閑話 屋台と雪と服 前編
長くなったので2分割。後編は今日の夕方~夜に投稿します。
屋台のおじさんがシエルに声をかけて、シエルが軽く手を挙げてそれに応える。
本当に手を挙げるだけで、声を返す事もないのだけれど、おじさんは満足そうに手を振っていた。
中央の生活にも慣れてきて、町の中を歩くことも多くなり、そうなるとシエルは様々なものを食べるようになった。
そもそも食べることが好きなのだから、当然の成り行きのような気もする。
屋台が建ち並ぶ区域に行っては、気になったところでいくつか購入して、座って食べる。
それを繰り返していたら、シエルが行ったときに呼び込み合戦が始まるようになり、シエルもぽつりぽつりと会話をするようになった。
シエルが美人だから……というのは、まあ間違いないのだろうけれど、単純にシエルが食べていると宣伝効果があるらしい。
何なら何を食べるか迷っている人が、シエルが食べているものに合わせて、食事を決めるなんて事もあるという。中央の姫のお力にあやかりたいとかなんとか。
中央に住んでいる人であれば、屋台の料理はすでに制覇しているだろうから、何かしら理由を付けたいだけかもしれない。
こうやって無防備に歩いていれば、ゴロツキに絡まれるとか、人攫いに狙われるとか、物語的にはよくある展開だけれど、フィイ母様の家である中央にはそういったものはほとんど存在しない。
なぜならすでに排除されたから。
基本的に人が何をしようと無関心というか、環境破壊さえしなければ、その中で殺し合おうと関知しないフィイ母様だけれど、今はシエルが出歩く。
一般ゴロツキ程度、何なら暗殺者くらいならいくら差し向けられても問題はないのだけれど、絡まれると時間をとられるわけで、フィイ母様が珍しく居候達にどうにかするようにと指示を出していた。
シエルが無双した襲撃の件もあり、何も言える人はおらず、おそらく中央は大陸でもっとも治安が良い場所になっただろう。
その分、町の上層部には負担がいっているだろうけれど、町の治安の話ではあるし、税金を納めているわけでもないわけだから文句は言わせない、というのが母様の言だ。
文句を言われたら、治安のために全員追い出すとも言っていたので、皆がんばってくれるだろう。
そのおかげもあってか、町は以前にも増して活気に溢れているらしい。
残念ながら以前の状況をよく知らないので、本当にそうなのかはわからない。
『寒くなってきたわね』
『そうですね。耐えられなくなったら言ってくださいね』
『ええ、大丈夫よ』
白い息を吐きながら、シエルがわたしに話しかける。
首にはマフラーを巻いて、薄紅色のコートを着ていて、すっかり冬の装いになった。
今まではわたしの結界で寒さを遮断していたし、目立たないようにいつも同じローブを着ていたこともあって、こういった姿は中央に来て初めて見た。
紺色のマフラーに口元を埋もれさせるシエルは、控えめにいっても可愛いし、控えめにいわなければ世界一可愛い。
こうやってシエルが好きな格好をして、好きに過ごすことができる中央がわたしは嫌いではない。
今までだって好きに過ごしてきたと言われると否定はしにくいけど、それはわたし達が――シエルが受け入れられているからというよりも、シエルが周りを気にしていなかったからというのが実際だと思う。
なんて思っていたら、空から何かが降ってきた。
ふわふわと、ゆらゆらと空の上から落ちてきたそれは、地面に落ちるとほどなくシミを残して消えてしまう。
そしてそれと同じものがあちらこちらに降っている。
『雪ね』
『雪ですね』
シエルの言葉を繰り返す。
意味があるわけではないけれど、たったそれだけで心穏やかになる。
シエルと通じているような、そんな気持ちになれる。
それにこんな何気ないやり取りができるというのも、平和である証拠だろう。
少なくともわたし達の周りは、だいぶ落ち着いてきた。しばらくしたら、オスエンテに行くので一波乱ありそうだけれど。
「雪かぁ……冬ごもりも近いなぁ……」
「冬ごもり?」
ちょうど近くで屋台を出していた人が気になることを言ったので、シエルが尋ねる。
急なシエルからの問いかけに「姫さん!?」と驚いていたけれど、すぐに説明してくれる。
フィイ母様は王ではないので、姫というのは違うと思うのだけれど、勝手に呼ぶ分にはいいのではないかということで放置することにした。
一種の愛称のようなものだ。
「ここらでは雪が積もるんで、そしたら溶けるまでまともに家の外に出られないんです。
店もしまりますんで、その間に家から出なくても大丈夫なように準備するんす。暖炉の魔道具用の魔石をかき集めたり、保存のきく食べ物を集めたりです」
「家で何するの?」
「俺は内職しながら、屋台の新作考えたりです。男なんで見回りとかにも駆り出されますが」
「わかった。ありがと」
つたない敬語で話してくれた人にお礼を言って、シエルが離れる。
敬語ができないのは、仕方がないこと。教育は受けていないだろうし、使う機会もそんなにないだろうし。
そもそもわたし達は敬語かどうかなんて気にしない。
それにしても冬ごもりか。
そういったものがあるのは知っていたけれど、今まで幸いにして巻き込まれなかった。冬とか関係なく依頼をこなしていたからのような気がする。
一応冬だから仕事が少なくて、やっぱりあまり外に出ないみたいな感じではあったけれど、雪に閉じ込められるということはなかったように思う。
周囲の話を盗み聞いてみた感じ、本当に家から一歩も出られない日は一冬に1日あれば良い方らしい。
それでも暖房器具が暖炉くらいしかないここの世界だと、大問題なのだろう。
『この季節は大変だものね。だけれど、雪が積もるってそこまでなのかしら?』
『シエルは雪が積もったところは見たことがないんでしたっけ?』
『少し積もっているのは見たことがあるわね。道の端とかに』
『それなら実際に積もったのを見てみた方が良いかもしれませんね』
『わかったわ。でもしばらくは動けなさそうね?』
『動けなくなる前にできることはしておきましょうか』
正直、シエルだけなら動ける。だけれど、シエルが歩き回ってもお店が開いていないのでは意味がない。
ハンター組合は開いていそうな気がするけれど、閑散としていることだろう。
適当に食べられる魔物を狩って持っていけば、喜ばれるとは思うけれど。
中央には巣窟もあるので、ハンターとしてはそっちに引きこもるというのも考えられる。
冬でも安定して魔物が狩れる巣窟は、冬の間は意外と繁盛しているかもしれない。
行くかどうかはわからないけれど、話だけでも聞いておいてよさそうだ。
『邸でも冬ごもりというのをするのかしら? 準備をしているのを見たことがないのだけれど』
『大丈夫じゃないでしょうか? 精霊がたくさんいましたし、母様が魔術か何かで何とかするのかもしれませんし』
わたしでもシエルを寒さから守っていたのだ。フィイ母様なら邸の1つ軽いだろう。
そうでなくても、惜しみなく魔道具を使いそうだ。
『さて、今日は何をしようかしら? エインは何か思いつく?』
『そうですね……オスエンテに行くとき用の服を買うとかどうですか?
学園は制服が支給されるらしいですけど、今までみたいに着たきりというわけには行かないでしょうから』
今持っているのものは、学園生の私服として着るのはいいだろうけれど、新人ハンターや上級ハンターが着るようなものではない。
場合によっては、中央の持ち主の子としての格好をする必要が出てくるだろう。
『それなら、シュシーのところに行こうかしら。あそこなら、エインも自由に出られるものね』
そういってシエルが意気揚々と歩き出す。
わたしは出なくても良いのだけれど、シエルが楽しそうなので黙っていることにした。