第四話「自由への進撃、明日への扉」④
「すまない……リゼッタ、俺は行けない」
「ええっ! どう言う事ですか! 今しかチャンスがないんですよ! もうすぐ衛兵の交代が終わって、巡回も始まります……。そうなるともう……当初の予定通り、力技……強行突入しか打つ手が無くなるんです! とにかく、当局の対応が早すぎて、こちらも準備が全然足りてないんです……なんで、こんな急ぐんだか……」
「リゼッタ……どうも、この俺の逮捕劇は思ったより、複雑な事情があるみたいなんだ。これから言う事を黙って聞け……いいな?」
俺がそう言うと、リゼッタも黙って頷く。
「よしよし、いい子だな……。俺は、どうも女神様に目を付けられちまったみたいなんだ。だから、ここで逃げても、逃げ切れるもんじゃない……解るだろ? 相手が悪い……これに尽きる。だから、お前らもこの場は黙って退け。……気持ちはありがたいが、これ以上、お前らに危ない橋を渡らせる訳にはいかない。なぁに、矯正施設っても半年もすりゃ、戻ってこれるって話だ。それまで、皆を守っていてくれないか?」
俺がそう言ってリゼッタの頭に手を置くと、その目に見る間に涙が滲んで、あふれ出す。
「そ、そんな……どうして……一緒に……逃げて……」
リゼッタが抱き着いてきて、俺の胸に顔をうずめて、声を出さずに泣く。
ああ……やっちまった。
女の子を泣かせるとか、最低だな……俺。
「悪いな……。けど、俺も色々考えて、こうするのが一番だって、決めたんだ。まぁ……理不尽な話だけど、俺はもう罪人なんだよ。そう言う事なら、ちゃんと罪を償うべきだ。幸い……問答無用で殺されるとか、そんなんじゃないからな。お勤めを果たせば、晴れて無罪放免。ちょっとの間、何かと説教臭いおっさんが留守にするってだけだ。だから、泣くのはやめてくれよ……俺、女、子供の涙には弱くてさ。お前に泣かれると決意が鈍りそうだ」
とりあえず、迷ったけど……リゼッタを抱き返してやりながら、ちゃんと俺の意思を説明する。
まぁ、ここまで逃げ出すお膳立てが為されてて、美少女が救出にやってきた! なんてなったら、普通、物語の主人公なんかだったら、迷わず脱出! 追手の中ボス辺りと一戦とか、それがパターンって奴だ。
でも、それは……あくまで物語の話。
それから先は、あまり明るい未来ってもんが見えない……逃亡者として、追手に追われる毎日が待っている。
アルドノア達や騎士団も追手に回るだろうし、女神直属の天使の軍勢とか相手にするなんて冗談じゃない。
俺みたいに年を食ってしまうと、そんな無茶な事はしたくないって思ってしまうのだ。
このリゼッタだって、仲間の皆だって、そんな危険な逃避行……全員無事に済む見込みは薄い。
俺は、皆の未来を明日を守るためにも、そんな無茶は出来ないのだ。
俺一人が我慢すれば、すべて丸く収まるなら、俺は迷わず、俺一人が犠牲になる道を選ぶ。
それだけの話だった。
……リゼッタも泣き止むと顔を上げてくれる。
「ご、ごめんなさい……オッサムさん、私……思わず……」
泣きはらした上目遣いでじっと見つめられる。
思いっきり子供だと思ってたけど、きっちり自分の武器を使いこなしてやがるな。
上着が涙と鼻水でベチャベチャだけど……気にしないのが紳士ってもんだ。
「うん、気持ちは解るし、とってもありがたい。けど、無茶はやめてくれ……気持ちだけで十分だから」
それだけ言って……思わず、じっと見つめ合ってしまう。
「……事情は解りました。オッサムさんってそう言う人ですからね。自分一人が貧乏くじ引いても、何とも思わない。だから、皆ほっとけないんです……。けど、そう言う事なら、お別れに……ちょっとだけでいいんで、目を瞑っててください」
そう言いながら、リゼッタは俺の肩に腕を回して、抱きしめてくる。
……うぉ、こいつ……何言ってんだ?
この密着した距離感……目を瞑れって……その潤んだ恋する乙女って感じの瞳は何?
これって、あれか? あなたとの思い出に……口づけをって……そんな奴か?
「いやいやいや、お前……そんなのまだ早いだろ! まったく、どこで覚えてくるんだ……このマセガキが」
軽く笑い飛ばそうとしたんだけど、割とパワフルな感じで、顔引っ張られて、リゼッタの唇が迫る……けど、ギリギリで顔を横に向ける。
頬にリゼッタの唇の感触……。
まぁ、ほっぺにチューって奴だな……子供相手にゃ、こんなもんで十分だぜ。
「よ、よ、避けたーっ!」
プルプルと涙目のままのリゼッタが抗議する。
「へへっ……俺みたいなおっさんには、ほっぺにチューなんてのでも十分なんだよ!」
「ううっ……ぜ、絶対に戻ってきてくださいね。私、ずっと待ってますから! 次は絶対、大人のキスってので、オッサムさんを、私に夢中にさせてみせます」
ふくれっ面でそんな事を言うリゼッタ。
……大人のキスって、意味解っていってんだろうか? まぁ、可愛いもんだ。
「おう、それじゃ……見つからないうちに、早く帰れ。そろそろ、衛兵共が巡回を始める……今すぐ引き上げれば、問題ないだろ。しばらく会えないと思うが。次に会ったら、少しは背が伸びてるといいな」
「ふふっ……実は最近、少しは胸も大きくなってきてるんですよ? そうだっ! いっそ、私もお供するってのはどうですか? ちょっと裏門にいる衛兵のとこに行って、自首してきます。ここに忍び込んだ時点で、私ももう立派な犯罪者ですよね?」
「馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ……さっさと帰って寝ろ! じゃあなっ! 皆にもちゃんと俺の言葉を伝えとけ! 今夜の作戦は中止、総員解散ってな!」
そう言って、振り返って、壁の隠し扉を開くと戻っていく。
リゼッタはまだ、そこにいるみたいだけど……女の泣き顔なんか見たら、決心が鈍りそうだったから、俺は振り返らず、牢獄へ戻る道を選んだ。
まったく、俺ってやつは……。
……夜半過ぎ、冷たい石の床の上で寝っ転がっていると、いきなり、蹴り起こされる。
「いってぇっ! 何してくれてんだよ!」
「そりゃ、こっちのセリフだ……この馬鹿野郎! せっかく人が御膳立してやったのに、なんでノコノコ戻ってきてんだよ! お前、このままだと北方の矯正施設送りだぞ! あそこがどう言うところか、解ってんのかよ! ったくよー、カローンの旦那なんぞ、クビ覚悟で相当無茶やったみてぇなんだぞ……それに、裏庭で女の子がビービー泣いてやがったけど……あれ、お前の仲間だろ?」
「げっ! リゼッタの奴、帰らなかったのか……まさか、あいつまで、捕まったりしてないだろうな!」
「……まぁ、厳密には忍び込んでた時点で、捕縛されても文句言えないんだろうがな。俺が保護してやって、知り合いの衛兵に頼み込んで、こっそり外に出してやったよ……。なんせ、衛兵共にも裏でお前の仲間が来ても、見逃せって命令が回ってた位だったからな。話も早かった」
……なんとまぁ。
衛兵までグル……そうなると、もう治安局の意思としては、俺を取り逃がしたことにするって話でまとまってたのかもしれない。
ただ、治安局が見逃してくれても、女神様は見逃してくれそうもないしな……。
これでよかったんだよ……たぶん。
「そっか……。良かった、良かった! デニムさん、ありがとう! ……まったく、あのバカ! 行かないでなんて、わがまま言いやがって……。けど、そうなると治安局丸ごとグルになって、犯罪者を脱走させようとしてたのか? まったく、前代未聞の珍事じゃねぇか」
「そう言うなよ。皆、理不尽だって思ってたんだろうさ。この国の奴らは、そこまで腐っちゃいねぇってことだ。だが、お前はそんな俺達の気持ちを袖にした……それがどういう事か解ってんのか?」
「気持ちは解るけどさ……相手が悪いだろ。女神様に睨まれたんじゃ、ここで逃げたってどうしょうもない。大人しく刑を全うしてそれで済むなら、それが一番……そう思わないか?」
「お前、そんなの生臭坊主共の詭弁だって思わねぇのかよ! そりゃ、お前が大人しく北方送りになりゃ、俺達、誰もお咎め無しだ。けど、お前が無実なんてことは皆、解ってんだ……。女神様のお告げだかなんだか知らねぇけど、無実のヤツを罪人扱いとか、そりゃねぇだろ……。そもそも、お前の仲間だって、このまま黙っちゃいないだろ?」
「……ああ、それもあったから、一度外までは出たんだよ。案の定って感じで、リゼッタ……その女の子がここへ忍び込んでて、ばったり遭遇したって訳。おかげで俺の意思を伝えることは出来た。納得はしてないだろうが、皆、俺の意は汲んでくれるだろうから、これ以上、無茶はしないだろうさ。その程度には、俺は仲間を……友を信頼している。だから、俺のクランの奴らが俺を奪回する為に、ここを襲撃するとか、そんな可能性は無くなった。だから、安心していいよ」
「はぁ……あんた、本気でカッコいいよな。確かに、それが一番無難だろうけどな。けど、そう言うお人好しのバカは決まって早死する。この事は覚えといたほうが良いぞ」
「まぁ、俺は馬鹿でも良いから、カッコよく、長生きするつもりだよ。つか、いい加減まともな飯でも食わせて欲しい。リゼッタに差し入れでもしてくれるように、頼んどきゃ良かったな」
「すまんな、てっきり逃げ出すと思ってたから、お前の飯なんかねぇよ……。でも、厨房に残り物くらいあるだろうから、もらってくる。あと、このワインも……本来はお前さんへの詫びなんだと。まぁ、俺が半分以上飲んじまったけどな。だが、そう言う事なら、今夜は飲むか……ささやかながらの餞別って奴だ」
言いながら、やっぱり牢屋開けっ放しでどこかへ走っていってしまう。
全く……職務怠慢。
つくづく、悪なおっさんだ。
まぁ……なんだかんだで、色んな人に迷惑かけちまったよなぁ……。
治安局が一丸となって、脱走させようとしてくれてたり……。
皆も、俺を脱走させて、一緒に国外逃亡とか……そこまで覚悟決めてたなんて……。
けど、絶対追っ手がかかってただろうし……全員無事に脱出出来るかとなると、少々厳しかっただろう。
「アイリス・インターセプト・システムズ」女神直属の神の軍勢……天使と呼ばれる化物共。
そんなモノを敵に回すとか冗談じゃない。
それを抜きにしたとしても、帝都を囲む城壁と各門の守備隊に、各所の関所……国境付近ともなると、砦もわんさかある。
孤立無援で、どこまで逃げ切れたものか……。
仮にも30人ものA級クラン……俺達はか弱い存在とはいいがたいが……。
無敵と言うほど強くもない……力に奢るほど、俺だって馬鹿じゃない。
はぁ……俺も何やらかして、女神様の怒りなんぞ買ったんだか。
真面目に清く正しく生きてきたつもりなんだが……何処かで何かやらかしちまったんだろう。
せめて、何をやらかしたかくらい教えてくれないと、反省も出来ないんだがね。
この調子だと、誰も理由なんて解ってないんだろう。
……やれやれ。
ほんとに、このまま大人しく北方送りにされて、無事に戻れるのだろうか?
でも、実際問題。
後先考えずに逃げたって、その後の展開の方がむしろ目に見えてる。
俺も、もっと若かったら……迷わず逃げてただろう。
けど、年を食うと……失う事が怖くなるんだ。
俺は勇者なんて言われてるけど、本当を言うと臆病者なんだ。
仲間を失う事、自分が死にかねないような事、どちらも怖く怖くて、しょうがない。
捨て身の特攻だって、生き残る算段があったからこそ、迷わなかったって……ただそれだけだ。
あの時だって、残機ゼロの状態でも、ケイブワイバーンの目線は完全にグレイブに行ってたからな。
要はグレイブを囮に、横合いからノーマークって知ってた上で、ブチかましたってそれだけだ。
あの場面で、真の勇者を名乗れる資格があるとすれば、気を失いながらも死の危険すら顧みず、その背後にいる仲間達を、とことんまで守り切ったグレイブこそが、真の勇者だろう。
俺には、とても真似出来そうにない。
今の俺は……この世界の真の支配者……女神様に睨まれている。
そう思っただけで、ビビりまくって、もう何もかも受け入れる気になってしまっている。
……臆病者だから、女神様を敵に回すような選択なんて、怖くてとても出来ない。
要は諦めきゃいいんだ……何があっても。
明日があるなら、どん底に沈んだって、あとは浮かび上がるだけなんだから。
……俺は冷たい牢獄の中で、決意を新たにするのだった。