131.魔力切れとドラゴンとキートゥルィ
飛び上がったといっても、シエルの場合は駆け上がったようなものだ。
空を飛べるのではなくて、空気中に自由に風の足場を作ることができる。
ノルヴェルの町からエストーク王都に行ったときに使ったのと同じもの。
つまり舞台であり、わたしは歌い続けていないといけない。
シエルの細く引き締まった足が宙を掴む様は、天使かなにかと見紛うばかりだ。
この世界で天使としての枠はフィイ母様だと思うので、わたしが想像しているものとは違うとおもうけれど。
あと目の前の白ドラゴンも、神の遣いという意味では天使なのかもしれない。
というか、魔物が浄化され切ったソレがかつての神の使いなのではないかとも思う。
さて、状況は空の上。シエルは飛び跳ねているので、というか舞っていないと落ちるのですでに遊びは始まっていると言っていい。
白ドラゴンを見れば、口の端から火の粉をまき散らしている。
「では、存分に踊ってもらおう」
「わたしはすでに踊っているのよ?」
なんか会話がかみ合わない。
白ドラゴンもシエルの「踊る」が本当に踊るものとは思っていないのだろう。
なににしてもやることは変わらなさそうなので、放っておく。
というか、口を出したらシエルが落ちる。
直後、ドラゴンが体をくの字に曲げて、大きく口を開いた。
真っ赤な口の奥から、灼熱の炎が放たれた。
有名な広範囲攻撃。町の一つくらい燃やし尽くしそうなそれを、シエルは後ろに回転するように軽く跳んで避ける。
それからなぜか、炎の中に手を突っ込んだ。
わたしの結界で熱も伝わってこないとはいえ、なかなかに危ないことをする。
あとでお説教した方がいいのかもしれないけれど、たぶん「エインの結界なら大丈夫と思ったのよ?」と誤魔化されるに違いない。
というか、本当にわたしの結界を抜けることはないのか。
ひとまず安心しておくとしよう。
手を突っ込んだシエルは、その炎を掬い上げるように、持ち上げた。
ドラゴンのブレスの一部がシエルの腕にあわせて、まるで水のようについてくる。
シエルが両腕を大きく広げて円を描くと、花火のように広がり消えていった。
普通の魔術が相手だとこんな事はできないので、この炎はまた特別なものなのかもしれない。だけれど、考察はおいておこう。
不満そうなシエルの顔は、もしかしてブレスをすべて掴もうと考えていたのかもしれない。
自分の攻撃を利用されたドラゴンも何か思うところがあったのか、シエルの周りを円を描くように飛び回り始めた。
シエルに簡単に触れられないように、動きながらブレスを吐く。
シエルがそれを避けながら、炎の球をドラゴンに降らせる。
やはりというべきか何というか、シエルの攻撃が当たってもドラゴン側は堪えた様子はなく、全くダメージを受けていないように見えた。
うん。これはダメかな。
◇
まるでダンスでもするかのようにクルクル回っていた1人と1体だけれど、わたしがちょうど一曲歌い終わるころ終わりが訪れる。
今まで元気に跳び回っていたシエルから急に力が抜けて降下を始めた。そのままドラゴンのブレスに飲まれたけれど、そっちは問題ない。
このまま落ちたとしても、結界で衝撃はどうにかなるからこちらも問題ないけれど。
そう思っていたら、白ドラゴンが落ち行くシエルの体をその背に受け止めた。
そのままゆっくり地面まで降りていくと、シエルを背に乗せたまま猫のように丸まった。
「わざわざありがとうございます」
「久々に楽しませてもらったからな」
助けてもらったので、シエルの体を借りてお礼を言っておく。
そう言えばシエルが魔力切れを起こすのは初めてだと思うのだけれど、大丈夫だろうか?
死ぬことはないだろうけれど、起きたときに気分は悪いかもしれない。
「ですが、貴方の望んだ方法ではなかったですよね?」
「そうではあるが、相手の土俵でやり合うのもまた一興よ。
それに言っておったものな、遊びだと、踊りだと」
「シエルは踊るのが好きですから」
「それで我の全力を引き出せるのだからな」
ふむ。全力を引き出したのは、わたしではなくてシエルの力なのだと。そう言われるのはどことなく嬉しい。
実際、わたしの結界に頼ったのは、最初と最後くらいであとはシエルの力と言っても良いだろうし、それを認めてくれる存在は好ましい。
シエルの魔力に余裕があったとして、あのまま続けていたとしても、いずれシエルの方が先に魔力切れを起こして落ちていたとは思う。
わたし達がこのドラゴンに勝つにはまだまだ力が足りないと言うことだ。
「ではな」
ドラゴンがそう言ったので、帰るのかと思ったら大きな目をゆっくりと閉じた。
「シエルメールが起きるまで我は寝る」
「ではお手伝いしますね」
「何のことだ?」
どうやらドラゴンはシエルのことが、大層お気に召したらしい。
目が覚めてドラゴンがいなかったら、シエルが残念がるかもしれないし、わたしとしてはシエルが喜んでくれる方がいい。
それにシエルの舞を見せたのだから、わたしの歌を聴かせてもいいだろう。
疑問を呈したドラゴンに答えることはせずに、わたしは静かに歌い始めた。
◇
『うう……なんだか気持ち悪いわ。だけれど、目が覚めたときにエインの歌が聞こえているなんて素敵ね。素敵ね!』
『気持ち悪いならもう少し寝ていて良いですよ?』
『いいえ。大丈夫よ。それよりもここはどこだったかしら?』
歌い始めて1時間くらいだろうか。シエルが目を覚ました。
わたしの時には魔力切れから復活するのに一晩とかかかった気がするけれど、わたしが歌っていたせいもあって早まったのかもしれない。
魔力の総量による違いかもしれないが。
あのころのわたしはまだ魔力量が少なかったし。
きょろきょろしているシエルに『ドラゴンの上ですよ』と答えると、シエルは不思議そうな顔でドラゴンの背中をなで始めた。
生き物としての柔らかさがあるような気もするし、鱗の堅さが際だつような気もする。何とも不思議な感覚だ。
「起きたか」
「おはよう、ドラゴン」
シエルになでられたからか、わたしが歌うのを止めたからか、ドラゴンも目を覚ました。
どうやら寝起きからしゃきっとできる派らしい。
ドラゴンに応えたシエルは、自分の言葉に疑問を持ったのか何度か瞬きをする。
「……そういえば、ドラゴンには名前はあるのかしら?
物語のドラゴンには、何かしら名前があったと思うのだけれど」
「ないな。こうやって会話する相手がいるわけでもないからな」
「そうなのね。確かに名前はなくても何とかなるものね」
わたしが話せるようになるまで、シエルの名前はなかったし、シエルはわたしの名前を知らなかった。というか、エインセルも名乗ったのはシエルの名前を決めた時以来か。
それまでは、名前を呼ばずとも会話できていたし、何なら言葉もなしに何となく意思疎通をしていたと思う。
「でもここには三人いるもの。名前があった方が便利じゃないかしら?」
「我にはもう一人は見えぬが……まあ、そう言うことにしておこう」
「じゃあ、名前を付けても良いかしら?」
「好きにするがいい」
白ドラゴンが折れた。正直乗り気ではないのだろうけれど、子供の期待を裏切れないみたいな雰囲気を感じる。
シエル的には物語のドラゴンのように特徴的な名前が欲しいというのが、大きいのだと思う。
それでも名前を付けたいというシエルも、名前を付けられても良いというドラゴンもまんざらではないのだろう。
まるで友達のようだ。ちょっと羨ましいとかは思ってない。
シエルがどんな名前を考えるんだろうかとそれはそれで楽しみにしていたら『エイン、何かいい名前はないかしら?』とこちらに振られてしまった。
仕方がない気もするけれど、わたしもネーミングセンスがある方ではない。
『ブランとかどうですか?』
『何か意味があるのよね?』
『フランス語で"白"という意味です』
『それなら却下ね。エインが居た世界の言葉は使わないでほしいわ。
それはわたし達だけにしておきたいのよ』
シエルの言葉に頬が緩みそうになる。前と違って、体を借りていない時でも姿があるから、頬が緩むと見られてしまう。それは何だか恥ずかしい。
それはそれとして、前世の言葉を取り上げられたら難易度が格段に上がってしまう。
印象的なのは白と金で……「キートゥルィ」? ドラゴンよりも呼びにくいけれどトゥルとか、キートゥとか呼べばいいと思う。
『キートゥルィとかどうですか?』
『金と白。ええ、ええ! ドラゴンにぴったりだと思うわ!』
『それならよかったです。呼びにくいですが、適当に短くしたらいいでしょう』
シエルが気に入ってくれたようで何よりだ。
でも、ドラゴンが気に入るか分からない。嫌なら嫌というだろう。
「じゃあ、ドラゴン。貴方は今日からキートゥルィよ。私達はトゥルと呼ぶわ」
「好きにするがいい」
「トゥル」
「何だ?」
「キートゥルィ」
「だから何だと言っている」
「また遊びに来るわ」
「ああ、いつでも来るがいい」
シエルは楽しそうに、白ドラゴン――キートゥルィは、素っ気ないながらも確かにシエルの再来を歓迎する。
そのままキートゥルィが起き上がり、今度こそ別れの態勢になった気がするので、シエルに頼んで代わってもらった。
さてキートゥルィの事を何と呼ぼうかと迷ったけれど、さっきシエルが「私達はトゥルと呼ぶわ」といっていたので、それに従うことにしよう。
「トゥル」
「今度はお主かエインセル」
「わたしの名前も憶えていたんですね」
「我の全力を耐えきる者を忘れるはずもない。
それで何用だ?」
「この上の階層の魔物がしばらく現れないようにできませんか?」
一応これは聞いておかないといけない。
せっかく助けたのに、このまま魔物に襲われて死にましたと言うのは骨折り損だし、後々が面倒くさそうだから。
トゥルが此処にいる間は、仮に魔物が湧いたとしてもトゥルから隠れているだろう。しかしこのまま帰られるとどうなるか分からない。
わたし達が守るという手もあるけれど、そこまでしてあげる義理はないし、外に報告に行く人が居なければ助けが来ることもない。
理想はトゥルにこの場に数日居てもらうことだけれど、わたし達が――というよりもシエルが居なくなると退屈するだろうから、それは頼まない。
「魔物をすべて倒したのだろう? ならばしばらくは現れることはない」
「そうなんですね」
「深層で有能な者が簡単に死なぬようにということらしいが、50層より下に来た者はほとんど居らぬ」
「最奥は何層になるんですか?」
「100だな。50より下を深層としているが、特に意味はないだろうな」
「分かりました。ありがとうございます。それでは、シエルと入れ替わりますね」
「好きにしろ」
と素っ気ないふりをしながら……という事もなく、トゥルが答える。
シエルの初めての友達は、なかなかにドライなようだ。
名前を訊いた後、帰る気だったシエルも似たような感じだと思うし、相性はいいと思う。
シエルに入れ替わっても、特に何か話すでもなく「また来るわ」といって帰路に就いた。