71.空と亜竜と舞姫
夜が明けて、今度こそシエル最速の移動をすることになる。
『シエルの好きなタイミングで休んでいいですからね?』
「それなら1日中移動になるかもしれないわ」
シエルはクスクス笑うけれど、わたしは歌い続けていないといけないので、休憩だと声をかけることができない。だから、冗談ならいいのだけれど、本当なら困ってしまう。
歌うのを止めて声をかけられたらと思うのだけれど、この移動方法だと歌うのをやめたらシエルが怪我をする可能性があるのだ。
「大丈夫よ。私だけの体ではないもの」
『わかりました。シエルを信じます。それから、もう1つ』
「敵にあったときにどうするか、よね」
『はい。今回はAランクとの遭遇の可能性がありますから、決して安全とは言えません』
「様子を見てそのまま大丈夫そうなら倒すし、駄目なら仕切り直すわ」
『それでいいと思います。ですが1つだけわがままを言わせてください』
「なにかしら? 何でも聞くのよ!」
やたらシエルのテンションがあがったけれど、それに引っ張られないように、冷静に話す。
『Aランクと遭遇したら、球結界を使います。1度でいいので、それで攻撃を受けてみてください』
「Aランクの強さを見るのね。でもエインなら完封できると思うわ」
『金色のウルフには突破されてしまいましたから……』
「それは仕方がなかったと思うのだけれど。
エインの結界との相性が悪かっただけだもの。気にする必要はないのよ」
『そう言われると弱いんですが……。それはそれとして、現状の防御力を知らないと困ったことになるかもしれませんから』
「確かにそうね。何度か受けてみるわ」
シエルが慰めてくれるのは嬉しいのだけれど、自信たっぷりに結界で受けて破壊されてはたまらない。シエルを道化にしないためにも、自分の力はしっかり把握しておかなくては。
それから、金狼から流れてきた力の実験もしてみたい。わたしの予想では金狼の爪も弾くことができるようになるはずだけれど、あくまで予想は予想だ。
ともかく話は終わったので歌を始める。
魔術にもいろいろあるけれど、舞姫と相性がいいのは火や水、氷と言ったものになる。
なぜなら、派手に魔術を使うことができるから。魅せることができるというのが、やはり根底にある。
舞をより華やかに見せるため、魔術自体で目を惹きつけるための演出。
それを出来るものが相性がいい。
だから今までは水や氷の舞台しか作ってこなかったけれど、やろうと思えば火の舞台や地の舞台も作り上げることができる。
地の舞台というのもわかりにくいけれど、魔力の消費を考えなければシエルの周囲数キロメートルを森にできる。そこまですると、さすがに舞う前にシエルの力が尽きるけれど。突如現れる数キロの森とか事件以外の何物でもないので、使うことはないだろうけど。
地面を隆起させるとか、花畑にするくらいなら消費は抑えられる。
基本が地水火風だとするなら、舞姫と相性が悪いのは風……だと思っていた――風魔術自体はよく使っていたけれど、それは舞姫の力というよりも、シエルの魔術の実力でどうにかしていたにすぎない。
魅せる以上、目に見えない風属性は舞姫とは相性が悪いと思っていたけれど、実はそんなことはなかった。というのが、今回の移動方法になる。
要するにシエルは空を駆けることができる。
風の舞台として空中を踏みしめることができる。
舞としては精霊の舞とか、妖精の舞のようなもの。空中で楽しそうに飛び回っている精霊を見た事で、より精度は増したと思う。
魔術で空を飛べる人もいるけれど、それこそトップクラスが空を飛ぼうと努力してようやくのレベル。
シエルも優秀な魔術師だけれど、空を飛ぶ練習をしていないぶっつけ本番はさすがに無理。
閑話休題。
シエルの細くしなやかな足が空を掴み跳びあがる。
わたしの歌に合わせて、小鹿が野原を跳び回るようにシエルが空を走り出す。
それに気が付いた精霊がシエルの周りをくるくると楽しげに回り始めた。
1人が遊び始めれば、周りの精霊もつられて遊び始め、シエルもつられてそれに混ざる。
こうなってしまうと、舞というよりも祭りに近い。それでも舞姫の効果で空を移動できているのだから、わたしは気にしない。
よくよく精霊の動きを見て見ると、わたしの歌に合わせているようなのも気にしない。
一緒に歌おうとしている精霊がいることも気にしない。
微笑ましいからすべていいのだ。
精霊にはわたしの声が聞こえているというのは、別に構わないのだ。
バフがかかって困る相手ではないし。そもそも、精霊にバフがかかるのかもわからない。
明らかに通常の生物とは、一線を画した存在だから。
ただ、精霊が見えない人にしてみたら、シエルの動きは怪しい。
虚空に向かって笑いかけているわけだから、頭がおかしいと思われるかもしれない。
使いどころは考えないといけないなと思いつつも、今言っても仕方がないというか、歌うのを止めたら墜落するのでいつものように歌い続けた。
◇
ノルヴェルの町を出て3日。
手抜きかなと思いながらも、わたしは同じ曲を繰り返している。
と言うか、終わらないような曲を歌っている。飽きたら別の曲に行くけれど、数時間は同じ曲を歌っているだろう。
ゲームの挿入歌って素晴らしい。
普通の曲もループさせることができるのだろうけれど、そういった技術は持ち合わせていないので、初めからループするように調整された曲は長期戦で助かるのだ。
という、わたしの曲に対する所感は置いていこう。
何せ視界の向こうに黒い影が見えるから。
これが地面だったらいいのだけれど、どう見ても空の上にいる。
空を飛べる魔物というのもいないわけじゃない。鳥を模した魔物も居る。
でも、飛行できる魔物は総じて厄介だ。飛んでいるわけだから厄介なのもそうだけれど、大体が高ランクの魔物になるから。
前世においても知られているような幻獣の類。
だいぶ近づいて、いま見えているのは、亜竜だろうか。Aランクの空飛ぶトカゲ。
見えるところにいるということは、すでに魔物氾濫は始まっているのだろう。
魔物氾濫の規模は分からないけれど、ワイバーンがいるだけで町への被害は大きそうだ。
出来れば全部無視して王都に行って、物資を置いて脱出したいところだけれど、悪いことにこっちに近づいてきている。
陸上の魔物だけなら、空を行けばすべて無視していけると思ったのに。
ワイバーンから逃げながら王都に行く事もできるけれど、今の状態だとワイバーンを連れてきたということで捕まりそうな気がする。
じゃあ歩いていけばよかったのかと言われると、今度はワイバーン――見える限りだと10体程度――なんか目じゃないほどの魔物の群れの中を行かないといけなかったわけで、数的にみると空を来たのは間違いではない。
幸いワイバーンにつられて、魔物たちがこちらに近づいてくるということはなさそうだ。
これから地面に降りるかこのまま空中で戦うかはシエル次第だけれど、どうやらシエルは戦う方を選んだらしく、降りる様子はない。
事前に話していた通り、球結界を張ってシエルに攻撃を受けてもらうことにしよう。
近くまで飛んできたワイバーンは鱗が緑色、腕と羽が一体化していて、鋭いかぎ爪と尾をもっている。
詳しく調べたことはないが確か尾には毒があるため、掠っただけでも不利になったはず。
結界の試験相手としては危険がある相手だけれど、結界を壊されなければ良いだけのこと。
あと近づいてきてよく分かるのだけれど、とても大きい。
シエルの何倍もの大きさがあるので、一種のラスボス感がある。
金狼とあまり変わらない大きさだとは思うけれど、狼が4足歩行なのに対してトカゲは2足歩行っぽい飛び方をしているので、こちらの方が威圧感がある。
まるで壁だ。
最初にやってきたワイバーンはシエルよりも高い位置までやってきたかと思うと、そのかぎ爪でシエルを捕らえようと急降下してきた。
闘牛でもやるかのように、ひらりとシエルが躱すときにあえて結界にかぎ爪をぶつける。
結構な衝撃にシエルの態勢が崩れそうになったけれど、うまく魔術を使い持ち直した。
同時にこの戦いの勝利を確信する。
他の攻撃もあるだろうけれど、今の攻撃では何回やられてもわたしの結界は壊せない。
と言うか、氷の槍のほうが威力がある。
次いで向かってきた尻尾も阻んだ。
何か奥の手があるかもしれないが、こちらがかなり有利なことには違いない。
うん。やっぱり金狼が規格外だったようだ。
しかし負けないだろうけれど、勝てるかはわからない。
シエルの攻撃がAランクに効果があるのかが、カギになる。
噛みついてくるワイバーンと戯れるように、シエルが空を駆ける。
空を自在に飛び回り始めたシエルは、さながら魔法少女のようで、隙を見て放つ風の刃は着実にワイバーンに傷を負わせている。
杖を持たせてフリフリの衣装を着せていれば、完ぺきだっただろう。年齢的にも問題はないけれど、シエルが使っているのは魔法ではなく魔術に近いので、魔術少女になりそうだ。
何て冗談は置いておいて、戦況的にはワイバーンの数が多くて攻め続けられない。
幸いワイバーンは空中戦が得意ではないのか、細かい動きにはついてこれていないので持久戦で勝てばいいだけ。
普段は地上にいる生物を狙っているだろうし、大きな体はそれだけで小さい獲物は狙いにくいのかもしれない。
と思っていたら、真上からの反応に気が付くのが遅れた。
視界いっぱいに迫る尻尾は、的確にシエルの頭を叩きつける。
攻撃を結界で阻むことはできても、空中でたたきつけられれば衝撃は逃がしきれない。
地面にたたきつけられるのはさすがに不味いかな、と思うよりも先に、今日の実験予定その2を使う。
金狼が使っていた謎の力。それを練りこんだ結界。
魔力を使って魔術を使う時のように、循環させて外へと放つ。魔力よりも強いエネルギーを循環させることができるのも、シエルの規格外の回路のおかげ。
1秒も無いスカイダイビング、もしくはロープなしバンジーだったけれど、地面についた感覚だけがあり衝撃はまるで存在しなかった。
気が付いたシエルが周りを見ると、小さなクレーターになっている。
上を見るとワイバーンが勢いよく迫ってきていた。
眼前に迫る巨体から目をそらすことなく、それでもシエルは何もしない。
何を考えているんだろうなと思ったら、突っ込んできたワイバーンの爪が結界にあたって折れた。
痛みのせいか、うまくいかなかったことへの憤りか、ワイバーンは咆哮し空へと逃げる。
うん。結界はより防御力が上がったようだ。
『どうしましょうか』
地面に堕とされたので、歌うのをやめてシエルに尋ねる。
ワイバーン達は未だシエルを狙っているらしく、空でぐるぐる円を描いていた。
「エインのおかげで負けないけれど、だからと言って王都に行くのも駄目よね?」
『止めておいたほうが良いでしょうね』
「それなら倒すしかないのだけれど、空に行ったら風魔術以外は使いにくいし、ここからだと他の魔術は届きそうもないわ。
だからたまには一般的な舞姫をしてみるのはどうかしら?」
『それも良いかもしれませんね。濡れないように、サポートはしておきます』
やることが決まったので、歌を再開する。今から行うのは一つの儀式なので、それに見合った厳かな歌。シエルも地面を蹴って、簡易的な舞台を作り上げる。
それからシエルは、ローブをストール代わりにして、祈りを捧げるように膝をついた。
なんだかんだで、今までやってたことはなかったけれど、世間一般での舞姫の力。
舞台を作り、音楽を奏で、舞を奉納する。
ゆるりと立ち上がったシエルは、体の軸がブレることなくやはりゆっくり回って見せる。
華奢な体を大きく使って、流れる水のように緩やかに、わたしの歌に合わせて動きを続ける。
動きに合わせてローブが風を掴み、大きく広がる。重力がないかのようにシエルに追随する。
惜しむべくはシエルの格好がハンター然としているところだろうか。
それとも観客が亜竜であることだろうか。
空が厚い雲で覆われ暗くなり、何かを感じ取ったのかワイバーンたちの動きが乱れる。
――ぽつり
一粒の雫が空から落ちてきた。
――ぽつり ぽつり
二粒、三粒。数を増す雫は、気が付けば数えられないほどに降り注ぐ。
音は一つに繋がり、終着点は徐々に徐々に抉られる。
そんな豪雨の中でシエルは1人舞い続ける。
くるりくるりと、暴力的な恵みを待ち望んでいたかのように。
ゆらりゆらりと、過酷な世界に歓喜するように。
精霊たちは楽し気に飛び回っている。
特に青い子たちが、空を泳ぎ回る。
逃げ損ねたワイバーンたちは、その翼に叩きつけられる雫のせいで地面に落ちる。
ぴかっと雷が落ちてきたところで、シエルが舞うのを止めた。