128.金蜘蛛と炎の舞台
避けるまもなく……というか、避けるという頭もなく蜘蛛の糸にとらわれて、あっという間に視界がなくなった。
探知する必要もなく、ギチギチに巻き付いているのだろう。
シエルが攻撃したように、わたしも反射的に結界を広げたので密室に閉じこめられただけのような感じになっている。
それにしても気持ち悪かった。蜘蛛には巣を作ってじっとしているものと、地面を動き回るものとがいると思うのだけれど、金蜘蛛の見た目はその間のような感じ。
胴はスマートで、8本の足は長いが、太い。
全身を金色の体毛が覆っていて、真っ赤な目と白い牙を持っていた。
体毛は足にまで及び、足1本1本が別の生物にも見えるほどだ。
ギチギチと鳴き声のようなものを発していて、それだけでも吐き気を催しそうになる。
思い出すだけでも、気持ちが悪いので考えるのは止めておこう。
冷静になって現状を確認してみた感じ、広げたのが普段シエルに纏わせている結界で良かったと思う。
金蜘蛛の糸は、金狼の爪のように神界の力が混ぜられているので、普通の結界だったら簡単に壊されていただろうから。その状態で生きていたとしても絶望しか待っていないだろう。
無意識下で蜘蛛を全力で遠ざけるため、今できる最高の結界を使ったというのは、十分に考えられることだけれど助かった。
でも、現状もあまり良いとは言えない。
『シエル大丈夫ですか?』
『ええ、大丈夫よ。ごめんなさい、エイン。頭に血が上ってちゃんとした判断ができなかったわ』
『わたしも一緒ですから、気にしないでください。
それよりも今はこれからどうするかを考えましょう。少し危ない状況ではありますので』
『そうなのね? エインの結界のおかげで助かったと思うのだけれど』
シエルが小首を傾げる。危ないといっても、全く時間がないというわけでもないので、説明することにしよう。
金蜘蛛はわたし達を捕らえたことで満足したのか、追撃をしてくる気配はないし。
あえて生かしたままにしているのか、圧死したと思っているのか。
どちらにしても、時間はある。
『確かにわたしの結界で、蜘蛛の糸で圧死する可能性はなくなりました。ですが、念入りに巻き付いた蜘蛛の糸でここは密閉されています』
『そうみたいね』
『空気穴も空いていないみたいなんですよ』
『空気穴ってなにかしら?』
『呼吸を止めると苦しくなりますよね?』
『そうね』
やっぱりその辺から説明しないといけないらしい。
シエルの知識の問題か、それともこの世界の発展による問題か。
どちらにしても、説明をしないと行けないのは変わらないので、空気やら、酸素やらについて簡単に説明する。
呼吸の話から入ったからか、シエルもすんなり理解してくれた。
というわけで、酸素がどれだけ持つかという問題にぶつかっている。
絶対防御といえそうな防御力を手に入れたわけだけれど、まだこういった搦め手というか、弱点が残っているわけだ。
わたし達を殺すには、海の中に放り投げるのが最も簡単かもしれない。
でも、海の水って酸素がとけ込んでいるんだっけ?
だとしたら、結界を使って酸素を取り込めないだろうか?
んー、酸素濃度の問題もあるし、素人のわたしが下手なことをしない方がいいようにも思う。せめて何かで実験してからだ。
閑話休題。
『そういうわけで、いつまでも捕まっているというわけにもいかないんですよね』
『いつまでも捕まっていたいとも思えないものね。
この糸をどうにかするだけなら、エインが歌ってくれればどうにかなると思うのよ』
『問題はどの方法を取るか、でしょうか』
この糸に神界の力が混ざっていたとしても、神の力の一端とも言える職業を通しての行いなら対抗できるはず。
しかも舞姫も歌姫も職業の中では最上とも言えるものだから、これを合わせてダメということもあるまい。
問題はこの空間に居るのが、金蜘蛛だけではないということ。
探知してみた感じ、結構な数の人くらいの大きさの繭がそこらに転がっていたり、天井から垂れ下がったりしている。
『結構な数の人が居るみたいね?』
『蜘蛛の糸にとらわれているせいで、生きているかはわかりませんが』
『それでも、なにも配慮しないのは拙そうね?』
『そうですね』
たぶん一番楽に蜘蛛の糸から抜け出すには、糸を燃やし尽くすことだと思う。
舞台を使えば、周囲にある邪魔な糸もすべて除去することができるだろう。
加えて今後金蜘蛛の糸による攻撃をあまり気にしなくてすむ。
だけれど、それをしてしまうと同じく蜘蛛の糸に捕らえられた人達も燃やしてしまうことだろう。
仮にわたし達を捕らえている糸だけを燃やしたとしても、周囲の状況次第では燃え移り、被害が及ぶ可能性がある。
ほかの方法を試すのも手だけれど、興味を失ってくれているのに下手なことはしたくない。
じゃあ、わたしが守るか。シエルから離れるため、魔力消費が大きいとは思うけれど、無くなるほどではないはずだから。
シエルが気持ちよく踊るために、場を整えるのはわたしの役目だと思うし。
そう考えていたら、リシルさんと目があった。真っ暗なはずなのに。
というか、いたのか。
そしてもの言いたげに、わたしを見ている。
ああ、はい。頼れってことですね。
でも精霊が簡単に力を貸していいんですかね? わたしは精霊遣いではなくて、歌姫なんですが。
『リシルさん。力を貸してくれませんか?』
言うだけ只なので尋ねてみる。
リシルさんは一度頷いたけれど、どう言うわけか困ったような顔をした。なにがあったのだろうかと思ったら、何かジェスチャーを始める。
両手を胸の前で組んで、口をぱくぱくさせているのは、歌えと言うことだろうか?
少し考えてみたのだけれど、おそらく普通の歌ではなくて、精霊の歌を歌えと言うことだろう。
そう言えば、あの歌を歌ったときは、頼まずとも周囲の精霊達が力を貸してくれたし。
『あれを歌えばいいんですね?』
一応尋ねてみると頷かれたので、任せることにする。
『エイン、どうしたのかしら?』
『どうやら、リシルさんが捕まった人達をどうにかしてくれるらしいです。ですから、好きに脱出しましょう』
『ということは、炎の舞台を使ってもいいのね?』
『リシルさん、炎って大丈夫ですか? 燃え広がる可能性が高いんですけど……』
リシルさんに問えば、任せろとばかりに頷く。
リシルさんって、森精霊だったと思うのだけれど、大丈夫なのだろうか? いや、生木は燃えにくいというのは知っているけれど、歌姫でブーストした舞姫が作る炎だから、燃え移ってしまうのではないだろうか?
それとも、植物を使わずに守ってくれるのだろうか?
相手は精霊、わたし達の常識ではかろうとするのが、間違いなのかもしれないのでお任せしてしまうことにした。
『大丈夫なようです。ですが、今回は精霊の歌を歌うので、炎とは合わないかもしれませんよ?』
『それはそれでおもしろいのではないかしら?』
『そうですね、やってみましょうか』
別に炎と相性のいい歌を歌わないと、いけないというルールはない。
少なくとも、それが原因で威力が下がるということはない。相性が良いと威力があがることはあるけれど。
だからわたしは歌い始める。森精霊が歌っていた、森を表すような優しく、暖かで、それでいて厳しい歌を。
歌い始めた段階で、リシルさんが動き出す。
クルクルとわたしの周りを回りながら、時折わたしに目を向けながら。
蜘蛛も糸の外で何かが起こっているらしく、残念ながらわたしは見ることができない。
探知で感じる限りだと、木で人を守っているようだ。それも只の木ではなさそうだ。
少し遅れてシエルが動き始めた。
ダダンと二度足を踏みならし、飛び出た棒を捕まえる。
その棒の片側に真っ赤な炎がついて、準備完了。
飛び出たように見えた棒は、魔法袋の中に入れていただけだったりする。
5歳から10歳の期間で、ファイアーダンスについて、シエルに話したことがある。しかし、当時言葉が達者ではなかったし、ファイアーダンスについては聞きかじり程度の知識しかなかったので、なんだかイメージとは違うものになった。
ファイヤーダンスというと、男性の力強さを表現したものだと思うので、はじめからシエルがやるには無理があったのだけれど。
シエル式のファイヤーダンスは、何というか新体操と舞を合わせたみたいな感じになる。
とにかく大きく大きく、シエルの体が振り回されんばかりに全身のバネを使って表現する。
本当は棒を真上に投げるのだけれど、今は狭いのでクルクルと回るだけ。
新体操との違いは、ゆったりとした動きがメインであることだろうか?
そのおかげでやはり、舞と呼ぶ方がしっくりくる。
実際、火の粉が舞い、時折小さな火球が飛んでいくので、幻想的な雰囲気が出ていることだし。
飛んでいった火球は地面に当たると火柱をあげ、その場に炎を残す。
一つ一つは小さいけれど、確実に確実に、あたりを火の海に沈めていく。
炎の舞台が完成する頃、わたし達を捕らえていた糸に火がつき、一気に燃え上がった。
結界で守られているので大丈夫だけれど、その迫力は少し恐怖を呼び起こすほど。
糸が燃え尽き、露わになった巣窟の様相は何とも地獄めいていた。
通常炎は地面にだけ残るのだけれど、そこら中に張り巡らされた蜘蛛の糸によって、壁も天井も燃えている。
何なら垂れた糸のせいで、空中にも炎が飛んでいるようだ。
そしてこの場に合うことのない、青々と茂った木が炎を阻んでいる。
木々はシエルの炎を浴びても焦げることすらなく、その葉にすら燃え移らない。
ただの木であれば既に燃え尽きてもいい頃だと考えると、リシルさんの強さが窺いしれる。
精霊は強いと知ってはいたし、実際前回巣窟に来た時には助けられたのだけれど、こうやって自分たちの力をぶつけてみるとその実力がよくわかる。
わたし達では倒すことはできない。そもそも精霊と敵対することはないのだけれど。
金蜘蛛は巣が燃えたことによって地面に落とされ、こちらをじっと見ている。ように思う。
ギチギチと音を発して、シエルの方に走ってきた。
8本の足をうねらせるようにやってくる様は、わたし達でなくても嫌悪感の対象になるだろう。
シエルは棒の端を持ち、振り回す要領でくるりと回る。
炎の軌跡にあわせて、まるで通った炎の残像のように火球が現れ、金蜘蛛に降り注がせる。
1つ目がぶつかり、ひるませる。
2つ目がぶつかり、金蜘蛛の体に焦げ跡ができる。
3つ目以降は太い足ですべてかき消された。
その結果、前の二本の足が燃え尽きる。
金蜘蛛の発するギチギチという音が大きくなる。赤い目が怒りを湛えたようにシエルを逃さない。
ダメージは与えられているはずだけれど、大きくはなく、逆上させただけになってしまったようだ。
足が二本なくなったというのに、移動速度は変わらない。
まだ向かってくる金蜘蛛を前に、シエルが棒に息を吹きかけた。
赤い炎が青くなり、呼気で吹き飛ばされるように青い火の粉が飛んでいく。それが既に床や天井で燃えている炎に当たると、一面を青に染め上げた。
最後にクルクルクルと棒を回して、トンと地面に突き立てる。
すると、周囲に散っていた青い炎が一つにまとまり、金蜘蛛を中心に集まった。
程なくして、金色の蜘蛛は牙だけ残して灰になった。





