45.理由と要求と広い部屋
アニセトとミレーラの夫婦は、わたしを見るなり指をさして、何か言いたげに口をパクパクとさせている。
今の状況はどう見てもわたしは捕まった商品には見えないだろうから、当然といえば当然だけれど。
わたしは高そうなソファの上、2人は怪しげな男に連れられて立たされているので、見た目にもどちらが優遇されているのはわかるだろう。
「おはようございます。アニセトさん。ミレーラさん」
「なぜ君がこんなところに……」
「何故って、貴方達のせいですが。わたしを売っておいて、何故そんなにうろたえているんですか?」
先に夫婦がわたしに仕掛けてきた以上、情をかける必要もないため、無感情に言葉をかける。
昨日と口調は同じだけれど、キャラが全然違うためか、2人はすっかり黙ってしまった。
せっかく話をするために連れてきてもらったのに、まるで話をしてくれそうにないため、一方的に話を続ける。
「別に恩を売る気はなかったのですが、命を助けた相手に売られるとは思っていませんでしたね」
わたしの言葉に何故か夫婦が、ギリっと奥歯を噛む。
何やら言いたいことがあるらしい。少ししてアニセトが絞り出すように、声を出した。
「仕方がなかったんだ」
「仕方ない、ですか?」
「君を売る以外に娘を助ける方法がなかった。私達には他に方法が……」
アニセトはそう言って崩れ落ち、両手で顔を抑える。
「詳しく話してくれませんか?」
わたしが尋ねると、彼は顔を上げて縋るような目を向けた。
「私達は王都に小さな店を持つ普通の商人だった。話したと思うが、私達には娘がいる。
だが、娘が病気になった。放っておけば死ぬほどの病だ。病を治す薬は莫大な金が必要になる。
だから金を借りて、薬を買って娘を治すことはできた。しかしだ、借金だけが残った。
その借金は気が付けば、莫大な額になっていた。そういう契約になっていた。返せなければ娘を渡さなくてはいけない。せっかく治った娘が売られて行くのは見ていられなかったんだ……」
だから都合が良さそうなわたし達を売った、と。
まあ、親としては正しい選択かもしれない。自分の子のために、何を犠牲にすることをいとわない。
きっと、そんな家族のもとに生まれた子供は、多くの場合幸せな人生を歩むのだろう。そして親に感謝して生きていく。
借りたお金も通常では考えられない利率だったのかもしれない。それこそ、ファニードが関係している悪徳業者辺りから金を借りたのだろう。この世界の法がどうなっているかは知らないが、現代日本だったら彼らもまた被害者ということになる。
それに、他の何を犠牲にしても助けたいという気持ちは、わからなくもない。わたしの場合、シエルのためなら他の人を犠牲にすることをいとわないだろうから。
もちろん、そういった選択肢を選ばないといけない状況にならないように、常々魔術の研究をしているけれど。
ついでにファニードを見て今の話が本当かひそかに確認してみたら、頷きが返ってきたので、ほぼ本当の話ということで良いだろう。
「わかりました。ではファニードさん、話し合いの続きをしましょうか」
「なんだ、もういいのか?」
「聞きたい事は、聞けましたから」
わたしの言葉に、ファニードは興味深そうに笑い、夫婦は安心したように息をついた。
何故そんな顔ができるのかはわからないけれど、単純に自分の都合がいいように解釈しているのだろう。
「ところで質問なんですが、わたしが居た宿って表から見るとどういった立ち位置なんですか?」
「あれは貴族に認められた高級宿だ。豪商やお忍びの貴族が泊まることもある。
嬢ちゃんが泊まった部屋だけが特別だったわけだ」
「本当、裏で何やっているかなんて、わからないものですね」
どこぞの公爵を思い出してしまう。あちらもこちらも、最初に裏を見てしまったので、騙されることはないのは安心といえば安心かもしれないけれど。
「それでは、わたしにこれ以上関わらないようにしてください。
そちらの方が、お互い幸せでしょうから」
「そうだな」
「それから、わたしが連れて行かれた宿の一番安い部屋で良いので、王都にいる間無料で使わせてください」
「関わるなって言ったよな? 宿に泊まるなら多少なりともかかわるぞ?」
それはそうだろうけれど、表向きは別のはず。
裏の顔を知らないままに宿泊している人も多いだろうから。
「それを踏まえたうえで、関わらないでほしいということです」
仮にも裏の人間が手を引いている宿だ。
昨夜ほどでないにしても、監視の目があるかもしれない。そういったものすべてつけてくれるな、ということだ。あとは部屋だけ借りるので、放っておいてくれればいい。
ファニードも心得ているのか、了解の返事をもらう。
「それから他には?」
「あとはわたしの事を誰にも話さないことですね、もちろん貴方の部下やわたし以外のここにいる全員も。以上の約束を守れないようでしたら、暴れます。
今度は手加減とか一切せずに、全力で暴れます」
「オーケーオーケー。その条件を飲もう」
ファニードが手を上げプラプラさせて、こちらの要求を受け入れる。
正直お金は有り余っているので、宿代も問題なく払えるとは思うのだけれど、何も貰わないというのは相手も具合が悪いだろう。
逆に金銭やアイテム類になってくると、どんな裏があるかわからない。だまし取ったお金をもらって、変に疑われるのは御免被る。それこそ、借金の形に盗んだ国宝をってやつだ。一般人であるわたし達であれば、国宝じゃなくても、盗品を渡されただけでも十分手に余る。
「で、こいつらはどうするんだ?」
ファニードが、商人夫婦を示す。
「何ですか? わたしが処分していいんですか?」
「ちょっと待て、待ってくれ」
流石に処分というのは冗談だけれど、わたしがファニードに尋ねたのに、アニセトが騒ぎ出す。
こちらに身を乗り出すほどだけれど、ファニードの部下に抑えられてこちらにはやってこられない様子だ。
対してファニードは驚いた様子もないので、わたしがこういった反応をすることを予想していたのかもしれない。
「どうしたんですか?」
「私達を助けてくれるんじゃなかったのか?」
驚くアニセトを見るに、やはり勘違いをしていたのだなと、ため息をつきたくなる。
何というかこの人、商人として大丈夫だったのだろうか。
護衛をつけずに町の外に出るし、不用意にハンターに職業を尋ねてくるし、みすぼらしい恰好の癖に高級宿にタダで泊まらせるなんて言うし。なるほど、騙されて借金も作るはずだ。
想像にはなるけれど、娘云々に関しても、借金が返せなければ娘を差し出すように、初めから契約で指示されていたのかもしれない。
仮にそうだとすれば、自らの手で娘を売ったようなものだし、同情の余地はわたし的には1つも見えない。
「なぜわたしが貴方達を助ける必要があるんですか?」
「こいつらは、悪党なんだぞ?」
「悪党ですね」
ファニードを見ると自分でも頷いている。あくどいことをしている自覚はあるらしい。
「だったら……」
「でも、貴方達もわたしを売ろうとした悪党ですよね?」
「だが、私達は娘を……」
「助けるためでも、悪党は悪党ですよね? 貴方の娘とわたしは何の関係もありませんし。仮にあったとしても、わたしが売られる理由にはなりません。
貴方達がやったことは、自分の娘のために道行く人を拉致して売ろうとしたこと、なにも変わらないですよ」
わたしの言葉にアニセトは言葉を失くしたのか、にらみつけるだけになってしまった。
『さて、シエルが聞きたいことは聞けましたか?』
『そうね。誰かのために、人ってここまで身勝手になれるのね』
『それは仕方がないところでしょう。極端な話、道行く人を100人殺さないと、わたしが死ぬとなったらシエルはどうしますか?』
『なるほどね。だとしたら、この人達は運がなかったのね。あと力もなかったのかしら?』
『そうですね。特に運が無かったのかもしれません』
わたしが死ぬという例えは自分でもどうかと思うけれど、それは置いておいて、確かにそういう見方もできる。もしも今回の事件が、わたしのような立場の力の弱い人だった場合、薬を盛られて攫われて、商人夫婦は娘と幸せに暮らせたかもしれない。
親も友達もいない売られた子は、そのまま歴史の闇に葬り去られるだろうけれど、世間的に見れば平和的に事件が解決したことだろう。
でも彼らは不運にもわたし達を売ろうとした。
「お前が、お前が居なければ、お金は足りていたんだ」
わたしも黙っていた――シエルと話していた――せいか、アニセトが吐き捨てるようにそういった。
護衛を付けていなかったのは、そういう意味もあったのか。ギリギリ返せるだけのお金があったから、護衛なしで強行したと。
まるで報酬を要求したわたしが悪者のようだ。だからどうしたとは思うけれど。
「そ、そうだ。私達を助けないと、お前のことを言いふらすからな。
黙っていてほしいんだろう?」
「それは無理な相談だ。なにせ嬢ちゃんとここにいる全員約束を守るようにって、約束しちまったからな。
今回の落とし前に加えて、嬢ちゃんのことを言いふらさないように教育しねえとな」
「という事なら、あとはお任せします」
あとは任せても大丈夫そうなので、この場を後にするために立ち上がる。
「宿には伝えておいたから、受付でブランと名乗ってくれや」
「わかりました。では、もう会わないことを願います」
いつの間に連絡を取っていたのだろうか。
後ろから恨みがましい声が聞こえるのを聞き流しつつ、建物を後にする。
気が付けば、昼を近くになっているのだけれど、あの宿を使って表の通りに戻って大丈夫だろうか。
ダメだと言われても、他に道を知らないので隠し通路的宿に向かう。
『とりあえず、宿についたら入れ替わりますね』
『ええ、わかったわ。ところでエイン』
『どうかしましたか?』
『あの夫婦とその子供はどうなるのかしら?』
シエルに尋ねられたけれど、わたしは別に裏社会に堪能ではないので、はっきりとはわからない。
憶測で良いというのであれば、いくつか思いつくけれど。
『まず娘さんは売られるでしょうね』
『それは当初の予定通りね』
『商人夫婦は喉をつぶされて、指を切られる……かもしれません。正直よくわからないです』
裏社会で責任を取るとなると、指を詰める事しか思いつかない貧相なイメージが悲しくなる。
あとは、コンクリート詰めにされて海に沈められるとか、マグロ漁船とか思いつかないわけではないけれど、この世界ではどちらもないような気がする。
『エインでもわからないことがあるのね』
『社会の裏側には疎いですから。これでも、平凡な一般人でしたからね』
『エインが一般人っていうのも不思議な話ね』
平民といってよかったのかもしれないけれど、生前の日本ではなかなか使わない言葉でもある。
ともかく生前のわたしはバリバリの一般人だった。
『それはわたしが一応大人だったからそう見えるだけですよ。
シエルが生前のわたしと同じ年齢になったら、いかにわたしが子供だったかわかると思います』
『そう言うことにしておいてあげるわ』
なぜだか機嫌が良さそうなシエルと入れ替わって、ひとまず宿の受付に向かう。
昨日見た人と違い、今日は背が高いハンサムな青年が担当していた。
「ブラン。部屋を借りられるって聞いた」
「ブラン様ですね。お聞き及んでおります。
この度はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「早く部屋に連れて行って」
「わかりました。ではこちらへ」
青年が受付の仕事を放置して歩いていく後ろを、シエルもついていく。
やがて案内されたのは3階の部屋で、普通の部屋なら3部屋分くらいあるのではないだろうか。
広々とした部屋には、大きなお風呂もあって、ベッドも昨日の物より一回り大きい。
「この部屋広い」
「最上級のお部屋になりますから」
「そ」
短く返したシエルは、鍵を受け取って見るからに高そうなお部屋に入って行った。