210.空と帰省
「旦那様が是非お礼を、とのことですが……」
「お礼というのであれば、わたしに関わらないように願います。わたしは目立ちたくなかった。この意味を理解していただけますね?」
「左様で……ございますか……。旦那様にはそのようにお伝えいたします」
パルラたちとの約束も果たしたし、そろそろ中央に向かおうかなと言ったところで、ギルドでの騒動で関わってきたグーネスターク子爵家の執事が会いたいとのことで会うことになった。断ってもよかったのだけれど、相手が貴族――関係者――である以上、ここで断って変に関心を持たれるよりも、暗にこちらの身分を明かして放っておいてもらった方が良いと思ったので対応している。
グーネスターク家自体はいわゆる悪徳貴族とは違う、むしろ平民目線善良な貴族であるらしいが、つながりを持ちたいとは思わない。
まともな貴族であるからこそ、こちらの意図をきちんと汲み取ってくれるだろうし、そういう意味ではとても助かる。
今回もこの問答でこちらの方が立場が上だと理解してくれただろう。子爵家当主からの誘いを、特に理由もなく断ることができる程度の身分はあると。
執事は諦めたように頭を下げると「本日はお時間をいただきまことにありがとうございました」と言って、帰って行った。その背中がなんだか煤けて見えたのは、たぶん気のせいではないのだろう。主人の命を果たすことができなかったわけだし。
でもグーネスターク家はそれくらいでクビにすることはないだろうし、何よりわたしたちが考慮することではない。
「これでこの前の騒動は一段落ですね」
『もう一人の方はギルドで処分されたらしいものね』
「英雄君たちも話し合いが行われたとか言っていましたし、それで納得してくれていることを祈るしかないです。幸いまだまだ休みはありますし、休み明けには忘れられているでしょう」
ジウエルド以外にもあの場には学園生がいたけれど、彼らには彼らの長期休暇があって、その間に様々な経験をすることだろう。そんな中休みの序盤にあった諍いなんて忘れてくれ……たらいいな。
同時に大金を手に入れる様を見られたわけだけれど、寮の一番良い部屋を使っているわたしたちが大金を持っているのは今更だし、それで学園生が絡んでくることはないと思う。
◇
「ふふふ、たまにはこうやって全力を出すのも良いものね」
町が寝静まった夜深く。シエルが楽しそうにそう言いながら、宙を蹴る。シエルの言葉には同意だけれど、生憎わたしは返答できない。歌うのをやめてしまえば、シエルがそのまま落ちてしまうから。
落ちても怪我をさせない自信はあるけれど、それはそれ。
王都でのことをミアに任せて、中央に向かって空を駆けている。正確には昼過ぎに王都を出て、人気のないところで適当に昼寝をしてから、夜になってから空に跳び立った。
王都から離れてからは昼夜問わず好きに移動するつもりだけれど、王都付近では念のため。シエルも探知が上手になってきたので、夜の暗い中でも動くことは難しくない。
出発前にシエルにそう伝えたところ「エインがフォローしてくれるもの」と嬉しそうに返してきた。それがわたしがいるからこその安心感からくるものだとしたら、なんだかとてもくすぐったい。にやけそうになってしまう。
こうやって空を行くのは、わたしたちの楽の為だけでなく、精霊たちと遊んでいるという意味合いも含んでいる。
王都では精霊たちに構うのは結構気を使うことだったし、そのせいで存分に相手をできていなかった。それで精霊たちが怒ることはないのだけれど、寂しそうにする子もいたのでこういう機会があるのは悪くない。
王都を出て、一度も町や村には立ち寄らずに突き進んだ結果、3日ほどで国境にたどり着いた。この速度だとたぶん今日中に中央に帰ることができるだろう。関所を越えて、ついでにフィイ母様に帰ってきたと伝える。入った時点で母様には伝わっているだろうけれど、礼儀は大切と言うことで。
シエルも頑張ってフィイ母様の魔力を感じようとしていたけれど、まだ感じ取れるまでにはなっていない様子。
そのときにふとベルティーナならどうなのだろうと思ったけれど、仮にこの魔力を視認できたとしたら、彼女はその力の大きさに恐怖するんじゃないかと思う。
邸のある都市へは、途中から歩いて向かう。こちらではシエルメールだとばれても問題ないので、空を駆けて行ってもいいのだけれど、せっかくなのでシエルと話をしながら帰りたかったから。
「なんだかこうやって地面を歩くのも久しぶりに感じるのよ」
『そう言えば、ここまで長く空を行ったのも初めてですね』
休憩で何度か降りていたとはいえ、それ以外3日間ちょっとずっと空の上というのはなかった。
歩くのを忘れてしまいそうだ、ということは空を駆けるシエルには無かったようで今もきれいな足取りで歩いている。
「でも、ずっとエインの歌に合わせて踊っていられたから、それがなくなるというのももったいないわ。ずっとずっと、永遠にこうしていたかったもの、いたかったのよ!」
『そうですね。わたしもずっとシエルの舞を見続けていたかったです。精霊たちもいつも以上に喜んでいるみたいでしたしね』
「ええ、とっても可愛かったわ! エインの次に可愛いわね!」
『――それはありがとうございます。シエルも可愛いですよ』
ことあるごとにシエルに可愛いと言われ続けてきたので、さすがに慣れた……といいたいところだけれど、現状何でもない風を装って返すことしかできない。即答できるわけでもないので間ができてしまうし、シエルにはそのことに気がつかれているようだし、何より表に出ていたら口元がむにゅむにゅしてしまうのは隠せないだろう。
果たしていつになったら慣れるのか。
しばらく歩いて、都市の入り口にまでやってくる。夕刻で日も落ちようとしているのに、相変わらず行列ができている。とはいえ、時刻も時刻なので昼間よりは少ないのだけれど。
この門だけれど、基本的にはフィイ母様の管轄外だったりする。つまり、身分によって優先度が存在する。他国――といっていいのかは難しいが――と関わって行くに当たって、どうしても他国の貴族を優先させないといけないことがあるから。
他国の貴族に平民と同じように入ってきてくれと言っても、聞き入れない貴族も少なくないだろうし、それだったら最初から分けていた方が都合がいい。この世界ではそう言った区別には慣れているだろうから。
身分制度も意味があって存在しているわけで、フィイ母様もある程度はその有用性は認めているのは確かだ。創造神様もフィイ母様も、人を滅ぼしたいわけではないし、混乱させたいわけでもない。
理想は粛々と魔物を狩り、魔道具等をつくり、早々に魔石を消費することだけれど、禁忌を破らない限りはかなりの自由が許されているのではないだろうか。
それはわたしがそちら側に足を踏み入れたからそう感じるだけで、この地にすむ人々からしたらそうでもないのかもしれないけれど。現実に禁忌を犯そうとする人もいるわけだし。
閑話休題。
門にたどり着いたシエルは、列を無視してズンズン進む。それを訝しげな目で見てくる人もいるけれど、シエルは全く気にした様子を見せない。門番のいる関所にたどり着いたところで「どうぞお通りください、シエルメール様」と頭を下げられる。
フィイ母様に連絡して何時間も経っているし、さすがに伝えられているらしい。ただ並んでいる人たちからの視線がまた違ったものになったような気がするけれど、それは考えないでおこう。
小娘が列を無視して進んでいったと思ったらその国の姫だった、みたいな状況だろうし。
「ありがとう、もういいわ」
「はっ」
シエルが短く言って、門番が頭を上げる。
その表情はどこか驚いたようなものだったけれど、シエルが気にせず進む。でもわたしはなんだか少し嬉しくて、それが声に出てしまっていたらしい。
「エイン、どうかしたのかしら?」
『いえ、何でもありませんよ』
「そうなのね、そうなのね? 仕方がないから、何もなかったことにしてあげるのよ」
わたしの下手な誤魔化しなどシエルにはお見通しのようで、それでも誤魔化されてくれる。
話してはいけないと言うものではないけれど、まだ言うべきではないかなと思っていたものなので、誤魔化されてくれたのであればよかった。
邸についた時には日は完全に落ちていて、窓から光が漏れているのがよくわかった。もしかして夜に邸を見ると言うことは無かったのではないだろうか。
こうやって改めてみてみると、きれいな建物だなと思う。
邸にくるまではその時刻のせいか、人通りがそこまで多くなく、暗さのせいかシエルをシエルだと気がつく人はいなかった――と思う。
何かと町で買い食いしていたので、昼間だったらシエルに声をかけてくれる人もいたんじゃないかなと思うのだけれど、今日に限っては声をかけられなくてよかったとも思う。
シエルが邸の外門に近づくと勝手に開き、扉に近づいても勝手に開いた。
「お帰りなさいませ、お嬢様方」
扉を開けたモーサが優しい顔で伝えると、続いて後ろで控えていたルナからも同じように「お帰りなさいませ」と頭を下げられる。
「お帰りなさい」「ただいま」という挨拶は、シエルには馴染みが無かったものの、邸に来てからは触れることが多くなった。邸に住み始めてからは、帰ってくるとメイドの誰かかフィイ母様が迎えてくれたし、学園に行ってからもミアが出迎えてくれた。
「お帰り」と言う言葉にシエルも「ただいま」と返してはいたけれど、あくまで形式的なもので、そこに感じ入るものはなかったと思う。最初は物珍しいくらいには感じていただろうけど。
だけれど、心安らかに過ごしそれなりに長く暮らしていた邸から数ヶ月離れ、帰ってきたシエルには何か思うところがあったのだと思う。
二人からの言葉を受けてから、目を丸くして何度か瞬きをしていた。
それから「ええ、ただいま」とわたし以外にはほとんど見せないような、柔らかい笑みで答えた。
その破壊力はなかなかだったようで、二人にしては珍しく驚いた様子を見せ、だけれどすぐに表情を引き締めた。
「お食事の準備ができていますので、ご案内します。フィイヤナミア様もお嬢様方のお帰りを心待ちにしておいででしたよ」
「ええ、案内よろしく頼むわね」
外套だけをモーサに渡して、ルナにつれられて、食堂――ではなくて、小部屋へと連れて行かれる。
本来ならきちんと着替えて、身支度を整えてから――なんなら一度お風呂に入って――食事になるところだけれど、シエルに夕食を取らせることを優先したらしい。正式な身支度ではなくて、数分程度の軽いもので終わった。
それにしても短いなと言う言葉が漏れてしまっていたのか、シエルも同じように思ったのか、「短いのね」とシエルがサウェルナに尋ねると彼女は可笑しそうにクスクスと笑った。
「本来であればこんなに早く終わることはありません。着替えは見栄えを良くするという意味合いも確かにありますが、汚れを中に持ち込まないようにする意味合いもありますから。
外に出るとどうしても砂埃くらいはついてしまいますからね」
「そう言うものなのね」
「ですが、お嬢様には汚れがつくことはありませんので」
「エインのおかげね!」
「ええ、エインセル様のお力の賜です」
こびる様子もなく、ただ事実を述べていると言わんばかりのルナの言葉にシエルも満足そうに頷く。
それに対してわたしは無言で主張している間に準備が終わったらしく、「それでは、フィイヤナミア様の元に参りましょう」とルナがシエルをエスコートして歩き始めた。
Q.ジウエルドについて
A.やっぱり年齢や経験のなさが今回の騒動の原因でしょうか。彼も誰彼構わずああいった対応をするわけではなくて、同じ学園のクラスメイトのことだから口を出したという部分もあります。
Q.ギルドマスターについて
A.頑張ってジウエルドが理解できるように話をしようとしています。本来そこまでする必要はないというか、一発怒って終わりなのでしょうけれど、上からよろしく言われているのもあって頑張って対応してました。シエルのことを知っているのかははっきりとは言えませんが、ある程度察してはいます。
今後なのですが、しばらく仕事が立て込んでいてたぶん時間が取れません。少なくとも10月中、結構な確率で11月、もしかしたら年末年始まで忙しい可能性が否定できないので、次は1か月後、下手したら2か月後とかになるかもしれません。ご了承いただければと思います。





