130.巨大な存在と魔物というもの
ソレは突然地面から現れた。
白い巨躯は見るものを圧倒し、堅い鱗でびっしりと覆われている。
その白さは、一種の美術品のようにも感じられ、鱗の1つでも高値がつくことだろう。
太い四肢は軽くふるうだけでも弱者を吹き飛ばし、鋭い爪は容易く命を刈り取りかねない。
長い尻尾がうねり、背中の翼は暴風を起こす。
金色の目、火の粉が漏れ出ている口、存在するだけで他を威圧しかねない濃い魔力。
地面を突き破るように出てきたソレは、どう見ても真っ白のドラゴンだった。
というわけで、最強種として描かれることも多いドラゴンが出てきたわけだけれど、何というか怖くはない。
強そうだとは思うし、戦っても勝てないとは思う。
でもあの巨体でどうやって階層を越えてきたんだろうと疑問に思えるくらいには、恐怖心はない。
『見て見て、エイン! ドラゴンよ! ワイバーンとは違う、物語に出てきたドラゴンよ!』
シエルにいたっては、目を輝かせて白の竜を見ている。
この世界においても、竜――ドラゴンは強者として描かれる。それこそ、シエルが幼いころに読んでいた英雄譚では、強大なドラゴンと戦うシーンがよく見られた。
物語の存在であるドラゴンを見ることができたわけで、シエルのテンションがあがるのは理解できる。
そんなシエルに影響されて、わたしも恐怖心が……ということではなさそうだ。
まず何というか、魔物という感じがしない。こうやって相対しているのに襲ってこないのも魔物っぽくないのだけど、魔力の感じが根本的に魔物と違う気がする。
初めて感じるので、何とも判断に困る。魔物に近いところもあるから、いっそう判断に窮する。
あとは何となく、こちらを観察している目が理性的であるように思う。
「お主等は何者だ?」
「あら、貴方喋れるのね?」
厳つい口から発せられた、地をふるわせるかのような低い声にシエルはいつもの調子で応える。
シエルの口調が親しげなのは、相手が人ではないからだろうか? そうだと思いたい。
あとこの白ドラゴン、わたしの存在に気がついているらしい。
「もう一度問う。お主等は何者だ?」
「何者だと言われてもどう答えていいのかわからないわ。
でもそうね。私の名前はシエルメールよ」
「もう一人いるだろう?」
「エイン、エインセルの事かしら? エインと私はどちらかしか、表に出られないのよ」
シエルの言葉を受けて、白ドラゴンが黙り込む。
たぶん情報の整理でもしているのだろう。
だけれどシエルはドラゴンの準備が整うのを待たない。
「それで貴方はどうして上ってきたのかしら?
巣窟のもっと奥にいるような存在よね?」
「……なるほどな。確かに我はこの巣窟の最奥より来た。
妙な気配が巣窟に入り込んだのを感じたからな」
「あの蜘蛛の事かしら? だとしたら、私達が倒してしまったわ」
「言い直そう。妙な気配が3つ。1つと2つが入り込んだのだ」
ああ、わたし達も妙な気配の仲間と言うことか。
わたしの存在を感じ取れるのであれば、確かにシエルは妙な存在に見えることだろう。
だとしたら白ドラゴンの目的は、排除するためか、興味本位に見に来たのか、見極めるためにきたのか。
でも雰囲気的に排除しに来たという事はなさそうだ。
「私達も入っているのね。それでやってきてどうするのかしら?」
「見極めに来た。が、腹を探るのは止めにしよう」
「それは助かるわ。私は回りくどい話は得意ではないもの。エインはどうかしら?」
『わたしも苦手ですね』
「エインもダメとなると、やっぱりはっきり聞いてくれた方がうれしいわ」
「では問おう。お主等は神の遣いか? 神の命で来た者か?」
あー、そこまでわかるのか。
もしかして、この白ドラゴンもこちら側なのだろうか?
でも神力的なのは感じない。魔力は膨大だけれど、フィイ母様や創造神様、何なら人造ノ神ノ遣イでも感じ取れていたそれを持っていないように思う。
『エイン、エイン』
『どうしましたか?』
少し考えていたせいで、反応が遅れた。
『私達は神の遣いなのかしら?』
『……わたしが話しましょうか』
『そうしたほうが良いかしら? よろしくね』
シエルがそういってわたしと入れ替わる。
シエルにも話したとはいえ、わたしが受け答えた方がスムーズに進むだろう。それに白ドラゴン次第では、入れ替わった方が話が早く済みそうだ。
「お主がエインセルという者か?」
「はい。神様云々だとわたしの方が知っていますので、入れ替わりました」
「ふむ。それで?」
「そうですね。わたし達は自分たちの意志で、あの蜘蛛を倒すために来ました。
どういった存在かを話すには、貴方が何者で創造神様ともしくはフィイヤナミア様とどういう関係かを教えてもらわないと話せませんね」
「……なるほどな」
この白ドラゴン君、一人で納得することが多い。
こちらはなにもわからないけれど、激昂せずに納得してくれるなら別にいい。
わたしが表に出ている以上、攻撃されたら守りしかできないから。
「順を追って話そう。我は魔物と呼ばれていたものだ」
「今は違うんですね。そんな感じがしていました」
「その反応を見るに、魔物がどういった存在かは知らぬようだな?」
「人を襲う、倒すと魔石も取れる存在。くらいの認識ですね」
要は表面的なところしか知らないし、それで困ることもなかった。
あとは、どこからともなく生まれるとかそんなことだろうか? 憶測の話で良ければまだあるけれど、白ドラゴンが教えてくれそうなのでいう必要もないだろう。
ドラゴンは大きな首を上下にゆっくりと振って頷く。とりあえず、知識がないことを馬鹿にするタイプではないらしい。
「魔物とは瘴気や悪気などと呼ばれるものが形を成したものだ。
それと同時に、核として魔石が生まれる。正しくは悪いものが魔物の体をつくり、その内に魔石を作り出す」
「魔物って食べられますよね?」
「魔物とは一種の浄化装置だ。死ねば浄化される故、食べても悪影響はない。残った魔石の魔力が消費されると地へ帰りマナになる。マナとは世界そのものが持つ魔力ということで良かろう」
「瘴気はどうやって生まれるんですか?」
「我も詳しくは知らぬ。だが、世界が存在している限り、少なからず生まれる悪いものであるのは違いない」
ドラゴンが言っていた通り、魔物とは世界を綺麗にする装置ということか。なぜ一度魔物を挟むのかはわからないけれど。
それに前世では、魔物なんて居なかった。だとしたら、前世は瘴気に満ちていたのだろうか? だけれどそんなことはない……と思う。
なににしても、魔物というものについて少しは理解した。
「魔物は死する事で、その内に存在する瘴気を浄化するが、長い時間を生きると死する前にそう言ったものを浄化しきってしまうことがある」
「それが貴方なんですね」
「左様。魔物とも動物とも言えぬ、何とも曖昧な存在よ。
我の知る限りでも、何体もおらぬがな」
長く生きると言うことは、それだけ強くなっているという事だろう。
白ドラゴンさんクラスがゴロゴロ居たとすると、人の領域は今よりももっと狭くなっていたのではないだろうか。
でも白ドラゴンをみる限り、人を積極的に襲うことはないだろうから、棲み分け次第なのかもしれない。
「そんな貴方がどうして巣窟の最奥にいるんですか?」
「巣窟の管理を神に命じられたのだ。正確には、神の遣いにだが。
お主も言っておった、フィイヤナミアに連れてこられた。
それからは適当に魔物を狩りながら、巣窟を乱そうとするものを追い払っている」
なるほどフィイ母様と既知なのか。だからこそ、神について知っていたのだろう。しかしながら、納得できない点もある。
「わたしの事をどうやって認識したんですか?」
「そこまで話す必要は感じないが……いいだろう。
巣窟の守りを任された後、巣窟内の事がおおよそではあるがわかるようになったのだ。
ここを作った神が何かをしたのだろう」
「それなら納得です」
おそらく創造神様由来の探知の能力。わたしの事がわかってもおかしくはない。逆に言えば、わたしのような存在でも探知できる必要があると。
それだけ巣窟が重要視されていると見ていい。
魔物が瘴気の浄化装置であれば、巣窟が無くなると世界に瘴気が満ちるということもありそうだ。
瘴気でなくても、魔物の数が増える可能性が高い。
ではなぜ魔物が人を襲うのかだけれど、こちらは予想できる。
瘴気がそもそも曖昧だけれど、良くない空気、良くない何かと考えると、悪感情なんてものも含まれかねない。
人が人に向ける恨み辛み、そういうものが溜まって呪いになるなんて話は前世でも――事実はどうあれ――聞かない訳でもなかった。
怨念なんて言えば、それっぽいかもしれない。
それが形になったら、人を襲うだろう。
襲われた側はとばっちりかもしれないけれど。
「では改めて問おう。お主等は何者だ? どういった存在なのだ?」
「そうですね。シエルは基本的に只の人です」
「つまりお主に何かあるわけだな?」
「わたしは創造神様の気まぐれで、シエルにとりつくことになった魂……でしょうか?
一度死んだのですが、生まれ変わる時にちょっとありまして、記憶を残したままシエルの元にやってきました」
「その力はなんとする?」
「送られたシエルの環境が余りにも酷で、すぐに死んでしまいかねなかったので、わたし達を守るために創造神様がその力を分けてくださったんです。
その力はいずれ消費され尽くすはずでしたが、わたしがシエルを守るのを頑張りすぎてしまったらしく、分けた力が思いの外に残ってしまったようです。それが定着して神に片足をつっこんだのがわたしです」
改めて言葉にしてみると、何とも信じ難い。
創造神様の想定以上に頑張ったってなにやっていたんだろうなと、思わなくもない。おかげでシエルと今の関係になれたので、結果オーライではある。
「ですから、ある意味創造神様に送り込まれた存在ですね。ですが、何か目的があって、送り込まれたわけではありません。
とりあえず、正式に神になるまでは自由にしていて良いそうです」
「なぜ妙な気配の一つを追ってきた?」
「その蜘蛛なんですが、神界の力を持っていたんですよ」
「倒すことで神に近づけると」
「そんな感じです」
このドラゴン、案外察しが良い。
そしてなぜだかつまらなさそうな顔をしている。
「つまり本当に何かする気はないんだな」
「そうですね」
「つまらん」
『このドラゴン、つまらないって言いましたよ』
『そうね。でも本当につまらないんじゃないかしら?
巣窟の奥で魔物を倒すだけみたいだもの』
確かにそれは退屈しそうだ。
使命感を持って任務に当たっているわけでもなさそうだし、倒す魔物も白ドラゴンほど強くないだろう。
だからこそ、強者を求めて上ってきたというのもありそうだ。
『ねぇエイン』
『どうしました?』
『このドラゴンと遊んじゃダメかしら?』
なんだかシエルがうずうずしている。
思いっきり踊りたいんだろうなと言うのはわかるけれど、言葉だけで判断すると、シエルが戦闘狂みたいだ。
戦い関係ない踊りなら思いっきり舞えると思うのだけれど、たぶんシエル的には違うのだろう。
ただ踊るだけでも楽しいし、舞姫の力を存分に使って踊るのもまた楽しいと。わたしの歌も似たようなものなのでよくわかる。
『良いですよ。ですが、無理はしないでくださいね』
『ええ、遊ぶだけだもの』
現状シエルの魔力は半分以下しかない。それをちゃんと把握しているならかまわない。
白ドラゴンの協力次第にはなるとは思うが、その辺は話してみてからか。
『それなら、その前に聞いておきたいことがあるので、聞いてみますね』
『わかったわ』
「一つ質問です。わたし達が巣窟に入ったの2回目なんですけど、1回目も上ってこようとしていたんですか?」
「浅層の事まではわからぬ」
「なるほど。ありがとうございました」
確かにあのときには第7層あたりまでしか行かなかった。
浅いところだと出てくる魔物も強くはないし、そこまで重要視されていないのかもしれない。
それとも、フィイ母様の探知範囲だから不要と思われたのだろうか?
ともあれ、聞きたいことを聞いたので、シエルと入れ替わる。
表に出たシエルは、待ちきれないと言う目でドラゴンの方を見た。
「ドラゴン。ドラゴン。せっかくなのだから、遊びましょう? 踊りましょう?」
「ほう……良かろう。それならお互い死ぬことはあるまい」
「それなら決まりね。ここには空があるんだもの。貴方も空は飛べるわよね?」
「むしろ空こそ我が庭よ」
シエルとドラゴンは、示し合わせたかのように巣窟の中の大空へ飛び上がった。