22.宿の部屋と食事とお胸
セリアさんのおかげで無事に宿を取ることができて、なんだか気が抜けてしまった。
ここに来るまでに、ちょっと面倒くさい会話をしたけれど、わたしの意図には気が付いてくれているだろうか。
ダメだったら、ダメでしたで諦めるしかないけれど、わたし以外の協力者の存在はシエルに必要だと思うので、セリアさんには期待しておこう。
これに関しては考えても、明日になるまでどうなるかわからない問題なので放っておくとして、何というか今日は疲れてしまった。
そもそも人とこんなに長く話すのは、シエルを除けば久しぶりで、気の使い方が全然違うので普段使わない筋肉を使ったような気疲れがある。
案内された部屋はベッドがあって、机と椅子があって、机の上にライトが用意されていて、トイレとお風呂まであるところ。
何というかお風呂っていうのは、高級な宿にしかないと思っていたのだけれど、そんなことないのだろうか。ちょっと料金が怖くなってきた。一泊金貨1枚なら何とか……。
でも、今から新しく探すのも難しいし、何よりもう動きたくない。
何日も外にいたので、服はきれいではないと思うのだけれど、ベッドに横になってしまいたい。
服を脱げば……というのは、さすがにシエルの身体なので無理。
お風呂に入るのも、シエルに任せよう。わたしが入りたいとは言ったけれど、わたしで入るのは気が引ける。
『シエル、今日はもう体返しましょうか?』
『食事を持ってくるのよね。だとしたら、そのあとでどうかしら?』
『そうですね。とはいっても、わたしがやることも特にないんですけどね』
『それなら、いくつか訊きたいことがあるのだけれど、良いかしら?』
『わたしに答えられることでしたら』
シエルの言葉に躊躇わずに頷く。今日はわたしもだいぶ好きに動いたから、シエルにしてみたら気になることも多いだろう。
すぐにシエルの質問が、耳(?)に届いた。
『まず、私たちのことあそこまで話しても良かったのかしら?
エインのことには触れていないけれど、これがリスペルギア公爵に伝わるとまずいと思うのよ』
『"おそらく"にはなってしまいますが、大丈夫ですよ』
『それは、どうして?』
『セリアさんは、この国の人ではないですから』
『そうなのね、そうなのね。どうしてエインにはわかるのかしら?』
『単純に国を出たいと言ったときに、反対されなかったからですね。
わたしが言うのもなんですが、わたし達はそれなりに強いですから、町としては出て行って欲しくないはずなんですよ。そのほうが町も安全でしょうし、わたし達みたいな見た目をしていると、うまく言いくるめて消化不良の依頼をこなさせることくらいできそうですからね』
『でも、エインはその前から知っていたのでしょう?
そうでないと、そもそも国から出たいなんて言わないもの』
確信をもって言えるシエルの洞察力は、なかなかにすごいと思う。わたしが10歳くらいだったら「へぇ、そうなんだあ、すごーい」とか言っていたんじゃなかろうか。
シエルの言う通り、勝算があったからこそ話をしたわけだけれど、その理由が少し弱くて話しにくい。
でも、話さないという選択肢もないので、恥を承知で言葉にする。
『そうかなと思ったのは、わたしに対する対応でしょうか』
『つまりエインは、最初から気づいていたのね!』
『驚いてくれるのは嬉しいのですが、気づいていたというか、セリアさんが国外の人だとまだ決まったわけではないです。
ただ、子供に対しても丁寧な態度を崩さず、紹介状も初めから嘘だと決めて掛かりませんでしたよね。
たぶんですが、サノワの町ってそこまで大きな町ではないんですよ。そういうところだと、町の人は大体知り合いで、砕けている人が多かったりするんです。言い方は悪いかもしれませんが、全体的に粗野っぽくて、頭が固いところがあるものです。
ですから紹介状があっても、それを偽物と判断して取り合ってくれない可能性もあります』
『それなのに丁寧だったから、この町の人ではないって気が付いたのね?』
『おおよそは。それにアレホに絡まれた時も、どちらにも付く気はなさそうでしたから。
この町の人であれば、よそ者のわたしを排除するようにするか、町の厄介者そうなアレホを糾弾するためにわたしに付くかすると思うんですよね。
ですが、彼女はしなかった。感情よりも、ハンター組合の理念のようなものを優先したのかなと思います。それなら、本部から来た人であり、つまり国外から来たのかなと思っただけなんです』
いろいろと並べてみたけれど、わたしとしては対応の仕方が何だか本部から派遣してきた人みたいだな、と感じたからに尽きる。
なぜそう思えたのかは正直分からない。勘ともいえるし、前世での経験ともいえる。
だから恥なのだけれど。
『エインの話を聞いても、私はしっくり来ないわ。
でも別にエインを疑っているわけじゃないのよ?』
『わたしも勘みたいなものですから。それにシエルも、これからわかるようになっていきますよ。
シエルだってわたしが最初から気が付いていたって、わかっていましたし、似たようなものですよ』
『そうね、そうね! エインのことは何でも……はわからないけれど、なんとなくはわかっているつもりなのよ。
ところでエインは、どうして私たちの話をしたのかしら?』
『この国の人ではないなら、味方になってくれないかと思いまして』
『でも少しだけ、私たちのことを話しただけなのよ? 味方になってほしいとは言っていなかったわよね?』
『直接は言っていないですが、5歳まで何も食べたことがなかったことや、10歳にして髪が白く変化してしまったことを考えると、わたし達がわりと厄介なことを抱えているとは伝わったでしょう。
そうすることで、面倒はあるけれど助けてくれますか? と尋ねてみたんです。伝わっているかはわかりませんが』
『人と付き合うというのは難しいのね?』
『こんなことは、わたしも二度とごめんです。
腹芸はほとんどしたことがありませんから。今回はコチラから仕掛けたのでそれっぽくなりましたが、相手からされると、言葉の裏に気が付けるかわかりません』
何せわたしは元一般市民だ。化かし合いをする機会なんて、そうそうありはしない。
だけれど今回に関しては、わたし達が地雷も地雷なので、直接は訊きにくかったのだ。すべてを隠して助けてくださいと縋り付いて、実は公爵家に狙われていましたというのは、詐欺っぽい。
しかし、今回のことがちゃんと伝わっていれば、公爵家とは言わずとも上位貴族が関わっていることくらいはわかるのではないだろうか。
もしも意図に気が付いたうえで協力してくれるなら、明日セリアさんから何か言及があるだろう。
そんなところで話がひと段落したかなと思ったら、ドアが控えめにノックされた。
「はーい」と中にいることを教えて、ドアを開ける。分かってはいたけれど、ドアの向こうにいたのは宿の女将のニルダさん。
その手にはお盆があり、パンとシチューが乗っている。
「いま、お食事は大丈夫?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「食べ終わったら、お盆と食器は扉の前においておいてくれたらいいから。
あとこれがお風呂用の魔石ね」
「わかりました。えっと、ここの料金っていくらになるんでしょうか……?」
伺うように尋ねると、ニルダさんは、あらあらうふふとでもいうかのようにニコニコ笑うと、首を左右に振った。
「もうもらっているから大丈夫よ」
「明日お礼を言っておきます」
「そうしてあげて。それじゃあ、あたしはこれで。ごゆっくり」
ニルダさんがお盆と魔石を置いて部屋を出て行くのを見届けてから、改めてお盆を見る。
柔らかそうな白パンと、具がたくさん入ったシチュー。前世だと1人暮らしで自炊をしているかのような、質素な食事だけれど、こちらの世界に来て初めてのまともな食事だ。
馬車からくすねてきた食料も、屋敷にいたときのそれよりはマシだったけれど、所詮は保存食でおいしさは二の次だったのだ。
『シエルが食べますか?』
『エインが食べていいのよ。食べたいのでしょう?』
『はい。いただきます』
シエルが譲ってくれたので、今日のところは遠慮せずにいただく。
別にシエルが食べても味はわかるし、逆もまた然りなのでそこまで気にすることではないのだけれど、自分のペースで食べられるというのは嬉しい。
まずはスプーンをもって、シチューを一掬い。
アツアツのシチューを軽く冷ましてから、口に入れた。前世で食べていたものよりも、幾分あっさりしているけれど、野菜やお肉から出汁が出ていて、複雑なうまみが舌を楽しませてくれる。ミルクやバターの優しい味もする。
見た目に柔らかそうなパンは、手で掴んだだけでその形状を変える。ちぎるのにも力は要らず、味も何もついていないパンだけれど、口に入れれば小麦粉の味が広がる。
何というか、小麦粉ってこんなに甘かったんだ、といった感じだ。
そんな食事に、自然と目から涙がこぼれてきた。
食べるというだけで泣くとは思っていなかったけれど、どうやらそれほどまでに食に飢えていたらしい。
前世での食事を知っている中、10年もまともな食事が摂れなかったわけだし、当然といえば当然なのかもしれない。
『エイン、おいしい?』
『ええ、とても。シエルはどうですか?』
『複雑な味がして何と言ったらいいのか、よくわからないわ。
エイン、答え難いかもしれないけれど、おいしいって何かしら?』
おいしいとは何か、と言われてもなかなか答え難い。
だけれど、シエルがこのような疑問を持つ可能性は考えていた。何せシエルが食べたことがあるのは、黒パンと薄いスープのみなのだ。
だからシエルの中には、おいしいはもちろん、食事を楽しむという概念すらないのだろう。
『おいしいという感覚は、人によって違います。ですが、食べ終わった後、本心からまた食べたいと思ったものが、おいしいものということではないでしょうか』
『だとしたら、私はこの食事をまた食べたいわ』
『ええ、また食べましょう』
そんな約束をして、食事を再開した。
◇
個人的に感動だった食事が終わり、話していた通りシエルに体を返した。
シエルは今までわたしがそうしていたように、備え付けの椅子に座って、のんびりしている。
そう思っていたら、『エイン』と名前を呼ばれた。
『どうしましたか?』
『今日結界が壊されたこと、気にしているでしょう?
少し様子がおかしいものね』
確信をもって言われて、『う……』と思わず呻いてしまう。
過信していたわけではないけれど、一つ目巨人の攻撃を耐えられたことで、かなり自信があったので今日のカロルさんとの模擬戦はショックでなかったといえば嘘になる。
『あまり気にしなくていいのよ? 確かに破壊されてしまったけれど、仮に私に槍が当たっていてもエインならどうにでもできたでしょう?』
『それはそれです。カロルさんはB級みたいですから、その攻撃に耐えられなかったということは、その程度だというわけですから』
『でも、一つ目巨人もBランクの魔物なのよね?
級とランクが同じと考えて良いものなのかは、わからないけれど』
『確かに氷の槍がB級でも上位に入るくらいの威力がある可能性はありますが、わたしの目標としては「最上位の魔物の攻撃も耐えられる」ですから』
『目標が高いのは良いのだけれど、今すぐでなくてもいいのよ?
そうでないと、私が置いていかれてしまうもの。それに今日の模擬戦も、私が10本すべて迎撃できていればいいだけの話だったでしょう?』
『ですが、9本は何とか出来たわけですから』
『エインの手伝いがあって初めてだもの。せっかく、エインと私と2人いるのだから、2人合わせて何とかなるなら、それでもいいのではないかしら?』
確かに、シエルが何とかできるならそれでいいし、ダメな時にわたしがサポートをすればいい。
逆に私では対処できないことも、シエルが一緒なら対処できればいい。
何者にも破れず、何物にも察知できず、常に張り続けられる結界を目指し続けるけれど、わたしだけが頑張ればいいというものでもないのか。
『そうですね。少し焦りすぎていたのかもしれません』
『私もエインに負けないように、頑張るわ』
『ええ、一緒に頑張りましょう』
何だか心が軽くなったような気がするけれど、それ以上にシエルが嬉しそうにしてくれてよかった。
何よりこうやって、わたしのことをわかってくれている人がいることが、なんだかくすぐったい。
丸く収まったかなと思ったところで、シエルが何か思い出したとばかりに手をたたいた。
『そういえば、やっぱり胸は大きいほうが良いのかしら?
私の大きさでは、物足りないのよね?』
『ええっと、どういうことでしょう? そんな話しましたっけ?』
いきなりの言葉に、思わず聞き返してしまう。
記憶をあさってみても、シエルと胸の話をしたことはないのだけれど。いや、シエルと胸がどうだという話ができるほど、わたしは女性になったとは思っていない。
どうやっても照れが出るだろうし、10歳のシエルとそんな話をしているというだけで、自分がいたたまれなくなりそうだ。
ではなぜ、と思っていたら、シエルがさらに爆弾を投下する。
『だって、大きい胸の人がいたら、目で追っていたもの。羨ましかったのよね?』
爆弾は投下されたけれど、事なきは得たといった感じか。
大きいほうが好きかと言われたら、ほどほどにと答えるけれど、シエルに答える気はない。
あと言い訳をさせてもらえば、生前はともかく今はやましい気持ちはなかった。
『あれは重そうだなと思っていただけですよ。
別に興味がそんなになくても、特徴的なものは目で追ってしまう質なんです』
『そういえば、単純に身長が高い人とかも、目で追っていたわね』
『あまりきょろきょろしたり、人を目で追うのは良い行為ではないのですが、シエルの身長だと人が大きいのが気になってしまいまして』
『それはそれとして、エインは胸は大きくなってほしいのかしら?』
『シエルは女の子ですから、ある程度はあったほうが劣等感に苛まれないと思います。
ある意味大人の女性の象徴ですから』
ちゃんとは答えず、それらしいことを返したところ、シエルは納得してくれたらしい。
それからううんと悩んだ後で、「どうやったら、大きくなるのかしら」とつぶやく。
それには答えなければよかった。だけれど、危うい会話を何とか乗り切ったわたしは、ついつい前世でよく言われていた話をポロリと口にしてしまったのだ。
『揉めば大きくなるっていいますね』
『そんな簡単なことで良いのね』
失言に気が付いたのは、シエルがその手を自分の胸に持っていこうとしたとき。
「ストップです」とシエルの動きを制止させることができた。
『あくまで俗説ですから、信用しないほうが良いですよ』
『エインは試したことがあるのかしら?』
『な、ないです』
『エインの周りでは?』
『それもないです。いたとしても、していたということを聞いたことがないです。』
あるわけがない。あってはいけない。
わたしの周りにいたのは基本的に男だったし、共学だったから女子生徒もいたけれど、さすがに胸を大きくするために揉んでいるかなんて訊けるわけがない。
シエルはうんうんと頷いた後で、『そういえば、お風呂ってどうしたら良いのかしら?』と尋ねてきた。
この流れでお風呂に入るのは少し困るのだけれど、それでも話が変わったことを良しとして、お風呂について説明することにした。