81.エインと神と真実 前編
目を覚ますと、わたしは庭園にある椅子に座っていた。
初めて見る庭園は、見たことがある花も、無い花も調和するように植えられていて思わず息をのんでしまうほど。
しかし柔らかな日差しが降り注いでくるこの庭は、今までにない安らぎを与えてくれる。
この場を表現するなら、貴族のお茶会場。
よくよく見てみれば、雰囲気がフィイヤナミア様の庭に似ている。
けれどフィイヤナミア様の庭とは空気から違うような……言うなればまるで――
「天国みたい、かな?」
ボーッと観察していたせいか、テーブルを挟んで反対側にいる人に気が付くのが遅れてしまった。
ポカンとしていたわたしが面白かったのか、思った通りの反応をしたからなのか、テーブルの向かいにいる女性はくすくすと笑っている。
目を惹きつけられるような女性だ。
長い黒髪は流れる滝のようにまっすぐ腰まで垂れていて、漆黒の瞳は見ているだけで吸い込まれそうだ。
やや垂れ目でプックリと膨らんだ瑞々しい唇に、スッと通った鼻。透明感のある肌。
たぶんついつい見惚れてしまうのは、わたしが元男だからと言うわけではない。美しさを認識できる存在であれば誰であれ、彼女に見惚れることだろう。高度な美術品と言っても相違ない。
ただ格好はこの場にはちょっとそぐわない。
西欧貴族の高貴なお茶会場といった雰囲気の中で、日本人が好んできそうな洋服を着ている。
センスが良く、似合っているとは言え、わたしの感覚で言えば何で? と聞きたくなるほど。
「この方が君には馴染みがあるかと思ってね」
なるほどなるほど。確かに懐かしさはある。言われてみれば顔も日本人っぽさがある。ここまでの美人は見たことがないけれど。
「これでも神の一柱なものでね。優れた見た目になってしまうらしいんだ。あと性別もないから、君とは違って男性型にもなれるよ」
「神……ですか?」
おーっと、頭が混乱してきたぞ。
発言が正しければ、目の前の美人は神様であり、男にも女にもなれると。
簡単に信じられない状況だけれど、この風景やこの人の美しさを考えると、あり得るのかもしれない。
地球とは違って神が明確に存在している世界なのだから。
「証拠ってわけじゃないけれど、今の君の姿を見れば何となく普通じゃないことには気が付くんじゃないかな?」
神様はそう言うとわたしの目の前に大きな鏡が現れた。
鏡に映し出されたのは、シエルに似た黒髪の少女。
つまりこの体はシエルのものではない。
『シエル。シエル、居ますか?』
問いかけても返事はない。シエルがいる感覚がない。シエルの存在がわからない。
「シエルは大丈夫なんですか!?」
相手が自称ではあるが神様だと言うことを忘れて、言い寄る。
神様は驚いたように目を丸くしたけれど、すぐにその目を細めた。
「本当にあの子が大切なんだね。
うん、今はちゃんと眠っているし。大丈夫、大丈夫。フィイが近くにいるし、危険にもならないよ。うんうん」
なぜだかとっても白々しい。
「それが嘘なら貴女が神でも許しませんからね?」
倒せるとは思わない。だって彼女からは、高次の魔力のようなものを無限に感じるのだから。
徐々に今の感覚になれてきたからハッキリわかる。
彼女は冗談ではなく、紛れもなく神なのだろう。
争えば死ぬのは間違いない。何なら魂から破壊されるとか、えげつないことになるかもしれない。
それでもシエルが居ないならかまわない。シエルが居ないなら、生きていても仕方がないから。
「心配しなくても、君たちは15歳まではよほどのことが無い限り、死なせないから」
「約束ですよ?」
「はいはい。即死でもしない限りは大丈夫だから。
だいたい、君の結界生きてるしね。本当にもう、どうしてこうなったんだか」
結界が生きているなら、少しは安心かな。
神様は呆れるように答えたけれど、どことなく興味深げにこちらを見ている。
ひとまず言葉の真偽は置いておいて、目の前の鏡に改めて注目してみる。
やっぱりシエルっぽい。シエルベースで配色日本人。
つまり結構な美少女。
右手を上げると、鏡の少女が左手を上げる。
左手を上げると、右手を上げる。
顔をしかめると、顔をしかめる。
なるほど鏡だ。すなわちこれは、仮にわたしに体が有ったとしたらの姿だと思うのだけれど、体感時間だけでみれば30年は越えているのだけれど。
そもそも、シエルに近いってどういうことだ?
「この姿はどういうことですか?」
「ようやくその話に戻ってきたね。それは体に合わせて、魂が変化したからだよ」
「死ぬ前と今と、別に何かが変わったとは思わないんですけど。
連続した記憶になっていますし」
「以前の姿に拘りとか無かったよね?」
「まあ、確かにそうですね」
何だったら性別にも拘りはない。
拘りがあれば、一人称が「わたし」で固定されない。
と、言うか、昔は何を一人称にしていたっけ? 俺? 僕?
「どうしても男のままでいたいと思っていたら別だけれど、特に抵抗もしなければだんだん魂は体に馴染んでいくんだよ。
君は取り憑いているようなものだから、ベースとなるのは取り憑き元であることも、不思議じゃないよね」
「そう……なんですね」
「それに見た目は重要じゃないんじゃないかな?
見た目が幼くとも思慮深い人もいるし、見た目は厳格そうでも子供みたいなことを言う人もいる。大事なのは君が君であるということだよ」(元夢村怜音君)
急に誰かの名前が頭の中に響いてきて驚いた。
一瞬誰だと思ったけれど、わたしの事か。あと一応あの事に配慮してくれているらしい。
夢村怜音。確かにそんな名前だった気がする。こっちの世界にきて、まるで使わなかったので、すっかり忘れてしまっていた。
「……さすがにかつての自分の名前を忘れるのはどうかと思うよ?」
「既に夢村怜音は死にましたからね。ここにいるのはエインセルですよ」
「エインセル……ねぇ? どういう意図でそれを名乗っているのかはわかっているけれど、それってどうなの?」
「どうなんでしょうね。今のところ後悔はしていませんよ。でしょうか」
エインセルはとある妖精の名前。正確には違ったような気がするけれど、この際細かいことは気にしない。
「寡聞にして存じ上げないのですが、神様は何を司っておられるのでしょうか?」
「お、取って付けたように話をリセットしたね。
神が人の問いに答える筋合いはないのだけれど、答えてあげよう。
神は破壊と創造をつかさどる神。いわゆる創造神で、最高神。いくつもの世界を作って管理をしている、その分霊ってところかな」
「本体が別にいるということですか?」
「そうそう。本体はおいそれと神の前にも出られないし、この状態でも各世界の神界が限界だけどね。下手に人前に出ると、神を見た人が力に潰されてしまう」
「聞きたいことが増えていくんですが、それってわたしは大丈夫なんですか?」
「こうやって相対しているのは、その辺のところを教えるためだったんだよ。なんだか前置きがとても長くなってしまったけどね」
確かに今の状態に来るまでに時間がかかったのは否めない。
だけれど、知らない場所にいきなり連れてこられた挙句、シエルと離れてしまったのだから、むしろ短時間で本題に入れたといっていいだろう。
「ははは、そうだね。君の執念は思った以上だったよ。
さて、今の状態から説明しようか。ここは神界の中でも地上に近いところで、神の仕事場だと言えるね。
君がフィイのところで意識を失ったから、夢を繋げてみたんだ。つまり今君は眠っている」
ツッコみどころというか、理解しがたいところが沢山ある。
フィイヤナミア様のところが神殿だから、神界と繋がったというのは良いだろう。
だけれど、神託が下るって話ではなかっただろうか。神界に連れてこられるなんて聞いていなかったのだけれど。
「神託はねぇ……こっちから一方的に伝えることしかできないんだよ。
どこどこで、魔物が出ました。このままでは国が危ないから、討伐隊を向かわせたらどうですか?
みたいな感じで、伝えられる内容も長くはない。普段はそれでも良いんだけれど、君の場合はちょっと事情が複雑だから何かあったらこうやって伝えるつもりだったんだよ。
つまり、前々から準備済み。ようやく条件が整ったから実行しただけ」
条件、おそらく神殿に来ることだろう。
頑なに近寄らなかったから、いままではその機会がなかったと。
「そんな感じだね」
「何を教えてくれるんですか?」
「君という存在のほぼすべて、かな? 神が手を出したところ以外は話せないから、本当に全部話せるとは思わないでおいてね」
「わたし、創造神様から何かされてたんですね」
「神でなくても、神と呼ばれる存在の誰かが関わっていることくらい、想像してたくせに」
「おっしゃる通りです」
さっきから、まるで隠し事ができない。
考えていることに普通に応えるし、神様は伊達じゃないな。
それは置いておいて、人造ノ神ノ遣イで変化が起きた以上、神霊的な存在がわたし達に何かをしていたと考えるのは、難しい推論ではないと思う。
「質問は後で。前提として神のここでの仕事を知っておいて欲しいんだけど分かる?」
……創造神って何をするんだろう? 世界を造った後は、その世界を見守るのが仕事というイメージがあるのだけれど。
同時に破壊神でもあるはずなので、世界を壊している? そんなことをしている様子はないし、実際世界が壊れそうということもない。
「わかりません」
「正解は雑用全般。基本裏方。だから地上に神の存在は伝わっていないんじゃないかな? 職業システムの基礎を作ったのは神だけど」
さらっとすごいことを言ったような気もするけれど、創造神なのだから造作もないことなのかもしれない。
どうして今まで創造神を聞いたことがなかったのか、という疑問の1つはわかったので良しとする。
「中でも神じゃないとできないのが、世界間における魂の管理ね。
輪廻転生させたり、死後に別の世界で生まれ変わらせたりと、世界間のやり取りだから神にしかできないんだよね」
「大変ですね」
「そうなの、大変なの。だからせめて楽しめるところは楽しもうがモットーでね」
「わたしに白羽の矢が立ったと言うわけですか」
「ははは、まさしくそうだね」
創造神様が笑い始めたけれど、何が面白かったのかがわからない。
話の流れ的に、白羽の矢の語源なんかが関わっていそうな気がする。
それはそれとして、創造神様がわたしの状態の原因なのか。
だとしたら、物語のように何か特別な力を得ているのだろうか。
「別に何もないよ」
「ないんですね」
「君が選ばれたのは本当に偶然だから。んー、正確には『無いつもりだった』になるのかな。
今の君の力は、地上ではちょっと強すぎるからね。幸いなのは守りに特化している事かな」
「もしかして、封じられたりとか……ですか?」
「それはしないよ。君は得られたもので、世界のルールの中で今の力を手に入れたから。
許可したのは神だし、文句を言うつもりもないよ」
それはよかった。魔力とか封じられたら、どうやってシエルを守ればいいのかわからない。
「まあ、順番に話していくよ。君がどういう存在で、これからどうなっていくのかを」
創造神様はそう前置きをしてから話し始めた。