177.レシミィイヤ姫とムニェーチカの人形
「急にお呼び立てして申し訳ありません」
「構いませんよ。そもそもこれはお茶会のお誘いなのですから、謝ることはないかと」
「そう……ですね」
紅茶とお菓子が並んだテーブルの向かい側に座るレシミィイヤ姫が困ったような笑みを浮かべる。わたしも別に言及する気はないので、手元にある紅茶に口を付けた。この国の姫として学園が一区切りしたところでシエルメールの様子を知りたかったのだろう。
どうしてこうなっているのかというと、明日が初めての休日というこのタイミングで、レシミィイヤ姫にお茶会に誘われたから。今日は屋上で精霊たちと戯れようかなと思っていたので、断る理由もないかなと思ったのでやってきた。
この後精霊たちと遊ぶ関係上――という名目でシエルに押し切られた――今はわたしが表に出ている。レシミィイヤ姫的にはわたしの方が立場が上という体のようなので気は楽だけれど、ほかの使用人の人たちがどうかは知らないし、難しい立ち位置だなと思わなくもない。シエルだったら、そういう細かいことを抜きにして、エイルネージュとして話すのだろうけど。
ともあれなんだか姫様が話を振りにくそうなので、適当に話題を振ることにする。手近なところでお菓子として用意されているクッキーとかいいかもしれない。結構美味しいし、さすがは王族のお茶会という感じ。前世でスーパーで売っているような物よりははるかに美味しいし――高級クッキーは食べたことないから比較できない――、こちらの世界でこれくらいのものを食べたのは中央の邸でだけだろう。
「このクッキー美味しいですね。どこのものなんですか?」
「これはお母様御用達のお店のものです。お気に召していただけたようで、安心いたしました」
「さすが王妃様に認められたお店ですね。いつか自分で買いに行きたいものです」
「良ければ紹介しましょうか?」
「行っても買えないと思いますから、いつか機会があればよろしくお願いします」
たぶん店ごと買うこともできるだろうけれど、エイルネージュとしては年に一度のご褒美とかが限界だろう。一般生徒が暮らせる最上階の部屋で生活しておいてそれが通じるかは知らないし、そもそもレシミィイヤ姫はわたしの言葉が真実でないことはわかっているだろう。
その証拠にレシミィイヤ姫はくすくすと笑ってから「そうですね。その日が来るのを楽しみにしています」と応えた。
「以前ご一緒させていただいた時のお菓子もそちらのお店で買ったのですか?」
「そうですね。いくつか贔屓にしているところはありますが、最近はそのお店が多いです」
「オスエンテの流行でしょうか?」
「どちらかと言えば、これから流行にしていきたいと思っているものですね」
「そうだったんですね。不勉強で恥ずかしい限りです。マナーもオスエンテのものとは違いますから、見苦しい点がありましたら遠慮なく仰ってください」
「この場でそこまで目くじらを立てることはありませんよ。それにエイルネージュ様の所作は見惚れてしまうほどに美しいですから」
「そう言っていただいて光栄ですが、わたしはまだまだですよ」
どう考えてもシエルのほうが所作は美しい。お世辞なのは重々承知だけれど、わたしで見惚れてしまうのであればシエルの動きを見たら魅了されるのではなかろうか? 指先ひとつにまで意識して動かされるかのような所作は、わかる人が見ればより凄いものに映るだろう。
それからお茶に手をかけたところで、シエルから声をかけられた。
『お喋りの練習かしら?』
『気付かれてしまいましたか……今後お茶会の場に呼ばれることもあるかもしれませんし、無難に乗り切れるようになりたいと思いまして』
『それは面倒くさそうね』
『わたしもそう思います』
とはいえ、すでに学内のパーティにも出たわけだし、練習しておいて損はないかなと思う。でもこうやってずっとシエルとだけ話せたらいいなと――考えるのは止めておこう。
さてそろそろ、本題に入るかなと思っていたら、姫様が気を取り直したように話しかけてくる。
「ところでエイルネージュ様、学園のほうはどうですか?」
『どうですか?』
『どうかしらね? 退屈なところもあるけれど、今のところ刺激的なことも多くて楽しい……かしら? ムニェーチカとはもっと話をしてみたいと思うもの。あとはそうね、パルラやべルティーナを見ているのは……面白い……のかしらね? なんか飽きないわ』
『それは良かったです』
わたしはシエルと一緒に学校に通っているような気がして、嬉しいような懐かしいようなそんな心地です。と言いたいところだけれど、さすがに姫様の前で黙りすぎるのであきらめる。
それにしてもシエルはあの二人のことをそんな風に思っていたのか。このまま仲良くなってほしいような、ちょっと寂しいような、なんとも言えない気持ちになる。それよりもパルラたちとの関係をうまく定義できていないことのほうが気になる。同年代の子供と一緒にいるなんてことがなかったから――ともかくこれからシエルにはそういった感情も知っていってもらいたい。そう思いながら、シエルの回答も踏まえて姫様の問いに答える。
「物足りない内容もありますが――それはわたしが好きで授業をとったせいですからね。仕方がないのかもしれません。それ以外は楽しくやっていますよ」
「それなら良かったです。授業内容については、わたくしも思うところがないわけではないですが――わたくしも自ら選んだ授業ですからね」
「むしろレシミィイヤ様は卒業までの内容はすでに終えているのではないですか?」
「さてどうでしょうか。学園は勉強のためだけに来たわけではないとだけ、お伝えしておきます。それにエイルネージュ様のほうこそすでに卒業できる程度にはハンターとしてやっているのではないのですか?」
「どうでしょうか? わたしの場合少し特殊ですから。魔術も独学の部分が大きいですし、何より武器は素人も同然です」
なんとも中身が薄い会話だなーと思うけど、こういった会話から情報を集めるのが貴族なんだろうなとも思う。こんな風になっているのも周りに人がいるからなのだけれど、さすがに何度もレシミィイヤ姫と二人きりになれるものではない。相手は一国の姫で、こちらは身分を隠している。身分を明かせば認められることでも、身分を明かしたときの面倒くささを考えるとまだこちらのほうがマシだろう。
「授業でも素振りからやっていましたね」
「レシミィイヤ様は魔術専門になるのですか?」
「護身用に剣の扱いを学んではいますが、わたくしが剣を使わなければならない状況になった時点で戦いには負けたようなものですから……」
「お姫様ですからね」
少し茶化すつもりで返すと、恨みがましいようななんとも言えない視線が返ってくる。言いたいことはわからないでもないけれど、わたしたちとレシミィイヤ姫とでは役割というか、求められているものが違うのでそんな目をしないでほしい。そもそもわたしたちは何かを求められているわけではないし、何か責任があるわけではない。
「授業と言えば姫様のパーティに見慣れない方がいましたね」
「見慣れないというと……フィトゥィレでしょうか?」
「恐らくそうですね」
「彼女は……何と言いますか……」
「話せないのであれば大丈夫ですよ」
ムニェーチカ先輩の人形の一人だということは知っているので。名前がわかっただけでも充分。何ならムニェーチカ先輩に聞くという選択肢もある。だから言えないなら別にいいのだけれど、姫様的にはわたしに便宜を図っておきたいのかもしれない。
「話せないというよりも、彼女についてはよくわかっていないことのほうが多いのです。強いて言えば護衛のようなもの……と」
「危険はないのですか?」
「危険がないことだけは確かです。陛下と学園長がそのあたりは保証してくださいましたから」
「それだと嫌だといえそうにはないですね」
わたしの言葉に姫様は苦笑で返す。嫌だといえば国王と学園長を信じられないといっているようなものだから。嫌だと思っても受け入れなければならないこともある。いかにも上下関係――貴族社会って感じがする。姫様の場合貴族関係というか、親子関係のような気もするけれど。わたしが思うのは、十分の一とはいえS級ハンターを護衛につけるほど大切にされているんだなってことくらいだけど。それをわたしが伝えるのはあまり良くないことだろうから、伝えない。
「わたくしの印象になりますが、フィトゥィレはエイルネージュ様に近い方のように思います」
「どのあたりがですか?」
なかなか鋭い発言に感心しながら尋ねる。レシミィイヤ姫は思い返すように少し首を傾けてから、口を開いた。
「実力を隠して学園に入学してきたところでしょうか? どちらも本来は学園に通う必要がなさそうなほどの実力は持ち合わせていると思いますから。フィトゥィレに関しては上級ハンター程度の実力はあるのでしょう。加えて年齢もわたくしたちよりも上……すでに大人なのではないのかなと考えています」
「大人には見えなかったですが……」
中身数百歳だけれど、見た目で判断するのはまず無理だと思う。年齢を当てるよりも、人形だと理解するほうが簡単だと思うのだけれど、ほかの人は違うのかもしれない。
「お父様と学園長が認めた護衛ですから、中途半端な実力はしていないでしょう。貴族たちの押し売りがないわけではないですが、そうであればあまりにも彼女の背後が見えてきません。王女の護衛を輩出したといった名誉が欲しいのであれば、大々的に名前を出すはずでしょう。それがないので、実力で護衛に選ばれた可能性が高く、同年代でそれほどの実力を持っている人がいれば、噂にはなっているはずです」
「だから大人だと思ったわけですね」
「そう思っていたのですが……」
そういってレシミィイヤ姫が意味深にこちらを見てくる。エイルネージュというか、シエルメールという前例が存在してしまうために、同年代でもかなりの実力を持ち、その正体が公には隠されているという可能性もないわけではないのだ。
わたしは見た目よりは存在期間が長いのでそうでもないけれど、シエルは見た目通り――というには小柄すぎるけれど――の年齢でわたしの力がなくてもB級程度の実力は持っているはずなので、わたしは何も返さない。
「ですが新しい護衛となれば、リーナエトラさんが良い顔はしなかったのではないですか?」
「そう……ですね。実際ぶしつけな視線は向けていましたし、ほかにもいろいろとありはしました。どれもフィトゥィレの対応が良かったので大事には至っていない状態です。その対応をみてもフィトゥィレは大人なのではないかと考えた点ですね」
「やっぱり山でゴブリンと出くわしたときには、フィトゥィレさんが率先していたんですか?」
「いえ、見てアドバイスをしていました。それはそれとして、エイルネージュ様のところにも現れたんですね?」
「どのパーティにも一体は出るようにしていたみたいですよ。こちらはパーティの二人の今の実力を見るのに使わせてもらいました」
セェーミエッテとして教師もやっている分、フィトゥィレさんも指導はうまいんだろうなと思っていたら、わたしたちのパーティのことへと話が切り替わっていった。





