161.居残りと昼食と内緒話
授業が終わり皆が教室を出てしまった後、教室の中にエイルと姫様と先生と、あと姫様の護衛と言っていたリーナエトラがいることに気が付いた。
学園内とはいえ、姫様が一人で行動するはずもないかと、今となっては思いつくけれど、授業中のわたしはよく思い至らなかったものだ。言い方を変えれば、リーナエトラがわたしの警戒に値する人物ではなかったということでもあるけれど、わたしの警戒もいい加減大雑把なので信頼はできない。
魔力量で大まかに決めるところがあるし、戦いの心得があるわけではないので、足運びで強者がわかるなんてこともない。もしかしたらシエルならわかるかもしれないけれど、探知についてはわたしの役割に当たると思うので、シエルを頼ろうとは思わない。
変に近づいてくる人がいたらシエルを守ればいいし、そうでなくてもシエルを守り続けていればいいのだ。
「えっと、2人に残ってもらったのは、この魔法陣を使ってほしいからなんだけど、そういえばリーナエトラさんも使って無かったよね? やってみてくれる?」
「そういうことでしたら、自分からやらせていただきます」
クローラ先生が机の上に置いた魔法陣に、リーナエトラがいち早く触れる。
魔法陣に何かがあった時のために実験台として名乗り出たのだと思うけれど、同年代でそこまでできるのはすごいなと思う。
わたしもシエルのためなら全然するけど、それでもわたし自身にできるだけ被害が及ばないことを確認したうえでやる。
安易に自分を犠牲にしても、シエルが喜ばないことくらいわたしもいい加減理解しているから。
リーナエトラが魔法陣に魔力を流し始めるけれど、どこかぎこちなく、ゆっくりとしていた。
それでも何とか魔術を発動させることができたようで、クローラ先生が拍手している。
「すごいすごい。発動させるだけでも難しいのに。リーナエトラさんが一番乗りだね」
「いえ、自分は……」
褒められたリーナエトラがなんだか気まずそうな顔をする。ある意味姫様の一番乗りを奪ってしまったようなものなので、ばつが悪いのかもしれない。
でも初級の授業に参加していない雷魔術師のアルクレイとかはすでにこの程度簡単にこなせるかもしれないわけだし、そんなに落ち込まなくていいと思う。
きっと姫様もこの程度で一番になれたとして、そんなに喜ばないだろう。
「それでは姫様」
「ええ、ありがとう。エイルネージュ様良いでしょうか?」
「良いですよ」
先にやってもらって、基準を見せてくれたほうが助かる。
わたしの返事を聞いて、レシミィイヤ姫が魔法陣に魔力を流すとこれといった淀みもなく、すんなりと魔術が発動した。強いて言えば、その時に魔法陣にばかり意識が集中していたことが、減点要因だろう。ソロハンターだと致命的。普通魔術師はソロなんてしないから、普通に合格点。
「やっぱりこれくらいはできるんだね」
「難しかったですよ」
「『発動した魔術のわり』にだよね。それじゃあ、最後にエイルネージュさんやってみてくれる?」
「わかりました」
レシミィイヤ姫と入れ替わって、魔法陣に手を添える。
それから少し魔力を流してみてわかったのだけれど、とてもとても魔力が流しやすい。
たぶん魔力が流れやすいインクを使っているのだと思う。
おかげで魔術を発動させるのはとても簡単なのだけれど、簡単すぎて手加減が難しい。
仕方がないから、手順を一つひとつ確認するように丁寧に魔法陣に魔力を伝えていく。
無駄に集中力を使って、レシミィイヤ姫と同じくらいの精度で魔方陣を発動させると、クローラ先生がぱちぱちと拍手をする。
たぶんわたしの苦労に対する拍手ではないんだろうなとは思うけど、別に話すつもりはないし、今回のことでちょっと発見もあったので良しとする。
「3人とももう次のステップに行っていいと思うんだけど、どうしたい?」
「普通に授業を受けますよ」
「わたくしもエイルネージュ様と同意見です」
「姫様がそうおっしゃるのであれば、自分はそれに従います」
「そっかぁ……。わかったけど、たぶん次から退屈になるだろうから、そのつもりでね」
クローラ先生はそう言い残すと「残ってくれてありがとう」といって教室を出ていく。
「エイルネージュ様、この後一緒に昼食などどうですか? 今の時間であれば、人は少ないと思いますから」
「そうですね……良いですよ」
どうしようかと思ったけれど、やっぱりレシミィイヤ姫から話を聞いておくのはいいことだと思ったので、お供することにした。
昼食のことを考えると、確かに今のほかの人が授業をしている間に、食べたほうが少なくて楽だろうし。
「それなら食堂に向かいましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
そうして、どことなく楽しそうなレシミィイヤ姫の後について、食堂へ向かうことになった。
◇
ふと姫様が普通に食堂に行くのはどうなんだろうと思ったけれど、本人が気にしていない様子なので気にしないことにした。
食堂に姫様はイメージとしては合わないけれど、今のレシミィイヤ姫は他の生徒と同じく制服を着ているのもあって、そこまで浮いているわけではない。
むしろ浮き具合で言えば、白くてとても長い髪を持っているエイルネージュのほうが上かもしれない。
食堂はそこまで人は多くはないけれど、まったくいないわけでもないといった具合。
席の20%は埋まっているのではないだろうか?
食堂についたレシミィイヤ姫は、やはりワクワクとした様子でメニューに目をやると、いつもの口調で「これをお願いいたします」と丁寧に注文をする。
続いてわたしがレシミィイヤ姫と同じもの――サラダとステーキみたいなのとパンとスープで値段はそこそこ――を注文した。
それから席を選んで向かい合うように座る。
「レシミィイヤ姫はもしかして、食堂での食事を楽しみにしていますか?」
「気が付かれてしまいましたか? 恥ずかしながらそうです。自分で食べるものを選ぶというところから初めての経験ですので」
「そうなんですか。イメージ通りですね」
「こんな風に暖かい料理を食べられるのも少ないんです」
毒見というやつか。何人も通すからその間に料理が冷えるらしい。わたしたちも他人事ではない。何せ中央の姫的立ち位置なのだから。
でもこれについてはある程度対策している。エストークの王都で薬を盛られそうになった時の応用で、シエルの口に入るものは安全なものだけにしている。
そもそも15歳まではシエルは毒では死なないだろうし、15歳を超えるころには体が人のそれとは違っていると思うので、毒物が効くのかがわからない。
ちらりとこちらを見るレシミィイヤ姫が少し残念そうな顔をしたけれど、見なかったことにして「大変ですね」と相槌を打っておく。
そちらのおいしそうですね、から始まる交換をシエルよりも先にするつもりはないのだ。
「えっと、エイルネージュ様のいた……」
「中央ですか? それくらいなら話して大丈夫ですよ」
「そうなんですね。では改めて、エイルネージュ様のいた中央だとどういったものが食べられていたんですか?」
「魔物のお肉とか多かったですね。巣窟がありますから」
「巣窟ですか。話には聞いたことはありますが、エイルネージュ様もいったことがあるんですか?」
「一応行ったことはありますね。浅層であれば低ランクハンターが集まっていて、結構安全なんです。とはいえ絶対安全というわけではないですが」
弱いものでも気を抜けば殺されるだろうし某悪夢のように、ランク違いの魔物が突如現れないとも限らない。それは巣窟だけの話ではないけれど。
「確かとても強い魔物が、巣窟の外から中に入ってきた、といったことがあったようですね」
「そうですね。亡くなった人も多いようで、助けられた人もどうして助かったのかよくわかっていないそうです」
「魔物がいる場所で本当に安全ということはないんですね」
「壁の内側が安全かといわれるとわかりませんけどね」
Sランクの魔物が出てきたら壁はよくて時間稼ぎでしかないだろうし、何より人という種族が安全とはいいがたい。
暗殺とかされるし、毒殺もされそうになるし、権力で脅してくるし、レシミィイヤ姫もいくつかは覚えがあるのではないだろうか?
「そういえば先ほどの授業で、魔術を使う上で大切なことについての話がありましたが、エイルネージュ様はどう考えますか?」
「魔力量も、循環も、コントロールも、全て大切だと思いますよ」
「それは道理ですね」
「特に自分で自分の命を守ろうと思うと、すべてが大切です。魔術を扱う基礎ですが極めれば自分以外の魔力を感じることもできますし、察知されずに魔術を発動させることもできます」
言葉にする前に防音の結界をわたしと姫様、リーナエトラを囲むように発動させる。もちろん隠蔽ましましなので、ムニェーチカ先輩レベルじゃないと気が付かないだろう。
現状で気が付くとしたら、結界に囲まれたことで周囲の雑音が聞こえなくなったレシミィイヤ姫とリーナエトラくらいだろうか。
「……これほどなんですね」
「姫様が内緒話をしたそうでしたので、おせっかいでしたか?」
「いえ、助かります。ですからリーナ、殺気は抑えなさい」
「……申し訳ありません」
鋭い視線でこちらを見ていたのには気づいていたけれど、特に脅威ではなさそうだったので別に構わなかったのに。殺気というよりも威嚇だろうから。とはいえ、ここでやらかすと困るのは姫様か。
頃合いが来たら正体を教えてあげていい気がするけれど、姫様もまだ見極めている時期なのだろうか? どうやら学園で初めて顔を合わせた感じのようだから、可能性としては高いと思う。
それなら変に口出しはしないほうがいいかな。
「それで何を話したかったのでしょうか?」
「確認なのですが、エイルネージュ様は仮面をした黒髪の少女はご存じですか?」
「なるほど。どういいましょうか。身内のようなものです」
本人なもので、何と答えるのがいいのかわからない。
なんともあいまいな返答だったけれど、レシミィイヤ姫が納得してくれたようなので良いことにしよう。そういえばちゃんとエイルネージュとエインセルが関係があるって、言ったことはなかったんだっけ?
「それならば話しても大丈夫でしょうか?」
「スタンピードの話ですか?」
さてスタンピードの話はどこまで伝えられていたのか。
表沙汰になっていない時点で、かなり絞られていたのか、本当に話していないのかだとは思っていたけれど、どうやら全く話していないというわけではないらしい。表沙汰にならずにこうやって王都には入れた上に、すでにシエルメールだとバレている以上、表沙汰になってもそこまで問題ない気もするけれど。
でも、わざわざ話しかけてきたということは、犯人でも見つかったのだろうか?
「まずは謝罪を」
「しなくていいですよ。すると問題でしょうし、口止めをしていた理由もわかっているのではないですか?」
「ですが……」
「それよりも続きをお願いします。あまりにもわたしたちの話し声がしないというのも不自然ですから」
もとより盗み聞きされる範囲には誰もいないと思うのだけれど、念には念を入れておきたい。
「わかりました。スタンピードを起こした組織を見つけ、これをとらえました」
「それはよかったです」
「ですが、その裏で糸を引いていた者たちにまでは辿りつけていません」
「でも候補はいるわけですね」
「エルベルト侯爵家の者と関わるときは注意してください」
「わかりました。忠告ありがとうございます」
「いえ、助けてもらったのはわたくしの方ですから」
エルベルト侯爵といえば、確か反中央派のトップみたいなところだったような記憶がある。
だとしたら、レシミィイヤ姫を狙うのはわからなくもないけれど、スタンピードという方法をとったのはどうしてだろうか?
そんな危険な方法をとらずとも、別の方法をとっても良かったのではと思わなくもない。
でもまあ、エルベルト侯爵とやらには恨まれていそうなので、警戒は怠らないようにしておこう。