138.エイルネージュと筆記試験
夜が明けて試験当日。
ミアが用意した朝食を食べているシエルに何気なしに話しかける。
『そういえば、レシミィイヤ姫は少なくとも表向きは約束を守ってくれたみたいですね』
「騒ぎになっている感じはしないものね。だけれど、表向きってどういうことかしら?」
『まったく誰にも言っていないということはないと思うんですよ。あそこにいたのはレシミィイヤ姫だけではありませんでしたしね。
わたし――黒髪の歌姫のことを知っているであろう人には、話して何かしら裏で動いているんじゃないかなと、ふんわり思ってます』
「ふんわりなのね」
『ふんわりですね』
「エインがふんわりっていうと、なんだか可愛いわね」
『……そんなことないですよ』
確かにふんわりという言葉だけ抜き出せば、可愛い感じがするのはわかる。だけれど、ふんわりという言葉は普通に使うと思うのだ。
何なら男時代にも使っていた。
だから気にすることはないと思うのだけれど、昔からだけれどシエルに可愛いといわれると普通以上には意識してしまう。
なんだかんだで、シエルに可愛いといわれること自体は多くてなれたと思っていたのだけれど、不意打ちみたいなときとか、言い方が大人っぽくなったとか、照れてしまうのだ。
なんだか微笑んでいるシエルが、気持ちを切り替えたように声のトーンを一段落とした。
「裏で動いているというのは、この国がエインを探しているということかしら?」
『個人的にはその可能性は低いと思います』
「私もそう思うわ。だけれど、どうして?」
『わたしと敵対したくないといっていましたからね。ギルドが王子のやらかしに抗議したときに、オスエンテ王はことを構えたくないと言わんばかりの返答をしてきましたし、話が国王にまで届けば下手に干渉しようとはしないと思います。
仮に探し出すことがあったとしても、接触することはなく秘密裏に様子を伺うくらいでしょうか』
「姫ということは、国王に直接報告する可能性も高い……かしら?」
わたしもそう思うので肯定はするけれど、実際問題どうなのかはわからない。王族の家族関係なんて、わたしはわからないし、シエルもわからない。何ならフィイ母様も知らないだろう。
『裏で動いているのは、魔物氾濫を引き起こした張本人を探し出すことでしょうね』
「だとしたら、関係ないわね」
『関係ないですね』
その氾濫の張本人に逆恨みされているかもしれないけれど、その相手は"エイルネージュ"ではなくて"エインセル"だろう。今後エイルネージュで過ごすわけなので、無関係だといっていい。
正直、いろいろ疑い始めたら少なくともこの国にいる反中央派が全員範囲に入るし、きりがない。
しかもそういった裏はなく、杞憂で終わりましたって可能性もある。
何よりこんなことで悩んでいたら、何のためのエインセルなのかわからない。
エインセルで行動する機会を減らしておけばいい。
『余裕があるうちに受験しに行きましょうか』
「そうね。遅れたら受けられないんだったものね?」
『そうですよ。受けられたとしても、変に目立つでしょうし、避けたいところですね』
「それじゃあ、行こうかしら。ミア、行ってくるわね」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
きれいなお辞儀のミアに見送られて宿を後にする。
第二学園が受験日だからか、学園までの道が昨日よりも人が多かった。
子供の付き添いのような大人とその子供。大人を呼び込む飲食店。
子供だけで受験に来ている人も少なくなく、シエルは――エイルネージュはこちらになる。
学園の門に到着すると名前と受験者であることの証明書――これはギルドで受け取った――を確認して学園の中へ。
校舎の中は高校のころにあったフローリングではなく、大学の校舎で使われていたリノリウムっぽい床に白い壁。上履きと外履きを分けないところからも、大学っぽいと感じてしまう。
天井についている明かりが、簡素なシャンデリアっぽいのでお城っぽさもあるかもしれない。
廊下があって片側が窓、反対側が教室になっている。
指示に従って教室の一つに入ると、木製の机と椅子が並べられていた。
指定された番号の席に座って、シエルが所在なさそうにする。
『なんというか、異様な雰囲気ね』
『受験ですからね。皆緊張しているんだと思いますよ』
『こちらを気にする様子もなさそうだから構わないのだけれど、やることもないわ』
『そのあたりは慣れてもらうしかないですね』
『邸での勉強みたいね』
『このための練習みたいなところありましたからね』
邸で勉強するようになってから気が付いたのだけれど、シエルは勉強机を前にして椅子に長時間座っていたことがない。
それでじっとしていられないということはないのだけれど、どうにも体を動かしたくなるらしい。
舞姫だから……というよりも、わたしが昔からシエルを躍らせてきた弊害だろう。
最悪わたしと代わればいいらしいので、それほど問題にはなっていない。
教室なのだけれど大体30人くらいが入れる広さで、正面には黒板のようなものがある。
要するに深緑の板がある。しかしながら、チョークのようなものはない。
『時間がくるまで退屈ね。どうしていたらいいのかしら?』
『歌っていましょうか?』
『それは魅力的ね。だけれど踊りたくなりそうだから、遠慮しておこうかしら。
本当に魅力的なのだけれど』
『それなら本でも読んでいますか?』
『そうしようかしら。エインは大丈夫?』
『わたしは周りを観察しておきますから、大丈夫ですよ』
シエルと違ってわたしは姿を見られない。シエルから離れるつもりはないけれど、教室内くらいであれば自由に動ける。
シエルが本を取り出して読みだしたところで、周りで追い込みをかけている人たちの様子を眺めることにした。
服装から何から察するに身分関係なく詰め込まれているものの、今のところ衝突する様子はない。
ここで問題を起こすと不合格となる可能性もあるし、今の所静かにしているのだろう。
明らかに庶民な受験生を鼻で笑わんばかりに見ている上流階級の子みたいなのもいるし。
まあ、わたし達には関係はない。いや必死になってくれている子については、関係はあるか。
周りの学力をなんとなくでもはかることができる。
受からないというのはもってのほかだけれど、点が高すぎるというのも困りもの。
可もなく不可もなく……ではなく、上の下くらいの成績を取っておきたい。
そんなこと杞憂で、実力で成績が悪ければそれはいいけれど、首席はもってのほか。首席になるなら落ちた方がマシというレベル。
今回は姫様がいるから、首席になることはないか。
そのレシミィイヤ姫は果たしてどこの教室にいるのだろうか?
末姫とはいえ一国の王族。同じ教室になった人、ましてや隣の席になった人は受験どころではないかもしれない。
シエルは一瞥もしないと思うけれど。
それともさすがに、レシミィイヤ姫は別の教室なのだろうか?
なんて思っていたら、みたことがある人が入ってきた。
アンバーの瞳に赤い髪。レシミィイヤ姫と一緒にいた子で間違いない。
彼女が入ってきたときに貴族と思しき人たちが驚いたように見ていたので、やっぱり高位の貴族なのだろう。事前の情報を教えてもらっていたレシミィイヤ姫はともかく、なぜ彼女が第二学園に入学しようとしているのかはわからない。
わからないので気にしないことにした。
彼女はざっと教室を見回して、何かに引っかかったのか大きく瞬きをしたかと思うと、首を振って席に座る。
ほどなく時間が来て、受験が始まった。
◇
第二学園の入学試験は大きく分けると筆記と実技と潜在能力に分けられる。
潜在能力を簡潔に言えば、職業と魔力。
実は入試においては、すべての科目を受験する必要はない。また受験した科目すべてで基準を満たす成績をとる必要もない。
仮に純粋な学力と実技だけで合否を決めれば、貴族等幼いうちから教育を受けさせることができるところが上位を独占するだろう。
そして庶民でありながら、稀有で有能な職業を持つものを見逃す可能性がある。
だから極論「剣王」の職業とかを持っているだけで、合格の可能性もある。逆に全体的にそこそこの点数をとれても、不合格ということもあり得るらしい。
という話もあるが、一応最低ラインは決められていて、読み書きができることが求められる。
また受験の成績で受講できる授業が決まる。
例えば「剣王」という職業のみで入学を認められた場合、騎士やハンターになる人向けの授業しか受けられない。魔術の素養がない人が、魔術について時間を取って学んでも仕方がないという感じだろうか。
一定量以上の魔力があるということで合格した人は、魔術関係の授業しか取れないことになる。
ただしハンターに関する授業だけは、誰にでも門戸が開かれているのだとか。
そもそもハンター自体がなるだけならだれでもできるような仕事ではあるし、この国の性質上ハンターの数は多い方が良いからということもあるだろう。
それから礼儀作法の授業もある。これについては、受験においてすべての人が受けさせられて、成績が悪ければ入学後強制的に取らされる。
第二学園はより優秀な人材を集める場であるということは、庶民であっても将来上流階級の人と接する可能性が高い。何ならお城で働くかもしれない。
ハンターであっても、より良い依頼を受けようと思ったら貴族と接することもある。
わたし達はそういう依頼は選んでこなかったからほとんどないけれど、例えば騎士団と行動を共にすることもあるだろう。
騎士の中でもある程度の地位がある者ならば、大体が貴族の出になるので、礼儀作法ができていた方が問題が起きにくい。
ともあれ、そんな感じだから成績は上の方が良い。だけれど、上すぎて目立ちたくもない。その結果が上の下を目標にしている。
さて実際の筆記試験は、シエルが解いているのをわたしも個人的に心の中で解く。
正直不正し放題だけれど、それをやってしまうとシエルの教育に良くないので、代表してシエルに受けてもらっている。
わたしも授業は受けるので、今の実力を見るうえで解くことにしたわけだ。
シエルとわたしとでは、シエルの方が成績がいい。同じ体を使っているのに不思議だけれど、使い方がシエルの方がうまいとか、前世の記憶が邪魔をしてどうのとか、いまのわたしがシエルほど勉強に興味を持てていないとかそういうことだろう。
魔術の勉強は好きだけれど、独学で行くところまで行ってしまったせいか、改めて基礎から学び直すのは面倒くささもあったのだ。
経済や政治関係は簡単なところだけ着手して、一通りシエルが試験を解き終えたところでわたしの仕事が始まる。
といっても、カンニングして極端に回答率が低い問題をわざと間違えるだけだけれど。
少なくとも、エイルネージュだけが解けた問題はない方が良い。これはシエルの教育に悪くないのかという話もあるけれど、それはそれこれはこれ。
ハンターをやる中で社会の裏側にも首を突っ込んだことがあるシエルなら、大丈夫だと信じたい。
少しばかりシエルから離れて周りの回答を見てみると、なかなか面白い。
上流階級の受験生は全体的に回答率が高く、庶民が低い。赤髪の令嬢に至っては、満点を取るんじゃないかと思えるほど。
彼女を越えることはないだろうと安心はするけれど、彼女が悩んでいた魔法陣に関する問題をシエルが瞬く間に解いていたので、ひっかけっぽいところで間違えるように修正しておいた。この修正が筆記試験で一番面倒くさかった。
それからやはりというか、庶民の中にも秀才・天才はいるらしく、赤髪の令嬢に匹敵しそうなほど回答を埋めている男子もいた。その答えが正解かどうかはわたしには判断できないけれど、シエル――わたしと同じ回答ばかりだったのでたぶん合っている……と思う。
ほかにもハンター関連の問題で妙に点を取れていそうな人とか何とかいるなーとしている間にシエルが暇になったらしく、話し相手をすることにした。
話しながら見直しをしたところで、終了の合図がかかった。