狛犬様と僕
僕の家は神社だ。
ご先祖様やじいちゃんが守ってきた由緒正しい神社だって、父ちゃんが言っていた。
小学2年生の僕には想像もつかないくらい長い歴史があるんだよって。
それを今は父ちゃんが、次に僕が守っていくんだってさ。
僕がもっと大きくなったらたくさんのことを教えてくれるらしい。
僕の父ちゃんはすごい。
たまに持ち込まれてくる、曰く付きってやつの人形とかを父ちゃんがお祓いすると綺麗になる。
持ち込まれた時は黒くくすんでいたのに、お祓い後はぴかぴかになるんだ。
それを父ちゃんに言ったら、お前には悪いモノを見る力があるのだな。って言われた。
父ちゃんにはないらしい。
それから、僕は狛犬様と普通に話すことができるんだけど、父ちゃんはそれもできないらしい。狛犬様と喋れていいなぁって羨ましがられた。
僕は物心つく前から狛犬様を見ていた。見ていた、というより感じ取っていたみたいだ。
指をさして、わんわん! と言ったり、手を振っていたと母ちゃんが言っていた。
狛犬様はこの神社の守護獣だから、礼儀正しくしていなさいと教えられた。
狛犬様は恐い顔をしている像だけど、挨拶をすれば返してくれるし、話しかければちゃんと答えてくれる。
狛犬様の像を拭いている時は、気持ちがいいのかいろんな話をしてくれたりもする。じいちゃんやご先祖様の話も聞いた。
父ちゃんの話も聞いた。
子供の頃、境内でサッカーボールを蹴って遊んでいたら狛犬様に当たって、尻尾が欠けちゃったんだって。じいちゃんは父ちゃんをすごく怒ったらしい。
でも、狛犬様が「そんな小さなこと、いつまでも気に病む必要はない」って言ってたよ。って、父ちゃんに教えたらびっくりしてた。
次の日、父ちゃんは犬用のジャーキーを狛犬様にお供えしてた。
狛犬様は「犬ではないんだがな」って言いつつ、僕がいなくなってから食べたみたいだ。美味しかったらしい。
ある日、本殿の近くを通ったら騒いでる声が聞こえた。
なんだろう? って思って扉を少し開けて中を覗いた。
そしたら、人のお祓いをしていたんだ。
いつもなら、今日はお祓いがあるから近づかないようにって言われるんだけど、この日は何も聞いていなかった。
本殿の中ではお祓いを受けていた人が倒れていて、その上に黒い大きな影が覆い被さっていた。父ちゃんの唱える詞に抵抗してるみたいだった。
父ちゃんが「かしこみかしこみもうす」って最後の詞を唱えたら、その影は覗いていた僕のほうに飛んできた。
黒い影の中に人の顔みたいなのがあって、僕を見つけて笑ったんだ。
あ、まずい。
と思ったけど、体が動かなかった。初めて怖いと思ったんだ。
黒い影が目の前に来た時、僕は目をぎゅっと瞑った。そしたら、
「その吾子に触れるな!」
突然声が響いて、目を開けると目の前に光る大きな動物がいた。
すごく眩しくて、その光にびっくりした黒い影は天井に逃げて消えた。
目の前の動物はそれを見届けて「ふん」って言って消えた。
狛犬様と同じ声だった。狛犬様が助けてくれたんだ。
その時、僕は初めて狛犬様の本当の姿を見た。
僕は狛犬様にお礼を言いに走り出そうとしたところで、父ちゃんに首根っこ掴まれて動けなくなった。
父ちゃんの長い説教のあと、僕と父ちゃんで狛犬様にお礼を言いに行った。
父ちゃんはまた犬用ジャーキーをお供えした。
狛犬様は父ちゃんや母ちゃんがいると僕と話をしてくれないので、父ちゃんがいなくなってから改めてお礼を言った。
狛犬様は「吾子はこの神社に大切な存在だ」って言った。
僕が「ジャーキーじゃなくて他にお供えしてほしいものある?」って聞くと、狛犬様は「酒」って即答した。
僕はまだお酒を買えないから、父ちゃんの秘蔵の日本酒を少し拝借してお供えした。
月日は流れて、俺は高校3年生。
友人たちは進路に悩む時期に突入した。
俺は神職の資格を取るべく、大学に進学し神道科で学ぶことに決めた。
別に大学の神道科で学ばなくとも資格は取れるのだが、大学というものにすごく憧れた。
親父もそのへんは理解してくれてるのか、大学でしか学べないこともある、と賛成してくれた。
狛犬様に報告はしておくようにと言われたので、親父の日本酒を少しもらってお供えついでに報告しに行く。
そういえば、いつの頃からか狛犬様とは挨拶しかしなくなった。
「こんばんは、狛犬様。俺、大学で神職の資格を取るので4年ほどここを離れることになりました」
「……久しぶりだな。大学か。神職は神に仕える大事な役目だ。詳しく学ぶのはいいことだろう」
「はい。それじゃ……」
「いつから行く?」
「えっと、3月には」
「そうか。吾子がいなくなると寂しくなるな」
「……休みには帰ってきますよ。その時は狛犬様の体を拭きます」
「ああ、楽しみにしている。引き止めてすまないな。体を冷やすなよ」
「はい、おやすみなさい」
久しぶりに話した狛犬様は何も変わっていなかった。
昔からずっと変わらずここに在り続けている。変わっているのはここに仕える人間だけだ。
だから、俺がいなくなるのは寂しいと言われたのには驚いた。
思春期に入り考えが達観した頃、漠然と感じたこと。
神は続き、人は終わる。
神に仕える動物も続いていく。終わり、つまり死ぬのは人間だけだ。
神職とは言うけど、使い捨ての駒じゃないか。
ひねくれた俺はそう考えるようになった。
それなのに文句を言わず跡を継ぐのは、このご時世安定した職に就くのも楽じゃないからだ。
食うに困らず、資格を取れば楽に継げるのだからこれ以上のものはない。そう考えるのもひねくれているのだろうか。
話は少し逸れたが、そんなわけで狛犬様は俺のことを駒の一つとして見ていると思っていた。
寂しいと言われて、お前は特別だよと言われたような気がして、少し嬉しかった。
それから時が過ぎるのはあっという間だった。
大学はなんとか、ギリギリのラインだったが合格通知をもらった。
高校も無事卒業し、友人たちと近場だが卒業旅行もした。引っ越し先を見繕いに何度か上京し心を躍らせた。
気に入った物件を見つけ、引っ越しも滞りなく終えた。
明日、家を出る。
「こんばんは、狛犬様」
「こんばんは、吾子」
「明日、家を出ます」
「そうか、とうとう明日か」
「はい」
「人の生は短い。学ぶことも大事だが、楽しむことも大事だ」
「はい」
「私も楽しみができた。吾子が帰ってくるのを待っている」
「狛犬様は、他に楽しみはないんですか?」
「私は守護獣だ。その役目以外の欲は必要としない」
「そうなんだ……」
「だが、ここに仕えて幾百も年が過ぎたが吾子のような人間は初めてだ」
「俺のような?」
「話ができる人間など、吾子以外に出会ったことがない」
「ご先祖様にも?」
「皆、力は確かだった。だが、私の存在を認めた者はいなかったな」
「俺だけ?」
「そうだ。だから親しみを込めてお前を“吾子”と呼んでいる」
「狛犬様。ずっと気になってたんだけど、それどういう意味?」
「我が子のことを指す。または親しい目下の者。私にとって吾子はそのような存在だ」
「そう、なんだ」
「吾子と出会ってから私は楽しみを覚えた。感謝している」
「……俺も」
「さあ、雪も降ってきたし外は冷える。家に入って明日に備えなさい」
「はい」
俺は狛犬様に自分のマフラーを巻いてあげた。
狛犬様は「ありがとう」と言った。
次の日、俺は家を出る前に昨晩つもった雪をかいた。
時間がなかったので狛犬様の周りだけ。
狛犬様は何も言わなかった。
親父が「新幹線に乗り遅れるぞ」と側でずっと急かしていたから。
雪かきを終え、狛犬様に「行ってきます」と告げて先に車に乗り込んだ親父を追った。
そして、鳥居をくぐったところでなんとなく神社を振り返った。
『 吾 子 』
呼ばれた方を見ると、狛犬様が本殿の屋根の上にいた。
その姿は狛犬の像ではなく、金色に光り輝く獅子のような姿だった。
小学生の時、助けてもらった時以来に見た姿だった。
狛犬様は低い声で咆哮をあげた。
空気が振動して俺の肌を刺激した。
「行ってきます」
俺は親父の車へと急いだ。