168.人形魔術と雑談
「いよいよね!」
『人形魔術の授業ですね』
入学四日目。シエルの大本命である人形魔術の授業がやっとやってきた。
朝からシエルのテンションが高く、昨日の最後のハンター学が退屈だったのもあってシエルの期待値は一層高いらしい。
人形魔術を除いてもムニェーチカ先輩と話せるのは、良い機会だと思う。初めて会う現役のS級ハンターなので面白い話が聞けると思う。
「なんだかご機嫌ですね」
「今日は人形魔術の授業があるのよ」
「それは楽しみですね」
シエルが楽しそうなのを見て、ミアも微笑ましそうに返す。
それから何かに気が付いたように、続ける。
「そうなるとエインセル様の人形をお作りになるのでしょうか?」
「どうなるのかしらね? でも作るのではないかしら?」
「そうでしたら、ワタクシにもお嬢様方のお人形をいただけませんか?」
「良いけれど、どうしてかしら?」
「お部屋に飾りたいのです」
突然の提案にシエルが首をかしげる。わたしも首をかしげたくなる。
でもシエルの人形が欲しいかと言われれば、全力で肯定するので、気持ちはわからなくもない。でも、わたしの人形はいらない。
色違いなだけだと思われるかもしれないけれど、そんなわけはないのだ。シエルはシエルでわたしはわたし。
シエルも自分の中でミアの言葉が消化できたらしく「そのうちね」と約束をする。
「確かにいつも見るところにエインの人形を置いておきたいわね」
『別に置かなくていいと思います』
「エインと違って、私はなかなかエインの姿が見られないのよ? 人形くらいいいと思わない?」
自分の人形を飾るというのはさすがに恥ずかしいので、確固たる意志で拒否したのだけれど、シエルの言い分に対して返す言葉が思い当たらない。
表に出ていないとき、私はそれなりに自由に動けるけれど、シエルはそういうわけではないらしいから、はっきりと私の姿を見るには鏡越しになってしまう。
わたしが逆の立場なら人形くらいと思うだろうし、そもそもリスペルギアの屋敷であれほどのモチベーションは持てなかったかもしれない。
だから諦めて『わかりました。いいですよ』と返すと、まるで小さな花が咲いたかのような笑顔で「ありがとう」と返してくる。
『ですが、まずは学園に行かないといけませんね』
「もうそんな時間かしら? それじゃあミアそろそろ行ってくるわ」
「はい。行ってらっしゃいませ」
ミアに見送られて、校舎に向かった。
◇
朝から教室に向かうときに、べルティーナと会った。
結局この階に住んでいるのは、わたしたちとべルティーナとルリニアとリーナエトラとムニェーチカ先輩で5人ということでいいのだろうか?
ルリニアとリーナエトラはレシミィイヤ姫関係だろうし、ムニェーチカ先輩は学園側の人間だし、わたしたちはわたしたちなので、純粋にやっている学生はべルティーナだけになるのではないだろうか。そのべルティーナも話を聞く限り、真面目には勉強したくないらしいけれど。
そのべルティーナと会って、ぽつりぽつりと話をしながら学園に行っても教室が違うので、すぐに別れる。
別れ際に悲壮感のある顔をしていたのはきっと、同じクラスに友達がいないからだろう。強く生きてほしい。
今日もまた特に連絡もなくほぼ出席の確認だけで済んだので、人形魔術の教室に向かうことにした。
いつもは朝からは私が表に出ているけれど、今日は午前中に人形魔術があるのでシエルがメイン。午後は戦闘訓練しかないので丸一日シエルが表に出る日になる。
シエルは渋っていたけれど、こればかりは授業の関係で仕方がない。人形魔術の受講人数次第ではわたしと随時入れ替わっても大丈夫だとは思うけど。
さて人形魔術の教室は魔術棟の奥の奥。途中までは何人か見かけたけれど、手前まで来ると誰もいなくなった。話し声も聞こえなければ、足音なども聞こえない。
本当に人形魔術は不人気らしい。それだけ評価が低いということだろう。ムニェーチカ先輩の話を思い出すに、そもそも授業が開かれないということもあるようだし。
「来たね」
人形魔術の教室に入ると、高い少女の声に出迎えられた。
教室の中にはムニェーチカ先輩だけしかいない。探った感じ今日は他の人形はいないらしい。
セェーミエッテ先生くらいはいてよかったと思うのだけれど、自分が二人いる状態は面倒くさいのかもしれない。
「初めましてね。私はシエルメールよ」
「君が主人格なのかな。知っていると思うけど、ムニェーチカだよ」
シエルがどんなスタンスで行くのかと思ったけれど、シエルメールと名乗るから普通に接することにしたらしい。礼儀とかなんとかある気がするけれど、ムニェーチカ先輩が特に気にした様子を見せないので良しとしよう。
それよりもムニェーチカ先輩の発言でシエルが少し不機嫌になってしまったらしい。
「いいえ、いいえ。違うのよ。私たちはどちらが主とかはないの。この体は私のものであり、エインのものなの」
「なるほどね。得難い関係性のようだ。悪かったね」
「わかってくれたらいいわ。エインが私のところに来てくれたというのは本当だもの」
「うんうん。では、改めてよく来たね、シエルメール」
「今日からよろしく頼むわ、ムニェーチカ」
再度挨拶を交わして、シエルが有り余る席の一つに座ると、ムニェーチカ先輩がその隣に座った。
『わたしたちしか授業受けないんですかね?』
「私たちしか来ないのかしら?」
「来ないよ。人形魔術の授業を受けようなんて酔狂な生徒はそうそういないからね」
「そうかしら? 私は普通に生きてきたつもりよ?」
「それだけの能力を持ちながら、そう言えるというだけで充分酔狂だね」
シエルが首をかしげるけれど、否定はできない。この場合シエルがというよりもわたしが酔狂だといったほうが正しいかもしれない。寝ることもなく魔術の研究をし続けていたのだから。
とはいえ、わたしがいなくてもシエルの実力は同年代では並ぶ者はいないと思うので、物好きと言えば物好きだろう。
「そういうことで授業を始めようか」
「なんだか急に始めるのね?」
「他に誰も来ないからね。正直君に教えることはないだろうし、雑談でもしているほうが有意義だと思うんだよ」
「でも私は人形魔術を覚えたいのだけれど」
「人形魔術ならたぶん今日中に使えるようになるんじゃないかな」
そういってムニェーチカ先輩が膝に乗るくらいの人形を取り出す。
「これが人形魔術で使う人形なわけだけど、使い方はわかるかな?」
「んー……触ってみていいかしら?」
「ああ、教材用に作ったやつだからね。好きに触ってくれていいよ。趣味じゃないがわかりやすく作っているから」
許可をもらってシエルが人形を触り始める。すべすべしていて一瞬何かと思ったのだけれど、たぶんこれは木で出来ているらしい。入念にやすりがけした木の触感と同じ……だと思う。
いかにもな藍色のドレスを着せられていたのだけれど、シエルが躊躇うことなく脱がせてしまった。そうしないと調べようもないからなのだけど。
それにムニェーチカ先輩は何も言わないから、たぶん大丈夫。
ドレスを脱がせると下着を着ている徹底ぶりだったのだけれど、背中に魔法陣が描かれているのがわかった。
それから魔石も使われているようで、要するにこれは魔道具の一種ということに間違いはないだろう。
だとすれば、あとは魔法陣を読み解けばいいので、すぐに使い方がわかる。魔法陣が2つあるから厄介かもしれないけれど。
「なるほどね。こうすればいいわけね」
とシエルもすぐに理解をして、魔法陣を発動させる。例の魔力が通りやすくなるインクは使っていないらしく、シエルもいつもと変わらない様子で魔力を流す。
この人形の仕組みとしては、まず魔法陣――魔道具として不要な方――を発動させる。すると自動的に魔道具としての魔法陣も発動して人形から魔力の糸が伸びる。それと発動させた魔法陣が合わさって、マリオネットのように人形を動かすことができるようになる。
実際のマリオネットとは違い、繋がっている糸を引っ張って動かすわけではなくて、魔力操作で動かすことができるのだけれど、それに慣れるまでは指の動きと人形の動きが連動するらしい。右手の人差し指を曲げると、ウインクするとかそんな感じ。
でもシエルはすでにある程度魔力操作だけで動かしている。ちょっとぎこちないけれど、いつものシエルの踊りをさせているらしく、くるくると人形が回っている。
「ほらね。もう授業の半分以上が終わったよ」
「簡単すぎないかしら?」
「普通の学生は魔力の動きだけでドールを動かせるようにはならないよ。そもそもこの人形の魔法陣を発動させられないね。
優秀なものであれば魔法陣を発動させることができるくらい」
「それで授業になるのかしら?」
「本来だと魔道具としてのドールは支給して、それに魔法陣を書くところからだからね。どういう魔法陣が必要で、どういったインクを使うのがよくてみたいなことを最初に勉強するんだよ」
「インクって違うのかしら? 私たちはそのあたり詳しくないのよね」
普通のインクを使っていたどころか、何なら地面に靴で描いた魔法陣とか使っていたので、その辺はさっぱりだ。
ムニェーチカ先輩は驚いた様子もなく「そうなんだろうねー」とおっとりした先輩風に反応する。
「何も知らないところから、学園に入学して初めてその存在を知ったというところでいいかな?」
「ええ。何かの授業で魔法陣を発動させるときに、簡単すぎて逆に大変だったって、エインが言っていたわ」
「君たち――特にエインセルなら、呼吸をするように発動させるよね。たぶんその時に使われていたのは汎用のインクだったんじゃないかなと思うよ」
「ほかにもあるのよね?」
「種類と言っても、何に魔法陣を書くかによって変えるくらいの話だよ。汎用と呼ばれるものは、書くものを選ばない。正確には紙以外にも使えるけれど、紙以外だと少し効果が薄くなる。紙に使ったときの効果量を10とすれば、そのほかに使うと7くらいだね。
それ以外だとそれぞれの材質に合わせたものになる。このドールに使うなら、木に使う場合のそれ。木に使えば9くらい出せるけど、それ以外だと2も出せない」
「汎用を使っておくのが楽そうね」
「そうだね。だから普通はそこまで勉強はしない。紙以外に書くと少し魔力を流しにくくなるよ、くらいなものね。
魔道具に使うインクはまた特別なものだから、人形魔術かゴーレム魔術くらいでしか細かく教えないらしいよ」
なるほど。と納得はするけれど、正直使うかと言われると微妙。今までで不便は感じたことはないから、シエルが使ってみたいといわない限り手は出さないと思う。
「まあ、使わなさそうね」
「使わないだろうね。インクに慣れると魔力操作がおろそかになりかねないし、あくまで補助的に使うものだよ。なんて言っているのは、一部だけれど。普通はインクも杖も使う。
さて、授業の話に戻るけれど、授業の目標としては人形をある程度自在に動かせるようになることだから、あとは教えることはドールの入手方法くらいだね」
「ドールは作らないのかしら?」
「わたしは作るよ。だけど一般生徒が作れるようなものじゃないからね。まず魔道具が作れないといけないし、そこまで手を出すと時間が足りないというか、別の授業になっちゃうから」
「だから人気がないのね?」
はっきりそう言ったシエルに、ムニェーチカ先輩がハハハと笑って、頷いた。