211.邸と故郷と不思議な気持ち
大変お待たせいたしました。次話も待たせるかもしれません。わかりません!!!
久しぶり――とは言っても、1年も経ってはいないが――に顔を合わせたフィイ母様は記憶に有るものと全く変わらない様子だった。
神が直接作ったといわんばかりの整った容姿は健在だし、着ている服装も記憶にあるものとそう変わることはない。
まあ、神が作ったようなもなにも、実際に創造神様が直接作ったんだろうし、人とは違うフィイ母様が季節関係なく似たような服装をしていても何ら可笑しくはないのだけれど。
それでも多少は季節による違いを服に出してはいるようだ。たぶんこの辺はフィイ母様の意向と言うよりも、使用人たちの意向なのだと思う。
それに季節云々に関しては、シエルに対しても言えることだ。うん、わたしのせい。シエルを守ることを優先させすぎて、一般的な生活というか、感覚を養う余裕がなかった。
まあ、それに対する後悔は今となってはない。それを後悔すれば、シエルが悲しむだろうから。
「よく帰ってきたわね。お帰りなさい、シエルメール」
「ええ、フィイヤナミア。帰ってきたわ。いいえ、ただいま……かしら?」
「そうね、お帰りなさい」
首を傾げて応えたシエルに、フィイ母様が同じ言葉を繰り返す。
一度目は威厳のある固い声だったけれど、二度目は優しい微笑みと共にもたらされた柔らかい声。
そんなフィイ母様の声に、シエルの表情も軟らかくなる。
「さて、立ったままでは仕方がないわ。座って食事にしましょうか」
「そうね、そうね。いろいろなものを食べてきたけれど、邸の料理が二番目に好きだもの。早く食べたいのよ、食べたいわ」
シエルの目が料理に釘付けになる。主食はいくつも種類が用意された白パン。温かそうなスープは黄金色に澄んでいて、サラダがガラスの器に鮮やかに盛られている。
メインはステーキ。分厚いそれが何のお肉かはわからないけれど、邸で出されるものに変なものは混ざっていないだろう。せいぜい魔物の肉というくらい。
「あらあら、二番目なのね」
「一番はエインが作ってくれたものよ?」
「それは勝てないわね」
フィイ母様はくすくすと笑うけれど、さすがにシエルの言い分はどうかと思う。プロのそれと比べると、わたしの料理など天と地以上の差がある。ここが邸だったから良かったものの、別のところだと変に難癖をつけられそうだ。
そして残念ながら、料理勝負になったとして、わたしの勝てる要素はない。目新しいものはつくれたとしても、おいしいものを作れる自信はない。
それから席について、和やかに話をしながら食事を……となることはなく、綺麗な所作ながら夢中になって料理を食べるシエルが満足するまで静かなままだった。
その間、フィイ母様含め周りの使用人たちもほほえましそうにシエルを見ていたので、怒られることはないだろう。
わたしは、ほほえましく見守りながら一緒に食事を楽しむ係。感覚が一緒なので、できる芸当だ。とはいえ、シエルとわたしの食事の好みは少し違うのだけれど。
用意された食事の大半を食べ終わり、シエルの手が止まったところで、フィイ母様がシエルに話しかける。
「ねえ、シエル。学園はどうかしら?」
「どうといわれても難しいわ。私はエインが一緒ならどこでも楽しいもの」
「それなら、何か発見はあったかしら?」
「やっぱりエインは凄いというのがわかったわね」
シエルは楽しそうに話すけれど、フィイ母様は苦笑している。
せっかく学園の話を尋ねているのに、わたしの話ばかりするのだから、母様の気持ちは分かるけれど。
「そういえば、ムニェーチカに会ったわ。面白い人ね」
「あの子に会ったのね。人にしては長く生きているだけあって、魔力の制御力はなかなかのものよね」
「エインにもできないことができるのだから、凄いことよね。人形魔術は私も興味があるのよ、あるのよ!」
「エインの体の代わりにしたいから、かしらね?」
「ええ、ええ! エインの体ができたらそれはとっても、嬉しいことだもの!」
シエルのテンションがあがり、フィイ母様も楽しそうに頷く。
ムニェーチカ先輩と言えば、人形を作るときに母様からもらったという枝は何だったのだろうか?
「ところで、昔ムニェーチカにあげたって言う枝は何だったのかしら?」
「枝? ああ、あれね。精霊樹の枝よ」
「せいれいじゅって何かしら?」
聞き慣れない単語にシエルが首を傾げる。精霊が生まれる木とか、精霊が管理している木とか、予想はできるけれど知らないものは知らないので、黙ってフィイ母様の説明を待つ。
「精霊樹は精霊王が管理している、この世界の管理装置の一つと言えばいいかしら? 大きな精霊の休憩所といっても良いかもしれないわね」
「フィイはもう持っていないのかしら?」
「残念ながら持っていないわ。それに新しく手に入れるのも難しいわね。私が持っていたのは、精霊樹がまだ不安定なときに落とした枝だったのよ。今となっては、枝が落ちるなんてこともなく、存在し続けているんじゃないかしら」
「それは残念ね」
「枝は落ちていないかもしれないけれど、一度精霊樹に行ってみてはどうかしら?」
「エインはどうかしら?」
『気になるので、いつかは行ってみたいですね』
シエルに話を振られたので、即座に返す。せっかくなので、シエルと一緒に行ってみたいというのは本当だし。
でも、枝がないとなると、シエルの髪を使うことになるのだろう。要するにシエルの魔力回路を移植するようなものだ。そう考えると、間違いなくわたしとの相性はいい。そもそも、わたしはシエルを通してでしか魔法・魔術は使えないのだし。
でもシエルの髪を切るというのは、とても抵抗がある。
綺麗なシエルの髪を切るのはもったいないという気持ちもあるけれど、何よりシエルの弱体化につながるから。
「エインが行きたいなら、行くしかないのよ」
『すぐじゃないですけどね』
今すぐにでも飛び出して行きかねないシエルの勢いに待ったをかけて、学園の話に戻すように促す。
レシミィイヤ姫――レシィ様とか、パルラとか、ベルティーナとか、わたし的には友達と呼んでも良さそうな人たちができたのだから、彼女たちの話をした方がフィイ母様も嬉しいだろう。何より、わたしの話題から遠ざかる。
シエルが嬉しそうにわたしのことを話すのは、悪しからず思っているし、誇らしい面もあるのだけれど、結構いたたまれないのだ。
「ムニェーチカの他には、レシィともよく話すわ。いえ、ムニェーチカとはそんなに話さないかしら? 授業で顔を合わせるときくらいだものね」
「レシィというと、レシミィイヤ姫かしら?」
「ええ、そうよ。確かフィイの名前を真似ているのだったのよね?」
「つけるのは勝手だけれど、だからといって私の対応が変わるわけではないわね。」
「フィイはフィイだし、レシィはレシィだものね」
「間違いないわ。それで、レシミィイヤ姫とはどんな話をするのかしら?」
母様が興味深そうな目をシエルに向ける。
母様自身も人の社会というものに、そこまで興味があるわけではないのだろうけれど、それでもそれを知る必要性は理解しているのだろう。
レシィ様をシエルの友人として見ているのか、オスエンテの王女として見ているのかは分からないけれど、母様にレシィ様が悪く思われなければいいなとは思う。
「よく話すのは学園のことね。授業の内容とか、学食で何がおいしかったとか、後はハンターをやっているときの話を聞かれるわ」
「シエルのことは話したのかしら?」
「ある程度は話したのよ。私がシエルメールだと言うことは知っているし、大変そうだからS級の魔石も売ったわ。でもエインのことは話してないのよ」
「でもレシィとは呼んでいるのね?」
「ええ、レシィは歌を好きだと言っていたもの」
その一言で何かを察したのか、フィイ母様が優しい顔をする。一国の王女が歌が好きだと明言する意味を、わたしたちよりも理解しているのだろう。
「歌が好きなのね」
「歌が好きな人なのよ」
同じことを繰り返し、シエルとフィイ母様が笑い合う。
「他に楽しい人はいるのかしら?」
フィイ母様が尋ね方を変える。今のシエルが相手なら、仲がいい人がいるのかとか、友達ができたのかとか、尋ねるよりもよっぽど望んだ答えが返ってきそうだ。
「そうね。パルラやベルティーナとはパーティを組んでいるわ」
「どんな子たちなの?」
母様が促すと、シエルは楽しそうに彼女たちの話を始めた。
◇
結局、一人一人との出会いから何から話すことになり、夕食がとても長くなってしまったのはご愛敬。シエルがこんなに楽しく話せたのであれば、それでわたしも幸せだ。
最終的にシエルが話したのは、ムニェーチカ先輩――とその人形たち――レシィ姫、パルラとベルティーナ、学園長と、それからリーエンス先生だ。リーエンス先生については、禁忌を犯そうとしていることも話しているし、それを分かった上で親しく――という言葉はシエルは使わなかったけれど――していることも伝えた。
それに対するフィイ母様の反応は、わたしたちが禁忌に触れなければそれで良いというもの。もとよりシエルを学園に行かせる建前のようなものだったし、フィイ母様も神様側の存在なので最終的に神罰が下って解決すると考えているのだろう。
懐かしのわたしたちの部屋に戻ってきて、シエルはぽつりと「変わってないのね」と呟く。思わず口に出たようなもので、そこから感情は読みとれない。それにたぶん、わたしにはこのシエルの気持ちは理解できない。
想像しかできない。
「お嬢様方のお部屋ですから、かわらず毎日お掃除もしていますよ」
「そうなのね?」
「はい」
シエルが表にでているからか、ルナがシエルのつぶやきを拾い上げる。
「そう言うものなのね?」
「もちろんです」
「それはどうして?」
「――……」
シエルの問いによどみなく、はっきりと応えていたサウェルナが答えをためらう。だけれど、意を決したように彼女の言葉を紡ぐ。
「お嬢様方に帰ってきてほしいからです」
「そうね、そう言うことなのね」
ルナの言葉に何かを納得したシエルはそのまま「下がってちょうだい」とメイドの二人に伝える。
ルナは不安そうな顔でシエルを見ていたけれど「お風呂の準備をお願いね」とシエルが付け加えると、「かしこまりました」といっていつもの表情に戻った。
ゆっくりと閉まる扉を見届けて、シエルがわたしに話しかける。
「中央に戻ってきてから、不思議な気持ちだったのよ。エイン」
『そうでしょうね』
「あら、エインには私のこの気持ちが、分かっていたのね?
それなのに黙っていたなんて、酷いわ、酷いのよ?」
『それはごめんなさい』
シエルがからかうように言ってくるので、クスクスと笑うような感じで返す。いつまでもシエルにからかわれてばかりの私ではないのだ、と言いたいところだけれど、からかっているのがわかったのは言葉を繰り返したから。
シエルが言葉を繰り返すのは基本的にテンションが高いとき。だから気がつけたのは、否定できない。
でもシエルとしては、わたしの反応がお気に召さなかったのか、少しすねたように唇をとがらせている。
理由は分からないでもないけれど、たぶん大丈夫だろうととぼけてみる。
『どうかしましたか?』
「いーえ、何でもないわ」
直前とは打って変わって、お澄まししたような態度でシエルは応えると、わたしと見つめ合う。それからどちらともなく笑い合う。
それが何となく幸せだなと感じたので浸っていたかったのだけれど、気を取り直してシエルに言葉を投げかける。
『実のところ、わたしはシエルが感じていることをきちんと理解できているわけではないんです』
「あら? そうなのね? どうしてかしら?」
『わたしがシエルと同じくらいの年齢の時には、意識するまでもなく受け入れていた感覚だから……でしょうか。
物心が付いてから、初めてその感覚を得たときに、それをどう言い表すのかわたしには分かりませんし、全く同じ感覚なのかも判断ができません』
「エインの感じているそれは、何というのかしら?」
『懐かしさ――郷愁……自分を受け入れてくれる場所が存在する安心感――みたいなものでしょうか?』
言葉にすると難しい。久しぶりに、我が家に帰ってきた! そんな感覚。かっこいいことを言えたら良かったのだけれど、言えなかったせいでシエルが「エインもよく分かっていないのね」笑っている。
『言葉にするのは難しいんですよ』
「でも言いたいことは、何となく分かったわ。エインでも言葉にできないことだもの。私では、もっと難しいのよ。だけれど、エインも何となく分かってくれているということね?」
『そうだと思っています』
「それはつまり、エインが感じていることを、私も何となく感じているのね?」
『そうなりますね』
「そうね、そうなのね! それはとても素敵なことなのよ!」
シエルはそう言うと、お風呂にはいるためにルナとモーサを呼び出した。