閑話 シエルと偽名と新衣装
何とか書けたので更新します。
年末年始は更新がどうなるかわかりません。あらかじめご了承ください。
中央を白く染め上げた雪が溶け始め、少しずつ暖かくなってきた。
それに伴い街も活気を取り戻し、広場にも屋台がちらほら現れるようになった。
そうはいっても、朝晩はまだまだ寒い。
以前とは違い結界での断熱はほどほどにしているので、朝の寒さが突き刺さる。
こういったところであまり過保護にすると、シエルの身体に悪いので心を鬼にして寒さを感じてもらっているのだけれど、シエルが朝のお布団の心地よさの虜になってしまった。
余談だけれど、今までは体調を崩した場合の安全が保障できなかったので、あらゆる外的要因を排除していた。
ここ数年結界を維持し続けてきたので、永遠に結界を使い続けようかなという考えもあったり。なんというか、本当にシエルの前から消えようとしていたのかと思われそうだ。
でも当時はそのあたりを結び付けて考えられていなかった。我ながら追い詰められていたらしい。
シエルが朝のお布団の虜になった話だけれど、それはそれで悪くない。
何せシエルが寝ぼけている時間が長いから。起きる時間は変わらず、布団の中でもぞもぞしている時間が長くなったのだ。
その間は意識がぼんやりしているらしく、シエルにしては珍しくへにょっとした笑顔で「えいん~」と呼んで来るのは控えめに言ってもものすごく可愛い。
控えめに言わないと即死攻撃に匹敵しかねない。
こたつを作り出すことができれば、シエルはそれを殻にしてつむってしまうのではないだろうか?
仮にシエルがこたつで寝てしまったら、わたしが歩いてベッドに行けばいいから風邪はひかないだろう。
学園に行ったらこたつを作ることを一つの目標にしてみても面白いかもしれない。
魔道具という意味での最終目標は、ちゃんとした時間停止の魔法袋を作ることだけれど、そう簡単にはできないだろうから小目標の一つということで。
こたつからどうやって魔法袋に持っていくのかは、未来のわたしが考えてくれると思う。
こういったことを考えるようになる程度には、中央を出るのが近い。
入学試験まで2~3か月はあるとはいえ、移動も考えると1か月前までには中央は出ておきたい。
入学までのスケジュールとしては2~3か月後に入学試験があり、そこから大体1週間ほどで結果が出て、間もなく入学となる。
前世の大学で考えると余裕がない日程かなと思ったけれど、高校入試だと似たような感じだったような気がする。
シエルの中央出発が近くなるにつれて、準備も少しずつ進んでいる。
シュシーさんに頼んでいた衣装も今日取りに行くし、それに合わせてリシルさんの方のドレスのお披露目も邸で行う。
念のための食料やハンター活動で使いそうなもの、学園で必要になるものは魔法袋に放り込んでいる。
入学試験対策の勉強もやっているし、念のために礼儀作法も触れている――主にわたしが。
あとやっておくべきことは、衣装を取りに行くことを除くと2つだろうか。
1つはシエルの問題として……。
『どうしますかね……』
「エインどうしたのかしら?」
思わずつぶやいた言葉を首を傾げたシエルに拾われる。
果たして今の状況のそれがつぶやいたといっていいのかはわからない。
そんな戯言は置いておいて、わたし一人で考えていても仕方がないので相談してみることにしよう。
『偽名をどうするのかというのを、そろそろ決めないといけないなと思いまして』
「そんな話もあったわね」
『このまま後回しにし続けると、出発直前まで引っ張りそうなんですよね』
夏休みの宿題のように……とは言わない。
いってもいいけれど、たぶんシエルが食いついてきて夏休みについて説明することになる。
そうして話がそれて、また偽名のことを忘れてしまいそうだ。
なんて益体のないことを考えていたら「エイン?」とシエルに尋ねられてしまった。
何でもないとごまかして、話を再開する。
『シエルは何かいい偽名思いつきませんか?』
「そうね……あまり思いつかないわね。偽名は私達二人ともが使うのよね?」
『そうなりますね』
学園ではシエルだけではなくて、わたしが表に出る時間を増やす予定なのだ。
だからこそ、偽名はシエルもわたしも示すことになる。偽名だからそもそもどちらとも違うわけだけれど。
適当につけるのもありかもしれない。とはいえ仮だとしてもシエルが使うのだから、ちゃんとしたものを考えたい。
『例えば、ルーメとかどうですか?』
「他には何かないかしら?」
『エルとか』
「駄目ね」
『やっぱりですか』
「だって私の名前ばかりだもの。それならイセルとかセルンとかでも良いのよ?」
『それは嫌ですね』
なんとなく女の子の名前の響きとは違う気がするし、しばらくそれで呼ばれるだろうからシエル要素もちゃんと盛り込んでおきたい。
だからシエルの頼みでも却下する。シエルも同じ感じだろう。
ならいっそのこと、実名とは全く別のものにするという手もあるけれど、そうなると今度は呼ばれて自分が反応できないかもしれない。
無難なのは二人の名前をくっつけることだけれど、いかんせん「エインセル」を縮めて使うと使いにくい。さっきシエルが出してくれた通り、女の子っぽくなくなってしまう。
必死に考えていると、何かを思いついたようにぴんとシエルの背筋が伸びた。
「それならエインと私の名前をくっつけて、エイルとかどうかしら?」
『あー、それはいいかもしれませんね。でもシエル要素が薄い気がするので、ネージュをくっつけて『エイルネージュ』とかどうでしょうか?』
「ネージュって何かしら?」
『雪ですね』
「ふらんす語ってやつね?」
『その通りです』
響きからフランス語と分かったからか、シエルが嬉しそうに尋ねてくるので素直に肯定する。
どうやらシエルはフランス語がお気に入りらしい……というか、わたしがシエルの名前に使ったからなのだろうけれど。
今思うとわたしの名前もフランス語にしておけばよかっただろうか?
そうなるとわたしの名前が「ネージュ」になっていた気がする。
わたしの中のフランス語辞典は実に貧弱だから。
「それじゃあ、これで決まりね! 朝ご飯にいくのよ!」
シエルが勢いよく立ち上がり、歩き出す。
こんなに簡単に決まっていいのだろうかと拍子抜けに思ったけれど、偽名だし変に悩んでも仕方がないかと気を取り直すことにした。
◇
シュシーさんのところに行って、衣装をもらって邸に戻ってきた。
最後の調整で着せ替え人形になったけれど、それは割愛。シュシーさんもお仕事モードで本当に微調整しただけだったから。
どれもこれも要望通りで、使用人たちからも好評のようだ。
駆け出しのハンターの服は厚めの皮で出来たベストとパンツ。あとは胸当てとローブが付いている。
全体的に茶色で目立たない。シエルでも、フードで髪を隠せばどこにでもいる一般ハンターに見えるだろう。
A級ハンター用はBランク以上の魔物の素材が存分に使われている。同じ胸当てでも、ワイバーンを使っているこちらの方が圧倒的に防御力は高いし、ローブも強靭さとしなやかさが共存している。駆け出しとパーツだけ見ると似通っているのだけれど、こちらは装飾も多く素人が見ても高級感がある。
あと特筆すべきはパーティ用のドレスだろうか。
シエル用とわたし用を作ってくれているようで、左右非対称なプリンセスラインというシルエットのドレス。上半身が体にフィットしていて、ウエストから広がっているものをいうらしい。
前世にいた時から、そういったものがあるのは知っていたけれど、いかんせんわたしとは無縁のものだった。
色はシエルが黄色がメインで、わたしが藍色メイン。
シエルとわたしとで左右対称のデザインで、フリルとかリボンとかマシマシのかわいいデザインになっている。
女の子が着る分にはよく合ったデザインだと思うけれど、わたしが着るには可愛すぎるかなと思わなくもない。
わたしのドレスは色合いのおかげで落ち着いた感じになっているのは幸いだ。
ドレスデザインは同じだけれど、アクセサリーは結構違う。シエルがつけるものが小柄で可愛い宝石を使ったものが多いのに対して、わたしがつけるのは大きめのゴージャスなもの。
イヤリングもいつかのように片耳のみなのだけれど、わたしのイヤリングについている宝石の方が大きい。
このデザイン――主にアクセサリー――なのだけれど、決定までにだいぶ議論があったのだとか。
アクセサリーまで完全に左右対称にするか、今みたいに違った感じにするのか。
で、後者が勝ってこうなったのだとか。
満足げにシュシーさんが語っていた。
そして邸の衣裳部屋。今もまた別のドレスが目の前にある。
「これがリシルが作ってくれたドレスなのね?」
「そうね、そうね。結構頑張ったみたいよ?」
フィイ母様の隣でシエルが尋ねると母様は楽しそうにうなずく。
その向こうでは、にこにことリシルさんが笑っている。
木漏れ日の中に見える鮮やかでいて、やさしい緑色のドレス。
シュシーさんが作ってくれた華やかなドレスとは違い、ハイウエストで広がりが少ない落ち着いたシルエット。
夏に映える葉のような刺繍とシルエットも相まって、幾分もシエルを大人っぽく見せてくれることだろう。
アクセサリーは花々をイメージしているらしく、大きくはないながらも緑に埋もれることなく存在感を放っている。
全体の印象として、森の麗人だろうか? もしくは森ガールの進化系。
森精霊のリシルさんらしい逸品だと思う。
というのは実は現実逃避で、このドレスだが全体に魔力的何かを感じる。
より正確に言えば、リシルさん由来の力が編み込まれている。
『このドレスすごいですね』
「ええ、すごいわね。これ自体が魔力の塊みたいだもの。
下手な鎧よりも攻撃を防いでくれるように思うわ」
『でしょうね。服の耐久だけで見たらワイバーンクラスも耐えるんじゃないでしょうか』
服が耐えるだけで、着ている人が無事とは限らないけれど。
それだけの耐久力を持ち合わせていながら、耐久力に全振りしているわけでもなさそうなのが恐ろしい。それを裏付けるようなことをフィイ母様が教えてくれる。
「それでも防御力方面はほどほどに抑えているらしいわ。エインの結界があるから、それほど必要ではないものね」
「それはそうね」
「だから……いえ、これは着た方が早いわね。着てみてくれないかしら?」
「ええ、分かったわ」
フィイ母様に促されて、ミアを連れ立って移動する。
簡単な服ならまだしも、きちんとしたドレスとなると一人では着られないので、ミアも一緒になる。モーサやルナじゃないのはミアがオスエンテについてくることになっているから。
本当はシエルと二人で行くつもりだったのだけれど、貴族令嬢がお忍びとはいえお付きの一人も連れていないのはどうかということでついてくることになった。
ミアなのは彼女だけはわたし達が雇用している形になっているから。
あと見た目護衛も兼ねているので、最も護衛に向いている彼女が選ばれた面もある。
モーサもルナも侍女としては言うことはないが、腕っぷしが強いわけではない。
対してミアは魔術が堪能なのだ。ハンターでいえばC級よりのD級って感じだろうか?
経験を積めばC級にはすぐに上がれるだろう。
閑話休題。ミアに手伝ってもらって、シエルがドレスに着替える。
明るい緑色はシエルにとても似合っている。小さな花のような宝石も、シエルをより飾り立ててくれている。
貴族のパーティに行けば、注目を集めること間違いなしだろう。
子供っぽさの中に大人びた感じがする、今の年齢ならではの魅力がグッと詰まっている。
加えてドレス自体の存在感もすごい。
下手な人が着れば、ドレスの存在感に負けてしまうほどだろう。
「お似合いです」
「ありがとう」
ミアの賞賛を受け取り、シエルがくるくると自分の姿を確認する。
その時に分かったのだけれど、このドレスは裾が長いのに、ものすごく動きやすい。
それこそ、普段から着ていたいほどに。そんなことをすれば、目立つこと間違いなしなのが悔やまれる。
フィイ母様のところに戻ると「あらあら、綺麗ね」と褒めてくれる。
シエルのことだけれど、自分のことのようにうれしい。フィイ母様はあまりお世辞を言う質ではないから、なおさら。
リシルさんもシエルを見ながら満足そうにうなずいている。
ルナもモーサもシエルに目を奪われている。
うんうん。やっぱり、シエルは魅力的ということだ。
見世物にするつもりはないけれど、知り合いに認めてもらうのは本当にうれしい。
「ところでシエル」
「何かしら?」
「エインがドレスを着ているのも見たいから、入れ替わってもらっていいかしら?」
「そうね、そうね! 私もみたいから入れ替わるわ!」
意味深な笑顔でフィイ母様が提案するので、なんだか嫌な予感がするのだけれど、乗せられたシエルは躊躇うことなくわたしと入れ替わる。
わたしに確認すらしなかったところを見るに、それだけ期待しているのだろう。嬉しいけれど緊張してしまう。
と、考えていたのもつかの間『エインすごいわ、すごいのよ!』とシエルが興奮した声を響かせる。
ドレス姿のわたしへの感想が「すごい」というのはなんだか変だなと、自分の姿を見てみるとなんとドレスの色が変わっていた。
明るい緑だったのが、深く濃い緑色へと変貌している。
なんというか、深い森の奥のイメージだろうか。
花のようだった宝石達は妖しく、幻想的に揺らめいている。
『奇麗ね、奇麗よ! エイン』
『ありがとうございます。シエルも奇麗でしたよ。
森の精霊のようでした』
手放しに誉めるシエルに照れてしまいそうになりながらも言葉を返す。
「リシルさんも素敵なドレスをありがとうございます」
それから照れ隠しも兼ねて、リシルさんにお礼を伝える。
リシルさんは左右に首を振ってから、嬉しそうに笑った。
気にするなということかもしれないけれど、これだけの超技術を用いたドレスなのだから気にしない方が難しい。
いつかお返しができればいいのだけれど、どうしたらリシルさんは喜んでくれるのだろうか。