153.教室と視線とお隣さん
待ちに待った……わけではないけれど、ようやく入学の日となった。
レシミィイヤ姫との対談以降は特に変わったことはなく、一度屋上を貸してもらった時も日が沈んだ後にお邪魔したのに嫌な顔を一つ見せずに歓迎してもらった。
立場的に歓迎しないわけにもいかなかったのかもしれない。歓迎といっても、軽くお茶をしたくらいだけれど。
その時にはやっぱり他愛ないことを話した。
寮での生活に不便はないかとか、オスエンテ王国の国色とか、それから勉強についてとか。
わたしを真似しているとはいえ、シエルはあまりしゃべる方ではないし、レシミィイヤ姫も探り探りっぽかったので、他に話せることもなかったのだと思う。
それでも傍目、仲良さそうに話していたのは、レシミィイヤ姫のコミュニケーション能力の高さのおかげなのだろう。
その日以外は余計なことはせずに、同じ階の人たちと交流することもなく入学を迎えた。
挨拶くらいはしておくべきだったかなと思わなくもないけれど、入学の日に歓迎パーティなるものがあるらしく、多くの場合そこで初顔合わせとなるので行かなかった。
今のわたしたちの立ち位置的に、挨拶に行くべきなのか、挨拶に来るのを待つべきなのかを考えるのが難しかったというのもある。
何か問題があったときに、強気に出られるのが後者なので今回はそちらを選んだ。無知な庶民が礼儀を知らずに、と目を付けられる可能性もあるけれど、そのあたりのフォローをレシミィイヤ姫に放り投げたともいえる。
普通に考えると、入寮準備で挨拶をしている余裕もなかった、としても良いのだけれど。
『入学式といっても、知っている入学式って感じではないんですよね』
「エインの知っている入学式とはどんなものかしら?」
そして今日も今日とて、シエルとのおしゃべりから始まる。
こういった会話から、ミアにわたしの前世を邪推されそうだけれど、そもそもミアはわたしのことをどれくらい知っているのだろうか?
前世が別世界の人間であることは、シエルを除けば"人"には伝えていなかったように思うのだけれど。
『屋根のある広い場所に集められて、じっと偉い人の話を聞くイベントです』
「それは面白いのかしら?」
『いえ、少しも。ですが節目を感じるという意味では、大切だったのかもしれません。
前世の生活は、似たようなことを日々繰り返ししているという感じがより強かったですから。わたしとしては、その存在を疑問視したことがなかったので、明確な理由は知りませんが』
「そうなのね。だけれど、こちらもあまり面白そうではないのよ?
話を聞いてパーティをするって話だもの」
『いつかは出ないといけないのかもしれませんが、パーティって面倒そうですからね』
「料理だけは楽しみだから、ずっと食べていようかしら?」
なんて色気のない話になってしまうのは、わたしのせいではないと思いたい。
だけれど、ドレスを着てのパーティといえば、女の子ならあこがれのシチュエーションだというのも想像に難くはない。
きれいなドレスを着て、おいしいものを食べて、気ままにダンスするだけでいいのであれば、楽しめそうなものだけれど、現実のパーティはそういうものではないだろうし。
政治的なあれこれはもちろんとして、たいして親しくない人とおしゃべりをするのもシエルにしてみればストレス要因だろう。
今回はパーティについて何も知らない平民たちに、その雰囲気を味わってもらうという意味合いもあるので本来のパーティよりは難易度が低くはある。
礼儀についても目に余るようなものを除いてうるさく言われないし、トラブルになりそうなところは学園側が間に入って止めてくれる。
ダンスについても踊りたい人だけで、最初に1回は踊らないといけないなんてこともない。
練習としてはやりやすい場といえるだろう。
具体的な流れとしては、午前中に一度クラス別に集まって、午後からパーティとなる。
午前と午後の間で着替えるのだけれど、ドレスを持っていない人は学園から貸し出される。
この辺りは入寮時の説明で、レンタルしたい人は事前に連絡をするようにとか決まっていたと思う。資料にも書いていたような気がするけれど、ドレスを持っているのでちゃんと覚えていない。
パーティは面倒だけれど、作ってもらって以来一度も着ていないドレスを着られるというのは、悪くない気もする。
さすがにリシルさんが作ったやつは着ないけど、シュシーさんが作ってくれたのもシエルが着るならお気に入りなのだ。
『とりあえず今は教室に向かいましょうか』
「もうそんな時間なのね。それじゃあミア。行ってくるわ」
「はい。行ってらっしゃいませ」
きれいなお辞儀をするミアに見送られて、教室に向かうことにした。
◇
入試で来て以来の校舎は、入試の時と違ってそわそわとした雰囲気ながら、活気がある。
廊下では何人もの生徒とすれ違ったし、結構な頻度でシエルを目で追っていた。
シエルはまったく気にしていないし、わたしも基本は放置して警戒はしない。見られているからと警戒すると、それだけで精神を疲弊させるから。
大体どこにいてもシエルは注目されるのだ。ハンター組合にいようが、町の中を歩いていようが、視線を向けられる。
それなのに気にし始めたら、キリがない。
教えられた教室――Aクラスに用意されたエイルネージュの席に座る。
現状は遠巻きに見られているだけだろうか? こちらを気にしている人は多いけれど、こちらに近づこうという人はいない。
さて、いま来ている人で気になるのは、同級生でわたしたちを除いて最も魔力が高い少年。職業「英雄」を持つ少年でもある。
幸い彼の周りには人がたくさんいて、そもそもこちらには気が付いてなさそうだ。
この前のこともあるし、見つかれば何か言われるかもしれないので助かった。
それからその近くの席にレシミィイヤ姫と赤髪の令嬢もいる。加えて雷の精霊を連れていたエルフの少女もいるとなれば、このクラスについては恣意的にこれだけ集められたと言わざるを得ない。
まだ来ていないようだけれど、雷魔術師の貴族の少年も同じクラスなのだろう。
集められたとはいっても、たくさんいるうちの5~6人。基本的には身分関係なくいるようだ。
エイルネージュのもとに人が来ないのも、姫様が同じクラスにいるからというのがあるかもしれない。少なくとも彼女はわたしたちより目立つだろうし。
こちらに来なくても、こちらを気にしつつ姫様のところに行っている人が数人いる。
気にしつつとはいっても、目立つグループとわたしたちの席は離れているので、シエルからはその様子はわからないとは思うけれど。
この席順もレシミィイヤ姫の配慮が垣間見える気がするが、できれば別クラスにしてほしかった。なんてわたしが考えている中、シエルは特に気にした様子もなく窓から外を眺めている。
「あっあの……」
そんな平穏が、気合を入れて話しかけてきた割にすぐに小さくなる声に遮られた。
どうやら隣の席の女の子がエイルに話しかけてきたらしい。
わざわざここまで話しかけに来る人はいなくても、もとから近くにいる人からは話しかけられるということだ。
学校と考えると、席が隣だから話しかけるなんてことは、珍しい話でもない。
話しかけてきた子は目立ちそうではないけれど、明るい茶髪で愛嬌のある容姿をしている。身長はたぶんシエルより高く、周りと比較した感じ平均的な身長体型。
人に話しかけるのが苦手なタイプらしく、無視しているというか全く気が付いていないエイルを相手に「あの、あの……」と頑張って声をかけてくる。
このまま無視し続ける形になっているのを誰かに見とがめられても面倒なので、シエルに『話しかけられていますよ』と教える。
シエルははっとしたように視線を教室内に戻すと、ようやく彼女の方を向いた。
「ごめんなさい。ぼーっとしていました」
「い、いえ……。気にしないで……くださいです」
「何か用ですか?」
「と、隣の席になったので、挨拶しようかな……させていただきたく……」
わかりやすく緊張している彼女の話し方がおかしいのは、シエルの事を貴族だと思ったからだろうか? 少なくとも名のある商人の娘とかには見えるのか。対して彼女は小さな村の出身とかなのかもしれない。
友達がおらず、思い切って手近な人に話しかけてみたら、推定貴族だったと。
『埒が明かないので、普通に話してもらうように頼んでみたら良いかもしれないですね』
『やっぱりこの人、話し方が変よね』
「普通に話してください。この学園は身分は関係ないのですから」
「は、はいぃ……ありがとう。で、でもそれなら……」
「私はこれが普通ですから」
ああ、なるほど。ここまで恐縮していたのは、わたしを真似たシエルの話し方のせいもあるのか。
だったら話し方を変えた方が、とも思わなくもないけど、そうしたらシエルは本気でしゃべらなくなりそうなのであきらめよう。
それから彼女の中で何やら葛藤があったらしく、しばらく何かを考えていたかと思うと、最初に話しかけてきたときのように、思い切ったという様子で自己紹介を始めた。
「あ、あたしはパルラ。よろしくね」
「エイルネージュです」
「エイルネージュちゃんは……貴族様なの?」
「私には家名はないですね」
「そうなんだ。でも、なんというか、綺麗だよね。
いや、あの。日に焼けてないなとか、手が荒れてないなとか」
早口でパルラが言い訳を始めるけれど、シエルはなぜ言い訳しているのかすらわかっていなさそうな顔をしている。
彼女には悪いけれど、このままシエルの会話相手になってもらおう。
「私の話はいいので、パルラの事について教えてくれませんか?」
「あたしの話? きっと面白くないよ」
「パルラも平民ですよね?」
「う、うん。あたしはベルテ村から来た平民だよ」
「ベルテ村……聞いたことはないですが、西の方にある村ですか?」
「そうなの。よくわかったね!」
エイルネージュとの会話に慣れてきたのか、話をするのは好きなのか、パルラが驚いた表情を隠さずに生き生きと答える。
何故分かったかといえば、東側を北上している時にベルテ村というのを聞いたことがなかったからなのだけれど、それを伝えるつもりはないシエルは「どんな村ですか?」と尋ねた。
「森の近くにある村で、畑とかは魔道具も使っているけど、狩りは自分たちでするみたいなところだよ。ハンター組合は小さいのがあるんだけど、外からハンターが来ることがほとんどないし、ハンターが必要になるような問題もほとんど起きないような小さい村かな」
「パルラは畑仕事をしていたんですか?」
「ううん。父ちゃんが狩人だったから、あたしもその真似とか、父ちゃんが狩ってきた動物の解体の手伝いとかしてたよ。
だから『上級狩人』って職業になっちゃって、学園に入ることになって……。
王都って本当に人が多いよね。村だと子供は全部で10人くらいしかいなかったのに、この部屋だけでも越えちゃうんだもん」
どうやらこの子は職業で入学できた口らしい。
上級というだけで希少だし、狩人であれば弓や罠の扱いに長けることだろう。
あとは気配の消し方や探索といったことにも向いていそうだ。ハンターのパーティで一人いると活動がとても楽になるタイプの職業。
もちろん狩人として村で生活することもできただろうけれど、こうやって学園に入学したということは、家族からか国からか、はたまた自分の意思でか、より大きなことを求められているのだろう。
それからパルラが自分のことをいろいろ話すので、彼女について彼女の次くらいに詳しくなった気がする。
明日には忘れていることがたくさんありそうだけれど。
話している中、シエルは適当に相槌を打ち、話を振られそうになると次の話を促していた。
これは別にパルラの話が面白かったわけではなくて、自分が話したくないから相手に話させているだけ。話を中断させずに、付き合っていたのは虫よけ的な意味合いがあるのだろう。
パルラと話している間は、他の人が無理に話しかけてくることもないと思うから。
しばらくして、自分ばかり話していることに気が付いたのか、パルラがいきなり口を閉じ、おそるおそる再び言葉を口にした。
「あ、あの……あたしばかり話して、ごめんね。退屈だったよね」
「そうですね。退屈でした」
はっきりとしたシエルのもの言いにパルラはショックを受けた様子を見せる。
しかしシエルはそれすら気にした様子もなく「ですが、助かりました」と続けた。
「助かった……?」
パルラが首を傾げたところで「皆さん、席についてください」と教室の前方から声がした。
そういえば、簡単に人に職業を教えるものではないと伝えた方がよかっただろうか?
少し考えてみたけれど、シエルが伝えてあげたい=気にかけてもいい、と思うまでは放っておこうかと思う。