80.神殿と結界と微睡
「ところで貴女達は今までに神殿に行ったことってあるのかしら?」
「神殿ですか? 行ったことないですね。行く必要もなかったですから」
意味深な話から、急に神殿の話になって少し戸惑う。
神殿どころか、教会にすら行ったことはないのだけれど。
「ということは、良く知らないのではないかしら?」
「そうですね。どちらかと言えば、近づきたくもない類の場所ですから」
「あらあら? エインセルちゃんは何か悪いことでもしているのかしら?」
「どうでしょうか。シエルがいる手前、悪いことはしないようにしているつもりですが、何をもって悪いというかはわかりません。
ただ近づきたくないのは、わたしが歌姫だからです」
「そうね、そうよね。それに歌姫は教会に行く必要ないものね」
そう言ってフィイヤナミア様が微笑むけれど、これはどうとればいいのだろうか?
予想は正しかった? それともわたしの勘違い?
これが腹の探り合いってやつだろうか。わたしには無理そうだな。
「怪我をほとんどしませんでしたから」
「エインセルちゃんの結界を抜けるような相手は、そうそういないものね」
「でも偶に抜かれますよ。それにフィイヤナミア様も、突破できますよね?」
「そう思っているのだけれど、良かったら一度全力で自分を守ってみてくれるかしら?」
全力と言うと、高次魔力とも言えそうなアレを使った結界だけれど、アレはまさに切り札とも呼べるものだ。
安易に見せて良いものではない。今のところ、常に使えるわけでもないので、それがバレてしまうのもあまり嬉しいことではない。
しかし、自分の力量を知るという意味では、見せておいたほうが良いとも思う。
どちらにしてもフィイヤナミア様と敵対したら、わたし達がすべきは全力で逃げることなのだから、知られたところで変わらないような気もする。
「分かりました。少しだけ時間をください」
「ええ、大丈夫よ」
本当はすぐにできるけれど、苦し紛れと言うか、姑息な手と言うか、発動までに時間がかかるものということにしておこう。
一度だけなら、不意を打てるはずだ。
今一度全身のあの魔力を馴染ませるように循環させていく。
とにかく丁寧に、丁寧に。
復習でもするつもりでやってみると、何となく今までよりも効率よく使えるようになった気がする。
「出来ました」
「うんうん。やっぱり思っていたとおりね。ここまで使えるのは、それだけ貴女が結界魔法を研究し実践してきたということね。
このレベルになると、私でも突破するのは難しそうね。
突破は出来るけれど、先に大地のほうに影響が出るわ」
「それは言い過ぎではないですか?」
大地に影響を与えるようなレベルの魔術を使えるフィイヤナミア様も大概だけれど、大地以上の防御力を持っているというのは、さすがに言い過ぎだろう。
それとも影響を与えるの規模が違うのだろうか。
ワイバーンクラスにもなれば大きな岩くらいなら破壊できるだろうし、その力を地面に向ければ穴くらい開く。
さらに上になれば、小さなクレーターくらいなら作れるかもしれない。
そう言う規模の話をしているなら、確かに耐えられるだろう。
「冗談ではないのよ? その結界なら小さな島が消し飛ぶくらいの威力の攻撃なら耐えられるわね」
どうやら冗談ではないらしい。
ただ小さな島が消し飛ぶくらいの威力の攻撃が想像できない。それから身を守る自分の結界も想像できない。
そして、フィイヤナミア様はそのレベルの攻撃ができるのか。底が知れない。
「魔物相手だとどれくらいまで耐えられるんですか?」
「その結界を破れる相手が、私を含めてどれだけいるのか、というレベルね。
普段使っているものでも、Aランクの魔物では太刀打ちできないわ」
「……そんなになんですか?」
「何を驚いているのかはわからないけれど事実よ。
自分がいかにズレた存在か、分かったかしら?」
「はい。何となく……」
すごいのは分かるけれど、具体的にどうだと言われてもまるで実感がわかない。
いつの間にそんな超人の領域に達していたのだろう。
「さすがにここまでくると、可能性は1つに絞られるかしら。
貴女は意図せずに魔法を使って、攻撃魔術・回復魔術を捨てて結界・隠蔽・探知をより高次の物へと昇華させた。おそらくこの時捨てた攻撃魔術と回復魔術は、どちらも第一人者になれるほどの才能があったのね。それこそシエルメールちゃんよりも、と言えるかもしれないわ。
魔法による変換は等価交換とは限らないけれど、それでもより良いものを差し出せば、より良い結果が返ってきやすくなるもの。
加えて結界については、もともと同じくらいの才能があった上に常に使い続けて、改良を重ねた。
さらに髪も回路になり、5年にわたって一般的に無茶な魔力増強をしていれば、貴女達の年齢でそのレベルにもなるわね。逆に言えば、そこまでやらないと無理よ。
もしも職業がマッチしていれば、普段使っている結界でもSランクの魔物を寄せ付けないくらいにはなっていたのではないかしら?」
おお……衝撃の事実。
攻撃魔術を捨てなければ、火力の増強につながっていたのか。
なんてことは、絵に描いた餅であって、今の選択に不満はない。
何でもわたしがするわけにはいかないし、攻撃魔術を失ったからこそ無詠唱で結界を張り続けられているのだから。
話が本当であれば、歌姫の力を結界にも適応させることができれば、戦闘での防御面に不安はなさそうだということだけが少し悔しいかもしれない。
歌姫での結界の強化ができていれば、初見の氷の槍も、金狼の爪も、ちゃんと防ぐことができたかもしれないのに。
何なら全力で守っている間、フィイヤナミア様の攻撃も完全に防ぐことができるかもしれない。
そのレベルになれば、安心してシエルに残せると思うのに。
「さて話を神殿に戻しましょうか。貴女達は行ったことがなかったのよね」
「はい」
「それなら神殿と教会の違いは分かるかしら?」
「えっと、神殿が神が降臨するところで、教会が信者が祈るところ……ですか?」
「大体はそれでいいわね。訂正するとすれば神殿は神託が下った場所ね。
特定の職業・種族が神殿で祈りを捧げれば、神託が下りてくるかもしれない神聖な場所よ。
だから一般の人は普通行かないわね。お金を払えば入れるけれど、見せてくれるのは入口くらいよ」
「神託……ですか」
「ええ、昔は結構あったのよ? 魔物氾濫が起きる場所とか、強力な魔物が飛来する場所とか。
教会が祈りの場ね。神殿は場所に縛りがあるけれど、教会にはそれがないわね。
だから多くの町や村には、教会はあっても神殿はないのよ。
それから教会は怪我や病気を治してくれるところでもあるわ。だから普通のハンターと教会は切っても切れない仲なのよね」
こちらを見てフィイヤナミア様が笑うのは、主にわたしのせいで教会と全くかかわらずにハンターをしてきたからか。
怪我を治してもらうにもタダではないというし、果たしてハンター達は教会にいくらお金を落としてきたのだろうか。
「残念ながら教会の期待には応えられませんでしたね」
「不要ならそれが一番よ」
怪我や病気はしないに越したことはないってことだ。
とは言え怪我はまだしも、この12年以上病気になったことがないというのも不思議な話だ。
華奢な体だけれどそう言った方面では強いのだろうか。
なにせ12歳と言えば、小学校卒業間際。小学生の間に1度も病気がなかったというのは、クラスに何人いただろうか。
と言うか、病欠ではないものの、風邪ひいた状態で学校に来ていた人もいたので、わたしの知る限りでは0だと思う。
「どうして神殿の話をしたのかだけど、単純にここがその神殿の1つだからよ」
「ここって、このお屋敷がですか?」
「そうよ。そうなのよ。だから、もしかしたらエインセルちゃんも神託を得られるかもしれないわね」
「わたしは歌姫だから、無理ではないですか?」
「ふふふ、確かにそうだったわね」
神殿に拘っていた理由は分かったけれど、今度はこの笑みがわからない。
別にわたしを虐めているわけではなさそうなのだけれど。むしろ好意的なものではあるのだけれど。
「不思議そうな顔をしているけれど、こればかりは私のさじ加減で決められることではないのよ?」
「確かに神託が下るかどうかは、神の采配なんでしょうね」
「だからこの話はここでおしまい。貴女の疑問に答えましょうか」
やっと本題に入ったわけだけれど、正直頭はそれどころではない。
処理できない情報が多すぎる。でも、頭を整理するので時間をくださいとも言えないので、ひとまず横に放り投げておくことにした。
「どうしてわたし達に便宜を図ってくれるのか、教えてくれるんですね?」
「ええ、そうよ。でもそんなに難しいものではないわ。
でも順番に話しましょうか。まずは貴女達をお客様として迎えた理由ね。
貴女達はここに来る時にちゃんと挨拶をしてくれたでしょう?」
「それだけ……ですか?」
「比喩でもなんでもなく、一般に中央と呼ばれるところは私の家だもの。
挨拶をされたうえで、私が招き入れたのだから、こちらも歓迎くらいするわ。
今回は居候が余計なことをしてくれたけれど」
フィイヤナミア様は笑っているけれど、正直少し怖い。
でもすぐに、怖かった雰囲気は霧散した。
「もしかして居候なんかも比喩ではないんですか?」
「ええ、そうなの。もともと私が住み着いて管理していた土地に、安寧を求めて人々が勝手に住み着きだしたのが始まりね。
追い出しても、追い出しても戻ってくるから、ルールを決めて居候を認めたのよ。
そうしたら今度は、どこの国にも属せないような組織がやってきて……みたいな感じね。別に私あの人たちの王様ではないのよ。私は税金とか貰っていないもの」
「貰ってないんですか?」
「そうね、そうね。今は、と言った方がいいかしら?
昔は持ってきたから受け取ってはいたのだけれど、そうしたらこの土地の運用に口を出させろって言われたのよ。その人たちは追い出したけれど」
フィイヤナミア様は税と言っているけれど、どちらかと言えば家賃みたいなものではないのだろうか。
と言うか、無償で貸しているのか。なんだか1つの家で収まるような話が、妙に壮大になっていておかしくなってしまう。
地図に記すとしたら○○国ではなくて、フィイヤナミア家になるわけだ。
「B級以上でないと入れないと聞いたんですけど、そのあたりはどうなっていたんですか?」
「人を呼んでも良いけれど、人数は制限するようにというルールがあるから、それに合わせているのではないかしら。ハンター達がこの土地で問題を起こせばハンター組合を追い出すことになる、ということも原因かもしれないわね。
これでこの地のことが分かったかしら?」
「フィイヤナミア様に逆らわなければ大丈夫そうですね」
少し冗談めいた発言をしてみたら、フィイヤナミア様はきょとんとした後で、ふふふと笑い「そうね」と応えてくれた。
「よほどのことがない限り、貴女はこの中央で勝手に作られたルールに縛られることはないわ。
私にとっては、居候よりもお客様のほうが大事だもの」
「ありがとうございます」
「それでは、話を戻すわね。貴女をお客様として招いた理由はさっきの通り。
でもそれだけだと、この待遇の答えにはなっていない。そうね?」
「はい」
もしかしたら、単純に気に入ってくれたというだけの可能性もある。
だけれど、それではフィイヤナミア様の気持ち1つで失うこともあるだろう。
だから何か明確な理由があれば知りたい。無ければここから離れることも、視野に入れなければいけない。
「理由は大きく3つかしら? でも1つは確定ではないわね。だから2つ。
1つは先ほど話したばかりだけれど、貴女達の実力が高いからね」
「ですが、フィイヤナミア様ならわたし達に勝てますよね?」
「勝てても、この土地は大きな被害が及ぶでしょう?
それはわたしも望むところではないもの。貴女と戦うくらいなら、国を落とす方が簡単よ?」
「それはさすがにどうなんでしょう?」
「いいえ、いいえ。貴女だって簡単に国を落とせるもの。必要なものは、十分な食料くらいではないかしら?
相手が何千、何万いたとしても、貴女は結界を張ってお城にまっすぐ進めばいいわ。
貴女の結界をどうにかできる人なんて基本的にいないのだから。見た目1人だから長期戦にはなると思うけれど、そのとき先に疲弊するのは国よね」
確かに言われた通りの防御力があるのであれば、国を落とせるのかもしれない。
わたしだけなら無理だろうけれど、シエルもいれば行けるだろう。
歩いて行って、城に入って、王の首を落とせば終わる。
「魔術を使えさせなくするような装置がありますよね?」
「常に使っている貴女には関係ないでしょう? それにあの地下牢でも貴女は魔術を使っていたのよ?
何の問題もないわね。
つまり国を落とすような相手と争っても益はない。むしろ仲良くしたほうが良いでしょう?」
自分の事と思うと否定したくなるが、言葉だけで考えると言っていることは間違いないと思う。
争っても益のない相手なら、友誼を結ぶか、不干渉を決め込むか。
フィイヤナミア様は前者を選んだと言うわけか。
「2つ目は精霊に懐かれている事ね」
「確かに寄ってきますね」
こうやって話している間も、精霊たちはわたしの周りを飛んでいる。
フィイヤナミア様のところにもいるけれど、わたしの周りのほうが数が多い。
「精霊が多い土地は豊かになるというのは、いいかしら?」
「何となくですが、森精霊に説明してもらいました」
「なるほど、なるほどね。それがわかっているのであれば、話は簡単ね。
精霊に好かれている人の周りには精霊が集まるから、土地が豊かになるのよ。
貴女は動き回るだけで、行った土地に恩恵をもたらすわけね。
逆に貴女の機嫌を損ねてしまえば、貴女を慕う精霊の機嫌も損ねてしまう。
そうすれば土地は痩せてしまうわ。精霊は世界の管理者だから不毛の地にすることはないけれど、作物の収穫量が落ちたり、味が落ちたりはするのではないかしら。それだけならまだしも、貴女の命が失われれば、精霊が怒ってそこらじゅうで自然災害をまき散らすかもしれないわね」
「だから今のような待遇なんですか?」
「いてくれるだけで、おいしい野菜が食べられるのよ? 長くいてくれるように便宜を図るのは普通ではないかしら?」
ニコニコ笑うフィイヤナミア様の言い分はわかる。
おいしい料理は大切だ。だってシエルが喜んでくれるから。
なぜ精霊がここまで懐いてくれるかはわからないけれど、事実として懐いているわけだし、よりわたし達と戦う理由もなくなる。
「少しは納得してくれたみたいね」
「はい。疑うような真似をして、申し訳ありませんでした」
「そこで謝らなくていいのよ」
フィイヤナミア様はそう言うと、わたしの隣にやってくる。
反射的に身構えてしまったわたしを、フィイヤナミア様は優しく抱きしめた。
「この屋敷に貴女達を傷つけるものはいないのよ。
だから張り詰めた緊張をほんの少しだけ、ほどきなさい。
私は貴女達を害さない。理由はもう話したでしょう?」
まるで母親のように優しく諭す声に縋ってしまいそうになる。
だって、ここには敵はいないと、ここは安全だと教えられてしまったのだから。
ほんの少しだけ、ほんの少しだけ気持ちを休めても許されるんじゃないかと、そう思った時には意識が微睡の中に溶けていった。