55.ビビアナとお話と頼み
ハンター組合とも揉めて、特にやることもなくなったシエルが、余った1日を何に使うかと言えば、寝るか、魔術や職業について研究するかになる。
そんな中、こんな上等なベッドで寝られる機会なんて今後何回あるかわからないので、当然寝ることを選ぶ。
ここのところ厄介ごとに巻き込まれ続けて、シエルも知らず知らずのうちにつかれているだろうから、わたしが勧めたのだけれど。
シエルが昼間から寝ている間は、体を借りても良いと言われている――積極的に使えみたいなニュアンスだったけれど――ので、実は上等なベッドの恩恵はあまり得られていないのだけれど。
知らない人がシエルを見たら、よく寝る子だと思うかもしれないが、実際のところシエルは12歳にあるまじき負担を強いているから、時間があるときに寝るのは何ら可笑しくないと思う。
わたしが表に出ているとはいえ、普通ギルドマスターを相手に喧嘩を売ることはないし、裏社会のトップのところに乗り込むこともない。
そんなことをした日には、前世のわたしなら緊張か何かで嘔吐していただろう。
そういうわけで、一度起きて朝食を食べたシエルは、部屋で眠っている。
わたしは、シエルを守る守護者なんて。
そんな馬鹿なことを考えていると、この部屋に誰かが近づいてくる。
いつかのように、天井とか窓の外ってわけではないので、正規の来客だろう。
試しにシエルを起こそうとしてみたけれど、起きる様子もない。
とうとう扉をノックされて、丁寧な声で「ブラン様、いらっしゃいますでしょうか」と問われた。
このまま居留守を決め込んでもいいのだけれど、昨日のことで進展があったのかもしれないし、無視しても厄介事が先送りになるだけのような気もする。
シエルの安眠を妨げるのは気が引けるけれど、体を借りて扉の向こうに語り掛ける。
「どうしました?」
「お客様がいらっしゃいました」
「名前とか言っていましたか?」
「ビビアナ様とおっしゃる、ハンターの格好をした女性です」
「今起きたので、少し時間がかかると伝えてくれますか?
準備ができたら、受付まで行きます」
「承知いたしました」
ビビアナさんと言えば、愚か者の集いの1人か。確かウルフが神の使いだと教えてくれた人。
だとしたら、会ってみても大丈夫だろう。
あ、何の用事があるのか、聞いてみればよかった。
ともかくギルドマスターやトルトからの刺客ではないようだ。
結構可能性は高いと思っていたのだけれど、さすがに正面からはやってこないか。
『エイン、何かあったのかしら』
『ビビアナさんが訪ねてきたので、会ってみようかと』
『ビビアナ?』
『酒場で会ったパーティの魔術師っぽい人です』
『あの人ね。私が行った方がいいかしら?』
『お任せしますよ。何の用で来たのかわかりませんし』
『それならエインの方がよさそうね。長い会話は苦手だもの』
『やろうと思えば、シエルも私みたいに話せますよね?』
『話せますよ? でも、面倒だからやりたくないのです。
それにエインには悪いですが、この話し方だと、あの男と話していたことを思い出してしまいます』
『それなら仕方ないですね』
『ええ、仕方ないのよ』
話し方が戻ったシエルが、なんだかいい笑顔を見せているような気がする。
今はわたしが表に出ているので、シエルの表情がわからないのだけれど。
声色的には、悪戯っぽい笑顔になっていたことだろう。
さて、女の子の準備には時間がかかると言っても、わたし達にそれは当てはまらない。
おしゃれな服を持っているわけでもなければ、お化粧もしない。
いつかは化粧できるようにならないといけないのだろうけれど、誰か教えてくれないだろうか。
頼るならセリアさんだけれど、今いるのは本部か。B級になるのが先か、シエルがお化粧を覚えないといけない年齢になるのが先か。
サッと準備を済ませて、部屋を出ると受付に向かう。
遠目にビビアナさんを見つけたのだけれど、綺麗な人だと思う。
格好はハンターらしくデザインよりも、機能性を重視したものだけれど、黒を赤に近づけたような髪、勝気な印象を受けるものの整った容姿、プロポーションも出るところは出て、引き締まっているところは引き締まっていてメリハリがある。
魔術師だから貴族の血が入っているのだろう。
ペルラのように、生粋の平民が職業によって魔術師になるという方が珍しいのだ。
「お待たせしました」
「大丈夫よ。こちらが突然来たんだもの。
むしろ思ったより早かったわね。寝ていたって聞いたのだけれど」
「準備もほとんどありませんから」
「まだまだ若いものね」
ビビアナさんも見た目は若いと思うのだけれど、シエルと比べるとどう頑張っても若いとは言えない。
12歳くらいだと、高校生でもおばさんと言ってしまう人もいるのだから。
「今日はどうしたんですか? 何か進展でも?」
「いえ、個人的な事情ね。少し話がしたかったのよ」
「話ですか? 構いませんよ」
「よかったわ。それなら、適当にお店にでも入りましょうか」
ビビアナさんが歩き出したので、それに続いて歩く。
動作1つ取っても洗練されている感じがするのだけれど、貴族の血が入っているのではなくて、正真正銘の貴族なのかもしれない。
どうやら、わたしが歌姫だということは広まっていないらしく、町の中を歩いていても絡まれることはない。ビビアナさんと一緒にいるからかもしれないけれど。それに絡まれないだけだ。
『何やらつけてくる人がいるので、最悪替わってもらいますね』
『わかったわ。でも、それはビビアナは無関係なのかしら?』
『どうでしょうね。狙われる理由なんていくらでも思いつきますから』
シエルの場合、何もなくても後をつけられることなんて、よくあるのだ。
いままでに何度人攫いに逢いかけてきたことか。
ビビアナさんと一緒にいるからこそ、狙われているって可能性だってある。彼女も美人だから。
「それにしても、よくあの宿に泊まれるわね。
私達もお金を持っている方だとは思うけれど、あの宿はさすがに無理ね。それも最上級の部屋となると、まるで想像もつかないわ」
「綺麗な部屋ですよ。広すぎるので、1人では寂しい感じがしますけど。
装飾品でごてごてしているのではなくて、質の高いものを設えつつも、シンプルで居心地がいいです。ベッドの肌触りは、ここでしか味わえないかと思うほどでした。
ですが、わたしがお金を払っているのではなくて、王都に来てすぐ厄介ごとに巻き込まれたので、そのお詫びという形で泊めてもらっています」
「王都に来てすぐに厄介ごとって……シエルメールなら仕方がなさそうね」
じっとわたしを見たビビアナさんが、そう結論付ける。
否定できる要素はまるでないので、「慣れっこですから」とでも返しておく。
なんだか微妙な顔をされてしまった。
「ところで今日は、情報収集の時の話し方なのね」
「普段の方が、良い?」
「いえ、さっきまでの方がいいわ」
「そうしますね」
正直シエルの真似をするのは難しい。正確には、シエルの真似をしながら、円滑に会話を進めるのが難しい。
だいたい、シエルの話し方でいいなら、わたしが表に出ている必要はないのだ。
そう考えると、シエルの話し方のほうが良いと言われた方がよかっただろうか。
こんな感じで道中の時間をつぶして、連れてこられたのは、お洒落なお食事処。
時間帯的には昼食にはまだまだ早い感じだけれど、お店の中にはそれなりに人がいて、各々談笑したり、真面目な顔をして話し合ったりしていた。
「珍しいお店ですね」
「昼食や夕食時以外にも、店内を談笑スペースとして開放しているのよ。
出すものは飲み物と軽食くらいだけれど、他に落ち着いて話せる場所も少ないから、利用者も結構いるのよね」
喫茶店の前段階、といった感じなのだろうか。
今後需要が増えれば、それこそ喫茶店のように、飲み物や軽食をメインとしたお店が出てくるかもしれない。
ビビアナさんは空いている席に座ると、「何が良いかしら?」と尋ねてきたで「紅茶を」と答えておく。特別好きというわけでもないけれど、雰囲気的に紅茶かなと。
ついでに、紅茶はあるけれど緑茶はない。コーヒーもない。飲み物と言えば、水か紅茶か果実水かお酒かみたいなところがあるので、そもそも選択肢が少ない。
ビビアナさんが注文を終え、運ばれてきたところで、改めて向かい合った。
「改めてになるけれど、今日は急な訪問に応えてくれて、ありがとう。助かるわ」
「個人的な話があるんですよね?」
「そうよ。でも、その前に訊きたいのだけれど、シャッスに喧嘩を売ったって本当かしら」
「喧嘩は売っていないですよ。事実を言ったまでです。
もしかして、喧嘩を売られたから、買いに来たってことでしょうか?」
「いいえ、違うわよ」
ビビアナさんが、楽しそうに笑う。
ここまで丁寧な対応をされて、喧嘩を買いに来ましたと言われても、違和感がすごいけれど。
「実際問題、私達が束で挑んでも貴女には傷一つ付けられないでしょうし。
魔術を扱うものとして、シエルメールの魔術に興味があるから、会いに来たのよ」
「他の人はどうしているんですか?」
「今頃走り回っているわね。誰かさんが大きな仕事を持ってきたから」
「それは、大変ですね」
「貴女が悪いわけでもないのだけれど、もう少し労ってあげてほしいわね。
まぁ、私は魔術師として貴女に話を聞くということで、特別に免除してもらったわ」
愚か者の集い。愚直に何かをやってきた者たちの集まりであれば、ビビアナさんがやってきたのは、魔術の研究なのだろう。
だからシエルの、と言うかわたしの結界を見て、興味を持ったと。
気持ちはわかるけれど、わたしのそれは特殊な代物だし、下手すれば死ぬ可能性のある薬を使っての魔力上昇や、髪が回路になったといったイレギュラーありきなので、参考にはならないと思う。
「わたしが教えられることは、ほとんどないと思いますよ?」
「それは当然よね。魔術師が自分の手の内を簡単にさらすとは思えないもの。
例えば貴女の結界。その存在を知っても、未だに知覚できないわ。
答えられればで構わないのだけれど、貴女が初めて魔物を倒したのはいつかしら?」
「10歳の時ですね。2年ほど前です」
「だとしたら、その段階でサイクロプスに通用する結界だったってことよね」
「否定はしません」
サイクロプス程度なら、何回攻撃されようと無意味なのは、すでに実証済み。
そのころよりも、高性能になっているから、今となっては万が一もないだろう。
「やっぱり、シャッスやリュシーもまだ、貴女の見た目に騙されていたみたいね。
Bクラスの魔物の攻撃を防ぐことができる結界を、張り続けているだけで、魔術師としては十分すぎるわ。さらにスタンピードを収めることができる殲滅力も持っている。
その年齢でそこまでなるために、どれだけの努力をしてきたのかしらね」
スタンピードを収めたのは、どちらかと言うと舞姫の力が大きいと思うのだけれど、下手なことを言うつもりもないので、微笑んでおく。
それでビビアナさんは何をしに来たのだろうか。危険人物だから、監視するみたいなことを宣言しにでも来たのだろうか。
しかしなんだか、ビビアナさんは頬を赤くして、恥ずかしそうにしている。
「貴女の魔術を教えてもらおうとは思わないわ。
だから貴女に私の魔術を見てほしいのよ。そして気になる点があれば、教えてほしいの」
ビビアナさんの言葉に、思わず大きく瞬きをしてしまう。
何と言うか、野球少年がプロ野球選手に自分のプレーを見てくれと言っているような感じなのだろうか。ビビアナさんもプロのはずだから、この例えはおかしいか、というのは置いておいて、恥を忍んで年下の女の子に魔術を教えてもらうというのが目的だったのか。
魔術の理論とかだと、シエルの方がわたしよりも優秀なのだけれど。
まさか、魔力を暴走させる薬を飲みましょうとか、そして髪が回路になるようにしましょうとか、言えるわけもない。
「それは良いですが、わたしが使う魔術はとても特殊ですから、有益なことが言えるかはわかりませんよ?」
「それで構わないわ」
タダで魔術を見せてもらえるなら、喜んで見よう。
それに、周りに人がいなくなった状態で、追跡者がどのように動くのかも気になる。
追跡者とビビアナさんが関係しているのかも気になるし、断る必要はないだろう。
「それなら外に行きますか?」
「外って言うと、王都から出るってことよね。それは少し……」
ビビアナさんが言いよどむので、疑いのまなざしを向ける。
わたしに見つめられ、ビビアナさんは降参するとばかりに両手を挙げた。
「改めて問いますが、ビビアナさんの用事は何ですか?」
「貴女の護衛よ。明日の午後までに調査と報告を終えないといけないけれど、それまでにシエルメールにギルドマスターがちょっかいをかけてくるかもしれない。
必要なかったみたいだけれど、目の届く位置にいてくれた方が、こちらが安心できるわ」
「それなのに、なんで魔術を見てほしいって話になったんですか?」
王都から出ることを躊躇った時点で、ビビアナさんの疑いはわたしの中で晴れていたけれど、これだけは腑に落ちない。
魔術を見せるということは、王都から出ざるを得ないわけで、つまり無法地帯に行くようなものだ。
町の外で死んでも、運悪く魔物や盗賊に殺されたとされて、終わるなんてこともざらにある。
「護衛とは言っても、私が強く希望したのは事実だわ。
魔術師として、このチャンスをものにしないといけないとも思っていたのよ。
だから、少し舞い上がってしまったんだわ」
「そして魔術を見せるのに外に出ないといけないことに、気が付かなかったんですね」
ビビアナさんは肯定しないけれど、そらされた目が代わりに肯定してくれた。