閑話 手紙と紋章と名付け
『シエルが生まれてから、いろいろなことがありましたけど、なんだかこうやってぽっかり時間が空くのは初めてな感じがしますね』
「ふふふ、そうかもしれないわね」
学園入りが決まったのが昨日。決まったといっても、入学試験に合格したわけでもなく、特別に許可されたわけでもなく。
そもそも入学試験があるのかすら知らない。
どうやったら入学できるかはわからないが、たぶんフィイ母様が一声かければ何とかなるのだと思う。
仮に入学試験があったとしても、実力主義の学校であれば合格の目はあるだろう。
なんか、こう……試験官を倒したら入学、みたいな感じだったらいいな。
それはそれとして、シエルが生まれてからエストークを出るまではもちろん、中央に入ってからもなんだかんだと厄介ごとに巻き込まれたり、自分から足を踏み込んだりしていたので、忙しかった。
わたしの身体が1日だけ与えられた日が、だいぶ昔のように感じる。
あの時はあの時で、平和というか幸せな時間だったのは間違いないのだけれど、今はそれとは違った穏やかな時間というものを感じている。
「それはエインがこの邸に慣れてきたというのもあるのではないかしら?」
『そうかもしれませんね。こうやって部屋にいる間は、わたしの警戒の範囲に入らないように気を付けてくれているからだと思いますが』
「ええ、ええ。エインにはとても感謝しているのよ。エインのおかげで、私は穏やかでいられるもの。
だからエインにそういった時間ができるのは、とても嬉しいことなの、そうなのよ」
『そう言ってもらえると嬉しいです』
穏やかな声だけれど、言葉を繰り返しているあたり内心では高ぶっているらしい。
高ぶっているというか、何かしらの感情が大きくなったら……だろうか?
言葉にするのは難しいけれど、シエルが嬉しく思っているのは本当のことに違いない。
そうしたシエルの言葉が可愛らしいと思うし、愛おしいとも思う。
思わずシエルに触れたいと思うほどに。だけれど、残念ながらシエルに触れられない。
今まで何度もわたしを支えてくれた声、元気づけてくれた声に応えるのに、言葉だけでは物足りない。
あの一日以来、そう思うことが増えた。
一人思い悩んでいると、シエルが思い出したように話しかけてきた。
「ところでエイン。いいかしら?」
『どうしました?』
「昨日の手紙なのだけれど、確か魔法袋に入れたままよね?」
『そうですね。どうにかできるものでもありませんし、たぶん使いませんから、そのまま死蔵されそうですね』
「そうよね。使わないわよね。だったらいっそ燃やしてしまいたいのだけれど、ダメかしら?」
王族からの手紙を燃やすなんて……と思わなくもない。
これが一般的な感覚で、わたし達に当てはまらないのはわかっているので、シエルにGOサインを出してもいいと思う。
実際問題、気持ちがいいものではないし。
手紙がわたしへではなくて、シエル宛だったら間違いなくビリビリに破いていたことだろう。
フィイ母様ではないが、喧嘩も辞さないと思う。
わたし宛だった今は、シエルがこうやって怒ってくれていることが嬉しくもあり、シエルを不快にさせていることが不快でもあるといった感じだろうか。
だから気持ちとしては、燃やしてしまってもいいに傾いている。
とはいえ、わたし達の判断で決めるのも怖いので、こういったことに慣れていそうな人に聞いてみるべきか。
『ミアあたりに聞いてみるのがいいと思います。
こういう問題だとわたし達よりも詳しいでしょうから』
「それもそうね」
シエルはうなずいてから、ミアのほうに視線を向けた。
それから「どう思う?」と短く尋ねる。
シエルの対応は相変わらずだけれど、ミアの使用人としてのレベルは上がっているらしく、シエルの言葉に「そうですね」と聡く反応した。
「お気持ちが晴れないというのであれば、好きにしても大丈夫でしょう。
ですが、残しておくことで、オスエンテへの大きな借りとすることができるかと思います。
フィイヤナミア様の方針であればシエルメール様は他国の王族とは同等の関係ですが、実質的にはシエルメール様のほうが上です。
そのため手紙を紛失したとしても、不敬な内容の手紙を送られたという意見は無視はできないでしょう。
それでも惚けられる可能性もありますから、証拠として持っておけば言い逃れされることもないです」
「関わるつもりがなくても?」
「はい。最悪その手紙を持ち出して、オスエンテという国そのものに守ってもらうということもできます」
ミアは平然とした表情でそういうけれど、守ってもらうは要するに面倒ごとを引き受けてもらうということなのだと思う。
シエルを傷つけることは、わたしがさせないし。
フィイ母様の義娘という立場はできるだけ使わないつもりなので――使うとそれはそれで行動が制限されそうだから――、面倒ごとを引き寄せる可能性は高い。
実力をどこまで隠せるかはわからないし、隠せない場面が出てくるかもしれない。
A級ハンターであることを明かす場面が出てくる可能性もある。
そうなったら、年齢にそぐわない実力のせいで面倒が舞い込む可能性は高い。
それにシエルの容姿であれば、言い寄ってくる輩も現れるだろう。
それが貴族であった場合、手紙を使ってできるだけ身分を隠しつつ、言い寄ってきた相手に圧力をかけることもできなくはないということか。
そんな難しい話ではなくても、物的証拠を捨てるのがよくないのはわかる。
考えてみれば、上級ハンターという時点で世間的な信用があり、能動的に使うことができない権力を持っているようなものだ。
今回のオスエンテ第4王子のやったことは、他国の貴族に行ったことともいえる。
その場合権力はあちらが上でも、体面はよくない。下手したら中央に喧嘩を売ることになる。
貴族であれば、他国の王族とのつながりを得るために断らないかもしれないけれど、こちとらハンターなのでつながりを作ることができても行動が制限される婚姻など受けるわけがない。
「わかった。ありがとう」
シエルがお礼を言うと、ミアが頭を下げて一歩下がる。
うん。この前まで貴族令嬢だったはずなのだけれど、ここまで使用人然とできるものなのか。
もしかしたら、本職から見たらまだまだなのかもしれないが、素人目には十分だと思う。
「エイン、どうしようかしら?」
『シエルはどうしたいですか?』
「エインとしては、あまり気にしていないのよね?」
『シエルが気にしていることを気にしているくらいですね』
「それなら今はまだ取っておこうかしら。違うわね、ちゃんとエインがやりたいようにしてもらうわ。
私から言い出したことではあるけれど、エインの持ち物ということになるものね」
確かにわたしのものといえばそうだけれど、それはそれで嬉しくはない。
むしろ、使用タイミングをわたしに委ねられてしまったのは、少し困る。
わたし的にはシエルが今と思えるタイミングで、使うなり、燃やすなりしてくれていいのに。
でもそういわれてしまうと、わたしが決めるしかなさそうだ。
◇
「それでそれで、結局持っていることにしたのね」
「保険みたいなものですね。面倒は避けて通りたいですし」
「それなら、行くときには私の義娘と言うことは伝えない方が良いかしら?」
「最低限に抑えてもらった方が、好きに動けそうですから。そのためのA級ハンターでもありますしね」
時間があり余っているのでのんびり過ごしていたら、いつの間にかフィイ母様とお茶をすることになっていた。
わたしとしても話したいことがあったので、シエルに替わってもらい表に出ている。
「ええ、ええ。確かにそうね。私も貴女達を縛り付けるつもりは無いもの。
だけれど、必要に応じて明かさないとダメよ?」
「隠しすぎて大事になったら本末転倒ですからね」
明かすタイミングが難しいな、とは思うけれど。
わたしはお忍びで何かしたことはないし、シエルも当然ながら同じだし。
それに明かしても、信じてもらえない可能性もある。
こういうとき、普通の貴族はどうしているのだろう?
何かシンボルとか、マークとか、家紋とかそういったものを持っていたりするのだろうか?
「フィイ母様の紋章……みたいなものってあるんですか?」
「昔、今よりも動き回っていたときに、目印として作らされた事があるわね」
「……よく作りましたね」
そういった貴族然としたことはやらないように思っていたので、驚いた。
母様は何かを思い出したのか、少し呆れたような顔をする。
「毎日頭を下げに来るのよ。あの頃はよく絡まれて返り討ちにしていたから、その影響かしらね。
折れて作ってみたら、一気に絡まれる事がなくなったから、感心したのを覚えているわ」
「その紋章って今はどうなっているんですか?」
「一応正式に認められているはずよ。邸内にもありはするけれど、まぁこれね」
母様が首にかけていたペンダントを外して、差し出してきたので、それを受けとる。
手のひらほどの大きさのそれは、見た目や金属っぽい材質に反してほとんど重さは感じない。
円形の金属板に、白いドラゴンがモチーフとして描かれているのだけれど、もしかしてトゥルだろうか?
簡略化されていて判断が難しいけれど、白い体に金色の目をしているので、そうだと思う。
「それを持っていると良いわね」
「良いんですか?」
「ええ、ええ。構わないわ。それを使うこともほとんどなくなったもの」
「わかりました。ありがとうございます」
「それを見せても理解できない相手なら、何をしても構わないわ。理解しても何かしてくる相手にも、何をしても良いけれど」
何て便利なものだろうか。と思うと同時に、できるだけ使わないようにしたい。
シエルの教育に悪そうだし、使ったが最後、貴族の世界へ連れ込まれるかもしれない。
最終手段にしようと、あとでシエルと相談することにする。
「ところでエインは何を聞きたいのかしら?」
フィイ母様に尋ねられ、本来の目的を果たすこととする。
「この世界って、魔物とか精霊に名前をつけても大丈夫なんですか?」
「キートゥルィの話かしら?」
「そうですね。名前をつけることで強くなるとかはないんですか?」
「可能ではあるけれど、勝手に行われることもなければ、簡単にできることでもないわね。そういう職業が生まれるか、そうでなければ魔法の領域よ」
「つまりトゥルはなんの変化もないわけですね」
「そうなるわ」
クスクスと笑う母様はわたしがどうしてこんなことを心配したのかはなんとなく理解しているのだろう。
そして『どうしてそんなことを聞くのかしら?』と頭の中で首をかしげているであろうシエルにどう説明したものか、頭を捻ることになった。
紋章は受け継がれて初めて紋章というらしいです。