190.不貞腐れと人形とムニェーチカの昔の話
「あの……エイルネージュちゃん、どうしたの?」
「何でもないです」
ふてくされたシエルにパルラがおそるおそる声をかける。とても申し訳ないけれど、シエルの不機嫌の原因はわたしにある。早い話が昨日ミアにだけ歌ったのがよろしくなかったらしい。確かに精霊の伴奏に合わせて歌うというのは、シエルの前でもあまりやったことがないので、わたしが悪かったというしかないだろう。
そしてシエルが不機嫌モードに入ったのは、学園のクラスの教室に入ってから。ふと何かを思い出したかのように、昨夜なにをしていたのか聞かれたので答えたところ『ずるいわ! ずるいわ! ずるいのよ!』とわたしにだけ聞こえるように叫ぶと不機嫌になってしまった。
『次はシエルにだけ聞かせますから』
『同じのではいやよ?』
『もちろんです』
『約束よ? 絶対よ?』
『わかりました。ですがもう少し時間をくださいね』
『ええ、ええ! もちろん、どれだけでも待つのよ』
こうして何とかシエルの機嫌をとったのはいいのだけれど、なんだかシエルの期待値がとても高くなってしまった気がする。
これは待たせれば待たせるだけ期待が積みあがっていく気がするから、そうなる前に約束を果たした方が良さそうだ。
「何かあれば話を聞くよ……?」
控えめにパルラが声をかけてくるのに対して、シエルは急に元気になって――シエルが動いているときのエイルネージュ準拠だけれど――「今解決したので大丈夫です」と答える。
あまり大きな変化ではないけれど、全くないわけでもないエイルネージュの表情を察することができたのか、パルラは「それならよかったよ」と笑顔を見せた。
「なにがあったのか聞かないんですね」
「聞いてもいいの?」
「今のところ答えるつもりはないです」
そんなシエルのにべもない反応に、それでもパルラは怒った様子は見せない。それに対して、シエルも今のところといえるくらいには、パルラに気を許している。だとしたら、もう少し愛想良く感じられるように話をするだけ話をしてみよう。
『シエル。少しいいですか?』
『ええ、もちろん』
『シエルさえよかったらなんですが、何かしてもらったときにお礼を言ってみませんか?』
『エインがたまにやっているわよね。やるのはかまわないけれど、全員にかしら?』
『全員でもいいですし、シエルが悪しからず思っている人だけでもいいと思います』
『考えてみるわね』
シエルの声色的に前向きに考えてくれそうだ。まあ、わたしが頼んだことはだいたい前向きに考えてくれるけれど。むしろ、ほぼ実行しようとする気がする。それはあまりよろしくないのだけれど、それだけ信頼してもらっていると考えると嬉しくもあったり。何とも複雑な心境になる。
それから時間になるまで、シエルはパルラの話を聞いていた。その中でべルティーナの話は出てこなかった。
◇
「そういえば、人形魔術ってどういった魔術に分類されるんですか?」
「エインセルの方が尋ねてくるなんて、珍しいね」
「わたしが個人的に気になったところの話ですから」
人形魔術の授業。受講生がわたしたちしかいないし、教えてくれるのはわたしたちのことをある程度知っているムニェーチカ先輩なので、気を使わなくてよくてとても楽。
わたしのことはレシミィイヤ姫も知らないので、ここ以外だと寮の部屋でしかエインセルとして過ごせないし、色を変えることができない。
それはいつものことだし、特に窮屈というわけでもないのだけれど、何となく黒髪のほうが気持ちが楽な気がする。
わたしはエインセルなのだから当たり前。そう思えるようになったということかもしれない。
「人形魔術の分類だったね」
「攻撃用の魔術なのか、サポート用の魔術なのか、そのほかの魔術なのか。どれなんでしょうか?」
「その中で選ぶとすれば、攻撃用の魔術だろうね。元々人形魔術は人を殺すために生み出されたともいわれるし」
「そうなんですか?」
個人的にはサポート用だと思っていた。子守とかはサポートと言っていいだろうし、わたしも使うことができたから。
でもそうか。わたしは攻撃魔術が使えないのではなくて、魔力を攻撃に使えないのか。人形魔術に限らず、魔術を使えないわけではない。形にもなる。ただそれが攻撃力を持たないだけだ。だとすれば――。
練習用の人形を借りて動かす。動かすこと自体は難しくないのだけれど、人っぽく動かすとなると難しい。自分の体――は存在しているか怪しいけれど――とは勝手が違う。人形を動かすのは、シエルの方が得意としている。魔力操作はわたしの方が上だけれど、シエルの方が人の動きというのを理解してるから。
それはそれとして、動かした人形で机を殴ってみる。できる範囲で勢いよく、そして容赦なく殴ってみたのだけれど、誰も使っていない幼児でも動かせそうな机はピクリともしなかった。
それを見ていたムニェーチカ先輩が、おもしろそうに人形を見ている。それからゆっくりとこちらに視線を移した。
「直前で止めたというわけではなさそうだね」
「はい。思いっきり殴りつけたつもりです」
「なるほど、なるほど……それがエインセルの魔法の代償ってことかな?」
「そうなります」
以前に約束していたので、わたしの魔法の代償を伝えることに問題はない。こちらが約束を守っていれば、ムニェーチカ先輩も守ってくれるだろうし。
「より詳しく話すと、わたしは攻撃魔術を使ってもダメージを与えることはできません。発動させることはできますが、何かに当たると霧散するように消えてしまいます」
言った後で適当に拳大の火の玉を作り出すと、ゆっくりムニェーチカ先輩に近づける。先輩は興味深そうにそれを観察すると、火をつかんだ。わたしの作った火の玉は、まるで先輩の手に食べられたかのように霧散してしまう。
「確かにそうみたいだ。火の熱は感じるのに、それでやけどをすることがない。まあ、わたしはやけどをする体ではないけれど」
「熱風とか良い感じに髪が痛まないくらいの威力になりますよ」
「そしてどうしてこうなるのか、さっぱりだね」
「代償も魔法の領域でしょうからね」
「確かにわたしも、なぜこうやって存在していられるのか、わからないよ」
人には理解できないから魔法なのだろうし。一応どうしたらそうなるのか、くらいは経験則でわかるけれど、例えば今人形で殴ったときのエネルギーがどこに消えたのか、とかは全くわからない。
むしろ魔法というのは、わからないことが普通と考えた方がいいのかもしれない。そもそも前世基準では、魔術ですらわからないことだ。
「それにしても、その代償は本当に教えてもよかったのかな?」
「構いませんよ。それで先輩が約束を守ってくれるのであれば。それにわたしが攻撃魔術を使えないからと言って、わたしたちが攻撃できないわけではありません」
「君の魔法はシエルメールがいることを前提にしているのか」
「シエルを守ることだけを考えたものです。当時攻撃魔術はあまり役に立ちそうにありませんでしたから」
懐かしきリスペルギアの屋敷時代。今思い出しても頭に血が上ってしまいそうな出来事ばかりなので、思い出したくはないけれど、確かにあそこがシエルと出会った場所であるから、忘れたくもない。
いっそシエルほどに吹っ切れたら楽なのだろうけど、いかんせんわたしの意識が大人すぎた。大人といえるほど大人なのか、今でも微妙な感じだけれど、幼いといえるほどではないのは間違いない。
「君たちの過去については触れないでおこうか。ろくな話ではなさそうだ」
「世の中にありふれた不幸の中の、希有な例程度だとは思いますが、聞かない方がいいかもしれませんね。以前聞かせようとしたら、断られましたし」
蜘蛛にまみれた話をしようとしたら、スパイダーシルクを使うのをやめてくれた。シュシーさんは元気にしているだろうか。それから、リシルさんが作ってくれたドレスを着られるのはいつのことになるのだろうか。
ドレスについては、作ってもらったもののうちシエルのパーティ用のものしか着ていないから、こんなものなのかもしれないけれど。
いっそエインセルで活動するときに着てもいいかなと思ったけれど、あの仮面にドレスはどうなんだと思わなくもないのでやらない。
それはもう、仮面舞踏会から逃げ出してきた貴族令嬢だから。
「さて君が危惧しているのは、ドールがどうなっているのかだろう?」
「そうです。先輩方と同クオリティの人形ができたとして、わたしはどうなるのかという話です」
「正直やってみないことにはわからないね。君とわたしでは違うから、成功するかもわからない」
「確認なんですが、五感はあるんですか?」
「人と比べて鈍くなっているかもしれないけれど、ないわけではないね。わたしのこの体を含め、可能な限り人に近くなるようにしている。筋肉のようなもので動くし、血のようなものも流れているよ」
ようなもの、という言葉がどうにも気になるけれど、まさしく人の形をしたものなのか。
でも人形が好きというのは、決して人が好きというわけではないだろうし、人と違うからこその人形といえそうな気もする。
「ムニェーチカ先輩は人形が好きだと言っていましたが、よくそこまで人に近づけようと思いましたね」
「わたしも昔そのことを悩んでいたんだよ。人の姿を模しているから人形。より人に近くなることこそを目指すべきではないか。だけれど、人と見分けがつかなくなったそれは、果たして人形といえるのか」
ムニェーチカ先輩が昔を懐かしむように語るので、相づちを打ちながら話を聞く。
「世界中を回りながら、その答えを探していたのだけれど、そのときにフィイヤに会ったんだよ」
「そうなんですか!?」
ちょっと意外な人の名前が出てきたので、驚いてしまう。
別にフィイ母様との出会いが変なわけではないのだけれど、出てくると思っていなかっただけに、身構えることすらできなかった。精進が足りていないと言うことだろうか。そんなわたしの反応に意味深な笑顔で返したムニェーチカ先輩が話を続ける。
「フィイヤと話すようになって、その浮き世離れした彼女に思い切って聞いてみたんだ。すると人形として作ったら、それは人形だろうと返ってきた。
その一言でわたしの中の悩みが氷解していったような気がしたよ。より人に近しいものも、そうではないものも人形であることには違いはないとね」
それから、恩義を感じてより母様と関わるようになったらしい。
人に歴史有りというか、意外なところで母様の話が聞けて面白かった。