157.対岸の火事とメイド先輩
何かと思って声がした方を見ると、どうやら雷魔術師のアルクレイがジウエルドに突っかかっているらしい。会場は騒然とし、ダンスをしていた人たちも動きが止まる。
それに乗じてか、シエルがダンスをやめて「楽しかったです」と相手に伝えると、メイド先輩の方へと戻っていく。
ちょうど諍いが起こっているところとは反対方向なので、場所的にも悪くはない。
何があったのかはわかりにくいけれど、問題からは遠ざかるに限る。
皆がアルクレイとジウエルドを見ている中で、シエルが何事もなかったかのように動くので、わたし視点からだとシエルの動きがとても目立つ。
でも主観的な方向から見ると、シエルの事など気にしている場合でもなく、見られていないのだから面白い。
正確にはメイド先輩だけはシエルの事を見ていたらしく、シエルが戻るなり「まずはお飲み物はいかがでしょうか?」とグラスを差し出してきた。
その表情が面白がっているような気がするのは、気のせいではないのだろうな。
「これは何でしょうか?」
「果実水です。オスエンテで採れる果物の果汁を水で薄めたものですね。動いた後ですから、味が濃いのもつらいと思いますから」
「いただきます」
シエルは受け取って飲み始める。
発言からして、メイド先輩にはオスエンテ出身でないことがバレたような気がするけれど、もとよりそこは隠していないのでいいか。
「お食事はあちらに用意しています。召し上がりますか?」
「はい、もちろんです」
果実水を飲み終わり、シエルが食事に戻る。
もちろんこの間もアルクレイやジウエルドの声が聞こえていて、ダンスも歓談も止まっている。
だからシエルの周りだけ異様な空間が出来上がっていた。
戻ったといえばパルラもメイド先輩の近くにいたのだけれど、今は場の空気に呑まれているらしく、固唾をのんで成り行きを見守っている。
ほどなくして、原因の2人と取り巻きが数人学園側に連れていかれて、パーティが再開された。
こちらに飛び火することなく終わってよかった。で、終わらせても良いのだけれど、一応聞いておこうか。
シエルが今日2皿目を食べ終わったところで、入れ替わってもらうように頼むと、先ほどとは打って変わってすぐに替わってもらえた。
「先輩、先ほどの騒動について、何か知っていますか?」
「興味なさそうだったのに、どうしたの?」
「興味はないですが、情報を持っているのと持っていないのでは違いますので。
人伝に聞けるなら、聞いておいた方がお得ですから」
メイド先輩が意外そうな顔をしてみてくるけれど、シエルは本当に興味なかっただろうし、聞く気もなかっただろうから気持ちはわかる。
果たして先輩にどう映っているのかと考えるのは少々楽しい。でもあまり不信感は与えたくはない。
何せこの先輩には何かがあるから。いや、たぶんこの先輩、人じゃないから。
エルフとか、獣人とか、ドワーフとかいう意味ではなく、まさしく人外なのだと思う。んー、それも違うか。
人は人だ。人の形をしたもの。つまり人形。
探せば似たようなのが、いくつか迷い込んでいる。とても分かりにくくしていて、シエルでは気が付かないレベル。
わたしの結界に気が付ける人が気が付けるレベルだろうか?
とはいえ、魔力量的にシエルを害せるとは思えないし、人形魔術に興味津々だったシエルに伝えると変に興味を示しそうだから黙っているのだけれど。
この辺りは「人形魔術」の授業に行ってみたらわかるかもしれない。
そしてこの予想が正しければ、何もかも話してしまっていい相手だとは思う。
「女の子をいっぱい引き連れていた平民の子が、トワイスエルの子に絡まれたってだけかな。
平民の子は目立っていたからねぇ。それにカチンときたみたい。
ところでわたしも一つ聞いていいかな?」
「答えられることであれば構いませんよ」
「名前を教えてくれないかな? 後輩ちゃん」
「エイルネージュです」
「うんうん。なるほど。それだけかな?」
「そうですよ」
「それなら、わたしはイエナと名乗っておこうかな」
これはわたしたちの存在に気が付かれたかもしれない。
つまりこのシエルの身体に、シエルとわたしが同居していることを悟られた可能性がある。
これは予想が外れたら大変だけれど、外れていないと思う。少なくとも今すぐにどうにかするとも思えないし、そもそもそこまでわかったのであればわたしたちに簡単に手を出してくることはないだろう。
今日のところはおいておいて、人形魔術の関係者にあった後に改めて考えよう。
「ではイエナ先輩。情報ありがとうございます」
「これくらいでよければ、いくらでもお話ししますよ。お嬢様」
表面上にこやかなやり取りを終えたところで、恐る恐るといった様子でパルラが「エイルネージュちゃん」と呼びかけてきた。
そういえばパルラもいたんだっけ。ティエータの方は再開したダンスの方に入り浸っているらしい。
そして踊っている人よりも、周りの服装に目がいっている。
閑話休題。
今の話を聞いていたであろうパルラが何か感じ取ったのかなと思いつつ、返事する。
「どうしました?」
「あ、あの。いろいろ食べていたみたいだけど、どれが一番おいしかった?
あたしもうあんまり食べられそうになくて、でも……」
恥ずかしそうに言うのは、食い意地が張っていることを恥ずかしがっているからだろうか?
あえて先ほどの話に踏み込んでこなかったのか、そもそも意味が分かっていないのか。
多分後者かなと予想を立てつつ、シエルに『どれがおいしかったですか?』と尋ねる。
『あの肉料理が食べた感じは面白かったけれど、美味しかったのは最後に食べたケーキかしら?』
「最後に食べたケーキがおいしかったです」
「そうなんだ、あの……」
わたしから答えを聞いたパルラが、イエナ先輩におずおずと話しかけようとする。
イエナ先輩はわかっていますよとばかりに、ケーキを取りに行ったのだけれど、彼女の正体がわかったらパルラはどんな反応をするのだろうか?
いやエイルネージュの正体もたいがいか。オスエンテの一般人にとって、中央の姫(的な存在)がどれほどすごい存在と認識されているのかはわからないけれど。
ケーキを受け取ったパルラがおいしそうに食べるのを横目に見ながら、シエルと入れ替わった。
◇
「今日は大変だったみたいですね」
「ご心配をおかけしました。ですがエイルネージュ様に何もないようでよかったです」
「例の彼が巻き込まれていたみたいですが、大丈夫だったんですか?」
パーティが終わって、今はレシミィイヤ姫のところでお茶をしている。
精霊と遊ぶついでに聞きたいことがあったから、こうやって話をしているという方が正しいかもしれない。
パーティ終わりで疲れていたかもしれないけれど、「聞きたいことがある」というと快く迎え入れてくれた。
レシミィイヤ姫的には、わたしたちに小さくても貸しを作っておきたいだろうから、受け入れられるとは思っていた。
むしろこうやって姫様に貸しを作ることで、姫様のストレスが少しでも減ったらいいなと思わなくもない。姫様がストレスで倒れると、わたしたちも困るかもしれないし。
わたしは知りたいことがわかるし、姫様は精神的な重圧が少しは減るだろうし、win‐winの関係というやつだ。
実際のところ、聞きたいことは些細なことなので、そんなに大きな貸しにもならないけれど。
とりあえずは雑談ということで、今日あったことについて話をしている。
「ええ、大丈夫です。彼にはこういったことが起こる可能性は事前に伝えていますから。
ああいった衝突もまた、彼には必要なことでしょう。基本的には傍観しますが、トワイスエルが身分を大きく振りかざしたり、彼に大きな不利益を与えるといった時にはこちらでフォローすることも伝えてあります」
「大丈夫であれば、なによりです。オスエンテが破壊されてしまうと世界が混乱しかねませんから」
「なくなる」とか「消える」ではなく、「破壊される」という言葉を使ったのは、別にオスエンテがなくなってもすぐに新たな統治が始まれば問題はないから。
シエルとわたしとしては割とどうでもいいけれど、フィイ母様的にはあまり各国の勢力が変わってしまうのはよくないだろうから、念を押しておく。
レシミィイヤ姫はまじめな顔をして「心に刻んでおきます」とうなずいた。
「そういえば、はじめて見る人がいますね。いえはじめてここで見る人がいますね」
姫様とお茶をすることは何回かあるけれど、今日はいつもとは少し風景が違う。
聞いていいのかはわからなかったけれど、とりあえず指摘しておくことにした。なにせクラスメイトがここにいるわけだから。
心配する必要はないだろうけど、姫様の口から彼女の立場を明確にしてもらっていたい。
「すでにご存じかもしれませんが、彼女はリーナエトラ・ガイエルツォンで、わたくしの側近のようなものです」
「自分はリーナエトラです。姫様の護衛兼使用人となります。以後お見知りおきを」
こちらを訝し気な目で見ていたものの、挨拶はしっかりと頭を下げる。
同年代ながら、その辺の切り替えがしっかりできる人らしい。
自己紹介の時にも見たけれど、黒に近い茶髪のストレートヘアーで、見た目は物静かな令嬢といった感じだろうか?
今はメイド服を着ているので、控えめなメイドという印象を受ける。だけれど、話を聞く感じまじめで堅物といった印象を受けた。
「彼女はここにいても大丈夫な人なんですね?」
「はい。もちろんです」
「それでは教えてほしいのですが、この学園にイエナという生徒は在籍していますか?」
「イエナ……ですか? リーナ良いかしら?」
「少々お待ちください」
姫様の言葉を聞いたリーナエトラが部屋を出て行ってしまったのだけれど、良いのだろうか?
護衛ではなかったのだろうか?
「護衛を離しても大丈夫なんですか?」
「エイルネージュ様が何もしなければ問題ありませんから。それに……」
意味深に彼女が口を噤んだのだけれど、いいたいことはわかった。
仮にリーナエトラがいたとして、護衛の役割が果たせるかわからないといったところだろう。
彼女の実力はわからないけれど、学生の中で優秀程度の実力だといてもいなくても変わらないと思う。それよりも、以前に姫様が使ったあの魔術を妨害する魔道具を使った方が確実だ。
まあエイルネージュが暴れることがないことは、姫様もわかっているというのが本音だろう。
こちらの事を信頼しているというポーズなのかもしれない。
それから姫様が仕切り直したように話し始めた。
「確認なのですが、そのイエナという生徒が何かしたわけではないのですよね?」
「そういうわけではないですが、姫様は彼女について把握をしていたわけではないんですね?」
「はい。お恥ずかしながら上級生の事となると、まだ一部しか把握できていません」
つまり同級生の事は暗記していると。
そしてあの存在が第二学園において問題視されていない。
しなくていいと思われているのか、存在を知らないのか。
どちらにしても、わたしの予想では害をなす存在ではないと思うのだ。
「イエナさんについて、わたしも正確なことはわかっていません。
もう一つ確認なのですが、この学園に高ランクのハンターが紛れ込んでいるということはありませんか?」
「高ランクのハンター……」
何か引っかかりがあるのか、姫様が考え始める。
それから、何か思い出したように、はっと顔を上げた。
「この学園の中にある依頼を受けたハンターがいる、という話を聞いたことがあります」
「ある依頼ですか?」
「依頼内容はこの学園に潜伏すること、そして学生に証拠をもって存在を認識されたら単位を与える、といった内容だったと思います」
「そういうのがあるんですね」
「つまりイエナ様がその高ランクのハンターだということでしょうか?」
「本人ではないと思いますが、関係者ではないかというのが、わたしの予想ですね」
少し話過ぎたような気がするけれど、姫様の胃の事を考えるとここまで言ってしまっていいだろう。
倒れてしまっても困るし。
それにそれなりに有用な情報は聞けた。わたしの予想を補強するものでしかないから、クリティカルなものではないけれど。
なんて話している間に、リーナエトラが戻ってきた。
それからひそひそと姫様に何かを伝える。
「最終学年にイエナという生徒がいるようですね」
「なるほど、ありがとうございます」
「いえ、力になれたようで、良かったです」
「それでは、上に行かせてもらいますね」
「はい。ごゆっくり」
さて、今日は何をして遊ぼうか。
今話で閑話等々含めて、200話になります。