閑話 エインの過去と口調
「昼にフィイに言っていたことは何なのかしら、何なのかしら!」
シエルがテンション高く聞いてくる。
何かを期待されているような気がしているのだけれど、何を期待しているのかはわからない。
「名付け」に関しては前世の知識というか、前世の娯楽の中の設定というか。わたしも詳しいことは知らないから、具体的にどうだと説明を求められても答えられない。
ただ、不要に魔物に名前を付けたら、自分の力の一部を譲渡してその魔物が強くなったとかそういう設定を見たことがあるだけなのだ。
それが割とポピュラーだったから気になった。
言ってしまえばそれだけで、シエルの好奇心を満たすものではないと思う。
まぁ、説明はするのだけれど。
『そういう物語が前の世界にそれなりにあったんですよ』
「やっぱり昔の話なのね? エインの世界にはたくさんの物語があったのかしら?」
『ありましたね。おそらく形として残っているものに限ったとしても、人が生きている間にすべての物語を読むことは出来ないでしょう。
いえ、そもそも物語は読むだけではありませんでしたから、さらに膨大な時間が必要だと思いますし、本だけで見ても1冊を読んでいる間に何冊も新しい物語が生み出されていたと思います』
具体的な数字はわからないけれど、全世界で見れば間違いなく読むスピードよりも刊行スピードの方が早いと思う。
丸一日、それこそ食べる事と寝ること以外を読書に費やしても、追いつけないのではないだろうか? 世の中探せばいたのかもしれないけれど、わたしであれば頑張って10冊くらいだと思う。
これに加えて、アニメや漫画、映画、ドラマetc.あるわけだ。
「そんなにたくさんの本があるのね。本はそれなりに高価なものだと思うのだけれど、エインの世界ではそうでもなかったのかしら?」
『こちらに比べればやすいですね。1回の食事と同じくらいでしょうか?』
大学生の外食の感覚だと、ほぼイコールだと思う。
社会人については知らない。
1000円を超えると高く感じ始め、探せば数千円・数万円のものも見つけることができた。
「物語を読むだけじゃないってどういう事かしら?」
『えーっと、少し身体を借りて良いですか?』
「構わないわ」
言葉での説明が難しいので、頼んでみるとすぐに貸してくれた。
それからモーサに頼んで紙とペンを持ってきてもらう。
今回は簡単なものなので、2枚だけ。この世界紙は安くない。
精霊の存在があって、大規模な森林伐採が出来ないからだと思うが、実際のところはわからない。
エルフあたりが反対しているとかもありそうだ。
持ってきてもらった紙に、シエルの絵を描く。
上手にかけるわけではないけれど、下手ということもないと思う。
特徴だけを書いた、素人の絵だけれど今はわかればいいので強行する。
書いている途中でシエルに『可愛らしい絵ね。私の絵かしら?』と言われたので、なんだか気恥ずかしくなってしまった。
それでも何とか完成させて、ぱらぱらと2枚の絵を交互に見せる。うん、かくかくしているけれど、歩いているように見えるだろう。
『これは歩いているのかしら?』
「はい。この要領で、もっとたくさんの絵を描けば、実際に動いているように見えるようになります。
出来上がったものに、声と音をつけて、物語にしたものもありました」
『とても手がかかっているのね。出来上がったものは、劇場みたいなところで見せるのかしら?』
「そうですね。そのようにすることもあります。
ですが、ハンター組合間で使われている、遠距離の相手にすぐに情報を伝える魔道具のような感じで完成品を不特定多数の人に見せるというのが主流でした」
『エインの世界にはすごいものがあるのね。確か魔術や魔法はなかったのよね?』
「魔物もいませんでしたし、条件が全然違いますからね。たぶん戦ったら、こちらの世界が勝つんじゃないでしょうか?」
わたしの結界をどうにかできる兵器は思い浮かばないし、前世の兵器でA級以上の魔物を倒そうと思ったら、環境破壊も付随しそうだ。
S級――トゥルくらいしかわからないけれど――にもなると、どうあがいても倒せないのではないだろうか?
この辺りはどちらが優れているかというよりも、どんな環境下で発展してきたのかだろう。
『そうかもしれないけれど、楽しそうなことは多そうよね。
この世界だと、踊る以外は本を読むくらいしか娯楽がないもの』
「そういった職業が冷遇されているような世界ですからね」
『そうなのよね。どうしてなのかしら?』
「教会が関係していそうなんですけれど、実際のところはわからないですね」
『どうして教会がかかわっていると思うのかしら?』
「今まで接触は少なかったですが、不遇職に思うところがあるような雰囲気でしたから」
特に歌姫に関していえば、明らかに教会の領分を犯しているからいい気はしていないだろうし。
教会の詳しい仕組みはわからないから、はっきりとはいえないが、思いつくとすればここくらい。
『そうなのね。ところでエインの世界だと、教会のようなところはなかったのかしら?』
「怪我や病気を治すのには、"病院"というところに行っていましたね」
『病気まで治るのね!』
「なんでもすぐに治せるというわけではありませんでした。殊、怪我に関してはこちらの方が優れているでしょうね。
お金次第ですが、欠損しても大丈夫みたいですし」
『それなら、学園はどうかしら? エインの世界にもあったのよね?』
「教育機関はありましたね。国によっても違いましたが、わたしが住んでいた国では全国民が最低でも季節が9回巡る間、多くの場合にはさらに3回から7回季節が巡るくらいは教育を受けていたと思います」
『エインはどれくらいだったのかしら?』
「わたしは季節が14回巡った辺りで死んでしまいましたが、予定では16回でしたね」
大学院やらを考えるとさらに長いけど、そこまで説明しなくていいだろう。
『あら? そういえばエインの世界では大人になる年齢が違うのかしら?』
「一応20歳ということにはなっていましたね。ですが、20歳を越えても学園に行っている人も結構いましたよ。わたしもそうでしたし」
『そういうものなのね。なんだか少し面白いわ』
「そうですか?」
『ええ、エインの事だもの。なんでも面白いわ! 面白いのよ』
「それならよかったです」
昔のことを話すのはなんだか変な感じなのだけれど、楽しんでもらえたのなら良い。
シエルがわたしのことに興味を持っていると思うと悪い気はしないし。
『エインの世界といえば、エインはもともと男の人だったのよね?』
「そうですよ」
『その時には今のように丁寧な話し方だったのかしら?』
「えっと……違いますね」
『それならどんな話し方だったのかしら? 私とっても気になるわ! 気になるのよ!』
「えーっと、その……」
期待のこもったシエルの声への、返し方が見つからない。
すんなり話し方を変えて、こんな感じだったのだと示せればいいのだけれど、正直もうほとんど覚えていない。
一人称が何であったのかすら曖昧だ。僕だったような、俺だったような。
うん。正直に忘れたと答えるしかないか。
「すみません。あまり覚えていないんです。今の話し方になって長いですから、忘れてしまいました」
『それは残念ね。それなら丁寧な話し方をやめて話してみてくれないかしら?』
「シエルみたいに話せばいいんですか?」
そういうことならできなくもない。シエルの真似自体は結構してきたし、これからもしていくだろうから。
それくらいのお願いだったら聞くのもやぶさかではないかなと思ったのだけれど、『駄目よ』と無慈悲な声が聞こえた。
『それだと新鮮味がないもの』
「新鮮味って必要ですか?」
『ええ。大事よ? 大事なことなのよ!
新たなエインを発見するチャンスだもの』
「それは大事なんですね?」
『とっても大事ね。でもエインが嫌だというのであれば、無理強いはしないのよ?』
「えーっと、はい。わかりました。あの、その……入れ替わってもらっていいですか」
『? ええ。かまわないわ』
シエルの頼みではあるし、難しいことでもないからと思ったのだけれど、いざ話し方を変えてみようと思うとなんだか気恥ずかしい。
それでもなんとか話してみようと思ったのだけれど、モーサ達の視線が気になってしまったので、再度シエルと入れ替わってもらう。
それから気持ちだけ深呼吸して、シエルの頼みを聞くべき声を出す。
『えっと、何を話せばいいんです……いいの?』
『……! そうね、そうね! もっとエインの世界のことを聞いていいかしら?』
『いい……けど、何を聞きたい、の?』
『そうね。学園に行くことになるのだから、エインの世界の学園について詳しく聞いていいかしら?』
シエルが声を出さずに話すようになったのは、わたしに配慮してだろうか?
わからないけれど、助かることには助かる。だって恥ずかしいから。
意識すると頭が真っ白になって、何を話しているのかわからなくなる。
それはそれとして、1つ言っておきたいことがある。
『シエル、1つ言いたいことがあるんですが』
『聞こえないわ、聞こえないのよ?』
『1つ言いたいことが、ね。あるの』
話し難い。恥ずかしくて視線が泳ぐ。
今のわたしの姿はシエルに見えているので、この挙動不審な姿も見られているだろう。
そう思うと、なお顔が熱くなるような思いだ。熱くはならないけれど。
『何かしら?』
『わたしの世界は今はここだから、えっと。シエルのいない前の世界は……』
『そうね。そうね! エインが前にいた世界。でいいかしら?』
『うん。そんな感じで、よろしくね』
なんというか、話し方が幼くないだろうか?
思わず文節で切ってしまう感じ。だけれど、シエルは特に何か言うこともなく、テンション高いまま話を続ける。
『わかったわ! それじゃあ、エインがいた世界の学園の話を聞いていいかしら?』
『そうで、そうだね。えっと、わたしがいた国だと6歳になる巡りに学園にね、入学するんだよ。
そこから6回巡る間は同じ学校に行って、次に別の学園で3回巡る間過ごす……んだ。そこまでは、皆行かないといけないって、決まっているの』
『それだけ長く行くということは、エインがいた世界の人たちは皆頭がいいのかしら?』
『どうなんで……どうなんだろうね? 行きたくて行くわけじゃないから、身についていない人も多いよ』
話しながら、何を話しているのかよくわかっていない自分がいる。
今の状態で説明しても、内容に自信が持てない。
もう話し方を戻してもよくないだろうか?
『あの、シエル。話し方、戻してもいい?』
『ええ。わかったわ。こういうのは、たまにだからいいものね』
『それはどういう……』
『気にしなくていいのよ。だけれど、またこんな風にお話ししましょうね』
『うん。わかった、よ』
満足そうなシエルに頷いて返す。
こんな風に話すのは正直慣れる気がしないし、恥ずかしいけれど、たぶんまたシエルに頼まれたらやるだろうから。
少なくともシエルは満足してくれているみたいなので。
『それじゃあ、改めて説明をしますね』
『ええ。よろしくね』
そうして前世の教育について、シエルに説明することになった。
(おまけ:シエル視点)
今日はエインから、エインがいた世界についていろいろと聞くことができた。
私達が学園に行くことになったから、学園の話が多かったけれど、それでも充実したものだった。なんというか、エインに少し近づけたような感じがして、嬉しかった。
それにエインの話し方。いつも丁寧な口調のエインに、砕けた話し方をするようにお願いしたのだけれど、それがもう大正解だったわ!
少し強引だったかもしれないので、次回は気を付けないといけないのだけれど、とにかく可愛かった。いつものエインよりも幼いような感じがして、照れている姿がとても心をくすぐるようだった。
いつもはまっすぐにこちらを見て話してくれるエインが、目をそらしてしまうの。
少しうつむき気味のその様子が、かわいくて、かわいくて仕方がなかった。
エインが表に出ていなくても、エインの姿が見えるのは素晴らしいことね。
それに今私がいる世界がエインの世界だと言ってくれた事は、なんだかとても気持ちが高揚するようだった。
胸の奥がポカポカして、自然と頬が緩むようだった。
そんなそんな。とても充実した一日だった。