閑話 シエルと口調 ※サウェルナ視点
長らくお待たせいたしました。おそらく幕間の最後です。
お嬢様方がオスエンテに出発する日が目前に迫ってきた。
中央にシエルメール様がやってきて、季節が2度は変わった。
中央での生活の中で、シエルメール様は結構な頻度で年相応な表情を見せてくれるようになり、邸の使用人達の心をますます惹きつけている。
フィイヤナミア様はお優しく魅力的な方ではあるけれど、使用人としてはお世話することが少なく物足りなさがあるのだ。
だからこそ、シエルメール様とエインセル様の服のデザインを考えるなど、仕事が増えた使用人達は大いに喜んでいた。
本当はわたしが考えたかったのだけれど、お嬢様方の専属であるわたし達が何でも仕事を取ってしまうと不満が出るという事であきらめた。
それにデザインに関しては、わたし達よりも優秀な人がいるのも事実。
下手に手を出してお嬢様方に恥をかかせるなんてもってのほかだ。
できあがった衣装のお披露目は表向きフィイヤナミア様と専属の使用人と数人という少数で行われたけれど、実はこっそり覗く事が出来るようになっていたので、多くの使用人が目にしている。
こっそりと言っても、お嬢様方の許可は得ていたので問題はない。
お嬢様方――特にシエルメール様は、ご自分達に被害が及ばない限り見られることに対して嫌がることはない。
邸の中で言えばエインセル様とのやりとりの邪魔さえしなければ、凝視していても気にしないほどだ――それほどに人に対して関心が無かったのだともいえるのだけれど。
だから尋ねれば二つ返事で許可してくれたし、エインセル様もシエルメール様が良いのであればと許可をもらえた。
モーサとしてはもっとエインセル様の意見を出してほしいらしい。しかし邸にきた当初よりは、エインセル様もご自身のことを考えるようになっていると思う。
服装の好みも意見するようになられたし、時折気の抜けたような姿も見せてくれるようになった。
いつ壊れるかもわからないほどに張りつめていたエインセル様であるので、それだけでも十分な変化だと思う。
だけれど、服装の好みが地味系なのはもったいない。
フリルやレースの服がよく似合うのに、好んでは着ようとしない。
黒髪に黒目のエインセル様は確かに落ち着いた服装が似合うのだけれど、可愛らしい姿もしてほしいと思うのだ。
衣装のお披露目では、様々な服装のお二人を見ることが出来て使用人全員が眼福だった。その中でも最後に着たドレスは格が違った。
いまだに話の種となるほどで、上位の精霊がお二人のために作ったドレスは恐ろしくお嬢様方に似合っていた。
それだけではなく、戦闘装束としても十分なもので、少なくともわたしではあのドレスに傷を付ける事も出来ないだろう事が一目でわかるほど。
多少魔術の心得があれば、下手な金属製の鎧よりも守りが堅いのがわかるだろう。
それでもエインセル様の結界があるからと、機能性の方を重視しているらしいので末恐ろしい。
果たして末恐ろしいのは堅牢なドレスを作ることが出来る精霊なのか、精霊が本気で作る装備以上の守りを展開できるエインセル様なのかはわからないけれど。
学園に行く準備として、お二人に勉強を教えることもあるけれど、魔術に関しては言うに及ばず。勉学に関してもかなり高いレベルで教えることはあまりなかった。
これならば、学園に行って困ることもないだろうし、安心だ。
安心も何も、不遇姫でありながらご自身の力だけでエストークから中央にやってきた実力を思えば、心配するだけ無駄なのかもしれない。
だけれど、心配には思う。
だからこそ、一緒にオスエンテにいくミアが羨ましい。
使用人として、お嬢様が帰ってくる邸を守ることは誉れだ。
この邸が帰るべき場所だとお二人に思ってもらえるようにやってきたつもりだし、少しくらいはそう思ってもらえているのではないかという自負はある。
それ以上にお嬢様方の近くにいられることが、魅力的に思うのだ。
いつものようにシエルメール様に侍りながら、そんなことを考えていたら不意に「ルナ、いいかしら?」と声をかけられた。
使用人として、主人からの問いかけに即座に答えられないのは恥ずべきこと。
聞き慣れた主人の声で問いかけられたのに、わたしは答えることが出来なかった。
だってシエルメール様が、エインセル様やフィイヤナミア様を呼びかけるときのような親しさで話しかけてくれたのだから。
聞き間違いや幻聴だと思ったし、事実だと認識した後も胸がいっぱいになってしまったのだから。
「ルナ?」
「は、はい。シエルメール様何でしょうか?」
二度目の呼びかけで何とか答えたわたしの喜びや困惑、混乱を察してくれたのか、やや間があってシエルメール様の髪の色が黒に変わった。
「驚かせてしまったみたいですね」
「申し訳ございません」
「いいんですよ。わたしも初めてフィイ母様にシエルが親しげに話しかけている様子を見たときには、心穏やかでは居られなかったですからね」
茶目っ気たっぷりに話すエインセル様からは、わたしを気遣う心がよく伝わってくる。
ただ「心穏やかでいられない」という言葉の裏には、今のわたしよりも激しい感情が渦巻いていたことだろう。
「なぜシエルメール様の口調が変わったのでしょうか?」
それだけ身近に感じていただけるようになった、と言うことであればうれしいけれど、時期的にそれだけではないだろうなと問いかける。
「普段のシエルの口調だと、集団生活……というか、貴族を相手にするとトラブルがありそうだなと思いまして」
「……否定は出来ませんね。身分を隠して行かれるのでしたらなおさらでしょう」
「一応貴族相当であることはほのめかして行くつもりではありますが、高位の貴族や万が一にも王族が居ると一悶着ありそうですからね」
「だからわたし達で話し方を練習するわけですね」
「お願いしますね」
それだけ言うと、エインセル様とシエルメール様が入れ替わる。
元々お二人は完全に身分を隠して、一平民として行くつもりだったらしい。
だけれど、平民と侮られていらぬトラブルに巻き込まれるかもしれないので、貴族令嬢がお忍びで入学すると言う演技をする事になった。
相手も貴族の子息であれば、明らかに他国の貴族的な存在を侮ることはないだろうから。
完全に平民としていく場合とどちらが良いのかはわからないと言うのが結論だけれど、最終的に中央の義娘であることを盾とするならこちらのほうが都合が良い。
本来フィイヤナミア様は誰にかしずくこともなければ、かしずかれることもない存在ではあるのだけれど、そういった細かいことはおいておく。
「そういうわけだから、話につきあってほしいのよ」
「もちろん、喜んでおつきあいいたします。ですが、わたしでよろしいのですか?」
「ええ。他を探すと、カロルとかになるもの。わざわざ出向くほどでもないものね」
事も無げに言うけれど、邸の使用人ですら未だ完全には心許していないということだ。しかしわたし達だけには、多少心を許してもらっていると思うと、複雑な心境になる。
うれしい。とてもうれしい。ということは、心にしまっておく。だってわたしはこの邸の使用人なのだから。
「わかりました。ところで学園ではどのような話し方をするつもりなのですか?」
「正直、どうでも良いのよね。違うわね、出来れば誰とも話したくはないのよ。面倒だもの」
ぷくっとシエルメール様が不機嫌そうに頬を膨らませる様が、可愛らしい。
思わずゆるみそうになる頬を引き締めて、シエルメール様の為になる回答を考える。
人間関係を学ぶうえで、話さないと言う選択はあまりよくない。何よりフィイヤナミア様とエインセル様が是としないだろう。
だけれど、シエルメール様のストレスになってしまっては元も子もない。
「だけれど、そういうわけにはいかないと、エインからもフィイからも言われているのよね。
いえ、エインからはちょっと違ったかしら?
ともかく、折り合いをつけるためにも、ルナと話してみることにしたのよ」
「つまり、シエルメール様方としては、今までとは違う余所行き用の話し方を模索している最中なのですね?」
そう問いかけると、また間があってシエルメール様がうなずいた。
おそらくエインセル様と話をしていたのだろう。それは問題ないのだけれど、何かわかりにくい言葉を使ってしまっただろうか?
シエルメール様はとても優秀な方ではあるのだけれど、その出自というか、生活のせいか、こちらが想像していない事で考え込む事がある。
本人がそのあたりをあまり重視していないにも関わらず、ここまで話せるのは十分に凄いことではあるけれど。
とりあえず今は、お嬢様方の悩みを解決できないかを考えなくては。
「おそらくですが、無理に今から話し方を考えても慣れることは難しいのではないでしょうか?」
「それはそうよね。なんというか、やる気が出ないもの」
「ですから、誰かの真似をするのがいいと思うのですが……」
「エインの真似しかできないわ」
シエルメール様の答えにそうだろうなと納得する。
エインセル様ほどシエルメール様と一緒にいる方はいない。
問題はエインセル様の口調が丁寧というか、柔らかというか、親しみを覚えやすいものであることだろうか。
多くの人に話しかけられやすいというのは多くの利点もあるけれど、シエルメール様の望む状況にはならないに違いない。
「エインセル様の話し方はお優しいですが、おそらくシエルメール様が求めるものとは違いますよね」
「そうかしら? なかなかいい案だと思ったのだけれど」
「そうですか?」
「不機嫌な時のエインの真似をすればいいのよね?」
「不機嫌な時ですか?」
シエルメール様の言ったことを繰り返すだけになっているけれど、エインセル様が不機嫌というのがあまりイメージできない。
しかしエインセル様も人である以上不機嫌になるだろうし、シエルメール様であればマネできるほど見たこともあるのかもしれない。
「まあ、やってみるわ」
「そうですね。何について話しましょうか?」
「……そうですね。なんでも良いですよ」
急にシエルメール様の声が冷たくなる。
確かにこれなら、問題はないだろう。エインセル様の丁寧さは出ているし、話し方でとがめられることはないと思う。
問題は声と裏腹に、シエルメール様がニコニコしていること。たぶんエインセル様の真似をするのが楽しいのだろう。
「エインセル様はそのように話されることもあるんですね」
「表には出さないけれど、エインは頭の中ではこんなことも話すのよ?」
「表には出さないんですね」
「エストークでは、エインは私の真似をしていたもの」
「なるほど」
やや楽しそうに話すシエルメール様を見るに、シエルメール様自身にエインセル様がそういった感情を向けたことはないのだろう。
それこそ考えられないことだ。
同時にエインセル様がシエルメール様の真似をしていた理由を考えると、エインセル様の真似をするのはどうなのだろうかと思わなくもない。
しかしこれはあくまで、お二人であってお二人でない"エイルネージュ"様の話し方なのだからと考え直した。
「そういえば、ハンターのランクはどうするのか決まりましたか?」
「E級にしておくことにしたわ。本当はDやCにしておこうかとも思ったのだけれど、目立ってしまいそうだものね」
「目立たないというのであれば、Eが限界でしょうね。15歳でC級がいまだに最速の昇格として印象づいているでしょうから」
実際にはお嬢様方が12歳でA級になったわけだけれど、例外だとみられている。
通常であれば、とても才能がある人が15歳でD級だろうか。
12歳だとE級でも十分高いのだけれど、いないわけではなく、学園に行くような人であれば珍しくはないだろう。
「C級ってそんなにいないのかしらね?」
「学園に行けば、ある分野に関してはC級ハンター並ということはあるみたいですよ」
「そうなのね。考えてみたら、私の場合大体エインのおかげだったわ。
自分でできることも増えたけれど、安全面に関してはエイン任せだもの。夜の森でもどこでも寝られるのよ」
「さすがはエインセル様ですね」
「そうなのよ! エインはすごいのよ!」
楽しそうにエインセル様の話をし始めたシエルメール様に対して、エインセル様の真似をするのはどうなったんだろうかと思ったけれど、こんなにも積極的に話してくださる主人が可愛らしくてわたしは相槌を打つことに終始することとした。