180.精霊と歌と踊りとハンター組合
「そういえば、ルリニアさんから職業を聞いていないんですか?」
姫様と別れる直前にそういえばと尋ねてみると、姫様は少し首を傾げてから「逐一聞いているわけではないんですよ」と教えてくれた。確かに一人一人教えていたらどちらも大変だろうし、わたしたちのような気になる人しか教えていないのだろう。
そのあたりの事情はわたしはわからないので、深く気にしないことにする。
「それでは失礼しますね」
「はい。今日はいろいろと話を聞いていただき、ありがとうございました」
また話す機会はあるだろうから、とりあえずこれで終わりということにして、姫様の部屋をあとにする……といっても屋上に行くだけだけれど。
屋上にはわたしの気配を感じてなのか、毎日来ているのか、たくさんの精霊が集まっていた。幼精霊から大精霊まで大小様々な精霊がわたしを見つけると飛びかかるようにやってくる。でも触れることができないから、すり抜けてきゃっきゃしていた。
「とりあえず一曲歌っておきましょうか」
『そうね。エインの歌を聴けば精霊たちはまとまるものね』
「シエルが踊っても一緒になって踊ってくれるんじゃないでしょうか?」
『それは後でね。この子たちはエインに会いに来ているのだもの』
それはそうなのだけれど、シエルのことも気に入っていると思う。とりあえず歌の聞こえる範囲に人がいないことを確認してから歌い出す。
一曲目はゆったりとした曲。何かの映画の挿入歌。伸びやかな声を響かせる、一時期はまっていた曲。今歌ってみてもやっぱり楽しい。あのときと違って聞いてくれる人……というか、存在? が沢山いるのも楽しさの一因なのだろう。
結構自由に飛び回っていて行儀が良いとは言えないけれど、わたしの歌を聴いてくれているのはわかる。中には近くまで寄ってきて、気持ちよさそうに耳を傾けている。犬っぽいのとか、ウサギっぽいのとか、さわれれば撫でていただろうなと思うくらいに愛らしい。
中位から上位の精霊は少し離れてこちらを見ている。たぶん小さい子たちを優先させているのだろう。とくに普段近くにいるリシルさんは遠くから微笑ましそうにこちらを見ている。
一曲歌い終わってもシエルが何も言わないので、二曲目に何を歌うのかを考える。そのときにふと思いついてしまったので、最初にバンッと一番盛り上がるところを持ってくるうるさい曲を歌ってみる。
歌い始めた瞬間、精霊たちが驚いたように起きあがり、こちらを恨めしそうに見てくる。ちょっといたずらが過ぎたけれど、しばらくすれば楽しそうに聞き始めたので良かったということにしよう。
わたしの歌になれているシエルは頭の中で笑っている。昔は思い出せる歌をランダムで歌っていたので、テンションの差が激しいことも少なくなかったし、シエル的には驚くことではなかったのだろう。
激しい曲になったせいか精霊たちはわたしから離れて踊り出す。踊るというか、自由に飛び回っているというか。思う様に何かを表現している様子はとても微笑ましい。
歌い終わる頃にはわたしがやったいたずらを忘れてしまったのか、どうでも良くなったのか、周りでキャイキャイはしゃいでいた。
『いたずらを忘れられてしまったわね』
「楽しんでくれれば、別にいいんですよ」
『私にはいたずらになっていなかったけれど、エインのいたずらなら受けて見たいかもしれないわね。やってみないかしら?』
「えーっと、またの機会にしておきます。今は精霊たちと遊ぶのが優先ですから」
『それもそうね』
「そういうわけで、替わりますね」
手で精霊と戯れつつ、シエルと話をしてから入れ替わる。直後、精霊たちは手に甘えるのを止めて、様子を見る態勢に入った。わたしがずっと相手をしていてもいいのだけれど、わたしに甘えてくる以上シエルのこともきちんと認識して欲しいし、ここのところシエルもあまりちゃんと踊る機会というのがなかったので、この機会にシエルに存分に踊って欲しいと思う。
「やっぱり少し離れてしまうわね」
『びっくりしているんだと思いますよ。さっきの歌を歌いだした時みたいな反応ですし』
「わかっているのだけれど、少し寂しいと思うのよ?」
『精霊たちと仲良くなるためにも、早速踊りますか? 今日はアレを試すんですよね?』
「そうよ、そうよ! 私のことは気にしなくて良いから、思いっきりやってみて欲しいのよ!」
露骨に話を逸らした感じがするけれど、シエルが元気になったから良いとしよう。今日はシエルと話し合って、とあることを試すつもりでやってきたというのもある。とあることと言っても、それで強くなるわけでもないし、むしろ手加減的な方向になるかもしれないのだけれど、それはそれ。
『それではいきますね』
シエルに一声かけてから、「あー、あー」と確認をする。とりあえずは問題なし。そのままわたしはシエルの口を使って歌い出した。その歌に合わせてシエルが踊り始める。
かなり前、それこそまだリスペルギアに囚われていた頃、シエルが起きている状態でもシエルの腕だけを動かすことができた。だからわかっていたと言えばわかっていたのだけれど、わたしがシエルの口を使って歌いながら、そのほかすべてを使ってシエルが踊るなんてこともできるのだ。
正確に言えば、理屈上は可能だった。
それをしなかった理由は、まずやるメリットがなかったこと。シエルにだけ歌が聞こえていたから、S級に匹敵するような強さを持ちながら、実力を隠し続けることができていた部分がある。
それからこの状態で歌姫の力を使うというのは、とても難しいから。この状態で歌姫の力を使おうとすると、シエルの体を通して行うことになるのだけれど、そのとき舞姫の力が干渉してしまう。シエルが元々の体の持ち主だからか、舞姫だけ使えて歌姫が使えないみたいな状態になってしまっていた。
そしてこれが最も大きな障害になっていたのだけれど、わたしが歌っている間、呼吸がわたしに委ねられてしまう。スポーツをするときなどが顕著だと思うけど、体を動かすときには呼吸というのは大切な要素だ。だけれどこの状態だとシエルは呼吸を自由にできない。いかにシエルといえども、その状態では満足に踊ることができなかったのでやってこなかった。
でもシエルがわたしの呼吸になれてきたことと、おそらく少し神に近づいたことで呼吸が以前よりも不要になったことでできるようになってきた。それをここでお披露目している。ほかにお披露目できるところもないから。
人との関わりも増えてきて、シエルが舞姫を人前で使う機会も増えそうだからというのもある。シエルは気にしていないのだけれど、無音でシエルを踊らせるというのも気が引けるのだ。わたしとしてはシエルを少しでもよく見せたい。
シエル的には、踊っているときにいつもと違ったところからわたしの歌が聞こえるのが嬉しいから、と積極的に協力してくれた。むしろシエルの方が積極的だったと言っていいくらいだ。
もう一段階上を目指してはいるのだけれど、それは今後に期待と言ったところ。
音精霊がわたしの歌に合わせてリズムを取って音を鳴らしているので、きっとそのうちうまく行くことだろう。
とりあえず試しと言うことで、改めてゆったりした曲を歌っているのだけれど、シエルが踊っているのにわたしの声が響いているというのが不思議な感じがする。シエルと一緒に過ごせた日とはまた違う。より近いと言えば近いし、遠いと言えば遠い感覚。
いつもより踊りにくいであろうシエルはそれでも楽しそうに踊りを続けていて、それに合わせて精霊たちが踊っている。さっきよりもまとまりがある動きなのは、シエルの動きを真似しようとしているからかもしれない。
そうして一曲終わったところでシエルが「楽しかったわ! 楽しかったのよ!」と息を切らせながらも、飛び跳ねる。普段ならこれくらいで息が切れることはないので、少なからずきつかったのだろう――というかわたしの感覚でも結構きついのだけれど、なんと元気なことか。またやりたいと言いそうなので、先手は打っておきたい。シエルの踊りは見たいし、歌いたいけれど、今の状況で歌うのは結構大変なのだ。
シエルの息が切れているということはつまり、わたしの息も切れているのも同義で、その状態で歌うことはとても難しい。
『次にいく前に少し休憩しませんか?』
「残念だけれど、仕方ないわ。無理をする場面でもないものね」
『そういってもらえて助かります』
それからしばらく精霊たちと戯れつつ休憩をして、再び歌いだした。
◇
「本部からの連絡は特にないんですね」
「は、はい。ありません。それでマスターには……」
「会うつもりはないです。わたし以外にもA級ハンターいるでしょうし、わたしもずっとここで活動するつもりもありませんから」
学園が休みの今日、久しぶりにハンター組合までやってきた。E級ハンターのエイルネージュとしてではなくて、A級ハンターのエインセルとしてやってきたので初めてやってきたと言っていいかもしれない。
仮面を付けフードを目深にかぶってやってきたせいで、入った瞬間はだいぶ不審な目で見られた。フード仮面が不審すぎてだれも絡んでこなかったほどで、簡単に受付まで行くことができたし、ハンターたちのざわめきですでに何かあるとわかっていたらしい受付は、わたしが出したA級ハンターの証を見せても大声で騒ぐことはなかった。とても驚いていたような気がするけれど。
とはいえ、体の小ささは隠せないので絡まれると思っていたのだけれど。もしかしたら学園生も似たようなものだから、そこは判定基準にならないかもしれない。スムーズにいったからその辺の理由は、何でもいいと言えば何でもいいのだけれど。
エインセルで来たのは「人造ノ神ノ遣イ」関連の情報が来ていないかを確認するため。結果はとくに何もなかった。一応エインセルで来た目的は達したので、シエルにこれからどうするか尋ねてみる。
『どうしましょうか?』
『せっかくだからエインセルで活動していいんじゃないかしら? もともとたまにエインが依頼を受ける予定だったわよね』
『わかりました。それなら掲示板を見てみましょうか』
そうして受付から掲示板に移動しようと思ったら「おい、お前」と幼い強気な声が聞こえてきた。幼いと言ってもシエルと同い年くらいだけれど。その声に答える必要を感じなかったので、放っておくことにする。こちらに向けて言ったような気がするけれど、視界には入っていないし、方向だけでいえばわたし以外にもいる。
このまま諦めてくれないかなー、と思っていたのだけれど、残念ながらお気に召さなかったらしく「おい」とわたしの肩に手を伸ばしてきた。それをスッと移動して避けてやると、その手が空を切って前のめりになる――のを探知で確認だけはする。
『どうかしたのかしら?』
『学園生が絡んで来ようとしたので避けました』
『そうなのね?』
『視界には入れていないですから。でも穏便に避けるというのは、もう難しそうなので、シエルに頼むことがあるかもしれません』
『ええ、ええ! なんでも任せて欲しいのよ!』
避けられた彼はプルプルと震えているので、このまま逃してくれそうにはない。こう言うのは目を付けられた時点で逃げるのは難しいので、どうしようもないのだけれど。なにせこちらがどのような対応をしようと、こちらの見た目に向こうは引っかかっているのだろうから。
「おい! 舐めてんのか!?」
「わたしですか?」
「あ、ああ! そうだ。この仮面……のやつ」
絡んできた主――アルクレイに声を返したら急に態度が変わったというか、明らかに動揺しているのがわかった。同級生だとバレたのかと思ったけれど、声は変えているし、わたしがエイルネージュだということには気がついていないと思う。
んー、仮面野郎と言おうとして止めた感じがするから、男だと思っていたら女だから驚いたのかな?
「変な格好しているが、お前も学園の生徒なんだろ? 私のパーティに入れてやろう」
そしてなにをトチ狂ったのかそんなことを言いだしたので、感情を出さないように気を付けて「嫌です」と答えた。