閑話 シエルと○○ ※シエル視点
シエルと精霊(67話辺り)
氷の茨が金色のウルフを食い破る。
結界が通じないせいか、エインはいつも以上に慎重と言うか、心配していたけれど、何とか倒すことができた。
エインは自分の取り柄が結界だけだと思っている節があるけれど、本当はたくさんのことをエインはしてくれている。
結界はもちろん、索敵も治療もエインの役目だし、何よりエインが歌ってくれなければ私は本領を発揮できない。あといてくれるだけで心強い。
でもそれだけ私を守ってくれようとしていることは、素直にうれしい。
今はエインに頼りっぱなしだけれど、いつかエインからも頼られるようになりたい。
そんなことを考えながら、自分の周りを見てみると、金色のウルフのせいで氷の茨のバランスが悪い。これは見栄えがよくないなと思わず、口にしてしまう。
氷漬けにしても倒せなかったけれど、今度こそ倒せたかなと離れたところから観察していたら、金色ウルフから何かが流れてきた。
得体のしれないなにかが妙に不快だけれど、エインはどう思っているのかしら?
エインが金色ウルフの爪の特異性について話していたけれど、もしかしてそれなのだろうか。
1つ思いついてくると、どんどん思考が進んでしまう。
例えばこれはリスペルギアが関わっているのではないか。そうなると、神様に関する何かが流れてきたんじゃないのか。
じっとウルフを見ながら考えていたら、ふいに何かが視界を横切った。
右から左へと動いたそれを追いかけるように、視線を動かす。
そこには、人がいた。
とてもとても小さな人。
全身が私の顔より少し大きいくらいしかない。
光を跳ね返す緑の髪に、宝石のような緑の目。服も緑で、ぼんやり緑に光っている。
小さい手、小さい足。
いままで私より小さい人を見る機会がほとんどなかったので、なんだかとても新鮮な感じ。
人の形をしているけれど、他の人に感じるような不快感が無い。
その表情に毒気が無いからか。
自分より小さい存在に、敵意を感じないからか。
じっと見ていたら、小さい人と目が合った。
不思議そうな顔をして、右に左にふわふわ動く。
そうしているだけなのに、なんだか楽しくなってきた。
少なくとも人ではないこの存在となら、仲良くなれそうな気がしてきた。
小さくて、ちょこちょこしていて、これは何というのだろうか。
今の気持ちがなんなのか最初は分からなかったけれど、気が付いたら思わず「可愛いわ」と口に出してしまった。
ぽかんとしていた顔が、笑顔になるのにつられて私も笑顔になる。
エインのことは可愛いと思うのだけれど、それとはまた違った可愛さというのだろうか。
同じ言葉なのに、心の感じ方が違うというのが何となく面白い。
近くに手を持っていけば、近づいてくるのも可愛いし、私の手に抱き着こうとして通り抜けてしまって残念そうな顔をするのも可愛い。
気を取り直したように私の周りを回り始めたところで、この子と似たような存在がたくさんいることに気が付いた。
なんだかとても楽しくなってくる。心が躍る。
『シエル、ちょっといいですか?』
エインに声をかけられて、私は楽しいままに彼女の名前を呼んだ。
エイン的には自分のことを彼だと思っているかもしれないけれど、歌姫なのだから彼女なのだ。
『なんだか可愛いのがたくさんいるわ。いるのよ!』
『怖くはないですか?』
『そうね。なぜかしら? まったく嫌な感じはしないわ。
彼女たちは何かしら?』
ちょっとはしゃぎすぎていたわ。
冷静に考えたら、まず彼女たちが何者なのかを調べるべきだったのだ。
危険な存在ではないとは思うけれど、知らないよりも、知っていた方がいいに決まっている。
『それを確かめたいので、少し体を借りて良いですか?』
『ええ、よろしくね』
エインはどうやら正体に予想がついているらしいので、入れ替わる。
いいえ、正しくは柄にもなくはしゃいでいたことが恥ずかしいので、誤魔化すために入れ替わってもらった。
もしかしたら、冷静に考えていたら、彼女たちの正体について私も気が付けたかもしれない。
それもこれも、エインが守ってくれているのが悪いのよ。
エインが守ってくれているから、警戒心が薄れてしまうのね。
何ていうのは八つ当たり。しっかり反省して、次に生かさないと。
話を戻して。
エインと入れ替わったところで、小さい子たちの様子が変わった。
ただただ楽しそうに私の周りをまわっていたのに、エインと入れ替わってからは、なんだかエインに甘えるようにぴったりと寄り添っているのだ。
『エインは人気者ね』
私はなかなかエインに甘えられないのに。少なくとも面と向かって甘えられないのに。
どうしたら、エインに甘えられるようになるのかしら。
あの人の家の魔術書にはほとんど書いていなかったけれど、ゴーレムとかホムンクルスとか、器を作ればいけるのかしら。
本格的に調べてみたいけれど、今はその時ではないわね。
どうせB級になれる15歳まで時間があるのだし、その間にできることをしよう。
「初めまして。こちらの声は聞こえているでしょうか?」
考え事をしている間に、エインが沢山いる中でも大きい――とは言っても私よりは小さい――存在に声をかける。
人型で頭に木が生えていて、大人っぽい。
この子たちと遊びながら何となく気が付いていたけれど、あちらの声はこちらから聞こえない。
だけれど、こちらの声はあちらに聞こえているらしい。
肯定・否定くらいの受け答えしかできないけれど、これでやり取りができることが分かった。
エインはこういうことがすぐにわかるのですごいと思う。
そしてエインが彼女たちに「精霊」ではないかと尋ねた。
精霊と言えば、精霊使いという職業があったはず。
あと精霊が出てきたのは物語だろうか。私たちのそばにあって、でも関わるものが無い存在。
自然そのもののようで、とても強い力を持っている。
だとしたら、この子達は大きな力を持っているのだろうか。そんな感じはしないのだけれど。
肯定と否定、辛うじてどちらとも言い難い、という反応しか返ってこないのに、エインは精霊から様々な情報を手に入れていた。
私だったら何を尋ねて良いのかわからない。こういうところで、経験不足が出てくるよなと思うと同時に、やっぱりエインは頼りになるなと再確認した。
シエルと海(68話辺り)
金色ウルフを倒して、ギルドに報告して、私はその足でノルヴェルの町を出た。
あの男の屋敷を出てから2年以上が経って、ようやく見ることができるのだ。
そう意識するとどうにもソワソワしてしまって、町で一晩明かすことが煩わしかった。
エインのおかげだけれど食べ物さえ準備すれば、私はどこにだって行ける。時間も時期も関係ない。
エイン頼りの行道だけれど、町を出てからの3日間はいつもの移動とはどこか違っていた。
精霊が見えるようになったのもあるのだろうけれど、たぶんそれとも違う。
山脈の反対側に出たところで、感じたことのない妙な空気が私を包んだ。
湿っているのかジトっとしていて、匂いもなんだか刺激がある。
遠くでノイズのような音が鳴っている。
何かが違う。そういう期待の中で、森を抜けた。
暗い森から出たせいで目がくらむ。手で影を作って慣れるまで待つ。
そろりと手をどけると、目の前には大きな青があった。
頭上に空の青があるのは分かる。でも、目の前の大きな青ははるか向こうで空と繋がっているものの、別物だとわかる。
それに空とは違い、太陽の光を跳ね返しキラキラと輝いていた。
その大きな青が水だと気が付くと同時に、それが海と呼ばれるものだと理解する。
何と大きいんだろう。何と青いのだろう。私の瞳はこんなに光り輝いているのだろうか。
エインにはそんな風に見えているのだろうか。
「エイン、エイン! 水が青いの」
『はい、青いですね』
「それに大きいのよ」
『ええ、とても懐かしいです。ここの海は初めて見たんですけど』
見たことが無いものを見た感動。これをどう表現したらいいかわからなくて、言葉になるままにエインに話しかける。
この気持ちを共感してほしくて、エインにもすごいって言ってほしくて。
でも、エインの返答を聞いて、気が付いてしまった。エインは海を見るのは初めてではないのだ。
そう思うとなんだか、少しだけ気分が沈んでしまう。
「エインが見たことある海も、こんな感じだったのかしら?」
少しでもエインの気持ちを知りたくて問いかける。
『そうですね。空と海の青に、雲や波の白。記憶にある通りです。
ですが、違うところもありますね』
「そうなのね。何かしら?」
『精霊は見えませんでした』
「ふふ、楽しそうよね。ねえ、エイン」
楽しそうにはしゃぐ精霊たちがいる海。これはエインも見たことがなかったらしい。
だとしたら、私達は同じ初めてを得ることができたのだろうか。
『何ですか?』
「海はこれがすべてではないのよね?」
『ええ、大陸を囲むようにあるはずですから、ここにあるのはほんの一部と言っていいでしょう。
ここは崖になっていますが、港を作って漁をしているところもあるでしょうし、砂浜になっていてより海に近づけるところもあると思いますよ』
もしかしたら、エインが見たことが無い海もあるかもしれない。
次に海を見るとき、私も海を見ることは初めてではなくなっている。
だとしたら、もっとエインに近づけるだろうか。
「それなら、この国を出ることができたら、もっといろんな海を見ましょう。いろんな空を見ましょう。いろんな景色を見に行きましょう。そして……」
――一緒に初めてを見たここで、思い出話をたくさんしましょう。
口にしようと思ったけれど、今は言わないことにした。
いつ戻ってこられるかもわからないし、今はまだ語るべき思い出もない。
それにきっと、そういう話はどちらともなく自然とはじまるのだと思う。
『そして、何ですか?』
「何でもないのよ。気にしないで」
首を振って話を打ち切る。
『そうですか』とエインがつぶやくのを聞きながら、いつかここで見た海の話ができるように、目に焼き付けることにした。