216.シエルと灼熱と模擬戦
気がつけばかなりの時間をおしゃべりに費やしていたので、お店から出る。その時にはすでにシエルと入れ替わっていて、またカロルさんが微妙そうな顔をしていた。
事情をあらかた話したうえでのつきあいになるから、こればかりは慣れてもらうしかない。人目があるところだと、髪と瞳の色を変える訳にはいかないし、急に話口調が変わるだけだから困惑するのもわかりはするのだけれど。
「そういえば、いつまでこっちに居るのかしら?」
「数日くらいよ。学園に戻る時間も考えないといけないもの」
「オスエンテ王都までと考えると、今から戻っても授業に間に合わないんじゃないかしら?」
「空をいけば、そんなにかからないのよ?」
「空って貴女……いえ、今はそんな時間はないわね」
魔術が広まっている世界ではあるものの、空を飛べる人はそんなにいないらしいし、どうやって空をいくのか気になったのだろう。
空を飛べたとしても空を縄張りにしている魔物もいるし、危険をどうにか出来ないと即墜落する。地上だと街道なんか魔物は出るものの、空と比べると対策されているし、強い魔物が出るような場所は避けているので危険は少ない。
わたしたちは気軽に空を駆けているけれど、案外空での移動は難易度が高いのだ。
「私たちは鳥のように空は飛んでいないのよ」
「はいはい。ありがとう。それ以上言うなら帰さないわよ?」
「カロルにそれが出来るのかしら?」
「出来ないわね」
「エインの結界を越えられないものね!」
「なんで貴女がうれしそうなのよ……」
シエルが珍しく気安く話しているなと思ったら、わたしの自慢をしたかったらしい。邸のメイドたちなら、シエルの言葉に肯定することが多いので、カロルさんみたいにため息混じりの反応は新鮮だ。
そしてシエルのわたし自慢も数え切れないほどされているとはいえ、実はまだ受け流せない。慣れてはきたのだけれど。
「それじゃあ、また機会があれば話しましょう」
「ええ、また」
そういってお互いそのまま帰路につく。夕焼け空の下、女性が一人で帰るのは危険な世の中なのだけれど、中央ではそんな心配はそこまでない。ゼロではないけれど、他の国と比べるとその数はゼロと言ってもいいだろう。それにシエルもカロルさんも襲われたとして、簡単に撃退できるだろうし、そもそも中央に住んでいてシエルに手を出す人はいないだろう。
フィイ母様の後ろ盾があるのもそうだし、シエル自体の強さも知れ渡っているから。
なんて考えていたら、襲われるかなとフラグめいたことを考えていたのだけれど、特に何もなく邸に帰ることが出来た。
◇
邸に戻りフィイ母様にシエルがカロルさんとの話について、もののついでのように話をして、翌日。
午前中は邸で精霊やメイドたちと戯れてから、昼過ぎにハンター組合に向かうことにした。というか、フィイ母様に行ってみたらどうかと言われた。
『フィイが私たちにこういったことを伝えるのって珍しいわよね』
『基本的に自由にさせてもらっていますからね』
中央においては、してはいけないラインだけ明確にして、後は自由にさせてもらっている自覚はある。気にかけてもらっているけれど、こちらの行動にアレこれと口を出してくることはない。
そんなフィイ母様が特別な用事もなく「行ってみたらいい」というのは今までには無かったように思う。
『まあ、母様は中央のことはだいたい把握していますから、何かあるんでしょうね。母様的にはそんなに重要じゃないことが』
『なるほどね。エインは何か想像ついているのかしら?』
『内緒です』
『あら、今日のエインはちょっと意地悪ね』
言葉の割ににこにことシエルが笑う。わたしの予想としては、わたしたちを探している、わたしたちの知り合いでも居るのだろうというもの。合っている保証もないし、これくらいなら別に伝えなくていいと思うので、今回は教えない。
そうしているうちにハンター組合に着いたので、おしゃべりをやめて建物の中に入る。一瞬こちらに多くの意識が向けられるけれど、すぐに霧散する。いくつかこちらに残ったままのものがあるけれど、何もしないのであれば、こちらからも何もするつもりはない。
そしてその残った中に、予想通り見知った人が居た。
「シエルメールさ、シエルメール。帰ってきているというのは本当だったのね。探していたわ」
「ビビアナがいたのね」
「わたくしもいますわ」
ビビアナさんはいいとして、もう一人のフリーレさんを見たときのシエルの様子を見た限り、あまり記憶にないらしい。
こっそり『ビビアナさんの師匠で、炎魔術を使っていたフリーレさんですよ』と教えると『ああ、いたわね』とシエルも思い出したようだ。
「お久しぶり、でいいのかしら? 何のために探していたの?」
シエルが問いかけると、ビビアナさんは目を丸くして驚いている様子を見せた。彼女はわたしのことも知っているので、そんなに驚くことだろうかとは思ったけれど、もしかしてシエルと普通に話したことはなかったのだっけ?
すこし時間が過ぎて、気を取り直したらしいビビアナさんが咳払いをしてからシエルの問いに答える。
「大した用事ではないのだけど、お姉さまが元気かどうか聞きたくてね。アレ以来会えていないから」
「ミアの話ね。元気にしていると思うわ。特に病気や怪我はしていないもの」
「病気も怪我もしていないのはいいんだけど……」
ビビアナさんが何か言いたげにシエルを見ている。でもシエルは首を傾げるだけで、なぜビビアナさんがそんな顔をしているのかが分かっていないらしい。
妙な空気になったので、シエルに頼んで代わってもらうことにした。外なのでもちろん髪の色なんかは変えない。ついでに口調もシエル風のままで話す。
「わたしはミアじゃないから、はっきりとは分からないのよ。わたしはミアの主人だから、不満があってもわたしには見せないと思うもの。
その上での話にはなるけれど、楽しそうにやっていると思うわ。ハンターにもなってもらったけれど、森の中で魔術を使うのに夢中になって魔物への警戒が疎かになることもあったものね」
「お姉さまも相変わらずなのね。ハンターの先輩として言いたいことはあるけれど、楽しんでいるようでなによりよ」
くすっと笑いつつも呆れたような声色に、その複雑な心境を見て取れる。まあ、悪い感情ではなさそうなので、説明は間違っていなかっただろう。
「主人として見るなら、侍女としてがんばっていると言う感じかしら。思ったよりも、侍女に対して忌避感はないみたいね」
「それは――身分がある立場だからこそよ。他の国でも上級貴族の使用人は下級貴族の血縁者であることは少なくないのよ」
「あー……そう言う話は、聞いたことがあるのよ」
『あら? 私は覚えがないのよ? どうしてかしら?』
『前の世界で少し。シエルが知らないだろうから、少し反応に迷いました』
頭に響くシエルの言葉に反応する。わたしが知っているのは、前世の知識というか、そういった本を読んだことがあるというだけで、現実は知らない。何せ貴族とはできるだけ関わらないように――そもそも関わる機会が無かったともいえるが――過ごしてきたから。
そういう意味では、いまもオスエンテに居るであろうパルラもシエルと似たような認識だと思う。
「でもそういうことなら、ミアの態度も分からなくはないわ」
「フィイヤナミア様の義娘の侍女なんて、大出世よ。ともかくお姉さまの様子を聞けて良かったわ」
どうやらビビアナさんが満足したらしいので、わたしの役目も終わりだろうとシエルと入れ替わる。その時に『別にそのままで良いのよ?』と言われたけれど、このままだとシエルの真似をし続けないといけないので辞退した。
ビビアナさんだけならまだしも、ここにはフリーレさんも居るので口調を変えたくはないのだ。
「ビビアナの話は終わったってことで良いのね?」
「そうですが、師匠。どうしてそんなにそわそわしているんですか?」
「それはもちろん、わたくしも彼女に用があるからよ」
フリーレさんはビビアナさんとそこまで話すと、獲物を見つけたような目でシエルの方をみた。
「そういうわけで、貴女に模擬戦を申し込みますわ!」
『確か前にも戦わなかったかしら?』
『そうですね』
『受けた方が良いのかしら?』
『シエルにお任せします。わたしとしては断っても良いかなとは思いますが』
すでに一度戦っているし、その時から一年も経っていない。
だからそこまで目新しいこともなく、こちらにあまりメリットがないように思う。
同時にそれでいてもフリーレさんクラスの実力者と戦える機会というのは、何回あってもいいんじゃないかという気もしている。
シエルはわたしの返事に少し考えて『やってみたいことがあるから、受けようかしら』と結論を出した。
わたしが断る方向に寄った意見を出したのに、シエルが受けるというのは、正直少しうれしい。
「受ける」
「感謝しますわ」
「師匠、何言っているんですか。相手が誰か分かっているんですか?」
「ええ、最速でA級ハンターにまで、駆け上がった規格外よ」
「それは間違いないですが――……そうではなくて」
「大丈夫よ、前にも戦いましたものね」
「依頼だった」
「ええ、今回も依頼という形を取らせてもらいますわ」
ビビアナさんが何か言いたげで、それでもって何も言えない、みたいな顔をしている。他の国で考えれば、王族に戦いを挑んでいるようなもので、下手したら王族に剣を向けるようなこと。
事情はどうあれ、罪になる国もあるだろう。だけれど、ここは中央。トップであるフィイヤナミア母様が下克上上等みたいなところがあるため、手段さえ間違えなければ罪になることもない。
「そうと決まれば、場所を変えるとしましょう。行くわよビビアナ!」
生き生きとしているフリーレさんとは対照的に、頭を抱えそうなビビアナさんを引き連れて、模擬戦をする為に場所を移動することにした。
◇
以前はフリーレさんを案内してつれてきた場所だけれど、今回はフリーレさんが前を歩いてやってきた。
ただの草原だったはずなのだけれど、今は焼け野原といわんばかりの場所になっている。草が燃えた後があるどころか、地面が溶けてガラス状になっているところもあるほどだ。
「やっぱりここは良いわ。周りを気にしなくて良いのですから」
「始める?」
「そうね。ビビアナは十分に離れていなさい」
フリーレさんの言葉でビビアナさんが離れていく。
それを確認したフリーレさんが、どこからか――おそらく魔法袋――木の枝を取り出した。
「これを上に投げて、地面についた時が合図よ」
「分かった」
スタートの合図のためだとは分かっていたけれど、どうしてそれが魔法袋の中にあったのだろうか?
指摘するほどでもないし、やぶ蛇をつつく気もないので何も言わないけれど。
『歌いますか?』
『エインは寝ていていいのよ?』
『わかりました』
短いやりとりでシエルがやりたいことを理解する。
実際に寝るわけではなくて、わたしのサポートを最低限にすると言うこと。具体的には、シエルの表面にある結界以外、わたしは何もしない。要するにシエルは今の自分だけの実力でどこまで出来るか試してみたいのだ。
最後の結界を残しておく理由は、万が一が絶対にも起こらないようにするため。
こればかりはわたしが譲れないし、シエルも解除してと言うことはない。
「いくわよ」
フリーレさんがそういって、木の棒を天高く放り投げた。それと同時に彼女の周りにとても強い魔力の反応が生まれる。これには覚えがある。
蒼の煉獄。前回の模擬戦でも開幕に使ってきた大技。シエルがそこまで気がついているかは分からないけれど、サポートなしの今日は何も伝えない。
投槍できる膂力で枝を思いっきり投げあげたのは、この魔術の準備をするためだろう。前回のも鑑みるに、それくらいのためが必要なのだと考えられる。
逆に言えばシエルもその間に準備をすることが出来るわけで、フリーレさんが蒼の煉獄の準備を始めたのと同タイミングで摺り足をしながら舞い始めた。ゆったりとした舞は、それでも人の目を引き付ける。速度が遅いからこそ、一つ一つの動きの繊細さが浮き彫りになる。
それから空が暗くなっていく。
黒い雲から雨が降り出してくるよりも早く、フリーレさんが投げた木の棒が地面に落ちてきた。
フリーレさんの炎がシエルに向けられた。