38.視線と薬と呑気
パーティでの依頼を終えて1か月くらい、サノワの町に来てからだと10か月くらいだろうか。
この世界にいると、普段は日付を意識しないので、今が何月何日とかあの日から何日経ったのかというのはよくわからない。
宿から追い出されないから、まだ1年は経っていないんだなって感じ。
ここ最近の変化としては、わたしに尾行がつかなくなったこと。そもそも、相手も尾行に気づかれていることを知っているし、わたしのハンター適性を見るための物であったから、適性がわかれば尾行する必要がないだけなのだけれど。
ただ相変わらず監視している人はいる。ハンター組合の職員とか依頼されたハンターかなとも思いはしたけれど、それにしてはお粗末というか、わたしの場所がわかっていたらいいくらいの後の追い方。
しかも基本は町の中のみなので、また別の何かだと判断した。
何が面倒かと言えば、反応的に毎回違う人たちがわたしを追いかけているらしいこと。
問い詰めても、偶然だといわれるとどうしようもなくなる可能性が高くなる。
今日も視線というか、妙な動きは感じながら、依頼を受けて森に行く。
逃げ出すときには、不慣れだった森も毎日歩くと慣れてくる。
とはいっても、あの屋敷があった森と、サノワの町近くの森は難易度が全然違うと思うけれど。
何せあの森にはB級のサイクロプスが出てくるし、良く見かけたウルフもD~C級の強さがある。
『ねえ、エイン』
『どうしたんですか?』
『どうして蜘蛛っているのかしら?』
『蜘蛛は悪い存在ではないはずなんですけどね。
人に害をなす虫を食べてくれますし』
『本音は?』
『死滅すればいいと思っています』
『難しいのね』
『ええ、難しいです』
なんて益体のないことを話しながら、門を出てみると、今日は追跡者も一緒に来るらしい。
今日は2人で木から木へと、隠れながら追ってくる。
動くタイミングはわかるので、タイミングを合わせて振り向いてみると、いわゆるハンターみたいなごつくて粗野っぽい男2人組だとわかった。
どこかで見たような気がするけれど、どこだっただろうか。わたしに見つかった追跡者は、一目散に逃げてしまったので、もう1度確認することは難しい。
誰だったかなと頭を悩ませつつ、森へと近づいていくと、今度は確実に覚えているパーティを見つけた。
わたしを見つけるなり、その中の1人であるペルラさんが大きく手を振り、仲間2人になにか話したかと思うと走ってきた。
「先生も森に依頼ですか?」
「そうですけど、先生?」
「はい! 先生のおかげで出来る事が増えましたし、D級の試験を受けることができるようになりました。先生が教えてくれたことのおかげなので、先生です。ダメですか?」
「いえ、駄目とは言いませんけど。それはそれとして、D級試験への挑戦権、おめでとうございます。これから試験ということはないですよね?」
「もう少し連携が上手く行くようになってから、受けることにしました。
まだテレン君を濡らしちゃうことがあるので」
そうしている間に、テレンシオ君とイルダさんと合流したので、互いに軽く挨拶をして歩き始める。
「そういえば、D級試験って何があるんですか?」
「それは気になるわね」
ペルラさんの言葉に、イルダさんが同意するけれど、残念ながらわたしは知らない。
そのことを言っていいか迷ったけれど、嘘を言っても仕方がないし、ある程度話すことにした。
「わたしいくつか、D級試験は免除だったのでわからないんですよ」
「免除なんてあるの?」
「相応の実力を見せれば、そういうシステムがあるらしいです。
ハンターに登録するときの力試しで、免除にしてもらいました」
わたしの言葉に3人が「ああ~」と声を合わせて、納得する。
◇
道は同じなので、森の入り口までは一緒に行こうということになり、4人で一緒に歩く。
道中は如何に戦いやすくなったのかとか、テレンシオ君の攻撃力の話とか、そういったことを熱心に語られた。
変に話を聞かれるより全然ましなので、聞き役に徹してうんうんと頷いておく。
ブラス君のことも軽く出てきたけれど、性懲りもなくやってきて、上から目線だったので決闘でやっつけたらしい。
「面倒だけれど、意地になっているから気を付けて」
「元メンバーとしては、何とかしたかったが、結局オレたちではどうすることもできなかった」
「どう頑張っても、話が合わない人はいますからね。
気を付けておきますね。……何か甘い匂いがしませんか?」
また面倒なことに巻き込まれそうで辟易しつつも、顔には出さずに答える。
その時、森の方から吹き込んできた風に、甘い匂いを感じた。
ほのかに甘いというものではなくて、甘ったるい匂いで、近づいたらむせてしまいそうだ。
「そうですね。なんか甘いです」
「ああ、かすかに甘そうな香りがするな」
「そう? 全く感じないけど」
3人がそれぞれ違った反応をする。それはそれでカロルさんが喜びそうな研究素材かもしれないけれど、そんなことより4人中3人が感じているのであれば、匂いはおおむね間違いではないだろう。
森に近づくにつれてその匂いは濃くなっていき、森の入り口についたときには、少し気分が悪くなりそうなほどだった。
だけれど、ペルラさんは「おいしそうです」とはしゃぎ、テレンシオ君は「そこまでか?」と首を傾げ、イルダさんは訳が分からないという顔をしている。
いっそ結界で遮断してしまおうかとも思ったけれど、原因は探ったほうが良いかと、匂いがより濃い方へと向かう。
森に少し入った木の陰に立てかけるように、口の小さいフラスコのようなものが置いてある。中にはほんの少し、緑と茶色が混ざったような液体が入っていた。
何だろうと拾ったのと、ほぼ同時。森の奥から走ってくる反応が探知に引っかかった。おそらく人。
嫌な予感が当たったらしい。なんだか憂鬱な気分になってきた。
とりあえずフラスコの蓋を探してそれを嵌め、3人の元に戻る。
「何かあったの?」
「この薬? でしょうか。見たことありますか?」
「ないけど、これは?」
「匂いの元みたいです。なんだか嫌な予感がするので、一旦これを持って帰ってギルドの人に見せてもらっていいですか? わたしが拾ったって言ってもらって良いですから」
わたしが頼むと3人は目を見合わせた後で、神妙に頷いた。
それから、フラスコを受け取って踵を返す。
「先生はどうするんですか?」
「どうしましょうか。どうしようもなかったら逃げます」
「絶対ですからね」
足を止めてこちらを見たペルラさんに、なんだか悲壮感が漂っているところ悪いけれど、たぶん町が破壊されてもわたし達だけは助かると思う。
まあ、ことが一刻を争うことが何となくでも伝わってくれたのならいいか。
改めて探知の反応を確認すると、走る人はわたしから離れるように動いている。
その後ろには、数えきれないほどの魔物がいるわけだけれど、どうやらわたしのほうに向かっているらしい。だから、人々はわたしを避けているのではなくて、魔物が走っている方向とは別の方向に逃げているだけだ。
あとたぶん、わたしではなくて、先ほどのフラスコの薬品の匂いにつられているのだろう。より濃い方へと魔物が向かっているのであれば、こちらに来るのも頷ける。
そう言えば、魔物氾濫を発生させる薬があるとか言う話を聞いたな、と思うけれど、今考えても仕方がないことか。
『さてどうしましょうか?』
『どうするも、私には何がどうなっているのかわからないのだけれど』
『もうしばらくしたら、魔物の群れがここにやってきます』
『群れっていうとどれくらいなのかしら?』
『数えたくないですけど、3桁は確実にいるかと』
『それって、スタンピードってやつではないかしら?』
『スタンピードってやつですね』
『エインはどう考えているの?』
『逃げてもいいかなと思いますが、ここでたくさん倒したらC級になれそうだなって思ってます。
サノワの町に戻っても碌なことにはならなさそうなので、逃げるにしても別のところですね』
『……反応の中で一番強そうなのでどれくらいかしら?』
なんだかシエルに呆れられている気がするけれど、断じてわたしのせいではないと言いたい。
それにシエルもなんだかんだ、状況が分かっているから、わたしの会話に付き合っているのだと思うし。
本当にヤバいと思えば、身体の主導権を奪い取って逃げるなり出来るのだから。
『Dよりは上ですけど、サイクロプスよりは弱そうですね。同レベルの数はたくさんいますけど』
『エイン、落ち着いているものね』
『氷の槍レベルのヤバそうな反応はないですからね。
シエルなら、多分寝ていても安全ですよ』
『エインなら、でしょう?』
『そこはどちらでもいいと思いますが、問題は数が多すぎることですね。
幸いにもこちらに向かってきているとはいえ、後ろに通さずに倒しきるのは難しそうです』
町にカロルさんがいるから、後ろに通したところでどうにかなるとは思えないけれど。
『町に戻って起こりそうな碌でもないことって何なのかしら?』
『このスタンピードの原因を押し付けられることでしょうか。
わたしに恨みを持っている人はパッと考えても数人は思い浮かぶので、皆で結託してわたしを嵌めようとしていたのだと思います。
ここ数か月追跡されていたのも、わたしが逃げないようにとか、タイミングを計るとか、そういった意味があったんでしょうね』
『何というか、粘り強い話ね。
それは置いておいてね、エイン。私は思いっきり踊りたいのよ』
『それなら、思いっきり歌いましょうか』
もしかしたら、ギルド職員とか、選ばれたハンターが様子を見に来るかもしれないけれど、その時はその時。少なくとも、わたしのサポートのあるシエルが舞姫だとは気が付かれないだろう。気が付かれたら、舞姫の価値がひっくり返るに違いない。
何よりも、シエルが踊りたいというのであれば、わたしは合わせて歌うだけだ。