30.酒場と歌
面倒くさそうなカロルさんに連れられてやってきたのは、中が異様に騒がしい酒場。
ガハハという笑い声はもちろん、コップ同士をぶつける音まで外に聞こえてくる。
「で、入るのかしら? というか入ってどうするのかしら?
さすがに公認酒場といっても、お酒を飲めない子は門前払いだと思うわよ?」
「なんで今言うんですか」
「考えてみると、15歳になる前にここに来る人はほとんどいないのよ。
まして10歳なんて皆無と言っていいわ。だから、どういう対応をされるか、ワタシもわからない。
まあ、野次くらいは飛んでくるでしょうね」
「じゃあ、酒場で歌わせてください、っていうのは難しいんですか?」
「お金がない人が、酒場で一芸をして稼ぐこと自体はあるわね。
特にここにいるハンターは暇しているから、受け入れてくれやすいわ。
ただしマスターが許可するかどうかは、交渉次第よ。さすがにワタシもそこまでは手伝わないわ」
「紹介だけしてくれれば、あとは自分でやりますよ」
と言ってはみたものの、シエルに確認を取っていなかった。
ダメならダメと、シエルのほうから言ってくれるとは思うけれど、シエルはどうもわたしがやることに否を唱えることがほとんどないから何とも言えない。
『えっと、シエル』
『エインがやりたいなら、私は構わないのよ?』
『もしかすると、厄介事とか引き起こすかもしれませんが……』
『その時は逃げるだけよ。できるでしょう?』
『逃げるだけなら、難しくないと思いますが』
『それなら大丈夫ね』
許可はもらったけれど、やっぱりこれで良いのかなとも思う。
まあ、来てしまったものは仕方がないので、カロルさんに導かれるまま中に入った。
中はカウンターがあるごく普通の酒場。違いがあるとすれば、ここには冒険者のような人しかいないことか。
体型がごつい人が多い、何より皆何かしらの武器を持っている。持っていない人は、おそらく魔術師なのだろう。男女比は7:3といったところだろうか。
わたしが中に入ると、まず「おい、B級が来たぜ」みたいな話が出てくる。
カロルさんのことだろうけれど、そちらに目が行くということは、隣にいるわたしも目に入ってしまう。
聞こえてくるのは、嘲笑。「子連れかよ」とか「子供が酒場になんのようだよ」みたいな声。
だけれど、よくよく観察してみると、そんな反応をしているのは全体の3割程度に過ぎないことに気が付く。しかもガラが悪そうだなと、見た目でわかるような人ばかり。
パッと見た感じも、強そうな感じはしない。そもそも、見ただけで強さがわかるのかという問題があるけれど。命の危機にさらされ続けてきたせいか、割かし危機察知能力は高いと思う。
その経験から言えば、この中で最も危ないのは隣にいるカロルさん。つまり酒場にいる人は全く怖くない。
カウンターにいるマスターはひげ面の豪快な印象で、訝しげな目でわたしを見ているけれど、敵意のようなものは感じないので交渉の余地はあるだろう。今回は大人であるカロルさんもいるので、問答無用で追い出すという選択ができないだけかもしれないけれど。
「久しぶりね」
「氷の魔女さんが子供連れてくるたあ、なんの冗談だい?」
「その二つ名やめてくれないかしら。あと、ワタシの子じゃないわ。何歳の時の子よ」
「へえへえ。何にしてもこんな子供を連れてくる場所じゃねえわな。身の危険がないとはいえ、それだけだ」
「この子がね、やりたいことがあるらしいのよ」
「なんでい嬢ちゃん。なにしてえんだ?」
なかなか存在感のある話し方をするなと思っていたら、こちらに話を振られてしまった。
「はじめまして、シエルメールと言います。今日はこの酒場で歌わせてもらえないかなと思ってきました」
「歌……ねえ。要するに金稼ぎたいわけだろ? さすがに何もなくどうぞってわけにもいかんな」
「それならお酒一杯分のお金を払うので、1曲だけ歌っていいですか?」
「この騒がしい中でか?」
「それでもらえたお金の半分は、場所代としてお支払いします。
1曲歌って、何もなければそのまま帰ります。少しの時間ですし、そちらに損はないですよね?」
「それでいいならいいが、嬢ちゃんのうま味もないだろ?」
「安全で、人がいます」
今はお金よりも、情報の得方を知りたいだけだから、問題ない。
むしろ、お金の問題に関して言えば、欲しければ依頼をこなせばいい。常設依頼であっても、シエルなら1日で金貨単位のお金を稼ぐこともできるだろう。そのためには、魔法袋とやらが必要になると思うけれど。
あと、シエルに頼りすぎているのが気になるところか。
ただハンターという職業を選んだ以上、戦い=シエルの役割が多くなるのはどうしようもない。
いずれわたしの頼みではなく、シエル自ら依頼をこなしてお金を稼げるようになれば、この罪悪感も消えるだろうか。
それはそれとして、わたしとしては歌を歌って少しでもお金をもらえれば、それだけで満足でもある。
インターネットで育った現代っ子。ネットで歌を歌い、CDデビューを果たし、一躍有名になった人を何人も見てきた。それに憧れたことだってある。何せ歌うのが好きだったから。挑戦したら、もしかしたかもしれないけれど、わたしは一歩目を踏み出せなかったのだ。
だから、こうやって歌ってお金を稼げるという場は、わたしの夢だったといえる。歌姫の効果か、歌い続けていたせいか、シエルに才能があったのか生前よりも歌がうまくなっている実感はあるので、聴いてくれれば勝算はあると思うのだけれど。
マスターに条件はそれでいいことを伝えて、カウンターの隣のスペースに移動する。
歌えそうなところが、そこしかなかったから、他に選択肢もない。
それでこちらに注目してくれている人は、店の客の5割といったところか。
そこから何人コチラに向けるかが勝負になる。それにしても、うるさい。聴こえるだろうか。
歌姫の力でこちらを向かせることはできるけれど、それをするとわたしが歌姫だとバレるので、ここから先は実力勝負になる。
思いっきり息を吸い込んで、喧騒に負けないように声を張り上げた。
◇
盛り上がりそうな曲で1曲歌って、頭を下げる。
思いっきり日本語で歌ったので、最初頭をかしげている人もいたし、曲が終わっても自分たちの世界で騒いでいる人もいたけれど、終わった後にお金がいくらか投げられたので成功なのだと思う。
銅貨が主だけれど銀貨も見えるので、そこそこな金額になりそうだ。少なくとも、半分場所代として払ったとしても低級ハンターの1日の稼ぎよりは多い。
「嬢ちゃん、もう一曲頼むわ」
近くの席にいるマスターと同じ年齢くらいのハンターに言われて、ちらっとマスターを見る。
それに頷いてくれたので、嬉しくなってもう1曲歌う。
今度はさっきよりも多くの人が聴いてくれた。何を言っているのかはわからないはずなのに、楽しそうに聴いてくれるととても気分が良い。
気が付けば5曲くらい歌っただろうか。お金も小山になり、喉も疲れたので頭を下げてカロルさんのところに戻る。
カロルさんは、カウンター席でワインのような赤い飲み物を飲んでいた。
「やっぱり歌がうまいのね」
「楽しんでいただけたなら良かったです」
「貴女もたいがい楽しんでいたようだけれど」
「そうですね。楽しかったです」
「そうしているときは、年相応なのにね」
カロルさんがワインを煽るけれど、10歳相当だとしたら、年相応ではない。
でも、楽しかったのは事実だし、見た目は10歳で違いないので構わない。
「なるほどな。嬢ちゃんが自信たっぷりに、交渉していたのも頷けるってわけだ。
聴いたことない歌だったが、受けもよかったしな」
「約束でしたから、半分持って行ってください」
マスターに声をかけられたので、出来た小山をマスターの方へと押す。
マスターは困ったように首を振って、山を押しとどめた。
「嬢ちゃんお金に困っているんだろ? だとしたら、これは受け取れねえな。
嬢ちゃんのおかげで、酒も出てるし、こっちとしても十分な稼ぎだ」
「お金には困っていないので、もらってください。そういう契約ですから」
改めてわたしが小山を押すと、助けを求めるようにマスターがカロルさんを見た。
カロルさんは、チラッとわたしを見ると、面倒くさそうにため息をついた。巻き込んだのはわたしじゃないのだから、そんな目で見ないでほしい。
いや、わたしが素直に受け取っておけばいいのかもしれないのだけれど、少なくともこの国にいる間は施しを受けたくない。
「まあ、気にしなくていいわ。この子、ハンターだから」
「ハンターっても、G級だろう?」
「いいえ、E級よ。しかも、ソロでやっていけるE級」
「はあ? こんな女の子が……か?」
「そもそもワタシが面倒見ることになっているから、心配しなくていいわ。
今日はこの子が来たいっていうから連れてきただけだもの」
「お、おう。なら、もらっとくが……」
そんなやり取りをして、ようやくマスターにお金を受け取ってもらう。
余った半分は袋に入れるけれど、結構重い。あの豚男は魔法袋を持っていたのだろうか。持っていたのだとすると、惜しいことをしたものだ。
本当は気をよくしたハンターたちを相手に情報収集と行きたいところなのだけれど、カロルさんがさっさと終わらせろオーラを出しているので、今日はここで酒場を後にすることにする。
出るときに、「また来いよ」とハンターたちに言われたので、次からは一人で来ても大丈夫そうだ。
カロルさんとも別れ、宿に戻る道中、シエルが少し拗ねたような声で話しかけてきた。
『エインが楽しそうでよかったわ』
『何で拗ねているんですか?』
『拗ねてなんていないのよ』
とは言ったものの、シエルの声はなんだか不満そうだ。
わたしの歌は基本的にシエルのためだけに歌ってきたので、独占欲があったりするのかもしれない。
『そうですね。シエルに歌っているときの次くらいに楽しかったです』
『本当かしら』
『ええ、本当です。わたしが歌ってきた中で、一番嬉しかったのは、初めてシエルに歌を聴かせたときです。赤ん坊のシエルがわたしの歌に喜んでくれたから、わたしがこうやっていられるんです。
いまでも、シエルに歌い聴かせることは一番の楽しみですよ。シエルが一番わたしの歌を聴いていてくれますから』
何せシエルは飽きもせず10年以上わたしの歌を聴き続けてくれているのだ。
そのシエルが楽しんでくれることが、一番の楽しみであることに違いはない。
『私もエインの歌を聴くのが、一番楽しいわ』
さっきまで拗ねていたのに、もう機嫌を直してくれたシエルに、わたしは一曲歌うことにした。