142.ダンスとレシミィイヤ姫と情報収集
「おまたせいたしました。貴女がエイルネージュ様ですね」
遅れてやってきた少女――レシミィイヤ姫は入ってきただけで状況を理解したのか、わたしの所まで歩いてきて穏やかな声で話しかけてくる。
その時に少しだけ足を止めて、観察するようにわたしを見た。視線の動きから恐らく、目と髪を確認したのだと思う。
姫様から話しかけられて無視する選択はないので、自己紹介から始めることにする。
「はい。エイルネージュと申します。まさかわたしのお相手がレシミィイヤ様とは思いませんでした」
「あら、わたくしのことバレてしまいましたか」
「ええ、もちろんです。オスエンテの至宝とすら言われるレシミィイヤ様のことを存じないわけないではないですか」
中央で教えてもらうまで全く知らなかったけれど。
大体一応出身といえるであろうエストークの王族の名前も顔も知らないのに、他の国の王族など知りようもないし、興味もなかった。
それはいいとして、レシミィイヤ姫が丁寧に接してくるのが気になる。誰にでも丁寧な人なのか、それともこちらを探るために気に障らないような話し方をしているのか。
どちらにしてもそれを知ることはできないし、何を考えているのかはわからないので、適当に話を合わせることにする。願わくば腹の探り合いになりませんように。
「そうですか。ありがとうございます。
こうして談笑していたいところではありますが、今は試験が先ですね。皆様を待たせないように参りましょう」
「はい。ですが、申し訳ないことにわたしは女性パートしか踊れません」
実際はどちらも踊れるけれど、普通は男性パートを踊れるものではない……と思う。
その点は姫もわかっていたのか、クスクスと上品に笑ってからエスコートをするようにこちらに手を伸ばした。
「これはわたくしの、というよりも王族の都合ですから、わたくしがリードいたしますよ」
「わかりました。お願いいたします。レシミィイヤ様」
うなずいてからレシミィイヤ姫の手を取る。
レシミィイヤ姫は傍目には格好いい事を言っているものの、その手はシエルより少し大きい程度で指がスラっとしていて、日に焼けたことがないように白い。
いかにも女性――女の子といったもので、行動とのギャップに微笑ましさを覚える。
なんとなくシエルが不機嫌そうな気がするので、あとで機嫌を取っておこう。
わたしだってレシミィイヤ姫よりもシエルに手を引かれたかった。そして手を引きたい。
でも個人的には、男子組と踊ることにならなくてよかったとは思っている。
わたしが元男だからか、それともシエルが男性恐怖症だと思っていたからか、男性と接触するのはなんとなく嫌なのだ。
結界がそのままだし、ダンスの試験のためにドレスに着替えさせられたので手袋もしていて、接触はしないのだけれど。
んー……レシミィイヤ姫は結界と手袋に覆われた手を掴んでいるわけだけれど、違和感とか覚えられていないだろうか?
違和感があったとして、これだけはどうにかするつもりはないので、これでバレたらその時。
男性じゃなくてよかったけれど、鋭そうな姫様とペアになってしまったのはやっぱり良くないかもしれない。
姫に手を引かれて受験生達の群れの中に入ったのだけれど、なぜかぽっかりと空間が出来上がる。
なぜかも何も、自国の姫がいるからだろうけれど。
姫様も大変だなんて思って彼女の方を見れば、なぜか苦笑で応えられた。
それからほどなくして音楽が流れ始めて、皆が動き出す。
ダンスは言っていたようにレシミィイヤ姫がリードしてくれるので、特に困るようなことはない。
わたしは特別ダンスが上手というわけではないが、不合格になることはないだろう。
「どうしてわたくしがペアなのかと不思議に思っていますよね?」
「そうですね。どうしてわたしなのでしょうか?」
さてダンスとはただ魅せるためのものではなくて、貴族であれば情報収集の場でもある。
だからこんな風に話をすることはよくあるのだとか。あとは緊張をほぐすために話しかけることもあるらしい。
緊張をほぐすために話しかけてくれたのであればいいのだけれど、これはようするに腹の探り合いをしようということだろう。
わたしは別に姫様の腹を探る気はないので、一方的に探られないようにするだけだけれど。
「エイルネージュ様はわたくしの立場をどこまで理解していらっしゃるでしょうか?」
「オスエンテ国の末姫ではないのですか?」
「ええ、確かにそうです。ですがそれだけではありません。わたくしという存在が中央への友好を示しています。友好の証としてわたくしの名前には、フィイヤナミア様のお名前を少し頂いています」
「そうだったんですね」
こちらから情報を出す必要はないと思うので、驚いたフリをしてすっとぼける。
それにしても、ここからどう言った立場で動くのがいいのだろうか?
レシミィイヤ姫の目的がわからないため、というかわたしという存在に疑惑を持っているのか、持っているとしたらどの程度のものなのかがわからないので、判断に困る。
決定的な何かを持っているなら、いっそこちらについてもらえるように動いた方がいいだろうし、特に疑惑を持っていないのであれば下手なことは言わずに話を合わせればいい。
まあ、レシミィイヤ姫の認識がわかるまでは、他国の世間知らずのお忍び令嬢を演じておこう。
「その立場のおかげで、ある程度の自由を得られているのですが、婚約者もいないままに学園に入学する年齢になってしまいまして、ダンスの相手を考えなくては妙な憶測がたってしまうのです」
「なるほど、そうなのですか。確かにお話しいただいた立場であれば、オスエンテから出る選択はないでしょうし、期待している方も多いかもしれませんね」
受験の場でランダムで選ばれるとはいえ、だ。噂とはいろんな尾鰭をつけて広まっていくものだろうし。
悪意ある者がその噂を使えば、姫様を陥れることもできる。下手に権力がある分、入試のダンスとはいえ気に入った相手を選んだのではないか、とか。
だから相手を女性にするというのはわかる。だけれどそれは、エイルネージュである答えにはならない。結局、似たような理由でわたしになったと言うのだろうけれど。
「女性が相手でも似たようなものですね。下手にオスエンテ貴族の令嬢と近くなってしまえば、あらぬ憶測をたてられかねません」
「だからわたしなんですね」
「一般の方だとダンスというだけでハードルがあがってしまいますから、他に選択肢がなかったのです。エイルネージュ様にはご迷惑をおかけします」
それっぽいようで穴だらけの――それでいて、そう来るだろうなと考えていた――話をされて、どうしたものかと困ってしまう。あらぬ憶測もなにも、元から仲がよかった人と踊る分には何の問題もないと思うし、そしてその仲がいいであろう令嬢はこの場で別の人と踊っている。
なんなら兄でも連れてきたらいいと思う。王族なのだし、そういった事情であるなら考慮されるだろう。余ったわたしは先生とでも踊ればいいのだから。
だから要するに、これを聞かせてどんな反応をするのか見ているのだろう。鋭いことを言えば、疑惑ポイントがたまるだろうから、話を逸らすこととする。
「姫様はわたしを貴族のように言うんですね」
クスリと笑いながらそう伝えると、レシミィイヤ姫が目を丸くする。
それでもすぐに表情を戻して、作ったように微笑んだ。
「第一学園でも通用するであろう作法を身に着けている方であれば、他に考えられませんから。
才能はあってもそれを伸ばせるところとなると、限られてくるものです」
「なるほど、では隠しても駄目みたいですね。つまりこの国の貴族ではなく、それなりにダンスができるわたしが姫様のお相手に選ばれたんですね」
「はい。表向きは」
このまま表面的な話だけしていてもらえないかなと思ったのだけれど、さすがにそうは問屋が卸さない。
王族としてはどこぞのお忍び貴族が何のために入学を希望しているのかは、知っておきたいだろうし、何もないということがあり得ない話だったのだけれど。
普通はお忍びで来る必要はなく、お忍びで来るにしてもオスエンテ貴族や王族に話を通しておいた方がいいだろう。
でも腹の探り合いではなく、直接話してくれる気になったらしいので、少しだけ気分は楽だ。先ほどの裏を読まない発言で、軽んじてくれたのかな? そうだと嬉しいのだけど。
「表向きは、とはどういうことでしょうか?」
「単刀直入にお聞きします。エイルネージュ様は何者なのでしょうか?」
「家名もないしがない家の義娘ですよ」
言い方は悪いけれど、言っていることは嘘ではない。
フィイ母様には家名はないし、あくまでも数ある家の中の1つでしかないというのが母様の感覚だ。身分といったものは、"人"が勝手に決めたものだから、王族も貴族も平民も同格だとみているだけで。
「何故学園に入学しようと思ったのでしょうか? エイルネージュ様ほどの方なら、学園以上の教育を受けられたと思うのですが」
「それは買いかぶりすぎですよ。たまたま礼儀作法を学ぶ機会があっただけです。
それに学園だからこそ学べることもありますから。そして学園といえばオスエンテというのは有名な話ですからね。楽しみにしていたんです」
「……そういっていただけるのは、オスエンテの姫として嬉しく思います」
真面目な顔をして考え出してしまった姫様の頭の中は、果たしてどうなっているのだろうか。
いっそそのまま思考がショートしてくれたらいいのだけれど、姫様は気を取り直したようにこちらを見た。
「ではエイルネージュ様は、黒髪でドラゴンの仮面を被った方をご存じでしょうか?」
「どなたでしょうか?」
「いえ、心当たりがないのであれば構いません」
仮面の少女のことを言及された事には驚いたけれど、どうやらわたしと同一人物ということには気が付いていないらしい。
でも関連付けられているようなのはいただけない。少なくともエイルとエインにつながりがあることに関しては、ボロを出していないはずなのに。
ともあれ現状を整理してみると、レシミィイヤ姫はエイルが仮面の少女と何か関係がある可能性を見出していて、フィイ母様の義娘である可能性も考えている。そう思っていた方が良さそうだ。
後者に関しては決定的なことは言っていないけれど、出会い頭で目と髪を確認されていたので、疑われていると思った方が良い。
先ほど真面目な顔をしたのも、フィイヤナミアの義娘と特徴が同じながらも、言動がそれに見合わないわたしに困惑していたというのがあるだろうし。そのままエイルネージュ=シエルメール説を否定してくれていないだろうか。
どうしてエイルとエインを結び付けられたのかは気になるけれど、思えば可能性は思いつく。
そういえば仮面をして姫様にあったときに、あの赤髪の令嬢が何やら姫様に耳打ちしていたような気がするし。
『エインのことがどうして気づかれたのか、何か思いつくかしら?』
『レシミィイヤ姫に最初に会った時に隣にいた赤髪の令嬢がいましたよね』
『いたわね。確か同じ部屋で試験を受けていたかしら』
『そうですね。おそらく彼女が鑑定系の職業を持っているのだと思います。もしくはわたしが何か気づかないうちに失敗していたからですね』
『だとしたら、鑑定系の職業だったのね。エインが失敗しているはずはないもの』
『そういっていただけるのは嬉しいですが、失敗していないとは言い切れませんよ?』
シエルからの信頼は嬉しいけれど、何があってもシエルは守るつもりだけれど、わたしが間違うということは認識していてほしい。ボロは出していない自信はあるけれど、絶対ということはあり得ないわけだから。
わたしの言葉にシエルはクスクスと笑って『わかっているのよ』と応えた。
『だけれど、エインが失敗している可能性まで考え始めたら、きりがないのよ。何より今までエインは私を守ることには手を抜いたことも、気を抜いたこともないわよね。
それに鑑定系の職業を持っている可能性を考えていて損はないのではないかしら?』
『確かにそうですが、鑑定に対して今以上にできることもないんですよね』
シエルの言っていることはもっともだし、確かにシエルを守ることに関して気を抜いたことはないけれど、それを言及されるのはなんだかくすぐったくてついつい早口で話を進める。
『むしろ鑑定に関して、エイン以上に対策している人も少ないと思うのよね。だとしたら、仕方ないと割り切るしかないのではないかしら?』
『まあ……それは……』
『できないこと、どうしようもなかったことまで、自分のせいにしてしまうのはエインの悪いところなのよ?
そんなエインももちろん愛おしいけれど、心配になってしまうわ』
シエルに諭されて『ありがとうございます』と何故だかお礼を言ってしまった。
なんと返せばいいのかわからず、だけれど心配してくれていることに対して何かを言いたかったのだと思う。
そんなわたしに対して『エインは可愛いわね』なんていうシエルはずるいと思う。
とはいえ、確かに鑑定に対してできる対策としては、妨害する以上のことは難しい。なにせ鑑定系の職業の人たちがどのように鑑定結果を認識しているのかは、本人たちしか――ともすれば本人たちですら――理解していないから。
偽の情報を流すのは、まずどうやったらいいのか皆目見当もつかない。
それに妨害ですらやっている人・できる人はそうはいないらしい。
妨害できていなければ、今の段階で同一人物が確定されていた可能性もあるし、シエルとわたしが入れ替われることにも気づかれたかもしれない。
だから現状は最悪ではなく、やれることはやったと言っても良いのだろうか? 良い事にしておこう。
レシミィイヤ姫が何か考えているようだったので、シエルと嬉し恥ずかしの会話をしていたら、姫様が再起動していたらしくわたしに話しかけてきた。





