192.魔石と氾濫とSランク
学園が始まって2ヶ月ほどが経過した。だんだんと夏が近づいてきて、気温が上がってきたのだけれど、気温は前の世界ほど高くはなさそうだ。気温をはかる事はできるけれど、前世との違いは何となくしかわからない。季節と体感とで、前世だとこれくらいの気温かな、みたいな。前世も華氏と摂氏があってそれぞれのつながりはよくわかっていなかったので、感覚としてはそれに近い。
ということで、気温は高くないような気がするけれど、体感としてはあまり変わらない。暑いものは暑い。たぶん慣れの問題だと思うのだけれど。ただこの世界には気温を保つ魔道具が存在しているから、室内であれば不快になることは少ない。
その魔道具は決して安いものではなく、一般家庭にまで普及しているものではないけれど、学園の各教室にはあるし、寮にも基本的に各階に2つくらい置かれている。廊下に置いて、部屋の中もそれなりに涼しくするみたいな感じらしい。
そしてわたしたちのいる階の部屋には一部屋に一つ設置されている。それだけのお金は払っているわけだから別に驚きはしない。魔道具なので魔石が必要なのだけれど、部屋ごとに配られる。大体1日10時間ほど使う想定のもので、帰ってきて寝ている間は快適といった感じだろうか。
わたしたちの場合、わたしの結界で代用できそうだけれど、魔石の意味を知っているためできるだけ使用することにしている。何なら一日中つけっぱなしだ。
ミアは一日部屋にいることもあるし、魔石自体は余るほどに持っている。というか、Sランクの魔物の魔石一つでこの夏を乗り切ってあまりあるほどになりそうだ。
あまり表に出したくないから死蔵しているのだけれど、どうにか消費させることはできないものか。シエルメールかエインセルとしてハンター組合に持って行ったとしても、Aランクまでのものまでに制限しているし、Sランクのものは使い道がほとんどないのだ。
「そう言えば、今年は魔石があまり無いそうですね」
「そうなの?」
「はい。例年よりも集まった魔石の数が少なくて、困っているのだそうです」
「どうしてかしら?」
魔石が少ないというのは、この国にしてみたら結構な問題ではないだろうか? 魔道具が普及しているということは、それだけ需要があるだろうし、夏とか冬とか魔道具のおかげで越すことができている可能性もある。
夏がこれくらいだと特に困るのは冬だろうか? とはいえ、一冬越えるくらいは貴族たちが貯蔵していそうだ。
「オスエンテ王都ですが、定期的に小規模な魔物氾濫が起こるのだそうです。それがこの間起こったのですが、どうやらいつもよりもだいぶ規模が小さかったそうですね」
「そうなのね」
シエルはなんだか気のない声を出しているが、わたしには思い当たる節がある。そしてミアにも思い当たる節がありそうな顔をしている。
「でも魔物氾濫があったなんて、知らなかったのよ」
「一般公開はされていないそうですから。とくに学生には伝えないようにしているようです」
「昔バカなことをした人がいるのね?」
「はい。とは言っても、自分の力を過信して亡くなったというだけですが」
ありそうな話だ。今年だと雷魔術師のアルクレイとか、英雄のジウエルドとか突っ込んでいきそうなイメージがある。英雄君はなんだかんだで、生き残る気もするけれど。
自分の力を試したいとか、困っている人がいるなら黙ってはいられないとか、理由をそれぞれに思い描いて突撃して行き兼ねない。
「そもそも学生の力を借りずとも、密かに壊滅させることができるそうですよ。それくらいの規模の氾濫でしかないと言うことでもありますが」
「まあ、小規模だと何とかなるものね。エインと一緒なら何とかなったもの」
「それが言えるのは、お嬢様くらいだと思います」
魔物氾濫を単独でどうにかしようと思ったら、強さとか以前にどうやって大量の魔物を自分の方だけにやってこさせるかという問題がある。もしくは自分の後ろに通さないだけの大規模攻撃ができるかどうか、というので良いかもしれないけれど。
どちらかを行うことができる人が何人いることか。
仮にF級の魔物の群だとしても、普通は一人では無理。わたしたちの場合、音が聞こえないような奴が先頭を走っていたら対処できないかもしれない。音が聞こえない相手に歌姫がどうなるのかそれはわからないけれど、わたしも職業の力をもっと使い慣れておいた方がいいのかもしれない。
きっと教会にいた歌姫よりもわたしの方が技量は下だと思うし。
シエルにだけ聞こえればいいやって、どういったプラス効果を与えるかばかり考えていたので、実はそれ以外はあまり得意ではなかったりする。
まず教会にいた歌姫とわたしとでは、歌が聞こえる範囲が違うようだった。もしかしたら、歌姫の声の聞こえる範囲を広げたり、狭めたりできるかもしれない。
最終的に聞かせたい人だけに聞かせるなんて事ができれば、歌姫は最強の職業として名を馳せるだろう。まあ、無理なのだろうけど。能力的な面から見ても、歌姫という職業の立ち位置から見ても。せめて差別がなくならないと歌姫がどれだけ力を見せたところで、不遇職と言われ続けると思う。
「そういうわけですので」
どういうわけかわからないけれど話を進めるためにか、ミアが発言する。
「魔石を消費するのであれば、うってつけなのではないですか?」
「そうだけれど、そうかしら?」
「渡しても問題なくて、秘密裏に使えそうな方がいらっしゃいますよね?」
「ええ、確かにそうね!」
シエルが何かに気がついたように声を上げる。はたして、この行動はその人を安心させる材料となるのか、それとも胃を痛めるものとなるのか。助かることには変わりないと思うので、とりあえず顔を出してみることにしよう。
◇
「それでお話とはいったい何なのでしょうか?」
わたしたちの部屋の上の階。レシミィイヤ姫のところに先触れを出してからやってきた。すぐに行っても怒られはしないだろうけれど、やっておかないとレシミィイヤ姫は困るだろうから。
内容が内容なので、レシミィイヤ姫とフィトゥィレくらいにしか聞かせられない。そのあたりの準備もあるだろうし、無理なら無理で都合がいい日時を聞いてきてもらえばいいし。
ただレシミィイヤ姫としても、エイルネージュとの会話ほど重要なものはなかったらしく、いつでもきてくれて構わないと返ってきた。
そうしてやってきた後は軽くお喋りをして、頃合いを見てシエルと姫と先輩(中身)の三人以外を下がらせる。
「魔石が少ないと聞きましたが、本当ですか?」
「それは……本当です」
「魔物氾濫の規模が小さかったと言う話でしたね?」
「そう聞いています。氾濫のことは今回のことではじめて聞かされましたが……」
レシミィイヤ姫にも隠していたのか。というか、言う必要がなかったのか。レシミィイヤ姫が魔物氾濫の解決に動くことはなさそうだし、指揮する立場にもならないだろう。
それに若いレシミィイヤ姫には魔物氾濫は言葉だけでも、刺激が強いのかもしれない。定期的にそんなことが起こっているとなれば、人によっては安心して王都で暮らせないということもあるだろうし。
姫だからと何でも聞かされているわけではないと言うことだ。
そしてわたしたちにもすべて話しているわけでもないだろうし、わたしもすべてを知りたいわけではない。一応鎌を掛けるようにシエルに頼んでいるけれど。
「氾濫を意図的に起こしていることをですか?」
「……そ、それは……」
レシミィイヤ姫が動揺してフィトゥィレの方を見る。彼女にばれるのもまずいと思っているのだろうか。
すぐに動揺は隠したけれど、次の言葉が出てこない姫に対して、フィトゥィレが素っ気ない態度で話す。
「トゥィレは知っているから、姫様は気にしなくて良い」
「そう……なのね。わかったわ」
レシミィイヤ姫は何とかそう言うと、静かにでも深く呼吸をして納得したような顔をする。自分が教えてもらっていなかったことをフィトゥィレが知っていたことに思うこともあるだろうに、よくそんな風に納得できるものだ。
フィトゥィレが国王からあてがわれた護衛であること、エイルネージュの実力を見抜けるほどの人物であることは知っていたというのはありそうだけれど。
「そうです。オスエンテは表向きには万が一魔物氾濫が起きたときに被害を最小限にできるように、意図的に魔物氾濫を起こして定期的に間引きを行っています。
ですが実際は膨大な魔石の需要に耐えられるように、起こしているものです」
魔物氾濫は放っておけば定期的に起こるものだけれど、そのスパンは数年規模。それなのに毎年のような間隔で起こるのはおかしな話だ。
ということで、予想はしていたのだけれど、どうやら予想は正しかったらしい。
「それがレシミィイヤ姫を狙った氾濫で魔物の数が少なくなったんですね」
「おそらくは……」
そして得をするのが、いつだかレシミィイヤ姫に警戒するように言われていたエルベルト家だったりするのだろうか。政治的な云々はわたしたちが関与することではないので、聞かないけれど。
政治なんてものは下手に関わってしまうと、最悪戦争にまで発展するかもしれない。
わたしたちの言葉は口調がお願いでも、ほとんど命令のようなものだから。政治的関与がどうだとか言ってくる人もいるだろう。
「本題に入りますが、オスエンテ国として魔石を購入しませんか?」
「魔石を……ですか? ですが――」
こちらの提案にレシミィイヤ姫は何か言いたげに言葉を区切る。個人から魔石を売ると言われても、普通はその数は国の需要に耐えうるものではない。だから何かを言おうとしたけれど、相手がわたしたちだから何も言えなくなったのだろう。
もしかしたら、とかあるわけだし。
「買い取ってほしいのは、この魔石です」
そう言ってシエルは一度テーブルの上にタオルを置いてから、続いて両手で抱えるような大きな魔石をその上に置く。そうしないと転がっていくかもしれないから。
その様子を見てレシミィイヤ姫は目を丸めて驚いている様子で、何もいってこない。
フィトゥィレは一瞬だけ目を光らせたけれど、すぐにいつもの状態に戻った。
魔石だけれど魔物であれば何であれ持っているもので、その大きさで大体のランクがわかる。
小さいものだと手のひらサイズのものから、大きなものだと今回みたいに抱えて持たないといけないものまで。とはいえ、正確に見るべきは内包している魔力の量で、小さくても沢山の魔力を持った魔石もある。
魔道具に使用する場合、そのまま使っても良いし、大きすぎる場合には魔力量はそのままに小さく加工することもできる。
小さくても高魔力の魔石があるわけだから、それを人工的に作るようなものだ。詳しい加工方法はよく知らない。
「それはAランクの魔物のもの……ですか?」
ようやく現実に戻ってくることができたレシミィイヤ姫が、おそるおそるといった具合に尋ねてきた。
「推定Sランクの魔物のものです。Aランクよりは上だと思いますが、Aより上はいろいろと曖昧ですからね」
Sランクの魔物というのは、ワイバーンではない本物の竜とかそう言ったレベルの存在であり、巣窟をのぞくとまず人の住む地の近くにはいない。巣窟だって階層的に人の住むところからかなり離れていると思う。
地上にいるSランクは人に倒せるようなものではなくて、倒せるとしたら人を越えた何かということになる。S級というのは大体そんな感じらしい。魔法を使える時点で人の理解できないものを操っているわけだし。
ともかくAランクとSランクはその1つの差だけではない大きな隔たりがあるのだけれど、いまレシミィイヤ姫に見せたのは、ちょうど一般認識がAとSの間くらいの強さの魔物のやつ。
一応ランク的にはSになるんじゃないかなと思うのだけれど、詳しいところはわからないから推定Sランク。
「この魔物はどこに……?」
「巣窟の下層に沢山いますよ」
「ですが巣窟で出てくる魔物はAランクまでのはずで……」
レシミィイヤ姫が現実を受け止められない、みたいな質問をしてくる。それほどにSランクの魔物は衝撃的だったのだろうか?
いや、衝撃的なんだろうな。だって単純な強さだけの話なら、それなりの規模の魔物氾濫よりもSランクの魔物の方が上だろうし。魔物氾濫を収めることができる軍隊も、Sランクの魔物には壊滅させられるだろう。