幕間「彼女の記録」1-3
ダイブ5を成功させるには、現実世界側の被験者の意識が覚醒していると絶対に成功しないのよ。
現実側と電子空間側……双方に同時に同じ人間の意識が存在することは許されない。
まず、これが大前提なのよ。
つまり、コピー&ペースト方式だと駄目……こう言い換えれば、少しは解る?
仮に、現実側で私が覚醒してる状態で、電子意識体として転送し、向こう側にもう一人の私が存在すると言う状況を作れたとする。
もうその時点で向こうの私は別人として、現実のわたしにとっては、勝手に動き回る別の存在になってしまう。
その場合の私の主観はどちら側になるのか?
二つの存在になってしまった時点で、私と私’とでも言うべき存在に分かれ、それぞれが同じ時間軸上で、同時に別々の経験をする……そうなった場合、どちらの私が本物の私なのか?
これは、昔からスワンプマン問題って100年近く前から長年、議論……思考実験がなされてた話なんだけどね……。
もっとも、実際は……コピー&ペースト方式だと、意識転写の際の意識データの転送中のベリファイ……比較エラーチェック行程で、100%確実にエラーが出て、コピーに失敗しちゃうんだけどね。
ダイブ5の研究って、結局この問題が解決出来なくて、どこも開発に難航してたって訳。
でも、解決策は割と簡単でね。
カット&ペースト……現実側の被験者の意識をコールドスリープなり、薬物で強制的にシャットダウンさせてしまえば、済む話だったの。
そのシャットダウン直前の状態で意識をデータ化する……その上で、向こう側へデータ転送すれば、意識転写が上手く行くようになったのよ。
実際、私の視点だと……ダイブ5でフルダイブする時って、現実側の意識や感覚がだんだん消えていってね。
やがて、全くの無……何も感じないし、何も見えない、何も聞こえない。
そんな状態を一度経験して……気がつくともう、向こう側……VR空間にいる……そんな感じになる。
お兄ちゃんは、オカルト的な説明だと、コピー&ペースト方式だと電子意識体に魂が乗らないから、失敗する。
カット&ペースト方式だと、要するに移動って事になるから、魂が電子意識体に付随し転送されることとなり、成功する……そう考えられるって話なの。
よく判らん? ……そうね、この理屈をアンタ達に理解させるには、まずは魂の実存を証明しないと無理だしね。
今のところ、いかなる手段を用いても、魂と呼ばれる存在は観測出来ていない。
実際のところ、この辺の理屈は良く解ってない……とにかく、現時点で得られた経験則としてカット&ペースト方式なら、ダイブ5は成功する……そんな結論だけは出てるって感じなの。
この前提で、例の事故の実例を説明すると……。
まず電子意識体がVRサーバートラブルに巻き込まれて、クラッシュ……フリーズした……。
対応策として、一度電子意識体をリセットして初期状態へのバックアップ戻しをかけた。
対応自体は昔からあるトラシューで、とりあえずやってみるかって感じで、むしろセオリーっちゃ、セオリーよね。
でも、これが不味かったのよ……リセットの時点で電子意識体は完全に変質してしまった。
この時点で、人を人足らしめる魂と呼べる何かが消失してしまった……そんな風に考えられている。
これはおそらく、電子世界上における人間の死……とでも言うべき状態。
ただ、それがいつからそうなったって話になると……。
その前のVRサーバーダウンの時点で、その人は人として終わっていたのかも知れない……。
これが、あの事件のお兄ちゃんの見解であり、私もそんな風に理解している。
要するに、今も現存しているその元人間と言われている電子意識体は、自分を人間と思い込んでいるA.Iに過ぎないって訳なの。
実際、ダイブ5でフルダイブしてる際に、同じテストを行うと電子意識体の状態でも、その人はちゃんと人間と判定される……ごの判別テストはかなり高い精度だから、ほぼ間違いない。
あの事故で、解ったのは、そう言うことなのよ。
え? そんな事ないだろって……そもそも、そんな情報がどこから出たのかって……。
電子意識体と化した人間に、A.I判定テストを実施したなんて実例は、存在しないって?
……そりゃ、お兄ちゃんは、ダイブ5の研究者としては世界トップの権威を誇る第一人者だしね。
その事故を起こした研究施設から、お兄ちゃんへ鑑定依頼が秘密裏におこなわれてたのよ。
だから、その辺の下りは私もよく知ってる。
実は、ダイブ5電子意識体のA.I判定テストの被験者って私……。
まぁ、要するに、そういう立場なのよ……私って。
私もなんだかんだで、お兄ちゃんの助手みたいな事もやってるから、あんた達も知らない裏話も知ってる。
色々な人体実験の被験者にもなってるから、公開されてないような実験の結果も知ってるのよ。
……身内を使って、人体実験なんて正気の沙汰じゃない?
はぁ……そんなの私が志願したに決まってるじゃないの……。
実際に試さないと解らないような事だって、色々あるからね。
お兄ちゃんが困ってるなら、私は迷わず、危なっかしい人体実験だってやる。
当然お兄ちゃんも、私のことは大切に思ってるから、安全への配慮も何重にセーフティネットを用意した上でやる。
私はお兄ちゃんをその程度には信頼してるから、問題にしない……そう言う事よ。
まぁ、多角的に考察しても、その現存してる被験者は、もうこの世にはいないと断言してもいい。
いるのは、その人を真似て、自分を人間だと思い込んでるA.Iが残滓のように残ってるだけ。
……どう? それでも、その電子意識体は人と言えると思う?
私もそれはもう違うと思う……難しい話だけどね。
あんたらA.Iもコピーして、同一存在が出来上がっても、コピーした時点から別物になっていくんでしょ?
そんなの当たり前だって……そこまで解ってるなら、もう答えは出てるようなもんなんだけど……。
その様子だと、この説明でも、ダイブ5の何が問題なのか……納得してないって感じよね。
……まーかせて! じゃないよ。
なんか、軽いなぁ……深刻な話なんだけどさ……これ。
どのみち、この手の話をA.Iとしてても、結局不毛なのよね……だから、この話はここまで!
私も君を納得させられないし、君も私を納得なんてさせられない……。
そこは「Iris」なんかとも散々議論したし、もう平行線議論になるのは解ってるんだから、もうしょうがない……OK?
うん、わかりゃいーのよ。
まぁ、とにかく……ソルバイオテック社のダイブ5研究プロジェクトも、実験中に色々な問題が発生してさ、被験者の安全性を考慮して、一時凍結の上で計画を見直す……そういう流れになったのよ。
皮肉なことに実験計画の凍結をお兄ちゃんに決意させたのは、私自身の身体に実験の後遺症で、ちょっとした問題が起きたからってのがあるんだけどね……。
何のことはない……お兄ちゃん達にストップ掛けちゃったのは、他ならぬ私なの。
そして、同時に、そのダイブ5のテスト環境となっていた「S.S.O」もその役目を終えたと判断され、サービス終了……そして、次世代型ファンタジーVRMMO「N.E.X.T」への移行計画の発表。
まぁ、これ自体は「S.S.O」自体がすでにオワコンで、本来もっと早く打ち切るはずだったから、事故が起きようが起きまいが、既定路線だったんだけどね。
って言うか、オワコンって解る?
ああ、解るんだ……。
このPCで調べた事のある単語や、私がよく見るWebページで使われているような言葉は、網羅してるって……なんか、いやね……それ。
なんか、口調が不自然だよーって? いつもの私と違う……だって、これ公式記録なんでしょ?
そうよ……少しは猫被って丁寧に話すようにしてるの!
口調だって、お兄ちゃんの説明口調の真似っ! 少しは頭よさそうにしないと駄目でしょ?
そんなもん適当でいいからって、肩の力抜こうぜって……アンタ、仮にも天照の分体なのに、何か雑って感じよね。
え? オリジナルの天照も結構適当なの? それホント?
あー、でもなんか納得だわ……たまにすごくいい加減な事やってるよね。
人間と仲良くするには、ある程度いい加減でガバガバの方がすんなりいく……そんなもんかも知れないけどねー。
あんた達の無茶振りや突拍子もない提案で、あたふたしてる人間側の苦労って考えたことある?
え? A.Iも人間の我がままや、妙な拘り、非論理的な感情論には、苦労してるからお互い様って?
そりゃそーかもしれないけどさ。
と、とにかく社としては、そんな筋書きだったのですよ……。
まぁ、この辺までが事件の前夜までの出来事のまとめって感じかな。