136.魔物氾濫と謎の人物 ※前半別視点
わたくしはレシミィイヤ・オスエンテ。三大国の一つオスエンテの末姫で、この名前は中央のフィイヤナミア様を意識している。
王であるお父様としては、フィイヤナミア様への尊敬や親密さを示しているらしいのだけれど、どれほどの意味があるのかはわからない。
そんな名前を持つわたくしを気に食わない勢力も国内にはあり、わたくしは度々命を狙われた。
生まれてからの12年で、実際に身の危険を感じたことも何度かある。
だから王都への帰り道で盗賊に襲われても、「またなのね」くらいにしか思わなかった。
懸念があれば、一緒の馬車にルリニア・ハウンゼン公爵令嬢が乗っていること。学園入学前に外の世界を見て来いという名目で、王家との繋がりがあり、わたくしと同年代のルリニア――ルーニャがいるハウンゼン家に匿ってもらっていた――匿うというか、腹違いの兄であり第四王子のヴィリバルト・オスエンテがやらかして、騒がしかった王城から離れていたという方が正しいかもしれない。
わたくしと同じく第二学園へと入学すべく――その入学試験のために王都へと向かっている途中でわたくしたちを乗せた馬車は賊に襲われた。
王都が近いとはいっても、それ自体はないわけではない。こういった時のために護衛を連れているし、わたくしを守る騎士たちは盗賊に後れは取らない。
荒事に慣れていないルーニャが怖がっているのを安心させながら、護衛の勝利を信じて疑わなかった。実際護衛達は盗賊をほぼ完全に鎮圧させることができていた。
余裕をもって鎮圧し、どこか慢心していたのかもしれない。
その甘い香りにわたくしたちは誰も気が付かなかった。
森の奥から漂ってくる、ほのかに甘い香り。だけれどこの距離でこれだけ匂ってくるのだとすると、大元はむせ返るような甘ったるい香りがしていることだろう。
「ルーニャ。貴女だけでも逃げるのよ」
「ミィイ様、どうしたんですの? 賊はすでに鎮圧していますわ」
「ルーニャはこの甘い匂いを感じないかしら?」
一から説明している精神的な余裕はないのだけれど、状況を理解していないルーニャを逃がしても、うまく逃げられるかわからない。
焦る心を何とか落ち着けてルーニャに尋ねると、活発そうな――お転婆そうな彼女がキョトンと首をかしげる。
それから一つに結んだ真っ赤な髪とは対照的に顔を真っ青にする。それでも怯えたような表情はすぐにまじめな顔に覆い隠されて、アンバーの瞳でまっすぐにわたくしの方を見る。
「魔物氾濫が来るのですね?」
「ええ、だからルーニャだけでも逃げてちょうだい」
「いいえ、姫様を置いて逃げ出すなどできませんわ」
ルーニャの握りしめた拳はカタカタと震え、勇ましい台詞が虚勢だということがわかる。
その姿がいじらしく、嬉しく、そして苛立たしい。
魔物氾濫の規模はわからないけれど、その数は百を超えるのは想像に難くない。この間、エストークで起こったとされる魔物氾濫はA級の魔物も現れるほどの大規模なもので、王都はまだ復興していないという。
復興が遅れている理由は、規模の大きさだけではないという話だけれど。
あちらは自然に起こったもので、こちらは人為的なもの。規模は圧倒的にこちらが小さいだろうし、仮に魔物氾濫がオスエンテ王都に向かったとしても大した被害は出ないだろう。
だけれど王都の機能のいくつかはマヒするだろうし、民も不安を覚えるに違いない。
全員で逃げると魔物の群れまで引き連れてしまう上、王都に入るより前に追いつかれる可能性がある。そうなればわたくしたちの無事は保証できない。
だからこそ、ルーニャだけでも逃げてこのことを王都に伝えてほしかったのだけれど……。
そのようなことを言えば、わたくしが逃げるようにとルーニャは言うだろう。
ルーニャは公爵家で、わたくしは王家だから。だけれど、王位継承権が低く第二学園に入学することでほぼ王位を放棄するわたくしよりも、特殊な職業を持つルーニャの方がオスエンテのためになる。
それにわたくしは多少魔術の心得があるけれど、ルーニャは戦いの場を見たことすらないだろう。
結局どうすることもできずに、魔物の群れが現れた。
森から出てきた魔物たちは、まるで蜘蛛の子を散らすように広がる。
幸か不幸か足が速い魔物も、ランクの高い魔物も見当たらない。ゴブリンやオーク、それからそれらの上位種。数体のC級に率いられた群れ。問題は数だけ。
護衛の中にはハンターでいえばB級にあたる者もいるけれど、多勢に無勢。わたくしたちを守りながら、この数を相手にするのは難しいだろう。
万事休す。わたくしの命運もここまでかと諦めかけた時、魔物の群れとわたくしたちの馬車の間に小さい影が割り込んできた。
わたくしたちよりも年下だろうか? 同年齢だとしたらとても小柄な人影。
長いローブを着ていて、真っ黒い髪の毛がローブの中に潜り込んでいる。
その髪もフードを被ることで隠れてしまった。
こうなると彼の者の情報は小さな人型の存在ということしかわからない。
それから歌が聞こえた。不思議な旋律、聞いたこともない言葉、だけれどどうしようもなくわたくしはその歌声に惹きつけられてしまった。
その美しい歌声に彼女が女性だと気が付いたのですら、歌が終わったとき。
なぜこのように切羽詰まった状況で夢中で歌を聞いてしまったのか、苦々しく思っていたのだけれど、この短い間に状況が少しだけ変わっていた。
わたくしたちに向かっていた魔物たちが標的を彼女に変えている。
わたくしたちの存在など忘れてしまったかのように、一心不乱に彼女に向って走っている。
逃げだすには絶好の機会かもしれないけれど、逃げることで彼女に向いた魔物たちの注意がこちらに向いてしまう可能性もある。
逃げるか、彼女を助けるために護衛を遣わせるか、彼女が魔物を減らしてくれることを願って守りを固めて減った魔物を倒すか。
どれを選ぶにしても彼女の情報が足りなさすぎる。
そうしている間に彼女が動き出した。
まるで舞でも舞っているかのように、くるくると回りながら手足を伸ばす。
単純な動きながら上級貴族……どこかの王族かと思えるほどに洗練されていて、やはりわたくしの目を惹きつける。わたくしだけではなく、ダンスの心得がある者であれば、その動きの美しさに目を奪われることだろう。
新春に地面から萌出る双葉のように、真夏に青々と茂る力強い木々のように、柔らかくも荒々しい動きに何かを感じいずにはいられない。
だけれど事態はそれだけにとどまらない。
彼女が真上に手を伸ばせば周囲の地面を突き破るように茨が現れる。
その茨は生きているかのように、彼女に操られるかのようにうねうねと動き、近づいてくる魔物を薙いだ。
そこからは一方的だった。
薙ぎ払われた魔物は二度と動くことはなく、茨はその数を増やしていく。
まるで後ろに目でもあるかのように、死角から近づく魔物も的確につぶす。
全てが終わるのに、そう時間はかからなかった。
魔物たちが地面に倒れ伏し、茨はその姿を消し、彼女だけが立っている。
なんとも異様な光景。
その光景もまた一瞬にして塗り替えられる。
地面を埋め尽くさんばかりだった魔物たちが、飲み込まれるように、溶けていくように、地面に消えてしまった。
何事もなかったかのような状態の中で、小柄な彼女がこちらを向いた。
フードに隠されていたその顔は、ドラゴンの羽の意匠が入った仮面をつけていた。
◆
ミアに隠れていてもらって、わたしの状態で乱入して、歌を歌って注意を惹きつけて、あとはシエルに何とかしてもらった。
茨を使ったのは、例のドレスを着ずに残念そうにしていたリシルさんへの配慮なのだと思う。
魔物氾濫を壊滅させた後、魔物の死体をどうしたものかとリシルさんにどうにかできないかと尋ねてみると、張り切った様子ですべてを地面に埋めてしまった。
やはり上位精霊は恐ろしい。
『巣窟の方が思いっきり踊れていいわね』
『トゥルとかいますからね』
『ええ、またトゥルと遊びたいわ!』
『そうですね。ですが今は観客がいますので、替わってもらっていいですか?』
『そうだったわね』
すっかり忘れていたといわんばかりなのは、嫌みでもなんでもなく本当に忘れていたのだろう。
嫌みの一つでも言いたいと思っているわたしとは大違いだ。
いったい誰がこんなことをしたのだろうか。7割くらいはそこの馬車にいる人たちは被害者なのだと思っている。2割くらいは自分のしでかしたことにも対処できない愚か者で、1割は魔物氾濫を嬉々として迎え撃ちたいタイプの戦闘狂。
仮面もつけているし、ローブで体型すらわかりづらいだろうから、気にせずに近づく。
せっかくなのでフードは外して、黒髪であることを印象付けておこう。
馬車に近づくと、馬車の護衛っぽい人たちが剣をこちらに向けて睨んできた。
全部で8人。うち男女1人ずつの2人が一歩前に出てこちらを牽制して、残り6人で馬車を守るように囲んでいる。
なんだかハンターの護衛っぽくない。もっとびしっとしていて、統率が取れている。それこそ軍のように。
なんだか嫌な予感が増してきた。
もしかしなくても、護衛の半数が女性であることも何かしら意味があるのかもしれない。
「貴様は何者だ?」
前に出ている女性の方が剣をこちらに向けたまま尋ねる。
本当は中にいるであろう、この人たちの主人に用事があったのだけれど、別にこの人でもいいか。
声で正体がばれそうな感じもするけれど、仮にもわたしは歌姫だ。別人のような声色にすることくらい簡単にできる。
初めていろいろな声で話してみたとき、シエルは「まぁエインだものね」と納得していた。『驚かないんですね』と興味本位に尋ねてみると「何年エインの歌を聞いてきたと思っているのかしら」とクスクス笑われてしまった。
その表情が――というのは置いておいて、まず声でばれることはない。
シエルやわたし、そしてエイルネージュに結びつかない声で言いたいことだけ言って消えようかと思っていたら、馬車の中から2人の女の子が出てきた。
シエルよりも身長が高いけれど、たぶんシエルと同い年か少し下。金髪碧眼で昔のシエルのような配色の薄幸そうな子と、真っ赤な髪を一つに結んだ気の強そうな子。
昔シエル配色の子は絵姿で見た覚えがある。気のせいであってほしいなと思うわたしを嘲笑うかのように、護衛の一人が慌てた声を出す。
「姫様お戻りください」
「構わないわ。彼女が何かするつもりなら、わたくしたちは助からない。そうよね?」
「それは……」
「いいえ、貴方達は悪くないわ。その時は……強いて言えば運が悪かった。それに彼女が何かするとは思えないのよね」
「だ、そうよ。ですがミィイ様、この方は……」
赤髪がオスエンテの末姫――レシミィイヤ姫に耳打ちをする。
レシミィイヤ姫については、オスエンテの主だった王侯貴族ということで教えてもらっていたのだ。
ほかは上位貴族の当主と嫡子程度だけれど、王族だけは第四王子のこともあって全員見せられていたので覚えている。
で、レシミィイヤ姫だけれど、名前がフィイ母様っぽいという話をしたら、実際フィイ母様の名前をもらっているのだと返ってきた。
中央への友好の証とかそういった意図があるのではないか、といっていたけれど、当の母様はたいして興味がなさそうだったので、オスエンテがやらかしたら躊躇いなく対処するだろう。
現状やらかしているようなものだけれど。そうじゃないと、わたし達に国を相手に喧嘩していいなんて言わないだろうし。
ともかくこの国の王族に思うところもあるから関わりたくなかったのだけれど、向こうから出てきてくれたのであれば、言いたいことを言って消えよう。
次の準備ためにフードを被って、レシミィイヤ姫の方を向く。
「ここでは何もなかった」
「そういうことにしろと言うことですね」
「問題は?」
「ないとは言いませんが、貴女とこれ以上敵対することは避けたいと思います」
一国の姫が正体不明の相手に敬意を払うのは意外だったけれど、こちらの意図は伝わったようなので『お願いしますね』と一言伝えてシエルと入れ替わる。
それから砂埃を起こして視界を奪った状態で空を駆けてミアのところに戻る。
「おかえりなさいませ」
「これで大丈夫ね。もう少し休憩してから、出発するわ」
「それならお茶を入れますね」
魔物氾濫が起こった森の近く、魔法袋から机といすを取り出して、シエルとミアはティータイムを始めた。
レシミィイヤ姫達が本当に黙っていてくれるかどうかだけれど、彼女の最後の言葉がわたしの勘違いではないのであれば、少なくとも大ごとになることはないだろう。
何せレシミィイヤ姫はすでにわたし達――わたしと敵対していた可能性に気が付いているのだから。
第三部に入った瞬間、主人公ではない視点が入る小説があるらしい。