74.格上と牢屋と魔術封じ
さて、国境の近くまでやってきたわけだけれど、降りる所を見られないように少しズラしている。
だから、国境の壁沿いに関所を目指す。
さっきのやり取りで、とてもご機嫌になったシエルの足取りは、とても軽やか。
そして壁に手が届く距離になった時、わたしの魔術に何かが干渉した。
なんか、混ざった……のだろうか?
いつもわたしが展開している探知の魔術とよく似た魔術が、壁の近くに展開されているようだ。
安全上不審者が近づかないように、不法侵入しないように、そう思って展開されているものだとして何の不思議もない。
だが、この魔術はわたしと同等か、それ以上ではないだろうか。
わたしにできるのは展開されている魔力から、これがどういうものかを推測することくらい。
隠蔽率がわたしのそれと遜色ないレベルの魔術。
果たしてこれに気が付ける人が何人いるか。
「エイン。どうしたのかしら?」
『壁の近くに魔術が展開されています。わたしのものと似ている探知魔術ですから、害はないと思いますが、術者に存在を悟られたでしょう。
わたしと同等以上は間違いないです』
『エインのものと似た同等以上の探知魔術……ね』
シエルが話を頭の中だけに切り替える。
その切り替えの判断は悔しいが正しい。この魔術やろうと思えば音も拾えるだろう。
それだけの精度を持っている。
『やろうと思えば、音も色も認識できるかもしれません。
さらに展開範囲まで考えると、わたしのものよりも高性能です』
『それはすごいわね。エイン以上の魔術は初めてじゃないかしら?』
『氷の槍とかありましたけど』
『あの頃よりも、エインの魔術は強くなっている。そうでしょう?』
『確かにそうですけど』
果たして、この魔術を使う魔術師と敵対したとして、わたしはシエルを守り切れるのか。
仮にわたしのように攻撃魔術を犠牲にして得た力であれば、守り切れるだろう。
だけれど、この魔術と同じ精度の攻撃魔術をされた時、耐えられるかはおそらく半々。
氷の槍と相打ちになって、金狼には無残に切り捨てられて、今度は正面から突破されそうだ。
敗北感が拭えない。でも、これで3度目だ。落ち込むよりもやるべきことがあることくらい、わたしにもわかる。
『そもそも、そんな魔術師と敵対しなければいいのよ』
『確かにそれが一番ですが』
『私の予想が正しければ、とりあえず敵対することはないと思うのよ?』
『シエルはこの魔術師の正体がわかるんですか?』
『フィイヤナミア。他には考えられないわ』
言われてみると確かに、一番可能性があるのはフィイヤナミア様か。
中央のトップ。中央との国境際を監視をしていることに不思議はない。いや、トップがやっている事は不思議だけれど。
でも、フィイヤナミア様なら、即座に敵対することはない……と思う。
こちらもちゃんと手順を踏んでお邪魔させていただくわけだし、少なくとも問答無用ではないはず。
だとしたら、このしつこいくらいに質が微妙に変わる魔力は、威嚇ではなくてこちらに対する何かの合図だろうか。
『ちょっと、フィイヤナミア様(仮)と会話して良いですか?』
『そんなことできるのかしら?』
『なんか、構ってほしそうに魔力の質が変わっているんですよ』
『そうなのね。やってみてもらっていいかしら?』
何と言うか、何十桁とある数字の羅列の1つだけを変えている感じ。
自然に存在する魔力が、「159845158794651984156」だとして、わたしは普段魔術で放出魔力を「159845158794651884156」として隠蔽している。
このそれぞれの数字の変化が大きいほど、察知しやすいと考えるとわかりやすいだろう。
で、先ほどからアハ体験でもさせたいのかってくらい、微妙に数字を変えまくっているのだ。
実際には数字ではないけれど。
気が付かない人は全く気にならないのだろうけれど、気が付くと目の端がちらちらとするような不快感がある。
「初めまして。この声は聞こえていないでしょうか?」
声をかけると、一度ぴたりと変化が止まった後で、わずかに変化した。
こちらの声に反応したということは、この反応が否定で良いだろう。
「聞こえているんですね?」
また別の反応があったので、こちらが肯定。
こういったやり取り、最近もやったなぁ。
『シエル。わたしの名前を出そうと思うんですけど、どう思いますか?』
『エインが自分の名前を出そうとするのは珍しいわ。
私は構わないけれど、どうしてかしら?』
『この世界でも有数の権力を持っているでしょうし、明らかに格上です。
そのうえでこちらに興味を持っていることは明白ですから、敵意が無いと分かってもらうために……でしょうか。あとでバレてしまうと、さすがに立場が悪くなりそうです』
『分かったわ』
相手はエストーク国の人ではない。だから今までのようなものではなく、より安全を確保できるように、信頼を得られるようなものに変えなくては。
「わたしの名前はエインセルです。
そして同時にシエルメールと言います。簡素な説明が難しく、このような自己紹介になってしまい申し訳ありません」
魔力の変化はあるが悪い感じはしないので、とりあえずは許されたのだろう。
「不躾ではありますが、フィイヤナミア様で間違いないでしょうか?」
肯定。
「今から中央に入ろうと思っているのですが、よろしいでしょうか?」
肯定。
「ありがとうございます。では、今から伺わせてもらいますね」
ここで、魔力が最初の状態に戻ったので、シエルと入れ替わる。
「もういいのね?」
『はい。一応シエルも挨拶しておいたほうが良いかもしれませんね』
「それはエインのようにかしら?」
『出来れば』
「シエルメールです。よろしくお願いします」
傍から見ると壁に話しかけているようにしか見えないけれど、周りに人は確認できないので大丈夫だろう。
無事にかわからないけれど、フィイヤナミア様に挨拶できたので、安心して中央に行くことができる。
仮にフィイヤナミア様ではなかったとしても、格上の相手に挨拶したこと自体はマイナスにはならないと思う。
なかなかに不思議な体験だった。
◇
関所に到着したものの、B級のカードを見せたとたん対応していた兵士の表情がゆがんだ。
「このカードに偽りはないな?」
「ハンターのカードを偽れるとでも?」
「そりゃあそうだ。だとしたら、ここを通すわけにはいかない」
「なぜ? B級なのは確認できる」
うむ。安心していくことができるとは何だったのだろうか。
フィイヤナミア様が関所にいるわけでもなし、揉める事は考えられたように思う。
ただこの場合B級を疑っているというよりも、シエル自身に注目しているようで、とてもとても碌でもないことが起こる気がする。
「ああ、B級には違いない。だがシエルメールという名前には、ハンター組合から捕縛命令が出ている」
「……それは本部から?」
「いいや、エストークの王都ギルドからだ。
本来は本部を通すべきだが、彼の地は魔物氾濫の最中。そこから来たとなれば、ハンターの義務を放棄したも同然。
それなのに、ハンター組合証を使ってここを通ろうとは、厚顔無恥とはこのことだな」
「本部に確認して」
「しかもエストークの王都ギルドで暴れたうえ、多数のけが人を出したという話も聞いている。
確認するまでもない」
『どうしたらいいかしら? このままでは連れていかれてしまうわ』
『いきなり暴れるのも良いようには思われなさそうですし、今は黙って従っておきましょう。
駄目だと感じた瞬間攻勢に転じましょう』
『分かったわ』
「いいわ。連れて行って」
「大人しいのは良いことだ。だが、逃げ出そうとしないことだ。
この門の牢屋には魔術封じがなされているからな」
気がよくなったのか、兵士がシエルを連れて行く。
いくつか扉をくぐって、地下へ向かう階段を行って。
でも1つ気になることがある。魔術封じされているという話だけれど、どうにもそれっぽい場所が見当たらない。
どこもかしこもフィイヤナミア様の魔力で満ちている。
結局牢屋に入れられて、戸が閉められ、カギをかけられてもフィイヤナミア様の魔力は変わらない。
ついでにわたしの結界も探知も消えていない。
『ねえ、エイン。魔術が封じられているかしら?』
『結界も探知も生きてますね。シエルは魔術が使えますか?』
わたしの言葉に反応して、シエルが呪文を唱える。
いつものようにスムーズに発音するけれど、発動せずに行き場をなくした魔力がシエルの中で渦巻く。
とは言っても、所詮魔術1回分程度。いつかの薬と比べるのも烏滸がましい。
『発動しないのね』
『ということはやはり、新たな魔術の発動を阻害する系ですね』
『なるほど。でもそれだと、今回みたいな場合に意味をなさないのではないかしら?』
『おそらく、入り口に魔術を感知するような何かがあったんでしょうね。
わたしの魔術を探知できない程度ですが』
『やっぱり、エインはすごいわね。すごいのよ!』
なんだか今日はシエルがわたしを持ち上げてくる。
いや、褒めてくれる。嬉しいけれど、反応に困ってしまう。
『さて、それではどうしようかしら?』
『ここにもフィイヤナミア様の魔力が満ちていますから、聞いてみましょうか』
『お願いして良いかしら?』
『はい』
シエルから体を借りるわけだけれど……無事に入れ替わることができた。
さっそくフィイヤナミア様に連絡を試みる。
「フィイヤナミア様。少しよろしいでしょうか。エインセルです」
わたしの言葉にフィイヤナミア様が反応を示す。
「手違いと言うか、八つ当たりと言うか、私怨みたいなもので捕まってしまったのですが、脱出を試みても大丈夫ですか? おそらく門の地下牢を壊してしまうのですが……」
返答はYES。どうやら、壊してもいいらしい。
「はい。ありがとうございます」
頭を下げてシエルと入れ替わる前に、ふと思うことがあって1つ魔術を使ってみる。
いつも使っている温風の魔術。
発動する温風術。かなり使いにくいけれど、発動は問題ない。
それからシエルと入れ替わる。
『どうしたらいいのかしら? エインは使えても、私は魔術が使えないわ』
『たぶん身体強化は使えますよね?』
『あら、本当ね』
あくまで体の外に出る魔力を阻害するものだから、体内で魔力を回す身体強化は問題なく使える。
という予想は間違っていなかった。
だとすれば、この檻を壊すくらいは出来そうだけれど……。根本的な問題を忘れていた。
『シエルの魔力で身体強化をした上に、歌姫の強化も加えれば檻も壊せると思ったんですが……』
『確かにできそうね。やってみましょうか』
『待ってください。たぶんシエルに反動が来ます』
『それはエインが治してくれるもの。大丈夫よ』
そう言って、シエルが檻に向かって拳を振り上げる。
既に拳が痛い。無理に身体強化してる。
慌てて歌って、シエルの身体を強化する。
シエルの拳が鉄の棒にぶつかる。棒がひしゃげ、折れる。
シエルの手も反動で折れる。
とても痛い。とても痛いので、すぐに治す。我慢できないわけではないが、痛いのは快くない。
『いけたわ!』
シエルは嬉しそうだけれど、わたしは思い切りのいいシエルに驚いた。
まあ、物理方面はシエルの弱点ではあったのだ。舞姫の力を借りずに、ここまで出来たのだからうれしいのかもしれない。
『とりあえず、道もできたのでここから出ましょうか』
『そうね。なんだか、妙な寄り道になってしまったわね。
でもここって、魔術の修業ができそうよね』
『確かにそうですね。ここで魔術が使えるようになるのが、一つの到達点になるでしょう』
『だとしたら、また来るのも良いかもしれないわ』
それには同意だけれど、今は上にいるであろう兵士をどうするかを考える方が大切だと思う。