閑話 スミアリアとフィイヤナミアの屋敷 ※スミアリア視点
妹が連れてきた方は、用事が済んだとばかりに屋敷を出て行った。
最後に謎を残して行ってしまったのだけれど、その答えは妹が知っているらしい。
今のワタクシの状態は、アミュリュート家から切り離される寸前と言うところだろうか。
兄がフィイヤナミア様の義娘である、シエルメール様を襲った。
その償いとしてワタクシがもらわれる、というのが公的な決定になるのだろう。
それがビビアナがシエルメール様に助けを求めてのことだとしても。
今のワタクシはふわふわしている。立場もだけれど、気持ち的にも。
トリアドルに嫁ぐことになったこと、それ自体は仕方がないと思っていた。家のために嫁ぐことは、こういった家に生まれた以上避けられないから。
当主個人としては良い噂を聞かないとしても、力は確かに持っているのだから、繋がりを得ておくことは悪い選択ではない。
だけれど、フィイヤナミア様に反抗するというのは受け入れられなかった。
否、ワタクシ個人としては、トリアドルを嫌悪していたといってもいい。トリアドルに乗ってしまえば、家が潰れてしまうのは確実だと思っていたから。
だけれど、父や兄は結局話を聞いてくれなかった。
父は最初はワタクシの言葉に耳を傾けていたけれど、フィイヤナミア様が義娘を迎え入れたという話を聞いて、徐々に兄の方へと傾いていった。
だからこの家と決別することは、望んでいたことでもある。
しかし情はある。ビビアナと違って、ワタクシはそれなりの生活をさせてもらっていたのだから。
今後アミュリュートがどうなるのか、容易に想像できてしまうので哀れに思う。
アミュリュートは沈みゆく船。そこからワタクシは救い出されたようなもの。それがいかに幸福なことか。
今回の件がなかったとしても、フィイヤナミア様に反しようとしている時点で、破滅は免れない。
ビビアナがいっていたとおり、義娘であるシエルメール様を倒せる人はいないだろう。
それを見るのは寂しいものがある。辛いものがある。
だけれど、一緒に沈まなくて良かったとも思う。一緒に沈みたいと思えるほどの情は既にない。
何よりワタクシにできることはない。全てはシエルメール様が決めたこと。ワタクシが勝手にこの家に留まることすら許されない。
「余計なことをしてしまいましたか?」
不安そうなビビアナの声にはっとする。
「いいえ、感謝しているわ。ビビアナ。
ただ、ただ少しだけ寂しくなっただけなのよ」
「そうですか……」
「ところで、エインセル様とは誰なのかしら?」
気持ちを切り替えなければ。ワタクシはもうアミュリュートではなくなる。トリアドルではなく、フィイヤナミア様のところにいけることは本当に僥倖なのだから。
「そのことなのですが、軽々しく話せることではありません」
思っていたよりもビビアナの反応が重く、また妹の言いたいこともわかったので頷いた。
それからビビアナが一枚の魔法陣を取り出す。
以前は魔法陣を見るのも嫌がっていたはずなのに、妹の成長が嬉しい。
発動させたそれは、おそらく音を外に漏らさないためのもの。
使うことで、ここで重要な話をしているのだと知らせるようなものだけれど、ここで使うのであれば問題ない。
準備ができたところで、ビビアナが口を開いた
「エインセル様についてですが、私も詳しく知っているわけではありません。憶測も混じると思います」
「構わないわ。大筋がわかれば今は問題なさそうだものね」
「姉様がそういうのであれば。エインセル様はフィイヤナミア様のもう一人の義娘になります」
「もう一人いたのね」
そのような情報は、聞いたことがない。
そもそもシエルメール様の存在すら曖昧だったのだから、仕方がないのかもしれないけれど。
それでも、いままでそういった話を聞いたことがないフィイヤナミア様が、いきなり2人もというのは、違和感がある。
シエルメール様とエインセル様の関係によっては、あり得るのだろうか?
「そして、エインセル様はシエルメール様の中にいるようです」
「……続けて」
「エインセル様曰く、シエルメール様の体に2つの魂が宿っているんだそうです。彼女の話からすると、エインセル様が後天的にシエルメール様の体に入った形のようですね」
信じられない話だけれど、ビビアナがこんな事で嘘をつくとも思えない。今の場はある意味で、シエルメール様に命じられてできた場。
その意味を分からないほど、愚かではないだろうし。
だからビビアナが言っていることは正しい。
それに思い当たる節もある。
シエルメール様が突然黙り込んでしまうことが、何度かあった。
その間にエインセル様と話をしていたのであれば、納得できる。
「ビビアナはエインセル様を見たのね?」
「はい。エストークでも、中央でも。
エストークで逢ったときには、シエルメールを名乗っていたので気がつきませんでした。
2人の入れ替わりは自由にできるようです。見た目は全く同じでしたが、先日逢ったときには髪と瞳が黒になっていました。どうやらエインセル様は、黒髪黒目と白髪碧眼のどちらの姿もとれるようです。
それから、話し方も違いますね。シエルメール様は先ほどのような感じですが、エインセル様は丁寧に話します」
つまり黒髪であればエインセル様なのだろうけれど、白髪であればどちらであるかわからない。
話し方も変えようと思えば変えられるものではあるので、あまり当てになりそうにはない。
でも、そういった存在をフィイヤナミア様が認識しているのであれば、庇護下に置こうとするのもわかる。
それはエストークでも同じだと思うのだけれど。
だからこそ、逃げ出してきた? そこをフィイヤナミア様に保護された?
「エストークであったときの様子を教えてくれないかしら?」
「印象は今とあまり変わりません。いえ、今よりもエインセル様が表にでていることが、多かったように思います。
ハンターとしては優秀でした。すでに私よりも強かったでしょうし、ランクが下だったのもその若さ故だったからです」
ビビアナほど詳しいわけではないけれど、国家間の移動に足る信用になるにはB級ハンター以上でなければならなかったはず。
つまり年齢によって止められていた昇格を覆せるような何かがあったのか。
「シエルメール様は順当に中央までやってこられるランクになったのかしら?」
「それは私にもわかりません。いえ、シエルメール様の場合、逆風ばかりだった可能性もあります。私が知っているだけでも、いくつかハンター組合がやらかしていますから」
「聞いても良いのかしら?」
「エストークでは知れ渡っていることですから、大丈夫でしょう。
ハンター組合の職員の中に、職業を判別する職業を持つ受付がいたのですが、ハンター組合内でシエルメール様の職業をバラしました」
名のあるハンターであれば、自分の職業を喧伝することもある。
優秀な職業であるからこそ、人に自慢する人もいる。
だけれど、それをギルド職員が行ったとすれば信用問題になるだろう。
ハンターに限らず、職業に恵まれず隠して生きていく人は少なくないのだから。
「シエルメール様ほどの方であれば、そこまで大きな問題にならないと思うのだけれど」
何気なく呟いた言葉に対して、ビビアナが首を左右に振った。
まさかとは思うけれど、あれだけの魔術が使えて職業は無関係だとでも言うのだろうか?
おそらくビビアナはその職業を知っている。だけれど、ここで聞いてはいけない。
「姉様はエストークで魔物氾濫が起こったことはご存じですか?」
「ええ、噂程度には聞いているわね」
「それを警告したのはシエルメール様です。エインセル様だったのかもしれませんが。
ですが、先ほどの事件があり、また貴族の怠慢を暴いた腹いせか刺客を放たれたのもあって、エストーク王都での魔物氾濫には関与しないと約束を取り付けました」
「刺客……?」
つまり命を狙われたという事。
幸いにしてワタクシは狙われたことはないけれど、刺客に命を狙われて、助かったものの心を閉ざしてしまったという話は聞かされている。
人から向けられる明確な殺意は、想像以上に心に負担がかかるのだと、知識ではあるが知っている。
「スミアリア姉様の心配もわかります。私もそのケアをしようとしました。ですが、彼女達は命を狙われるという事に慣れていたみたいです」
「それだけのことがあったと言うことなのね」
「何があったのかは教えてもらえませんでした。ですが、あのころの彼女……エインセル様は周囲全てを警戒していましたよ。
まるで周りには敵しかいないと言わんばかりでした」
あの方――あの方々の経験は並大抵のものではない。
だけれどそれがわかったことは良かったと思う。
あの美しい結界の裏に、どれだけの努力があったのだろうか。
不敬だとは思うけれど、才能だけであれをやってのけているのだと言われると、ワタクシは嫉妬してしまったかもしれない。いえ、侮ることがあったかもしれない。
「それでも、ビビアナの悩みを解決してくれたのね」
「それは……」
話を終える意味でからかってみたのだけれど、思いの他に反応がよくて笑ってしまう。
ビビアナの問題を解決したのが、シエルメール様もしくは、まだ見ぬエインセル様であることは想像に難くない。
誰にも言うなと釘を刺されているのだろう。
「話さなくて良いのよ。それよりもやってはいけないことをした愚兄を、しかるべき場所に連れて行きましょうか」
「そうですね。このまま家において置くわけにも行きませんからね」
それから意気消沈した兄を、ひとまずはハンター組合に連れていくことにした。
◇
フィイヤナミア様の屋敷。普段であれば、近づくことすら躊躇うこの場所にワタクシは足を運んだ。
アミュリュートの屋敷とは比べ物にならない、だけれど他国で見た王城と比べると派手さのない建物。
それでいて、どこか清浄な空気が流れているような、特別な魔力があるような、そんな印象を受けた。
屋敷の前には一人の女性の使用人が何かを待つように立っている。どこか冷たい印象のある使用人は、ワタクシを見つけると綺麗な礼をした。
「お待ちしておりました。念のため確認をさせてもらいます」
「ええ、ワタクシはスミアリア。ここでエインセル様のお名前を出すようにと言われました」
「はい確かに。ご案内いたします」
そう言って屋敷に入っていく彼女の後について、ワタクシも屋敷の中に入る。
清潔に保たれた屋敷の中は、華美にはならず住みやすさを重視しているように感じる。
「スミアリア様。いえスミアリアと呼びましょう」
「はい、構いません。ワタクシはすでにアミュリュート家の者ではなく、この屋敷の使用人の一人ですから」
「では、私の事はモーサと」
「分かりました。モーサ様」
「同じ使用人同士です。様は不要です」
「では、モーサさんと」
年代的には同じくらいだろうけれど、彼女は使用人としては先輩であり、教えを乞うこともあるだろう。同格として扱ってくれるのだとしても、それに甘んじてはいけない。
少なくとも一人前と認められるまでは。
「それで構いません。話し方も使用人同士では気にしませんので、慣れてきたらお好きになさってください。肩肘ばかり張っていては疲れるでしょう」
「ご配慮感謝します」
「さて着きました。今日からスミアリアが住む部屋です。中に着替えが入っていますので、着替えてきてください。
手伝いは必要ですか?」
モーサさんに尋ねられ、断ろうとして考え直す。
普段の着替えくらいなら、一人でできるけれど、おそらく入っているのは使用人が着るもの。
今まで着ていたものとは違う可能性もある。それならば変に意地を張っても仕方がない。
「手伝っていただけると助かります」
「分かりました」
こんなこともできないのかと、厭味の一つでも言われるかと思ったけれど、そうではないらしい。
きつそうな印象とは裏腹に、面倒見は良いのかもしれない。
ワタクシの眼力もまだまだといったところね。
部屋はワタクシがアミュリュートで使っていた部屋よりも広い。家具も一級品が揃っている。
違うのは使用人がお世話をすることを想定していないという事だろう。
一人で一通りのことはできるようになっておいて良かったと思う。
ビビアナのお陰かしら?
クローゼットには、モーサさんが着ているものと同じものが入っていた。
よく見かけるエプロンドレス。ワタクシはお世話される側だったけれど、これを着ると思うとなんだか少しドキドキしてくる。
「丁寧に教えるのは今回が最後ですので、良く見ておいてください」
モーサさんに言われて、説明に耳を傾ける。
今まで着ていたドレスなどよりは手順が少なく楽だけれど、少々厄介なところがある……くらいだろうか?
たぶん問題なく着られる。だけれど今日はモーサさんに手伝ってもらった。
「覚えられましたか?」
「はい」
「分からなくなれば、その辺にいるメイドでも捕まえて聞いてください。
皆余裕をもって仕事にあたっていますので、それくらいなら嫌な顔もされないでしょう」
「いいのですか?」
もう教えないという話だったと思うのだけれど。
「丁寧に教えるのが最後だというだけです。
使用人が仕事着もちゃんと着られないのは、主人の恥になるでしょう?
何度も聞くようではいけませんが、初めてである貴女がすぐに何でもできるとは考えてはいません」
「分かりました。ご指導のほどよろしくお願いします」
「では、さっそく仕事を覚えてもらうことにします。
ついてきてください」
また歩き出したモーサさんに着いて行く。
「そういえば、エインセル様の事はどこまで知っていますか?」
「シエルメール様の中にいらっしゃる方、ということくらいです。
黒髪黒目がエインセル様だとも」
「今はそれで十分です。この屋敷内ではエインセル様はご自身の姿でいてくださいますので、間違えることはないでしょう。
仮に間違えたとしても、咎めるような方々ではありませんが」
モーサさんがあの方々の話をするとき、表情が少し柔らかくなった。
こういっては何だけれど、見たことのないエインセル様はともかく、シエルメール様は不愛想と言うか、あまり周囲に興味を持たない方のように思えたので少し意外だ。
もちろんシエルメール様の境遇を想像すればあの態度には納得ではあるし、ワタクシ自身悪い感情を持っているわけでもない。
むしろ尊敬できる部分も多いだろう。
だけれど……そう考えている間にも話が進むので、そちらに集中する。
「しばらくは、私ともう一人について行動してもらいます」
「モーサさんは屋敷で何をなさっているんですか?」
「私はエインセル様の専属です。もう一人はシエルメール様の専属で、不要な時にはそれぞれに補助をしています。
つまりスミアリアの仕事はしばらくは、補助の補助になります。お嬢様方が連れてきたような人ですからね」
「分かりました」
どうやらいきなり難しい仕事を振られるということはないらしい。
補助の補助ともなれば、雑用が主かもしれないけれど、フィイヤナミア様の娘の専属と考えると扱いは悪くなさそうだ。
「何にしても今日は見てもらうだけになります。そして最も大切なことだけを覚えてください」
「はい」
ワタクシが返事をしたところで、モーサさんが足を止めた。
両開きの他の場所よりも少し大きな扉の前。おそらく食堂だろうか?
使用人が時折出入りしていて、ワタクシ達もそれに紛れるように中に入る。
大きなテーブルに、沢山の椅子。
使われているのはその端の一部分だけのよくある状況。
だけれど、使っているのがフィイヤナミア様だとわかると、体が緊張するのが分かる。
「許可は取ってありますし、ここで挨拶をすることもありません。
緊張せずに、というのは無理かもしれませんが、それだけにならないように注意してください」
小声でそう言われて、バレないように深呼吸をする。
これでも貴族――とは本当は違うけれど――の端くれだったので、こういった時に毅然とした態度を取ることもできる。
己を律したところで、フィイヤナミア様の向かいに座っている方の存在に気が付いた。
白い髪をした可愛らしい少女。
昨日もあったので目にするのは2回目だけれど、その表情は全然違っていた。
それこそ、別人ではないかと思うほどに。
フィイヤナミア様に話しかけるシエルメール様は、とても生き生きしている。
「貴女の仕事、私達の仕事で最も大切なのはあの笑顔がせめてこの屋敷の中だけでも曇らないようにすることです。
シエルメール様は、エインセル様は、普段はそう見えることはありませんが、いつ壊れてしまうか分からない危うさをもっています。
シエルメール様が今も笑っていられるのは、それこそ奇跡と言っていいでしょう」
そんなモーサさんの言葉が心に響いた。





