141.問題の解決とダンスの試験
あまり大事になりすぎて入試が中断とか、学園が始まらないとか、そういう事態になると面倒くさい。だから原因の少年以外が死なないようにはフォローするとして、事の成り行きを見守る。
飛び出していったのは、さっきまで試合をしていたはずの高魔力の少年。試合の時以上の動きで――それこそわたしと戦った試験官の最後の一撃に迫るほどの動きで――雷魔術師の少年の方へと向かう。
気絶させるのか、魔力の制御をどうにかするのかは知らないが、魔術師を電気が覆っていて近づくだけでも焼かれてしまうだろう。
どうするのかと思っていたら、そんなことお構いなしとばかりに魔術師に接近した。
少年の体には痛々しい焼け跡が生まれ、その表情は苦悶にゆがむ。
それでも足を止めることはなく、魔力をどうにかしようと精一杯だった魔術師に何かを言ったかと思うと、その腹を殴った。
殴られた魔術師は悔しそうに歯をかみしめていたが、程なくその意識を失ったのか殴った少年にもたれる。
これで魔法陣への魔力の供給は止まる。しかしながら、中途半端に発動している魔術を止めるには至らない。
仮にも制御していた者がいなくなり、指向性を失い、暴発しようとしている。
幸いなのは制御者不在でエネルギーがいくらかロストしたことだろう。
けが人は出したとしても、死人は出さないように思う。というか、その辺はすでに動き出した試験官が死人は出さないように、頑張ってくれることだろう。
他の人は呆けたように渦中の二人を見つめている。
少年が安心したように息を吐いているところを見ると、先ほどの試合だけではなく、普段から詰めが甘いのかもしれない。
そして周りの状況が気になったのか、少年がキョロキョロし始めたところで「離れて、伏せなさい」と凛とした女の子の声が響いた。
声に驚いたのか、なにも考えていないのか、少年が言われるままに魔術師を横たえて、離れて伏せる。
またそれに習って、周囲の受験生達も身を縮めた。
直後、魔術師から――正確にはそのグローブから、放射状に青白い光が放たれる。
先ほど少年を焼いた以上のエネルギーを内包した稲妻は四方八方へとに散らばり、しかし誰かに届く前に上空へと軌道を変える。
その先には一人の精霊。リシルさんほどは大きくはないけれど、黄色の髪の元気な女の子の姿をしていて、まるで遊ぶかのように稲妻を操っている。
精霊が自主的に人の問題に関わってくるとは思えないし、見かけたエルフだろうなと視線を少年に戻すと、案の定そのエルフの少女が少年に近づいていた。
彼女は少年を引っ張り起こすと、不機嫌そうに何かを言って、少年からの返答に顔を朱に染めたかと思うと少年に背を向けて離れた。
『なんだか、わからないうちに解決したわね』
『そうですね。彼らのせいで妙に事件が大きくなったように思いますが』
『ハンター達が魔道具か何か準備していたものね。それがどの程度安全だったかはわからないけれど、何とかなったのではないかしら?』
『わたしもそう思います』
人によっては一世一代の大勝負になるであろうこの場において、普段以上の力を出そうと空回る人は少なくないと思う。
魔術師の少年のように、自分の魔術の制御を失う人もいたことだろう。
だからその対処法が確立していても驚かない。
その答えを知っているのはこの場では試験官達だけれど、尋ねるようなことはしない。というか、尋ねるようにシエルに伝えない。
今の状況で冷静にそんなことを尋ねれば、明らかに場違いだから。
だから驚いて声も出せないフリをしてもらって、シエルとのおしゃべりを楽しむ。
『そういえば、エインはさっきの精霊がやっていたことはできるかしら?』
『無理ですね』
『そうかしら? エインの力を借りたとはいえ、トゥルを相手に私でもできたのよ?』
そういえばそんな離れ業やっていた。
だけれど普通の魔術ではあれはできないはずだけれど……と考えたところで思い出す。
魔術師の少年は魔力を制御できなくなっていた。それはつまり魔力が誰の者ともいえない状態に近かったのかもしれない。
それなら、舞姫と歌姫を合わせると制御を奪えそうだ。
実際にやってみないとわからないけれど、わたし単独でも真似しようと思えばできなくもないかもしれない。
いつも使っている結界の制御を回せば自信はある。でもシエルを守る結界を解く気は毛頭ない。一片たりとも存在しない。
『やってみないとわかりませんが、やれる機会はなさそうです』
『それもそうね。それにそんなことをしなくても、エインならどうにかできそうだもの』
『結界の中に魔術師の少年を閉じこめるとかならできましたね。それでどんな挙動になるのか、わたしもわかりませんが』
行き場を失った魔術が魔術師自身を襲ったかもしれないし、それがわたしの攻撃判定になって結界に当たった時点で魔術が霧散したかもしれない。
『そろそろ試合が再開されますね』
一連の事態で止まっていた入学試験が再開される。
唯一大けがを負った魔術師を殴った少年だけれど、惜しみなくポーションを使われた結果、痕も残らず癒えていた。
そんな中、シエルが『早く終わらないかしら』とぼやいていた。
◇
入試も最後になり、あとはマナーの試験だけとなった。
この試験を受けるのは、シエルではなくてわたし。なぜならシエルだとでき過ぎてしまうから。
昔はシエルに簡単なマナーを教えていた気がするのだけれど、いつの間にか抜かれてしまっていた。
いや、わたしは別にマナーをちゃんと学んだ訳ではないし、前世基準のそれだったのでこの世界基準になれば当然か。
普段から指先一つにまで意識して体を動かしているシエルに、わたしごときが勝てる道理はない。
今のシエルなら、周りが王族ばかりの舞踏会に放り込まれても、悪目立ちすることなく帰ってくるだろう。なんなら全員の視線を奪うことができるに違いない。
わたしも全くダメということはなく、上位の貴族に届かないくらいのマナーは身につけている。平民基準だと十分すぎるくらい。
フィイ母様曰く、その程度のマナーがあれば十分だし、何なら王家が相手でもそこまでのマナーはなくて大丈夫らしい。
ただ、この"大丈夫"は王家であろうとお隣さん感覚でしかなく、何か文句を言われたところで"力で黙らせるから大丈夫"的な意味合いが含まれているので、鵜呑みにしてはいけない。
フィイ母様がマナーのない行動をとったところで、それを咎められる人はいないだろうから、たちが悪い。
さすがにそこまで傍若無人にふるまうのは最終手段だ。
ところでこのマナー試験だけれど、これが原因で落とされるということは稀だという。
現状でどこまでできるかを調べて、一定以上に達していない人が強制的に履修することになる。この基準が、貴族とやり取りをするうえで問題がない程度で、わたしでも十分に基準には達している。
またマナーには最低限にも達していない人用の初級のほかに、中級と上級の授業が用意されていて、中級が下位貴族程度、上級が上位貴族程度の礼儀作法を学ぶことができる。
上級を合格すれば、上位貴族の使用人への道も開けるので、人気の授業の1つという話だ。
わたしは中級と上級の間くらいの礼儀作法が身についているという感じだろうか?
シエルは話さなければ上級も余裕程度。
だから試験自体はそんなに難しくはない。やることも時間がないためか、簡易的な食事のマナーとダンスだけ。
食事だと何を話すかとか、誰から座るかとか、見るところはあるけれど、知識でどうにかなる部分は筆記試験で終わらせて、実際の動きを見られる。
不安があるとすれば、ダンスの試験だろうか? ここでいうダンスは、いつもシエルが踊っているようなものではなくて、男女がペアになって踊るアレ。シエルにやらせれば、周りの視線を独占することができるだろうが、ダンス相手にかなり制限がかかる。
具体的には邸の人よりも遠い間柄になると、不機嫌になる。わたしがダンスの練習をしていると『いつか私とも踊ってほしいわ!』とラブコールがかかる。
いつかシエルとダンスするのはやぶさかではないが、レベルが違い過ぎるので気後れするところもある。
実際に自分でもダンスをするようになって気が付く、シエルのレベルの高さは尋常ではなかった。
そのダンスを試験ではどうするのかといえば、希望した男女をランダムで組ませて――ダンスについては希望制で希望しなければ、ダンスの授業を履修することになる――一気に終わらせる。下手な人と当たってそのフォローをするのもまた実力ということらしい。
あとは単純に時間短縮の意味合いがあるのだと思う。一組ずつやっていては日が暮れるだろう。
不安なのはこのあたりの不確定要素があるから。もっと言えば、雷魔術師君や高魔力少年と組む可能性があるのは、とてもとても面倒くさい。
高魔力少年に至っては、希望制なのになぜダンスの試験にいるのだろうか? 明らかに平民っぽいのでダンスはやった事がないと思うのだけど。
うだうだ考えていても試験は進む。先ほどの闘技場とはまた違う、大きなホールの端に集められた。それから名前を呼ばれてペアを組んで、名前を呼ばれてペアを組んで……と待機場所から、ホール中央に進み出ていく。
ホールの中は豪奢なシャンデリアと真っ赤なカーペットが印象的で、イメージで話すと今待機場所に使っている場所に本来ならテーブルが並べられて、その上にごちそうがあるのだと思う。
正面には横に長い登り階段があって、数組がダンスできるスペースといかにも王族用ですよと言わんばかりの大きな椅子が用意されていた。
学内でダンスパーティをやるとか、時には――例えば卒業式とか――国王が自ら足を運ぶとか、あるのかもしれない。
仮に国王がやってくることがあったとして、わたしは一生徒として一方的に見るだけの立場でありたい。そうなるようにいろいろ考えてきたわけだけれど。
周りの受験生が着々と減っていく中、そんなことを考えていたら、なぜかわたしだけになっていた。
さすがに名前を聞きそびれたということはないと思う。
『私たちだけになってしまったわね。どうするのかしら?』
『ひしひしと嫌な予感がしますね』
受験中にもかかわらずいじめか……ということはあるまい。
受験者がたまたま奇数になってしまったから、一人だけ学園側の人とダンスをするということもあるかもしれないけれど、それにしてもエイルネージュが残されたのはなんだか作為的なものを感じる。というのは、さすがに被害妄想が過ぎるだろうか?
「エイルネージュ」
「はい」
先ほどまでサクサクと名前を読み上げていた試験官がわたし達の名前を呼んだので、返事をする。
「人数の関係上、君にはある人と踊ってもらうことになる。緊張はするだろうが、その点も考慮して採点はするので安心してほしい」
「わかりました」
安心できる要素は何一つなく、どうしてその相手が今ここにいないのかがとても気になるけれど、殊勝に返事をしておく。
ここで何か言ったところで変わるものではないだろうし、ゴネたり裏を探ったりするだけ損だろうから。というか、なんとなく今の話で予想はついている。
わざわざ緊張すると言及する相手で、今ここにいない=特別扱いをされている相手と考えると、思い浮かぶのは一人しかいない。
どうせあの人だろうなと思っていたら、ホールの出入り口が開き、金髪碧眼の少女が姿を見せた。