43.王都と宿と薬
お待たせいたしました。もう1つの作品をやっていたら、更新遅くなりました。
王都にはこちらの世界にしては、それはそれは、たくさんの人がいた。
それでも、馬車が通れるほどに道が広く、道の両側に並んでいるお店も、今まで見た中で一番しっかりとした造りをしている。
とはいっても、夕暮れ近いので、そんなに詳しくは見えない。
王都に入ったわたし達は、馬車をお店に持っていくというミレーラを見送ってから、アニセトに宿屋まで案内してもらっている。
「お店もっていたんですね」
「小さいところだけどね。そこで娘が待ってるんだ」
「へえ、娘さんが」
「お嬢ちゃんに"さん"なんて呼ばれる年齢じゃないけどね。今年で18歳になる。
明るくて、平民街の人気者でね……」
歩きながら雑談していたのだけれど、どうも押してはいけないスイッチを押してしまったらしい。
ここからしばらく、アニセトの娘の話を長々と聞かされることになった。
3歳の時に見せた笑顔がとか、5歳の時に貰ったプレゼントがとか、正直興味はなかったのだけれど、こちらの情報を話すつもりもなかったので、黙って聞いていた。
『普通の子はそんな風に育つのね』
『話を聞く限り、ちょっと裕福そうな感じはしますけど』
『裕福さで言うなら、わたしの方が上よね。高価な薬を毎日飲んでいたんだもの』
『シエル……』
『違うのよ。違うの。普通の話を聞いて、ちょっと感心しただけなのよ』
他の家の話を聞いて、シエルが感傷的になってしまったかなと思ったけれど、カラッとしたシエルの声は、本当に気にしていないようだ。
それならば、わたしも必要以上に気にするわけにもいかない。
『お陰で魔力かなり増えましたもんね』
『ほんとよね』
『ところで、宿はこのまま付いて行った先にしますか?』
『うーん……気になるから付いていきたいって言ったら怒るかしら?』
『怒りませんよ。でも少しだけ、危険かもしれません』
『それなら、いつでも逃げるつもりでいるわ』
その覚悟があるなら、行ってみても良いか。
シエルなりに理由があるみたいだし、シエルがこういうことを言うのも珍しい。
アニセトの話を聞き流しながら、シエルと話していると白磁のような美しさのある建物の前で止まった。
高そうな宿屋だけれど、貴族向けというわけでもなく、贅沢したい平民向けのようだ。
「さあさあ、この宿だ。ここの店主とは友達でね。本来なら値がはるが、1泊くらいならタダで泊めてくれるはずだ」
「凄いんですね。こんな立派な宿なのに」
「ははは。ちょっとね。とりあえず入ってくれ」
背中を押されるように、宿屋に押し込まれた。白を基調とした高級感のある内装は、やはり一般人向けとは言い難い。
普段の宿の選び方が高すぎず、安すぎずの場所だと考えると、予算よりも高そうだなと言った感じだろうか。
安いところは防犯の関係で当然駄目だし、だからと言って高すぎるところに泊まってしまうと、お金を持っている子供と見られかねない。
特にシエルの場合、外見から貴族だと思われることも少なくなく、護衛も付けていない貴族子女として、人攫いの標的にされやすい。
人攫いの標的にされたところで、すんなり攫われるわたし達ではないけれど、事が大きくなると目立つ可能性があるので、できるだけ避けたい。
あと単純にわたしの仕事が増えることをシエルが良しとしない。
シエルを守るために四六時中結界を張っているので、今更だとは思うけれど、シエル的には少しでもわたしに休んでほしいらしいのだ。
「いやあ、お久しぶりです。この子はお得意様でね。できればサービスしてくれませんかね」
アニセトが受付にいる彼と同い年ほどの目を閉じている女性に声をかける。
どことなく冷たい印象のある女性は、鋭い目つきでわたしをじっと見ると、また目を閉じて頷いた。
「アニセト様のお得意様であれば、お試しということで1晩特別なお部屋でお泊めすることができます」
「ではそれで頼む」
「お嬢様もそれでよろしいでしょうか」
「タダで泊まれるのであれば……」
なんて少しも思っていないけれど。お金には困っていないし。
むしろ、カロルさんに貰った魔法袋の容量が足りなくなってきたので、お金は使ってしまいたい。
いっそ、銀貨以下のお金用に、別の財布でも用意しようか。
「じゃあ、ここで。お嬢ちゃん世話になったね」
「いえ、こちらこそ」
「では、お部屋にご案内します」
チェックインを終えたことで、アニセトが宿を出て行く。彼はここには泊まらないらしい。
ここに泊まれるほどのお金はないだろうし、お店があるならそちらに行くだろうけれど。
「お名前、なんていうんですか?」
「お客様に名乗る名はございません」
道すがら尋ねてみたけれど、そっけない答えが返ってきた。
現代日本のように店員が名札を付けているわけではないし、教えたくないという人もいるのだろうけれど。
『ついつい怪しく見えてしまうのは、勘ぐりすぎなんですかね?』
『でも、エイン警戒していないでしょう?』
『警戒するほどでもないですからね。変にこちらの緊張が伝わったら、休む暇もなくなるかもしれませんし。杞憂で終わればいいんですけどね』
『気にするのは、休めるかどうかなのね』
『お風呂入りたいですから』
『本当にエインはお風呂が好きね』
「こちらのお部屋になります」
「ありがとうございます」
「お食事はお部屋まで運ばせていただきますので、ごゆるりとお寛ぎくださいませ」
連れて行かれた部屋は、意外と広々としていた。家具はベッドと机と椅子、それから服掛けくらいだけれど、広さは普通の宿の倍くらいはある。
ベッドも大きめのもので、真っ白なシーツには皴1つない。
浴室や浴槽も広々していて、憂いが無ければ最高の部屋と言ってもいいだろう。
『宿についたので体を返しますね』
「もう少しエインが使っていてもいいのよ?」
『今日は十分です……と言いたいですが、たぶんまたお借りするタイミングがあるのでその時に』
「わかったわ。それじゃあ、さっそくお風呂に入りましょうか」
『本当ですか!』
「ええ、エインが喜んでくれるもの」
はしゃぐわたしに、シエルがくすくす笑うけれど、この気持ちだけは許してほしい。
何せ元日本人が10年お風呂に入れなくて、やっと入れたと思ったら、今度は入れるかどうかわからない生活になってしまったのだ。
我慢はできる。我慢はできるけれど、やっぱりお風呂が恋しくなる。
絹のような肌を滑らせるように着ているものを脱いだシエルの肢体は、以前に比べると健康的な太さになっている。昔が細すぎただけで、今でも細い部類には違いない。
良く踊っているせいか、筋肉もそれなりについているけれど、女性らしい柔らかさは残している。
美容や健康については、わたしが口を出しているので、シエルが綺麗でいるというのは非常に満足度が高い。
浴室に入ったシエルは、頭と体を洗って、湯船に浸かる。
本来髪の毛を付けるのは良くないのだけれど、お湯に広がるシエルの真っ白い髪はとても綺麗だ。
こんなことを許しているのも、わたしが結界を使っているからなのだけれど。
でも、腕をお湯から出した時に、髪が張り付くさまなどは一種の芸術のようにも見えた。
◇
お風呂から上がって、入れ替わってもらい、シエルの髪を乾かす。
シエルにもできる魔術だけれど、安全を考えると、わたしがやったほうが良い。
『案外すぐに入れ替わったのよ』
『髪を乾かすとき入れ替わるの忘れていましたね』
『今日はこのままでいましょうか?』
『正直それでも悪くはないと思うんですけど、体が休まらないのと、万一の時わたしでは攻撃力がないので結局シエルに入れ替わると思うんですよ』
『それならせめて、この時間をゆっくりお願いできるかしら。
エインが髪を乾かしてくれる時間が、私は結構好きなのよ』
『わかりました。ですが、あまりやりすぎるのも良くないので、乾いたら止めますからね』
『ええ、エインに嫌われたくないもの』
『それくらいじゃ嫌わないですよ』
『ふふ、エインありがとう』
『いいえ、どういたしまして』
髪を乾かしている間のシエルの声は、確かにいつもよりも落ち着いている、というか眠たそうな印象を受ける。
ありがとうと言ってくれた時なんて、半分寝ているんじゃないかとすら思うほどだ。
喜んでくれているなら、わたしはそれでいいので、仮に寝てしまってもいいとは思っているけれど。
髪を乾かし終わったころ、部屋がノックされて、受け付けにいた名教えずさんが夕食を持ってきた。
メニューは日本で見ていたものに近い、柔らかい白パンと大足鹿――名の通り足が大きい鹿らしい――、それから野菜がたっぷり入ったスープに同じくサラダ。よそではめったに見られない料理に、シエルの目が輝く。
食べ終わったら食器は扉の外に出しておけばいいとのことだけれど、そもそもこれを食べていいのか怪しい。シエルには悪いけれど、食べるのは控えてもらおう。
『食べたそうなところ悪いんですが、出来れば食べないでいてくれますか?』
『……どうしてかしら?』
珍しくシエルが不機嫌に返してきた。食事を知ってから、食べることが楽しみになっている節があるので仕方はないけれど。
余談だが、戦闘中以外でシエルの踊りをわたしが止めたことはない。止めたときにシエルがどんな反応をするかはわからないけれど、わからないままでいたほうが良いこともある。
閑話休題。
不機嫌なシエルに『何かしら薬が混ぜられている可能性がありますから』と返すと、恨めしそうに白パンを見ていた。
睡眠薬かしびれ薬あたりが本命で、前者ならともかく、後者だとわたしでもどうしようもないかもしれない。とは言え、食器を表に出さないといけない以上、この料理たちはどうにかしないといけない。
『食べられるようにいろいろ試してみたいので、替わってもらえますか?』
『お願いするわね』
わたしも目の前にちゃんとした食事があるのに、携帯食を食べるのは嫌なので、頑張ってみるとしよう。
といっても、やることは結界で濾過みたいなことをすることくらいだけれど。
知っての通り、わたしの結界には通過するための制限を作ることができる。それを利用して毒物を隔離できないか、といった実験だ。
試しに「薬」を通さない結界を作って、白パンを通してみたけれど、変化はなし。
同じく「毒」も効果はなかった。
次に「悪意」とか「害意」でやってみると、白パンが結界を通らなくなった。
テーブル状にした結界の上に落としてみたけれど、見事に上に乗ったので間違いないだろう。
つまりこの白パンは害意や悪意の塊になる。
他にも思いつくものでやってみたけれど、結果は芳しくない。
あと結構魔力を使うので、無限に実験はできそうにないようだ。
逆に白パンだけを通す結界を作ってみたら、何の抵抗もなくすり抜けて行った。
ほぼこのパンに何か入っていることは確定だと思うのだけれど、それでも何も残さずに通過したということは、この白パンにとって薬までもが要素の1つということになるのか。
だとしたら、最終手段は白パンに使う材料だけを通過できる結界。小麦粉、塩、バター、イースト菌、卵……ほかに何があるのだろうか。パンなんて作ったことないので、そもそもこの材料であっているのかもわからない。
とにかく薬を除外できればいいので、思いつく限りの材料を挙げてから白パンを通すと、結界に白い粉のようなものが残った。
これが眠り薬だか何かだろう。誤って吸ってしまっても嫌なので、結界で箱を作って、瓶の中に入れて密封する。
ここまでくると、結界って何だっけと思うが、1つ1つは知られている範囲だとは思う。
とりあえず、うまくいったのでシエルに伝えるか。
『たぶん、これで白パンは食べて大丈夫だと思います』
『エインが食べてもいいのよ?』
『シエルに譲りますよ。ただこの結界かなり手間がかかるので、あとはステーキで我慢してください』
『少しでも食べられるなら嬉しいわ。
それに、わたしだとこれをすべて食べるのは、ちょっと難しいもの』
それもそうか。シエルは食事が好きだけれど、そんなに量は食べないから。
ステーキの方も解毒(?)を終えて、シエルに入れ替わる。
まず白パンを手に取ったシエルが、ちぎって一口食べる。
うん。これはおいしい。味の調節はされているけれど、小麦粉の甘さがわかるし、ふわふわで口当たりも悪くない。惜しむらくは時間をかけたせいで、焼きたてだったものが冷えかかっていたことと、解毒の際に害意の部分を無理やり引き出したからか、パンがスカスカした感じだったこと。
ステーキの方は、何というか、お肉っていうのがよくわかる味だった。
脂身はほとんどなくて、ほぼすべてが赤身。牛よりも味の土台がしっかりしている。
簡単に言えばおいしい。
シエルも満足したのか、幸せそうな顔をしていた。





