き出す面々に、激励の声が飛ぶ。街の移動中も、住民たちから応援の声や暖かな眼差しを向けられる。


 なるべく内々で進めていた計画なんだけどな……そう内心ぼやきながら門へ到達すると、そこで番についていたのは、なんとこの前クイーングリズリーが現れた際現場にいた彼であった。


 賄賂を渡そうとしたところ、苦笑いとともに差し出した手を押し返される。


「いらないよ。この前は助かった。どこに行くんだ?」


「とりあえず、北」


「そうか。幸運を祈ってるよ。と言っても、君なら運なんかに頼らなくたって人生を切り開けそうだけど」


 そんなことはない。最後にものを言うのは、いつだって運である。


 そういう意味で言えば、二度目の生を受けたのがこの街だったというのは、別に僕の意思が影響したわけではないが結構悪くないチョイスだったのではないだろうか。


「あの街も気に入りはじめてたけど、旅も悪くないよな」


「あら、嫌ならデイヴィは残ってたっていいのよ?」


「馬鹿言うな。ショーティ一人放っぽり出すわけにいくかっつぅの」


「旅をしながら依頼をこなして回るなんて、なんだか昔の冒険者みたいでワクワクします」


「そうだね。私も本格的に生まれ育った土地から離れて暮らすのは初めてだ」


 みんなの明るい声に心地よさを感じながら、高く登っていく日差しの中を僕らは歩いていった。

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